その十二.舞い散る符に母を思う
綾廣がごくりと唾を飲み込んだ。
「……さすがにそこまで短絡的じゃないみたいだ」
「だろうね。綾廣、今度はいけるかい?」
「ま、任せとけ。なんにも怖くないぜ」
夕子の問いに、引きつった表情で綾廣がうなずいた。
その直後、高い咆哮が獣達の間で上がる。
それを合図に大神達の足が一気に速度を増した。
「数が多い――ッ!」
吹雪は思わず絶句兼若に手を掛ける。
しかしその手を時久がおさえた。
「動くな。見ておけ」
「でも――!」
視界の端で緑の光がまたたき、吹雪ははっとして前を見た。
ファイアフライを構え、綾廣が駆けていく。その端正な顔は相変わらず引きつっているが、まなざしは鋭く大神達を捉えている。
一方の夕子はトンファーを持ったまま、指先で腰のホルダーから呪符を引き抜く。
「行くよッ!」
夕子が呪符を投げ打つ。
高速で飛ぶ呪符は綾廣の脇をすり抜け――ちょうど大神達の足下に貼り付いた。
「
夕子が握りしめた手を振り下ろす。
その瞬間、呪符の周囲の地面に亀裂が走った。直後そこから轟音とともに岩が隆起し、何匹かの大神を弾き飛ばす。
「ちょっ! 姐さんいきなり地形変えないで!」
悲鳴を上げつつも綾廣はその長い手足を活かし、軽々と隆起した地面を渡った。
乱舞する蛍の如く、ファイアフライの斬撃が炸裂する。
直後、一息に二頭の大神の首が宙を舞った。
「あの二人は紅梅社中でも最古参の部類でな。どちらも凄腕だ」
瞬く間に二人が大神を片付けていくのを脇目に時久が語る。
一方、吹雪はじっと夕子の動きを見ていた。
「……夕子さんは、符術師なのですね」
呪符は、特殊な回路を刻み込んである。その回路に霊力を流し込むことで様々な超常現象を引き起こすことができるらしい。
その呪符を書く特殊な技術を身につけた者を『符術師』という。
「あぁ。あいつは吉原から出た後、日本最高の腕を誇る符術士に師事してな。死にものぐるいで研鑽を積んだそうだ」
「日本最高の符術士――岩倉ひふみさん、でしょうか」
吹雪がその名を口にすると、時久は驚いたように眉を上げる。
「……知っているのか?」
「えぇ、一応名前だけは――」
「――っはぁ、片付いた!」
心底嬉しそうな綾廣の声に吹雪は口を閉じる。
見れば最後の大神がか細い声とともに倒れ、消えていくところだった。
夕子が未使用の呪符を再びホルダーに納める。
「じゃ、行くとするかい――林檎、まだ広場にいるのかな」
「わからん。その時は夕子、霊視を頼めるか」
「任せな――といいたいところだけど、乱用はできないよ。あんまり使いすぎると少しの間失明するからねぇ」
目元を揉みほぐす夕子に対し、時久はうなずいた。
「わかった。全員周囲の警戒を怠らず進むぞ」
「りょーかい。早くワンコちゃんを助けないとね」
硬い表情の綾廣が答え、ファイアフライを肩に担ぐ。
それから一行は慎重に地下街を進みだした。先ほどの喧噪がまるで嘘のように、地下街はしんと静まりかえっている。
吹雪は周囲の様子に注意しつつ、夕子の側に並んだ。
「岩倉さんに、師事していらっしゃったそうですね」
吹雪がそっとたずねると、夕子は驚いたような顔で吹雪を見た。
「ん? あぁ……あの鬼婆のとこで三年しごかれたよ」
「お、鬼婆」
「鬼以外のなんでもないよあの人でなし。吉原から逃げ出した直後、アタシはこの眼を活かして仕事してたのさ。そん時にあのババアに会ったのが運の尽きよ」
「……まぁ、苛烈な方だそうですか」
何とも答えづらく、吹雪は曖昧な表情で相槌を打つ。
「苛烈どころじゃないよアレ――でも、まぁあのババアには感謝してるよ。あの人のおかげで、アタシはもう誰にも閉じ込められない力を得たからねぇ」
夕子は小さく笑い、宙を見上げた。
薄紅色の瞳にふっと影がよぎる。そのまなざしは排気ダクトや配線に覆われた地下街の天井をすり抜け、どこか遠くを見ているようだった。
「あの頃は、必死だった。いつかまた閉じ込められるんじゃないかって毎日怯えてた」
「夕子さん……」
あの眼に、どれだけのものを映して生きてきたのだろう。
眼を伏せる夕子に対し、吹雪は言葉を発することができなかった。
「それはそうとさ。ブキちゃんにお姉さんからもクエスチョン一つ」
「え、くえす、えーっと?」
物憂げな沈黙は一瞬で終わった。
まごつく吹雪に構わず、夕子は興味津々といった様子でたずねる。
「もしかしてあのババアの知り合い? あのババアそれこそ山姥みたいな生活しててるし、知ってる人滅多にいないんだけど」
「知り合いというか……母が師事していたそうなので」
言葉を濁す吹雪に対し、夕子はぱっと顔を明るくした。
「おや、あのババアにこき使われてた仲間? お母さん、名前なんて言うんだい?」
「
旅立った母の事について、吹雪が知っていることは少ない。
確かなのは秋の終わりに出て行った事。
そしてどうやら符術をかじっていたらしく、岩倉ひふみという老婆の元で師事していたことがあったと言うことだけ。
これは母が旅立ったずっと後に、無口な父がほろりと零した母に関する経歴だった。
そして今、偶然にも母と同門の者が目の前にいる。
「多分二十年くらい前に岩倉さんのところにいたらしいのですが……なにか、お話とかご存じだったりしますか?」
久々に母に関する興味が湧いてきた吹雪は何気ない調子でたずねる。
しかしその名前に夕子は目を見開き、足を止めた。
「風見、燎……? その人は――」
「姐さん!」
切羽詰まった綾廣の言葉に、はっと吹雪と夕子は前を見る。
時久と綾廣がそれぞれの式器を手に前方を警戒していた。その向こう――右側にある定食屋の、うっすらと開きかかったシャッターの影。
金色の瞳が二つ、揺れながらじっとこちらを睨んでいる。
吹雪は絶句兼若の柄に手を掛けた。
「……後で、また」
「あぁ。ワンコを助けたときに」
真剣な表情で夕子はうなずき、ホルダーから呪符を抜き取った。
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