その十一.夕子と綾廣の力
蛍光灯が照らす地下街を、大神達が徘徊していた。
低い獣の声に紛れ、骨と肉を噛み砕く音が微かに響いていた。時折潜り込んでいた窮鼠を見つけては食らいついているようだ。
壊れたガラス戸からその様子をうかがいつつ、時久は低い声でたずねた。
「夕子。このあたりに何匹いるか霊視できるか」
「そんなに遠くまでは見れないよ……ここから二ブロックくらいが限界だ」
「上出来だ。頼む」
「あいよ」
夕子は目を閉じ、しばらく目元をおさえた。
やがてその目が開かれる。いつもは薄い紅色をしているその瞳は今、緑や金の色彩が入り交じった真紅に変貌していた。
帝都に来た最初の夜に見たあの目だ。
夕子はガラス戸に近づくとその異様な瞳を細め、辺りを何度も見回す。
その様子を見つつ、吹雪は綾廣にそっとたずねた。
「……夕子さんの目は、霊気を見ているのですか?」
「そうだよ。姐さんが一度死んだ話は知ってるかい?」
腰に帯びた剣の柄を落ち着きなさげに撫でつつ、綾廣がうなずく。
「ええ……これは、その時に身につけた能力ですか」
「あぁ。姐さん、あの目で一時期生計を立てていたんだよ。あの眼で物の真贋を当てたり、体の異常を探ったり――」
「えぇと……」
夕子の声に、綾廣は口を閉じた。
何度か目を開けたり閉じたりしつつ、夕子が数を数える。
「三、四……妙だな、辺りにいる数が少なすぎる。時久、どう思う?」
「何匹か守備のために手元に置いているかもしれん。だとすれば少し面倒だな」
「どうしますか?」
吹雪が問うと、時久は肩をすくめた。
「やることは変わらん。そろそろ隠形の札も効果が切れる――いけるか夕子、一色」
「上等。早くワンコのところに行かなけりゃね」
霊視をやめ、目元を揉みながら夕子はうなずく。
次いで綾廣もニヤリと白い歯を覗かせつつ、腰に帯びた剣を軽く叩いて見せた。
「オレだって戦闘班だ……! いつでも準備できてるぜ」
「よし――では行け!」
「え、ちょ」
「あいよ! ――【
もたつく綾廣をよそに、夕子が揃えた指で空を切る。
ガラス戸に貼られていた呪符が一瞬で燃え上がった。
隠形の効果が切れる。通路をうろついていた大神の目が古本屋に潜む吹雪達を捉える。
しかし獣よりも早く夕子が動いた。
「喰らえッ!」
ガラス戸から躍り出た夕子は手近な大神に呪符を投げ打つ。
大神の顔面に呪符が貼り付いた。赤と青の幾何学的な模様。そこに流れるような筆で堂々と記された文字は『火』。
「
夕子の指先が空を切る。
呪符がカッと輝いた。直後小さな爆音とともに、大神の頭部が燃え上がる。
もう一頭が激しく吼え立てつつ夕子に飛びかかった。
「
夕子は即座に腰のホルダーからトンファーを抜き打つ。放たれた鋭い一撃は大神の頭部を一部砕き、その体をわずかに吹き飛ばした。
しかし、まだ決定打には至っていない。
頭の大部分を失った大神が空中で体勢を整え、着地する。その傷口は淡い光を放ち、失った部分が急速に再生していっている。
焦れたように首を揺らす大神めがけ、夕子が地を蹴った。
「
鋭い声で符号が発せられ、トンファーに一瞬琥珀色の光が走った。
完全に頭部を再生させた大神が夕子の姿を捉える。
直後、その頭蓋に再びトンファーが打ち込まれた。堅い果実が砕けるような音を立てて大神の頭蓋が砕け散り、辺りに黒い破片が飛び散った。
発動した式器の威力は抜群だった。
断末魔の叫びとともに、大神が地面に倒れる。その傷口が再生することはなく、徐々に大神の体は黒い粒子とかして消滅していった。
仲間の悲鳴を聞きつけたのか、さらに二頭の大神が通路の曲がり角から現れる。
夕子は舌打ちし、トンファーを構え直した。
「アンタらに構ってる暇はないんだよ――ほら綾廣! アンタも仕事しな!」
「ま、待ってくれよ! まだ心の準備が……!」
「良いから早く!」
「あーっ、あーっ――一色綾廣、推参!」
裏返った声で叫びつつ、綾廣が古本屋から飛びだした。
夕子に一頭、綾廣にもう一頭の大神が襲いかかる。
綾廣は顔を引きつらせながらも、腰から剣を抜き放った。複雑な機構と透明なブレードから形成されたその刀身を撫で、低い声で呟く。
「【ファイアフライ】――起動」
透き通ったブレードに緑の光のラインが走った。
様相を変えた機械剣に警戒したのか、突進してきた大神が急停止する。こちらの様子をうかがう大神に対し、綾廣はごくりと唾を飲み込んだ。
「――ッオオオオオオ!」
機械剣を構え、引きつった顔で綾廣は突撃した。
大神は一瞬気圧されたようなそぶりを見せた。しかし繰り出されたブレードを難なくかわし、軽やかな足取りで綾廣から距離を取る。
「残念だったな!」
複数の金属が擦れ合う異音が響き――その直後、渇いた銃声が空気を揺らした。
前足を撃ち抜かれ、大神は悲鳴とともにバランスを崩す。
「この式器【ファイアフライ】……正式名称、一三〇年式
「いいからさっさととどめを刺せ」
古本屋からゆらりと時久が現れ、大神の頭部を鬼鉄で突き刺した。
必死に地面を掻き起き上がろうとしていた大神の体が大きく痙攣し、直後地面に沈み込む。それはやがて色彩を失い、見る見るうちに消えていった。
その様子に、吹雪は思わず時久にたずねる。
「……死んでしまったんですか?」
「こいつらは犬槙が無事な限り再生する」
時久は鬼鉄を軽く振るい、鞘に納めた。
トンファーをくるくると回転させながら、夕子が軽く綾廣を睨む。
「――ったくもたつくんじゃないよ、綾廣」
「次! 次にご期待! オレ踏み出しが遅いだけだから!」
「しかもへっぴり腰で」
「うるさいな御堂!」
呆れたようにため息をつく時久に言い返し、綾廣はびっと背を伸ばす。へっぴり腰という言葉が相当聞いたようだ。
すとんとトンファーをホルスターに収め、夕子は三人を見回した。
「そんじゃ進むとするかい……ブキちゃん、肩は大丈夫?」
「えぇ、元々傷は浅いものでしたから……霊気もある程度回復したようです」
「良かった! ただ、あまり無理はしないようにね」
吹雪が軽く肩を回してみせると、綾廣は輝くような笑顔を見せる。
しかし、夕子は呆れたようにため息をついた。
「だからアンタとアタシで頑張るんだよ。さっきみたいなへっぴり腰じゃ困るんだから」
「ま、任しとけ……」
「無理するなよ、坊ちゃん」
「坊ちゃん言うな! 次は――!」
にやりと笑う時久に綾廣がなにか言い返そうとする。
その瞬間、あたりに異様な咆哮が響き渡った。それまでの大神達の咆哮とは明らかに違う、複数の獣の声が重なり合ったような重低音。
直後それに応えるように、あちこちから大神達の遠吠えがあがった。
綾廣がびくっと震え、辺りを見回す。
「……林檎の遠吠え、だよね?」
「こ、これが?」
驚く吹雪。あの細い林檎の体からあんな異様な声が出るとは到底思えなかった。
夕子が眉をひそめ、唇に指を当てる。
「間違いない……でも、なんだい? 何かを指示したみたいだけど……」
「俺達が反撃に出たことに気づいたのだろう。ここで一気に残りの大神を全部差し向けてくれば後が楽なんだが――」
時久が言った直後、曲がり角でゆらりと影が揺れた。
低い唸り声が幾重にも重なり合って響く。硬質な爪の音を立て、激しく尾を振り立てながら、複数の大神達が吹雪達の前方に現れた。
その数は六頭。十二個の金の眼が四人を睨む。
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