その二十.私が友達でも大丈夫?

 ぎこちない謝罪の言葉に、吹雪と時久は黙ってうなずく。

 林檎の姿が影と化し、ゆらりとサチと重なり合った。振り返れば、壁の近くに倒れていたはずの胴体も消えていた。


「林檎は……?」


 吹雪がたずねると、サチは座ったまま自分の胸に手を当てて見せた。


「わたしの中に戻ったよ。少しの間、眠ってると思う」

「あの分だと、もう暴れ出すこともなかろう」

「うん。ちゃんと話したから、大丈夫」


 時久にうなずき、サチは立ち上がった。

 その体が一瞬ふらつくのを見て、吹雪は慌ててサチに手を貸す。


「っとと……ご、ごめん。まだちょっと力が入らないみたい」

「いえ、お気になさらず」


 吹雪が微笑むと、サチは一瞬嬉しそうに笑った。

 しかしすぐその表情は曇る。

 サチは申し訳なさそうに目を伏せ、両手を握り合わせた。


「ごめんね、 吹雪ちゃん。わたし達のせいで、大変なことになっちゃって」

「これくらいなんともありませんよ」


 実際のところ、林檎との戦いの疲労が重くのしかかってきている。

 それでも吹雪は平然と肩をすくめて見せた。

 サチの瞳が大きく揺れた。

 落ちつきなく自分の首元に触れつつ、おずおずと言った様子で口を開く。


「あの、ね。わたし、こんなだけど……仲良くしてくれる……?」

「それは――」


 吹雪は一瞬言葉に悩んだ。

 しかし思わず見上げた時久の顔が『こんな事で悩むのか貴様は』と言わんばかりのあからさまな嘲笑を浮べていたので、すぐに口を開いた。


「私、で……いいの?」

「えっ?」


 吹雪の言葉に、サチが大きく目を見開く。

 吹雪は口元に触れ、視線を泳がせつつ、つたなく言葉を続けた。


「私……はその……友達とか、できたことなくって……家が鬼切りで色々、変だと思いま――思うけれど……それでも、良いの?」

「い、良いよ! むしろ吹雪ちゃんが良いよ!」


 サチはこくこくと大きくうなずき、次いで不安そうに首をかしげた。


「吹雪ちゃんもわたしでいい? わたしが友達で大丈夫?」

「だ、大丈夫で――大丈夫! ワンコさ――ワンコが良い、ワンコが良いの。ワンコがその、私と仲良くしてくれたらとても嬉しいで――嬉しい」

「ほ、ほんと?」


 サチがぱっと頬を赤らめ、吹雪の手を取る。

 吹雪はその手をぎゅっと握りしめ、ぎこちなく――それでも強くうなずいた。


「ほんと、ほんとよ。マジ」

「……敬語付けたままでも大丈夫だよ」

「本当です。不束者ですが仲良くしましょう。末永く友達になりましょう」

「あ、ありがたき幸せ!」

「……なんという不器用さだ」


 手を取りあい、ついにその場でクルクルと回り出すという奇行に走り出した吹雪とサチを見つめ、時久は呆れたようにため息をつく。

 その時、ガシャンと鈍い音があたりに響き渡った。


「ワンコ! 無事かい?」

「夕子さん……?」


 夕子の声にサチが足を止めた。

 開いた防火シャッターから現れた夕子はサチを見るや、ぱっと表情を明るくする。


「ワンコ……!」

「夕子さん! 来てくれたの?」


 サチが手を離し、自分の名を呼ぶ夕子に駆け寄る。

 喜色満面といった様子の夕子はその体をしっかりと抱き留めた。


「怪我がなくて良かった! ――林檎は?」

「もう大丈夫です! さっき話して……これからもたくさん話していくから」

「そうかい……良かった、本当に……何事もなくて、本当に良かった」


 夕子に頭をわしゃわしゃと撫でられ、サチはうれしそうに笑う。きっと子犬だったら尻尾をちぎれんばかりに振っていただろう。

 その様子を微笑しながら見つめる吹雪の頭に、不意に何者かの手が載せられた。


「え……御堂さん?」


 手の主を見上げ、吹雪は思わずびくっと肩をすくめる。

 吹雪の頭に手を載せたまま、時久は仏頂面でサチと吹雪とを見比べた。


「……今回は、良くやった」


 満足そうな――しかし、どこか一抹の悔しさが滲んでいるような声だった。

 しかしその言葉に、吹雪はかっと頬が熱くなるのを感じた。一瞬にやけそうになったものの、吹雪はぐっと唇を噛みしめてこらえる。


「そんな……大したことは」

「おぉおお!」


 興奮気味の綾廣の声が辺りに響き渡り、吹雪と時久は反射的に大きく距離を取った。

 防火シャッターを潜り抜けた綾廣がサチを見て、次いで吹雪達の方を見た。


「おぉおお! 一件落着ってわけか! みんな、おつかれさん!」

「ひとまずはな」


 白い歯を輝かせて笑う綾廣に対し、時久はフンと鼻を鳴らした。

 綾廣はちぇっと舌打ちをする。


「つれないなぁ! 大団円に終わったんだから良いじゃない! ――それよりオレ、ちょっとお腹すいちゃったよ」

「アタシ牛鍋食べたいな。ワンコも牛鍋で良い?」

「お肉大好き……!」


 大喜びでうなずくサチの頭を、夕子は笑ってぽんぽんと叩いた。


「あいよ。んじゃ綾廣、アタシらは牛鍋を推すよ」

「オーケー! ……ん? オーケー?」


 威勢良く返事をした直後、綾廣は不思議そうに首をかしげた。

 そんな彼を無視して、時久がぎろりと吹雪を睨む。


「……小娘、貴様は何か食いたいものはあるのか」

「私は特に――」

「よろしい。では貴様は寿司が食いたいということにしよう」

「え、ちょっと勝手に」

「故に寿司二票だ、一色」

「話を聞いてください」


 口を挟む吹雪をいなし、時久が指を二本立ててみせる。

 綾廣のこめかみがひきつった。


「……ソーリー。もしかして、いつの間にかオレが奢る流れになってますかね?」

「なんだ気づいたのか」

「チッ。気づいちまったら仕方が無いね」

「御堂! 姐さん!」


 舌打ちする時久と夕子に対し、綾廣が抗議の声を上げる。

 その様子に吹雪が苦笑いしていると、おずおずといった様子でサチが近づいてきた。


「吹雪ちゃん、あの……一個だけ聞いていい?」

「ん? えぇ、どうぞ」


 吹雪がうなずくと、サチは迷うように視線をさまよわせた。しかしやがて意を決したようにうなずき、吹雪の顔をしっかりと見る。


「あのね……! わたしも、吹雪ちゃんのこと、ブキちゃんって呼んでもいい?」

「え、えぇ、どうぞご自由に」


 一体どんな重大な事を聞かれるのかと思った。

 思わず身構えた吹雪は拍子抜けしつつ、こくこくとうなずく。

 するとサチの表情がぱあっと明るくなった。


「ブキちゃん……ブキちゃん! ふふ、これからもよろしくね」

「えぇ。よろしくお願いします――ワンコ」


 吹雪がぽつりと漏らした最後の言葉に、サチは一瞬目を見張った。


 そして本当に嬉しそうに、何度もうなずいた。

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