その十四.獣に何を言う

 やがて前が開け、吹雪達は第二の広場に足を踏み入れた。

 古い地下街のわりに、その広場は少し洒落た造りになっている。天井の一部が透明になっていて、そこから外の光が差し込んできていた。

 左右にはそれぞれ階段があるが、どちらも呪符を貼ったテープで封じられている。

 奥には十二星座を模したレリーフが掲げられ、その手前にはこじんまりとした噴水があった。

 そしてその噴水に、サチがぐったりともたれかかっていた。


「ワンコさん……」

「おい、小娘――!」


 サチに向かって一歩踏み出す吹雪に対し、時久が警告するように手を伸ばす。

 しかしその指先が肩に触れるよりも早く、吹雪は足を止めた。

 淡い明かりに照らし出されたサチの姿。その顔には傷一つなく、無事な様子だった。

 しかし吹雪の眼光が鋭くなる。


「――違いますね?」

「あら、ご破算」


 サチが不満げな声とともに目を開け、あでやかな仕草で口元を押えた。

 柔らかな少女の唇から、鋭利な牙がぞろりと覗く。


「近づいたら、頭から食ってやろうと思ったのに」

「赤ずきんじゃあるまいし……どうでもいいがとっとと元の顔に戻れ。犬槙の顔でそのゆるゆるした動きはどうにも似合わん」


 時久が鬱陶しそうに手を払った。

 サチはうっすらと笑って立ち上がり、ぐるりとその場で一回転する。栗色の髪が揺れ、紅い制服が翻った直後――その場には、林檎の姿があった。

 黒髪を指先で弄びつつ、林檎は無機質な眼で吹雪と時久とを見た。

 その鼻がすん、と小さく鳴る。


「……ここには二人だけで来たのね。もう二人……優男と、あの忌々しい符術士もいたのに」

「えぇ。ここにいるのは、私と御堂さんだけです」

「そう。――馬鹿じゃないの?」


 林檎が金の瞳を光らせ、靴の踵を高く鳴らした。

 その瞬間、吹雪達の背後で答えるように大神の咆哮が響く。

 はっとして振り返る吹雪と時久の前で、銀色の防火シャッターが音を立てて落ちてきた。完全に封鎖された通路の前で、二頭の大神がゆらりと姿を現す。


「閉じ込められたな」

「やはり罠ですか」


 勝ち誇ったように尾を揺らす獣を前に、時久と吹雪は淡々と言葉を交わした。

 時久は顎を撫でながら防火シャッターと、呪符で封じられた階段を見る。


「ここは一方通行の行き止まり。あの通路を使わずに向こうの区画に逃げることは不可能。地上に逃れようにも結界を解く必要があり――」

「結界を解けば、ワタシ達はサチを連れて地上に逃げるだけ」


 林檎が口を挟んだ。

 時久は顎に触れたまま、じろっと林檎を見る。


「言っておくが、解くつもりはないぞ」

「でしょうね。でも構わないわ」


 林檎は肩をすくめ、両手を緩く広げた。

 その背後の暗がりが揺れる。地鳴りのような唸り声と共に金の瞳が薄闇の中で輝き、林檎の周囲に無数の大神達が現れた。


「どうせ全員ここで死ぬ。オマエ達を殺したら、次はあの符術士を探し出して殺す。そうしてワタシ達は自由の身よ」

「そんなに簡単に事が進むと思うか?」

「進ませる」


 短く――しかし何かわずかな感情を込め、林檎はきっぱりと言い切った。

 そこに、吹雪は軽く手を挙げる。


「二、三聞きたい事があります。まず、ワンコさんはどこに?」


 吹雪の問いかけに対し、林檎が噴水を示した。

 よく見ると、確かに噴水の影にサチの指先がわずかにみえる。どうやら噴水の向こう側に横たえられているようだ。

 林檎が庇うように片手を広げる。


「オマエ達には指一本触れさせない」

「もう一つ。私の殺害と、紅梅社中からの脱走は……ワンコさんの意思でしょうか」

「サチの意思は関係ない」


 林檎は抑揚のない声で答えた。

 吹雪はスッと目を細め、畳みかけるようにたずねる。


「つまり全て貴方のわがままだと言うことですか」

「わがままなどではないわ。ワタシはいつだってサチのためを考えている」

「……結構、十分です」


 また、兄の姿が脳裏をよぎた。

 その方向性こそ真逆だが、林檎は吹雪の兄と同じだ。サチの意思をまるで無視して、逆に自分の意思を押しつけている。


「最後に一つ。――何故、私を殺そうとしたのです?」

「単純よ。オマエがサチにとって良からぬものだと思ったから」

「良からぬもの?」


 吹雪が聞き返すと、林檎はわずかにうつむいた。


「……サチはオマエが好き。オマエと仲良くしたいって、ずっと言ってる。サチは同じ歳の人間と話したことがないから」


 その口調は相変わらず淡々としていたが、どこか苦々しさが滲み出ていた。

 林檎は顔を上げる。金の瞳に明確な敵意を込め、吹雪を睨み付ける。


「でも、オマエはどうなの?」

「私……?」

「オマエの表情は仮面みたい。オマエの言葉は嘘臭い。オマエの心はわからない」

「その辺りは同意する」


 叩き付けるように放たれる林檎の言葉に、時久が納得の表情でうなずいた。

 思わず彼を見上げる吹雪の耳に、押し殺した林檎の声が届く。


「オマエは得体が知れない……その澄ました顔の裏側で、どんな感情を押し隠しているの?」

「……私、は」


 吹雪は言葉に迷った。

 林檎が自分に対し抱いていたのは純粋な憎悪だけでなく、不信感だという事はわかった。

 その原因は、吹雪が自分の感情をほとんど見せなかったから。

 それを、林檎は今ここで示せといっている。一体吹雪が何を感じ、何を考えているのか。サチに対し、どんな感情を抱いているのか。

 恐らく吹雪が何を言っても、林檎は納得しない。


 一体、何を言えば良い。

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