その八.首を洗って待っていろ
「さて、見た目は良いが味はどうだか」
時久は律儀に手を合わせた後、がつがつと雑炊を貪りだした。言葉もなく匙を進め、時折箸を伸ばしては煮付けを食う。
時折吹雪に器を突きだして放つ「おかわり」という言葉以外、彼は一切話さなかった。
ひたすら飯を喰らう彼の姿を、やや緊張して吹雪は見つめる。
雑炊と煮付けは瞬く間になくなった。
梅干しを口の放り込み、空になった器に匙を置き、時久はまた両手を合わせる。
「馳走になった」
「お粗末様でした……あの、味はどうでした?」
おずおずと吹雪はたずねる。
すると時久は何故か悔しそうに唇を歪め、頭を掻いた。
「ん、む……味は……なんといったものか……」
「……お口に合いませんでした?」
ごくりと唾を飲み込み、吹雪はさらに問う。
すると時久は率直な彼にしては珍しく、迷うように視線を泳がせた。何度か咳払いをして、落ちつきなく寝巻の襟元を緩める。
そうしてゆっくりと、言い辛そうに答えた。
「むぅ……悔しいが、悪くは、なかった」
「悪くはない、と?」
「くそっ……そうだ。むしろ良かった。上出来だ。極めて悔しいが」
「そうですか……そうですか! ふふっ!」
密かに始まっていた奇妙な戦いは決着した。
苦々しげに寝台に身を投げ出す時久に対し、吹雪はぐっと拳を握りしめる。
時久は小さく舌打ちをして、軽く吹雪を睨んだ。
「見舞いに来たのは、社長に何か吹き込まれたからか? 例えば俺の出自とか」
「……何も吹き込まれてなどはいませんよ。私が聞いたのは、貴方が鬼の末裔だと言うことだけ。それにお見舞いに来たのは、私の意思です」
「ふん?」
「出会いから色々ありましたが、その……貴方には、本当にお世話になったので」
「ふむ……」
時久が枕に頬杖をつき、真意を測るようにじっと見つめてくる。
目を逸らしてはいけないと思った。
だから吹雪は時久の視線を、黙って真っ向から受け止めた。
まるで永遠のような数秒間。やがて時久は目をつむり、小さくため息をつく。
「……社長は俺が鬼の末裔であると言うこと以外に貴様に何か言ったか?」
「いえ、特にはなにも」
「……ならば良い」
時久は目を開けると、体を起こした。
「……
「はい?」
唐突に放たれた言葉の意図を掴めず、吹雪は目を白黒させる。
そんな彼女に、時久は指を突きつけた。
「見舞いの礼にくれてやる。貴様が林檎との戦いで使った技の名だ。少なくとも【雨垂れ・改】などという感性の欠片もない名前よりはマシだろう」
「た、戦いにそういう感性は必要ないでしょう」
「ふん。貴様の先祖はそうは思わなかったようだがな。必要があるからいちいち技に名前がついているんだろう。感性は士気に関わる」
「うっ……」
そこを突かれるととても痛い。
時久は低い声で笑い、ついで大あくびをした。
「……俺は直に寝る。貴様もとっとと帰って、明日の備えでもしておけ」
「言われずとも……お皿洗ったら帰りますよ……」
吹雪は悔しさに唇を噛みつつ、盆の上に茶碗や匙をまとめだした。
それをよそに時久は寝台にごろりと横になる。
「貴様は、兄を見つけたら石川に帰るのか」
その言葉に吹雪は思わず皿を片付ける手を止める。しかしそれは一瞬のことで、すぐにその手は汚れた皿を重ねた。
「……そうなりますね、きっと」
「そうか」
それっきり二人とも黙り込んだ。
本当はもう少し時久と話したかった。しかし胸の内は霧がかかったようにもやもやとして、何を言うべきか、何を言いたいのかさえはっきりしない。
十真との会話からずっと胸に残る不安の正体の答えを、時久は知っているのだろうか。
しかしその問い方を吹雪は知らない。
諦めた吹雪はちゃぶ台を丁寧に拭き、盆を持って立ち上がった。
そこで、時久がまた声をかけてきた。
「おい」
「なんでしょう」
一瞬の間があった。
時久はがりがりと頭を掻き、壁を睨んだ。
「……感謝する。手間をかけさせた」
「いえ。大したことでは」
「さっきも言ったとおり明日は出勤する。首を洗って待っていろ」
「そういうやる気いらないです」
吹雪が呆れて振り返ると、壁を向いたまま時久はくつくつと喉を鳴らして笑った。
ふっとため息をつき、吹雪は肩をすくめる。
「……まぁ、実際覚悟するのは貴方の方になるでしょうね」
「ふん。小娘が言いよるわ」
これだけ言い返せるなら、明日には完全に復活しているだろう。
吹雪は天井を見上げ、ふっと笑った。
不安の正体はわからない。
しかしそれが今、ほんの少しだけ和らいだような気がした。
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