その六.霖哉との再会

 家伝によれば、遠峰家の祖には神仙の類いがいたという。

 その真偽は定かではない。だがもし真ならば白髪青眼という容姿と、常人よりもやや優れた身体能力――そして恐らく破魔の異能は、その先祖の影響なのだろう。

 しかし、そんな力を持ってしても。


「……無理です、アレは無理」


 時久の戦いぶりを思い出し、吹雪は首を振る。

 昼下がりの街を歩きながら、彼女はどうすれば時久に合わせられるのかを考えた。


「あの人には合わせられない……合わせられるわけがないです……」


 再び鈍い頭痛を感じ、吹雪はこめかみを押さえる。

 時久は否定したが、彼の身体能力はもはや異能の域だ。吹雪もそこそこ身体には自信があったが、時久はそれを遥かに凌駕している。

 あれに合わせようとすればどんな目に遭うのだろう――考えただけで頭痛がひどくなる。どこかで響く犬の声や、周囲の喧噪がやたらと大きく聞こえた。


「でも……合わせないと……」


 もしも時久に後れを取れば、彼はまた文句を付けるだろう。

 身体能力よりなにより合わないのは精神だ。苦手意識は消えていないどころか、この数時間でむしろ強くなってしまった。

 しかしどれだけ苦手だと感じていても、あれとしばらく組んで行動しなければならない。

 永遠に組むわけではない。

 吹雪は深くため息を吐きつつ、小さくうなずいた。


「……まぁ、いいでしょう」

「おっけぇい! そうと決まればさ、早く行こうよ!」

「え?」


 急に肩を掴まれ、吹雪ははっと我に返った。

 見れば周囲の様子は先ほどとは様変わりして、あたりには露出度の高い女給が呼び込みをしているカフェーや怪しげなダンスホールなどが並んでいる。

 そして、吹雪の前に男が二人。

 一人は洋装、もう一人は和装。だがどちらもだらしなく服を着崩し、蜘蛛や髑髏の刺青をこれ見よがしに晒している。

 状況が掴めず、吹雪は首をかしげた。


「え、あ……ん?」

「なんだよ、話聞いてなかったの?」


 和装に身を包んだ男がぐいと顔を寄せてきて、吹雪はとっさに首を引いた。

 洋装の男がキセルを口から離し、にいっと笑う。


「いや、嬢ちゃんが退屈そうだからな。どこかに連れていってやろうかって聞いてたんだよ」

「え、そうなんですか。というか貴方達は一体?」

「お兄さん達はー……なんてぇの? 嬢ちゃんの彼氏的な?」

「は、はぁ……あの、キャッチセールスは断ってるんですけど……」


 顔を寄せたまま笑う和装の男に対し、吹雪は首を引いたまま視線をさまよわせる。

 出来ればすぐにでも男の手を振り解き、逃げ出したい。

 人数は二人。和装の男は帯に長ドスをさしているが、手には特にタコもなく素人にしか見えない。だが洋装の男は何を持っているか。


「いやぁそんなんじゃないって! オレ達さ、嬢ちゃんと遊びたいだけ」

「あ、遊ぶってどんな」

「楽しいから! 平気! 全然いけるって!」

「そうとも。危ないことはなんにもない。しかもうまくいけばお金がもらえるかもしれない」


 洋装の男がにやにや笑う。和装の男がけらけら笑う。

 だがどちらの目も品定めをするように吹雪を頭から足下まで見ていた。


「いや、その」

「楽しい遊びだって。大丈夫大丈夫、お兄さん達に任せておけばいいから! なぁんにも危ないこととかないから!」

「そうさ……嬢ちゃん可愛いし、白い髪なんてマニア好みだからな。すぐ楽しめる」

「えっと……」


 言葉は洪水のように押し寄せて、吹雪の言葉を掻き消していく。

 ――まるで吹雪の意思など最初から存在していないようだ。


「……おい」


 聞き覚えのある低い声が耳朶を打つ。

 同時に、吹雪と和装の男の前に灰色の影が割って入った。


「あ、なんスか?」


 和装の男が一気に目を吊り上げ、目の前の男を睨む。

 濡れたように艶やかな黒髪。灰色のコートに包まれた痩躯。


「あなた、は……」


 吹雪は目を見開く。

 その背中には見覚えがあった。帝都に着いた日、青ざめた顔で咳き込む彼に薬を渡した。

 確か名前は――霖哉。

 霖哉は紅茶色の瞳を細めて吹雪を見て、男達を見た。


「その子、おたくらの連れか?」

「そうだよ! 見てわからねぇか? 仲良くなってさぁ」

「いや、その」


 馴れ馴れしく手を伸ばしてくる和装の男に対し、吹雪は思わず後ずさる。

 霖哉は小さく鼻を鳴らした。


「……そうは見えないな。おれには嫌がってるように見える」

「それはアンタの目の問題じゃね? というかさ、勇気あるなぁアンタ。そんなガリッガリの体でよくもまぁオレ達に――」


 嘲笑を浮べながら和装の男が霖哉の胸ぐらに手を伸ばす。

 一瞬のことだった。

 男の手を霖哉が掴み、一息に引き寄せる。バランスを崩し前のめりになった男の顎に、霖哉の掌打が叩き込まれた。


「ごっ、ァ――!」


 白目を剥いた和装の男が地面に崩れ落ちた。

 洋装の男が血相を変え、スーツのポケットに手を差し込む。そこから鈍く輝く拳銃を取り出すのを見て、吹雪は目を見開いた。


「銃……!」

「てめぇ――!」


 洋装の男はその銃口を霖哉に向ける。しかしその引き金が引かれることはなかった。

 一瞬で距離を詰めた霖哉が男の銃を掴み、弾倉を固定。発砲を封じられた事を男が理解するよりも早く、男の腹部に霖哉のブーツの踵が叩き込まれた。


「ガッ――!」


 胃液を零しつつ、洋装の男が地面に倒れ込む。

 手の中に残った拳銃を見て、霖哉が物憂げにため息を吐いた。


「短気にも程がある。こんなところでハジキを出すと……」


 その言葉が終わるよりも早く、ピーッとあたりに警笛の音が響き渡った。

 吹雪ははっと振り返る。心なしか足早に通り過ぎていく人々の向こうから、黒装束に身を包んだ二人組の警官の姿が見えた。

 霖哉は億劫そうに肩をすくめ、拳銃を捨てる。


「面倒になる」

「おい、そこでなにしてる!」


 警笛を吹き鳴らしながら、二人組の警官が近づいてくる。

 吹雪は一気に青ざめ、地面に転がる男二人と警官とを交互に見た。


「ど、どうしましょうこれ……!」

「どうするもこうするもない」


 ため息とともに、霖哉が吹雪の手首を掴む。

 吹雪は目を見開き、霖哉を見る。すると彼はやや苛立たしげに眉を寄せた。


「逃げるぞ。走れ」

「え? あ――」


 霖哉が吹雪の手をぐっと引く。

 吹雪はその導きのまま、警笛の音を背に走り出すほかなかった。

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