肆.サンダーボルト

その一.自由自在十真

 地下街で林檎を鎮めた翌日。

 吹雪とサチは十真に連れられ、彼が白髪の男を見たというカフェに向かっていた。


「うー……寒いよう……」


 オレンジの手袋を嵌めた手をこすり合わせ、サチが身を縮こませる。

 十真がにやっと笑ってサチを見下ろした。


「寒そうだな、ワン嬢ちゃん。そんなに寒いなら帰ろうか?」

「やだ……帰っても暇だもの……夕子さん達みんなお仕事だし……。というか、なんでわたしお休みになったんだろ」

「昨日の一件もある。ワン嬢ちゃんに万が一があってはいけないと言う社長の考えだ」

「元気なのに……うぅ、寒い。みんな寒くないの?」

「確かに、今日は寒いですね」


 マフラーを巻き直し、吹雪は頭上を見る。雪国とはまた異なる色合いをした青空には雪の気配はないものの、日の光は弱々しい。


「あれ、意外。ブキちゃんもっと寒さに強いんだと思ってた」

「北陸と関東じゃ少し冷え方が違いますよ。それに雪国育ちだからといって寒いのが平気かと言えばそういうわけでもありません――それにしても」


 吹雪は視線を地上に降ろし、辺りを見回す。

 大晦日が近づいていることもあり、街はいつになく慌ただしい。

 さらに今は年末の喧噪に加え、奇妙な熱狂が帝都の師走を揺るがしていた。


「……帝都だと、やはり取り上げられ方が違いますね。あの盗賊は」


 吹雪は顔を上げ、ビルディングの壁面に掲げられた画面を見た。

 街中に存在する放映機は、それぞれ決まった時間に様々な番組を放送する。

『テレビジョン』なる個人用の放映機が非常に高価なため、こうした街中の放映機は人々の娯楽の一つになっていた。

 その画面は今、どこもまったく同じ話題を取り扱っている。


『生きていた猿面』、『稀代の盗賊の狙い』、『大胆不敵なる予告文』――。


 先頭を行く十真も画面を見上げ、ふっと笑った。


「無理もない。なにせこの百年、帝都を騒がせる大怪盗だ。恐らく代替わりを繰り返しているのだろうが、歴代の猿面の誰もがその尻尾を掴ませないときた」

「それになんだか人気者だもの」


 サチがため息をついた。


「たまにどこかで化物が暴れ出したりすると、どこからともなく現れてそれを退治したりするんだよね……みんな手際が鮮やかとか、華麗とか言っちゃって」

「ワンコは猿面嫌いなんですか?」

「だって泥棒だもん……」


 吹雪がたずねると、サチは拗ねたように頬を膨らませる。

 十真がくすっと笑った。


「そうだな。財宝と一緒に我ら退治屋の仕事まで盗まれたらたまったものじゃない」

「うー……次の庚申の夜っていつだっけ?」

「二十六日。今週の金曜だ。これが今年最後の庚申――納庚申という事になる」

「そっか――というか、来週もう新年なんだよね」

「ああ、もうそんな時期ですか……」


 サチの言葉に吹雪はふと去年の事を思い起こした。

 いつもならば、父や兄とともに実家で静かに過ごしている時期だ。しかし今、吹雪は遠いこの町で一年の終わりを迎えようとしている。


「まさか帝都で新年を迎えることになるなんて、去年の今頃は想像もしませんでしたよ」

「ははは、人生何があるかわからないものだ」


 吹雪のため息に、十真が爽やかに笑い声を立てた。


「私もまさか痴情のもつれで家に火を付けられるなんて先月末には思いもしなかった」

「火を付けられ……!?」


 あっけらかんととんでもないことを言いだした。

 驚愕する吹雪に対し、十真は癖の強い髪を掻き上げて物憂げにため息をつく。


「しかもまったくの人違いだった上に錯乱した女に妹の仇と勘違いされて刺されることになるなんてな。誰が想像できる?」

「想像できませんよさすがに!」

「だろうな。なにせここまでの話は全て嘘だからな」

「なっ……」


 一瞬思考が停止した。

 思わず動きを止める吹雪の先で、十真がからからと笑いながら振り返った。


「ははは、信じたか?」

「ぜ、全部嘘……ですか?」

「うむ。ちなみに私はアパートの最上階に住んでいる」


 極めてどうでもいい話だ。

 反応に困る吹雪の隣で、サチがむーっと唇を尖らせた。


「……やっぱり嘘かぁ」

「反応が鈍いぞ、ワン嬢ちゃん。新入りはなかなか素直だったのに」

「ブキちゃんをからかわないの!」

「ははは。ならばワン嬢ちゃんだけからかうようにしよう」

「もー! 十真さんったら!」


 顔を真っ赤にしてサチが怒ると、十真は「おやおっかない」とわざとらしく身をすくめた。

 再び歩き出す彼の背中を見て、吹雪はそっとサチにたずねる。


「……変わった人ですね」

「本当に……よくわからない人なの……」


 心底疲れ切った様子でサチがため息を吐く。

 その肩にそっと手を置きつつ、吹雪は歩いて行く十真の姿を見た。

 足取りは弾む鞠のようで、視線は常に上向きに固定されている。あれは前を見ず、空を見ながら歩いているのだと先ほどサチが教えてくれた。

 極めて危なっかしい歩き方だが、そのくせ十真はこの雑踏の中で一切人にぶつかっていない。


「確かに……只者ではないようです」


 言動こそ奇怪だが、恐らく相当の達人だ。

 見ているうちに十真が振り返り、軽く手を振ってきた。


「おーい。この絶えず変化を続ける世界に小石の如く置き去りにしてしまうぞー」

「そんな壮大な言い方をしなくとも」


 気を張っていた吹雪は思わず脱力する。

 彼女の視線の先で十真はまたからからと笑った。掴めない男だ。

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