その十五.鬼切り、真を示す
「言いたいことがあるなら言え、小娘」
「御堂さん……」
素っ気ない時久の言葉に、吹雪は顔を上げる。
時久の表情は変わらない。相変わらず不機嫌そうに、自分を見下ろしている。
「言わなければ貴様は誰にも傷つけられんが、代わりに貴様は誰にも理解されん」
しかしその言葉は静かに――そして強い響きを持って吹雪に届いた。
時久は鈍色の瞳を細め、囁く。
「自分の意思を押し潰すな、小娘」
その瞬間、急に呼吸がしやすくなったような気がした。
兄を反面教師にしすぎたのかもしれない。あるいは母の言葉に縛られていたのか。それともあの宿泊行事の時、向けられた級友のまなざしを恐れたせいか。
人に迷惑をかけてはいけない――人に自分の意思を、感情を見せてはいけないと。
そうして、自分を絞め上げていた。
『でも、ちょっとよかったかも』
サチの言葉を思い出す。
『なんというか……吹雪ちゃんに引かれたらどうしようかな、って。その……犬神使いって、結構嫌われたりもするから』
「私は……」
乾いた唇を舐め、吹雪は何度か呼吸を繰り返した。
「……ワンコさんは――ワンコは私の、初めての友達」
ともだち。こんなにもこの言葉は言いづらいものだったろうか。
乱れる呼吸を落ち着けつつ、吹雪は噴水の影のサチの指を見る。動いている様子はない。つまり、サチにはまだ意識がない。
その事に少し安心して――そしてそんな自分に呆れつつ、吹雪は再び口を開いた。
「私なんかがこんな事を言っていいのか、迷惑じゃないか、わからないけれども……私は、ワンコともっと仲良くなりたい」
耳元で鼓動がやかましく響いた。呼吸はせわしなく落ち着かないが、それでも間違いなくいつもよりも滑らかに空気を吸えている。
「だから、貴女の横暴を許すわけにはいかない――これが、私の答えです」
はっきりと言い切り、吹雪は深々と息を吐いた。
隣で時久が傷痕を歪め、満足げに笑う。
「初めて敬語を使わず話したな」
「……逆に疲れました」
「それくらい率直な方がやりやすい。さて――林檎、小娘はこう言っているが?」
「――好き勝手いってくれたものね。オマエがサチの何を知っているというの?」
林檎は、やはり納得しなかった。
腕を組み、彼女は鋭いまなざしで吹雪と時久とを見る。
「あの子が何度殺されそうになったか……そのたびにワタシが防いだのよ。これからもこの先もサチに必要なのはワタシだけ。オマエ達はいらないの」
「……お二人とも、本当に大変な環境で育ったようですね」
吹雪はゆっくりとうなずきつつ、絶句兼若の柄に手を掛ける。
隣で時久も、肩に担いでいた鬼鉄を下ろした。
「ですがその判断を下すべきなのは、ワンコさんです」
「……戯言はたくさんよ」
林檎が腕組みを解き、指を鳴らした。
直後、十頭の大神達が一斉に動いた。戦いの咆哮を上げながら駆け出す獣達に、吹雪は絶句兼若を抜き払う。
その耳に時久の怒号が飛び込んできた。
「雑魚は俺が片付ける! 貴様は林檎を狙え!」
「は、はい!」
一瞬まごつきつつも吹雪は呼吸を整える。
視界いっぱいに大神の姿が迫った。影の毛並みを振り乱し、金の瞳を煌々と光らせ、十頭の大神が吹雪に食らいつこうと牙を剥く。
――無間。
吹雪の体が瞬時に加速し、襲い来る大神の狭間をすり抜けた。
直後背後で血飛沫の散る音と、大神の悲鳴とがあがった。どうやら時久は本当に十頭の大神を一人で片付けるつもりのようだ。
振り返らず、吹雪は林檎の前に飛び出る。
一瞬で目の前に現れた吹雪に、林檎はさして動じる様子もなかった。
「芸が無いわね」
吹雪は構わず絶句兼若を抜き払い、その切っ先をまっすぐ林檎に向ける。
最初と同じように、林檎は避けなかった。
鈍い感触が刀身越しに伝わる。
刀身の半ばほどまで自分の胸に埋まった絶句兼若を見て、林檎は小さくため息をついた。
「だからオマエじゃワタシは殺せな――っ」
吹雪は絶句兼若を巧みに用い、林檎の体を一気に引き寄せた。
そして肩を突き出しつつ強く一歩。
「柔法の三【鉤当て】」
「っぐ――!」
渾身の当身を喰らい、林檎の体が吹き飛んだ。
しかし林檎はくるりと宙返りをうち、地面に四つん這いに着地する。
吹雪は体勢を立て直し、絶句兼若を軽く払った。
「殺せなくても痛めつける事はできるでしょう」
「なに……」
林檎が眉を寄せ、よろめきつつ立ち上がる。
鉤当ては本来、自分よりも体格の大きな化物に対し用いる。刺さった刀を抜きつつ衝撃を体内に叩き込むものだが、あの様子ではそこそこ効いたらしい。
吹雪はその様子を注意深く観察しつつ、冷ややかな笑みを浮かべた。
「系統は違いますが、貴方は私の大嫌いなある人間に似ていましてね。話を聞いているうちにだんだん苛々してきてしまって」
吹雪は緩く片手を絶句兼若から外し、バキリと軽く骨を鳴らした。
その音に、林檎がいっそう眉を寄せる。
「なのでこれから貴方を痛めつけようと思います。有体に言うとブチのめします」
林檎が何か言うよりも早く、吹雪は地を蹴った。
絶句兼若を閃かせ、林檎に怒濤の斬撃を叩き込む。しかし林檎は顔をしかめたまま俊敏にその足を動かし、その攻撃を尽く回避した。
林檎の腕が獣のそれへと変異し、唸りを上げて吹雪にせまる。
その爪を絶句兼若で弾きつつ、吹雪は先ほど古書店で聞いた時久の言葉を思い出す。
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