その七.分かち合う二人

「……ここまで来れば大丈夫そうだな」

「え、えぇ……」


 霖哉の言葉を聞き、吹雪は足を止める。

 そこは怪しげな繁華街からやや離れた位置にある公園だった。昼のけだるげな雰囲気の中、噴水やベンチの側で人々が思い思いに過ごしている。

 霖哉は吹雪の手をようやく離し、近くのベンチに腰を下ろした。


「コホッ――まったく。昼間とは言え、あんな場所にいくなんて……」

「あの、涅さんですよね?」


 吹雪は恐る恐るたずねた。

 すると、軽く咳き込んでいた霖哉は口元を押さえたまま吹雪を見上げる。その紅茶色の瞳が丸く見開かれ、陽光にきらきらと光って見えた。


「……覚えていてくれたのか」

「えぇ。あの後大丈夫だったのか心配で。えっと――涅、霖哉さん?」


 吹雪が確認すると、霖哉は何度も深くうなずいた。


「……そういうおまえは、遠峰吹雪だったな」

「はい。あぁ、私の名前も覚えていてくださったのですね」

「あぁ……髪が白くて、珍しかったからな。それに、おれを助けてくれた」

「あの、あの後大丈夫でした?」


 吹雪は心配そうに瞳を揺らし、霖哉の姿を見下ろす。初めて会ったとき彼は本当に顔色が悪く、今にも血を吐きそうな勢いで咳き込んでいた。

 今の霖哉は顔色こそあの日よりはマシなものの、時折小さく咳き込んでいる。


「問題ない」

「でも……」


 吹雪が言葉を続けようとすると、霖哉は首を横に振った。

 そして口元から手を離し、やや言い辛そうにゆっくりと言葉を続ける。


「気管支というか……呼吸器が少し敏感なんだ。それだけ」

「そうですか……呼吸器が……」


 そういえば、霖哉はあの日注射器に入った薬を使っていた。あれは呼吸器の過敏な反応を抑えるためのものだったのだろうか。

 そこまで考えたところで、吹雪は先ほど自分が彼に助けられた事をはっと思い出した。


「あの、さっきはありがとうございました」

「別に……」


 霖哉は視線をそらし、首のマフラーを口元にまで引きあげた。

 もしや寒いのだろうか。ここで急激に体調を崩されたらとハラハラする吹雪の耳に、呆れた様子の霖哉の言葉が届く。


「おまえはなんというか……危ないところを出歩く趣味があるのか? この前も人が殺された場所で、あんな夜中に」

「そ、そんなことは無いです! 今日はなんというか、迷ってしまって」

「迷った? どこに行こうとしてた?」


 マフラーを引き下ろし、霖哉が眉をひそめる。

 吹雪はいたたまれない思いで、手をぎゅっと握り合わせた。


「その……ご飯を食べるところを探してたんですよ。ただちょっと、色々考え事をして歩いてたら、あんな感じになってしまって」

「飯屋か……」


 霖哉は顎に手を当て、なにやらじっと考えた。

 ポケットから古びた懐中時計を取り出し、時間を確認する。そして小さくうなずくと立ち上がり、霖哉は吹雪を見下ろした。


「来い」

「え?」


 あまりにも短い言葉に吹雪は戸惑う。

 さすがの霖哉もあまりにも言葉が足りなかったと思ったのか、言い辛そうに頭をかいた。


「……そこそこ食える場所があるから、奢ってやる」

「え、それは悪いですよ。そんな――」

「この前の礼だ」


 霖哉は素っ気なく言い放ち、背を向けて歩きだした。

 ついてこい、という事だろうか。

 吹雪は一瞬ためらった。


「……早く来い」


 霖哉が振り返り、前方を軽く顎でしゃくる。


「は、はい!」


 このまま霖哉の好意をむげにするのも良くないだろう。

 吹雪は仕方なく、そろそろと霖哉の後ろについて歩き出した。

 霖哉が連れていったのは、古い喫茶店だった。飴色の木材で作られた空間は静かで、レコードから流れる微かな音楽と食器の触れあう音だけが響いている。

 二人は窓際の奥のテーブルに着き、メニューを開いた。


「よく、ここにいらっしゃるんですか?」


 吹雪がたずねると、霖哉はメニューを見ながら「あぁ」とうなずいた。


「仕事がないときは、ここで時間を潰したりしてる」

「そうなんですか……お仕事はなにを?」

「掃除。――メニュー、決まったか?」

「あ、ええと」


 慌てて吹雪はメニューを見下ろす。喫茶店ではあるが、食事の種類が多い。霖哉の言うとおり『そこそこ食える』ようだ。


「それ、ハヤシライスあるだろ」

「あ、おすすめですか?」

「この店だと一番いける。セットにすればコーヒーと小さいケーキも付く」

「じゃあそれで――って、このセットは少しお値段が」

「いちいち気にするな。おれが奢ると言ってる」


 あたふたする吹雪をよそに霖哉は軽く手をあげて店員を呼び、自分のサンドイッチと吹雪のハヤシライスとを注文した。

 ほどなくして食事が運ばれてきた。

 湯気を立てるハヤシライスをスプーンで掬い、吹雪はそろそろと口に運ぶ。


「……どうだ?」


 ハムサンドを手に持ったまま、神妙な面持ちで霖哉がたずねてくる。

 吹雪はすぐには答えられなかった。口の中でとろとろの牛肉と濃厚なソースが絡まり合い、その舌は完全に魅了されてしまっていた。


「美味しいです……! お肉が本当に柔らかくて、お野菜にもしっかり味がしみてて」

「そうか。よかった」


 霖哉は素っ気なく答え、ようやく自分のハムサンドに口を付けた。どことなくその表情には安堵の色が見えるような気がする。

 それからしばらく二人はぽつぽつと会話をしながら食事を続けた。


「……東京に、つてはいないのか?」

「いえ、そんなことはないです。これでも一応会社勤めなんですよ」

「会社?」

「えぇ。その、退治屋を」


 首をかしげる霖哉に、吹雪はうなずいた。

 すると霖哉は食べかけのサンドイッチを置き、心底驚いたような顔で吹雪を見つめた。


「……おまえが、退治屋? 化物を殺す、あの?」

「は、はい」

「……ふぅん」


 霖哉は小さく鼻を鳴らし、グラスに口を付けた。

 ごくりと水を飲み、さして興味がなさそうな様子で吹雪にたずねる。


「退治屋って楽しいのか?」

「え?」

「おまえ、東京の人間じゃないんだろ? 知らない場所で化物と戦って、楽しいか?」

「楽しいというか……まぁ、故郷でもやってましたし……」


 淡泊な霖哉の問いに、吹雪は一瞬言葉に悩む。

 仲の悪い時久の姿が脳裏によぎった。首を軽く振り、吹雪はその像を追い払う。


「それに……私には、この町でやらねばならない事がありまして。そのための資金と情報を得るために、退治屋をやっています」

「やらねばならないこと?」

「えぇ。兄を探しているんです……私と同じくらいの白髪の男の子、知りません?」


 渾身の力で描いた似顔絵はここにはない。どのみち、紅梅社中の面々にさんざんこき下ろされたアレを今後も人前に見せる度胸は吹雪にはなかった。

 霖哉は小さく首を横に振った。


「知らない。若い奴で髪が白いのは、おまえ以外知らない」

「そうですか……」

「兄貴、好きなのか?」

「どちらかというとわりと嫌いです」


 考えるよりも早く言葉が出てきたことに驚きつつ、吹雪は即答する。

 すると霖哉はやや眉を吊り上げた。


「ならなんで探すんだ?」

「それはその……兄ですし、父が兄を探すよう私におっしゃったので」

「ふぅん……つまりおまえの意思じゃ、ないんだな」

「それはっ……」


 何故だか言葉が出なかった。

 吹雪は思わず口元を押さえつつ、必死で言葉を探した。


「私、は……」


 どれだけ脳内を探っても、言葉が出てこない。

 何を言えばいいのか、わからない。

 嫌な沈黙がその場を支配した。レコードの音楽と、外で響く犬の声がやたらと大きく感じる。

 霖哉は水を飲み干し、言いづらそうに口を動かした。


「その……悪い。同じくらいの子と話した事なかったから、調子に乗った」

「いえ……私も、そんなに同世代の人と会話したことがないので」


 ぎこちなく謝る霖哉に対し、吹雪は微笑し首を振る。


「涅さんは、おいくつなんですか?」

「霖哉でいい。おれは十九。おまえは?」

「私は十七です」

「ふぅん……二歳下だったのか。なんか、同じくらいかと思ってた」

「そ、そうですか? 老けて見えるんでしょうか……?」

「老けているというか……少し違うな。なんだろう」


 グラスの縁を指先でなぞりながら、霖哉はしばらく考え込んだ。

「ただ、年の割に苦労してそうだとは思う」

「苦労はそんなに……」


 吹雪の脳裏に時久の姿がまたよぎる。

 どうやら、自分はすっかり彼が苦手になってしまったようだ。吹雪は重いため息を吐く。

 霖哉はポケットから懐中時計を取り出し、時間を確認した。


「……そろそろ、おれは行かなけりゃいけない。代金は払っておく」

「あぁ、ありがとうございます。すっかりご馳走になってしまって」

「構わない……あと、おれは平日の昼間はたいていここにいる」

「え?」


 思わぬ言葉に吹雪は顔を上げる。

 懐中時計をポケットにしまい、霖哉はマフラーを口元まで引き上げた。


「よかったら、さ。またここで話さないか。愚痴くらいなら聞く」

「でも……」

「おれも暇しているし……それに、なんだかおまえは悩んでいるように見える」

「……そう、ですか?」

「あぁ。それは間違いない、と思う」


 首をかしげる吹雪に、霖哉はうなずく。

 吹雪はじっと自分のグラスを見下ろした。溶けかかった氷が揺れている。


「……悩み、ねぇ」

「ああ。なんというか、おれにもよく、わからないが……」


 霖哉は一瞬ぎゅっと眉を寄せ、やや悩むそぶりを見せた。

 しかしやがてゆっくりとマフラーを下ろし、彼はぎこちなく言葉を発する。


「あまり自分の中にため込むのは良くない……と思う」

「……ふむ」


 そういえば、自分はあまり誰かに感情を吐露したことがない。

 吹雪はグラスに浮かぶ氷をぼんやりと見つめた。その胸に、ぼそぼそと霖哉が発する言葉が妙に染み込んでくるように感じられた。


「さっきも言ったが、おれも昼間は時間をもてあましているんだ。だから、もしおまえの気が向いたら――話くらいは、聞いてやる」


                   * * *


 夜空に半月が浮かんでいる。

 どこかで響く犬の声を聞きながら、吹雪は廃デパートに足を踏み入れた。

 昼間とは違って、シャンデリアの残骸の近くに小さなカンテラが置かれている。その火に照らされているため、夜を迎えたホールはわりかし明るい。


「遅いぞ」


 壁にもたれていた時久がぴくりと身じろぎする。カンテラは彼が持ち込んだもののようだ。


「失礼。少し道に迷いまして」


 吹雪は時久に一礼し、ぐるりと辺りを見回した。

 特に変化はみられない。耳を澄ませても特に異音などは聞こえず、この建物内の化物は完全に殲滅されたようだ。


「それで? このデパート内を見回るのですか?」

「ああ。その後念のため、周辺地域に化物が漏れていないか外に出て見回る」

「なるほど。化物は夕方以降活性化しますからね」


 吹雪はぱんっと手を打ち、うなずいた。


「では二手に分かれましょう。私は三階から屋上を。御堂さんは地下から二階まででいかがでしょう?」

「待て、勝手に話を進めるんじゃない」


 時久が唸るように言って、壁から背を離した。

 床に置いていたカンテラを取り、吹雪に近づく。そして、珍獣を見るような目で時久は吹雪の頭から爪先をじろじろと見た。


「……なんだか雰囲気が少し変わったな。何かしたのか?」

「いえ、特にたいしたことは」


 時久の視線に眉を寄せつつ、吹雪は首を振った。夜もまた、時久とともに行動しなければならないと考える時が重い。

 しかし、その脳裏にぎこちない霖哉の言葉が蘇った。


 ――話くらいは、聞いてやる。


 共犯者を見つけたような――そんな不思議な高揚感を感じ、吹雪はかすかな笑みが浮かべた。


「……ただ、色々と話す相手はできました」

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