その十.打開策
「林檎のせいで、ワンコさんが……」
「今回、吹雪ちゃんを狙ったのも多分そういう過剰な防衛本能からだろう」
整った形の顎を撫でつつ、綾廣が思案する。
「吹雪ちゃんは鬼切りの血筋で、強い破魔の力を継いでいる……多分オレ達が、自分とワンコちゃんを引き離すために吹雪ちゃんを迎えたと思ったのかも」
「それで、私を消そうと企てたと」
「そう考えた方が自然だね。だからオレ達は、あえて大神どもの力が強くなる時期にサチと君を二人きりにすることで、あの子を誘き出そうとしたんだ」
「なるほど……そしてその通りに林檎は現れましたね」
吹雪の言葉に、綾廣は真剣な表情でうなずいた。
「ああ。ここまでは計画通りだ」
「ならばこれからはどうするのですか?」
吹雪はたずねた。
表情こそは静かだったが、その手はきつく握りしめられていた。
「あの化物を――林檎を退治するのですか?」
「そうしたいところだけどねぇ……あいつややこしい奴なんだよ」
「ややこしい……?」
吹雪は目を細め、首をかしげた。
そんな彼女に対し、綾廣は『参ったねぇ』と言わんばかりの様子で軽く首を傾けた。
「破魔の力、効かなかったでしょ?」
「……ええ」
林檎の胸を貫いた時の事を思い出す。
今まであの一撃で仕留められなかった化物はいなかった。綾廣の説明を聞きつつ、吹雪は何度か手を開いたり閉じたりする。
「どうやらあいつは単純な化物とも異なるんだよ。人狼というのはそもそも『狼の化物に変異してしまう』という異能だ」
「人間としての要素が含まれていたから……破魔の力が通用しなかった?」
「さらに林檎にはそもそも生死の概念が存在していないようでな」
時久の言葉に、吹雪の思考が一瞬停止する。
ゆるゆると顔を上げると、時久はまるで苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。
「あれは犬槙の魂の双子……肉体を持たず、生まれる事もなかったもう一つの魂だ。生まれていないものは死にもせん」
「……それ、退治できないのでは」
ぎこちなく吹雪は時久に問う。
しかしその解答は、予想外のところから与えられた。
「……できない事もないよ」
「夕子さん……?」
物憂げな夕子の言葉に吹雪は首をかしげる。
夕子は煙草を口から離し、静かな口調で語り出した。
「そもそもワンコは犬神使いと人狼のハイブリッドだ。そして犬神の特性は『特殊な管に宿ること』……林檎もその特性を引き継いでる」
「ああ! つまり管を破壊すれば依代を失い、林檎は消滅するのですね!」
脳内で閃光が弾けた。
吹雪は一気に顔をほころばせ、夕子にたずねた。
「それでその管は、ワンコさんが持っているんですよね?」
「持っているよ。――体内に」
「え……?」
吹雪の表情が強ばった。
陰鬱な表情の夕子に代わり、時久がその言葉を継いだ。
「同じ管を、俺も貴様も持っている。脊椎の孔が連なってできた――脊柱管という管だ」
「なっ――!」
「脊柱管は人体の中枢たる脊髄を内包している。それを破壊すると言うことは――」
「ワンコさんが……死んでしまう……」
思わず吹雪は口元を覆う。
その場を嫌な静寂が包む込む。獣の影がひんぱんに古本屋の前を行き交うが、貼り付けた札の効力か内部にいる三人の存在に気づく様子はない。
どこか勝ち誇ったような遠吠えに、吹雪は唇をきつく引き結んだ。
「……なにも、手はないのですか?」
「消すことはできなくとも封じることはできるよ」
夕子はいったん煙草を口に咥え、腰に手を伸ばした。
よく見ると、彼女の腰に括りつけられたポーチは他の社員の物よりも大きい。そこから何枚かの札を取り出し、夕子は吹雪の前にかざした。
「これはね、特別製の大神封じの札だよ。弱ったところでこいつを使えば、あいつはしばらく眠りにつくことになる」
「前にも似たような事があってさ、その時にもこれを使ったんだ」
どこか誇らしげに綾廣が語る。
「その時もとりあえずあいつの好きに暴れさせて、力が弱まったところで姐さんが封印をかけたんだ。だから今回も同じように――」
「……だが根本的な解決にはならない」
低い声に、その場の全員が時久を見た。
ふっと紫煙を吐き、夕子がどこか困ったように彼の名を呼ぶ。
「時久……」
「封印は永久に効くものではない。封印が緩めばまた林檎は現れ、吹雪を狙う」
「なら、その時にもまた封印を――」
「イタチごっこだ」
おずおずとした吹雪の言葉に対し、時久は吐き捨てるように言い放った。
「そもそもこの問題は、奴らがまるで意思疎通できていないことが原因だ。林檎が犬槙の意思も聞かず暴れ、また犬槙も奴の存在を押し込めている」
「意思疎通できていない……」
その時、何故か吹雪の脳裏に一人の男の姿が浮かび上がった。
中途半端に伸びた白髪、ぎらぎらと光る群青の瞳。秀麗な容貌を歪めて笑う――吹雪よりも三十分早くこの世に生を受けた、雷のようにやかましい男。
『てめェは黙ッてりャいいンだよ』
――ワンコも、自分と同じだったのかもしれない。
――その性質こそ違うが、林檎に意思を押し潰されて生きていたのかもしれない。
吹雪はきつく目を閉じ、男の面影を追い払った。
そんな吹雪の事など特に気にする様子もなく、時久は言葉を続ける。
「俺は前にも言ったがな。このままいつまでも林檎を封じ続けるわけにもいかん。どこかで何かしらのケリを付けねばなるまい」
「ケリ、ねぇ……だけど、あの子はアタシらと世界が違う」
夕子が苦い思いを発散するように煙草をふかした。
「そうだぜ、御堂。今までオレ達、何度もあいつを説得しようとしたじゃないか」
綾廣も整った眉を寄せ、うなずいた。
「けれども、話そのものが成立しなかった。あいつはほとんど喋らないし、喋ってもワンコちゃんに触れるなという警告くらいだ」
「ほとんど……喋らない?」
その言葉に、吹雪は違和感を覚えた。
林檎の姿が脳に蘇る。林檎の言葉はややぎこちなく、いまいち人間味を感じる事はできなかった。だが、どちらかというとその姿は――。
「小娘が引っかかるのも無理はない」
吹雪の疑問を肯定するように、時久は重々しくうなずいた。
「あそこまで饒舌なあいつを俺も初めて見た」
「……確かに、今回は今までと大きく状況が異なるね」
夕子が煙草を唇から離した。
先端でジリジリと燻る火を見つめつつ、夕子はゆっくりと呟く。
「今まで林檎が、特定の他人に殺意を向けることなんてなかった……」
「それだけ林檎にとって小娘は重要なのだろう――故に小娘、貴様が今回の鍵だ」
「私が、ですか?」
吹雪は首をかしげた。
時久はうなずく。
「そうだ。貴様の存在が恐らく犬槙と林檎の状況を打開する鍵になる……小娘、貴様はあの二人はどうなるべきだと思う?」
「……御堂さんの中で、もう解答が出ているのでは?」
「俺は貴様の答えが聞きたい」
時久の言葉はいつも通り素っ気なく、そのまなざしも常と同じようにまっすぐだった。
その鋭い双眸をじっと見つめ、吹雪は自分の胸元に手を当てる。
「……私の答え、ですか」
その胸の内はもやもやとして、まるで淀んだ水面を探っているようだった。
思えば、今までこうしてはっきりと意見を述べたことはあまりなかった気がする。
父の意思は吹雪にとって絶対で、兄は吹雪よりも遥かに饒舌だった。
自分の首を絞める夢を思い出す。
『窮屈じゃないか』とたずねてきた霖哉の言葉が耳に蘇る。
そして――目の前で、時久が再度問う。
「小娘、貴様はどう思う?」
「……ワンコさんは、閉じ込められていたのですよね」
その質問の答えをぎこちなく探りながら、吹雪は慎重に言葉を発した。
煙草から口を離し、夕子がうなずく。
「ああ……ほぼ軟禁状態で育てられたみたいだ。親兄弟からも疎まれて、話し相手は林檎しかいなかったって」
「つまりそれは、林檎も閉じ込められていたという事ですね」
「……そうなるね」
夕子は細い眉をぎゅっと寄せ、苛立ちを紛らわそうとするように煙草をふかした。
思考の水面が澄み切った。吹雪は目を閉じ、小さく二度うなずく。
時久はそんな彼女を、どこか満足げに見下ろした。
「なにか答えが出たようだな、小娘」
「……策はあるのですか?」
「無論。でなければこのような話をするわけがなかろう」
時久の言葉に、吹雪は目を開けた。
群青の瞳に時久を映し、静かな声音で吹雪は言った。
「……まずはその策、聞かせてください」
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