その十八.時久の発破、猛る吹雪
林檎が咆哮する。
その周囲の瓦礫がふわりと浮かび上がるのを見て、吹雪は眉を寄せた。
「
弾丸の如く瓦礫が飛んでくる。
吹雪はいったん足を止め、それを尽く絶句兼若で砕いだ。
「きぃいいいいいっ!」
一方の時久は鬼鉄を大上段に構え、
唸りを上げて迫る刃を、林檎は発達した前足で掴んだ。
「受け止めた……ッ」
「っ……! やるな人狼!」
吹雪は目を見開き、時久は左目の傷を歪めて笑った。
鬱陶しげな唸り声と共に林檎が鬼鉄を跳ね上げる。そして一瞬時久がバランスを崩したところに強烈な体当たりを叩き込んだ。
「ぐっ――!」
時久は腕を交差させて威力を軽減させたものの、大きく背後に吹き飛ぶ。
代わって吹雪の刃が林檎を襲った。残像を残しながら迫る絶句兼若に対し、林檎はそれをかわすこともなく前足を振りかぶる。
「まずいッ――!」
林檎の爪がぎらりと輝くのを見て、吹雪は刃を引き後方に逃れた。
低く振り払われた林檎の爪が地面に深い跡を刻み込む。
動きは速く、力は強い。さらに神通力によって、瓦礫を浮かせて攻撃してくる。
「……余計手がつけられなくなってませんか?」
「そうでもない。動きそのものは単純化しているし、奴の神通力はさほど強いものではない」
林檎の攻撃をいなしつつ、吹雪と時久は会話する。
再び林檎の体当たりによって壁が一部損傷。飛び散った破片をすぐさま林檎の神通力が捉え、吹雪と時久めがけて吹き飛ばす。
吹雪はどうにか絶句兼若でそれを防ぎつつ、素手で瓦礫を弾く時久を見た。
「毎度思うのですが、どうなっているんですか。完全に無敵では」
「……そうもいかん」
時久の表情が一瞬かげった。しかしその影はすぐに消え、時久は掴んだ瓦礫を林檎めがけて投げ返す。
かろやかな動きで林檎は瓦礫をかわし、再び二人めがけて体当たりを仕掛けた。
「ですが貴方こそ、式器を発動していないのに化物を退治しているでしょう」
「単に俺の力が少しばかり強いだけの話だ。常人が十殴らなければ化物を殺せんところ、俺は一発殴ればそれで済む」
「十分異能では……」
言いながら、吹雪は急激にターンしてこちらに迫ってきた林檎の巨体なんとか避ける。
林檎は吹雪を集中的に襲ってくる。あまり話す余裕はない。
体力は段違いだ。
そもそも獲物を何キロも追いかけて狩る狼の化物だ。
元々持久戦に長けているのだろう。
「このままでは……」
顔ほどもある瓦礫の起動をなんとか弾いて逸らし、吹雪はうめく。
その隣を時久が駆け抜けた。
「なんだ小娘、もうへばったのか」
「……く」
時久の言葉に、吹雪のこめかみが引きつった。
吹雪には彼と違って、怪力も異様な頑丈さもない。先ほどの涅槃寂静で体力も消耗している。
今も林檎の攻撃をかわすので精一杯だ。
「貴様は鬼切の末裔だろう。鬼切が化物を前に屈するのか!」
時久の鬼鉄が林檎の胴を狙う。薙ぎ払われた刃を林檎は身を捻って避け、時久の首めがけ前足を振り払った。
時久は後退し、かろうじてその一撃を避ける。
しかし林檎の爪が時久の頬をわずかにかすめ、切り裂いた。
「っぐ……!」
時久は顔をしかめ、さらに後方に跳ぶ。
着地したその体が一瞬、ぐらりと揺れたように見えた。
「御堂さん!」
思わず吹雪は叫ぶ。
霊傷の影響か。時久は地面にがっくりと膝を突き、頭を押える。
しかしそんな状態で、彼は吹雪に向かって怒鳴り返した。
「俺に構うな!」
「ですが――っ!」
「前を見ろ! 林檎の狙いはあくまで貴様だ!」
目の前に赤黒い影が狭った。
吹雪は言葉を呑み込み、首筋を狙った爪の一撃をなんとか防いだ。しかし、頭上に掲げた絶句兼若に林檎が全体重をかけてくる。
両腕がみしみしと軋み、足が悲鳴を上げた。
「ぐ……っ」
吹雪は唇を噛み、必死で林檎ののし掛かりを耐える。
その耳に再び時久の怒号が響いた。
「犬槙と林檎をどうにかしたいと、貴様は貴様の意思で選んだのだろう!」
「やかましい……!」
かっと頭に血が上った。
吹雪は時久に向かって怒鳴り返し、呼吸を止めた。
「ッ……く、う……涅槃ッ――寂静ォオオ!」
一瞬、音と色彩が消える。
全身が悲鳴を上げた。しかし吹雪は構わず、林檎の体を押し返した。
「っ……く、う、ぉおおおおおおおお――ッ!」
吹雪の絶叫とともに林檎の体が大きく後方に下がった。
林檎が驚いたような声を上げ、金の瞳を開く。しかしそれは一瞬のこと。すぐに林檎は前足を振るい、吹雪めがけ拳を叩き付けてきた。
吹雪は肩で息をしつつ、背後に二歩下がってその一撃を避ける。
「そんなこと、わかってる……!」
林檎を睨み、吹雪は太刀を構えた。
地面にめり込んだ拳を引き抜き、林檎が咆哮とともに突進を仕掛けてくる。
「苦手、なんです……わかままな人……自分の感情ばかり押し付ける人……!」
人と獣。まったく見た目は違う。
なのに吹雪の眼には何故か、林檎の姿にあのやかましい兄の姿が被って見えた。
吹雪は林檎めがけて駆け出す。
策などなにもない。呼吸さえも整えていない。
「滅茶苦茶やって……人の気も知らないで……ッ!」
ここにはいない男に向かって、吹雪は怒鳴る。
まるで弾丸の如く突っ込んできた林檎の体躯を紙一重でかわした。林檎はすぐに踏み止まり、吹雪の首めがけて爪を振るう。
それも最小限の動きでかわし――吹雪はあろう事か、林檎の腹部に拳を叩き込んだ。
大した一撃ではない。
ただただ激情に任せて打ち込んだ、あまりにもがむしゃらな拳。
なのに、その一撃に林檎は明らかに怯んだ。
獣の体がびくりと震え、よろけるように後ろに下がる。
その隙を、吹雪は逃さなかった。
瞬時に太刀を平正眼に構え直し、吹雪は怒りのままに切っ先を解き放つ。
「大嫌い――ッ!」
――【雨垂れ・改】
かつてない情動を上乗せしたその切っ先は大いにぶれつつも獣の腹部をとらえ――その肉をざっくりと削り取った。
林檎の体が絶叫ととともに傾き、地響きとともに倒れ込む。
血の結晶が舞い散る中、吹雪は荒い息を吐いていた。
「……やっと本性を見せたな、小娘」
鬼鉄を杖のように用いて、時久がわずかによろけつつも立ち上がる。
肩を大きく上下させながら、吹雪は目を伏せた。
「……見苦しいところをお見せしました」
「それくらいが好ましい」
吹雪の隣に立ち、時久が鼻で笑う。
先ほどは具合が悪そうだったのにもう涼しげな顔をしていた。
尋常ではない彼の頑丈さに呆れつつ、吹雪は林檎を見下ろす。凍り付いた腹部の傷は仄かに光っているが、やはり再生は遅い。
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