その五.無双の男
太刀筋を見るどころではなかった。
「……そんなバカな」
引きつった顔で吹雪は呟く。
うっすらとした青白い光に照らされた機械室。内部には様々な機械類が点在しているが、そのどれもが埃を被り、機能を停止していた。
そして最奥に、龍脈発電の発電機は鎮座していた。
それは銀色の杭にも似た五本の制御棒と、その中央部に置かれた巨大な箱形の中枢機関によって形成されていた。それを取り巻くように、無数のケーブルが繋がれていた。
その中枢機関に、一匹の化物が絡みついている。
青白く輝く長細いフォルムはタツノオトシゴを連想させる。細い口からちろちろと炎を吐きつつ、化物は中枢機関をいっそうきつく締め上げた。
あまり見たことがないが、野槌と呼ばれる化物にやや似ている気がする。
「……いや、そんな」
こめかみを押さえ、吹雪はうめく。
中枢機関と化物が半ばほど一体化しているというのはゆゆしき自体だ。対処を間違えれば化物は龍脈を通る霊気を暴発させ、この部屋くらいは簡単に吹き飛ばすだろう。
だが、今吹雪の頭痛の元となっているのは――。
「きぃいいいいええええええおおおおおおおおッ!」
青白く輝く化物に、奇声とともに躍りかかる時久。
化物が悲鳴に似た叫びを上げる。すると近くの機械を豪快になぎ倒し、牛頭と馬頭が現れた。
二体の化物は耳障りな咆哮とともに時久めがけて襲いかかった。
「邪魔だ! どけ!」
鬼鉄が唸りを上げた。
牛頭と馬頭の上半身が一息に薙ぎ払われ、宙を舞う。同時に左右にあった機械がなますのように切り裂かれ、小さな爆音とともに火花を散らす。
再び化物が甲高い悲鳴を上げる。
すると、機械室の天井からなにかがぼろぼろと落ちてきた。
蠍にコウモリの皮膜を持たせたようなその化物の名は
「むぉ」
時久の顔面に一匹が貼り付いた。それは尖った足でしっかりと時久の頭を掴み、尾についた鋭い棘を喉に差し込もうとする。
「御堂さ――!」
とっさに駆け寄ろうとした吹雪の耳に、べきっと嫌な音が届いた。
見れば時久の喉に触れた矢返の棘が、折れている。
「ええい鬱陶しいッ!」
時久は無造作に矢返を剥がし、握り潰した。『矢返』という名の由来になったほど硬い甲殻があっさりと砕け散る。
その手は止まらず、時久は他の矢返も剥がしにかかる。
矢返は鋭い棘で必死で反撃しているが、時久の肌にはかすり傷さえついていない。
「そんな……――ッ!」
呆気にとられている吹雪の方にまで矢返が飛んできた。
吹雪はとっさに抜刀。滑空する矢返を弾いた。硬い感触とともに火花が散る。床に転がった矢返は柔らかい腹部を晒し、尖った足をわさわさと蠢かせた。
容赦なくその腹に切っ先を突き立てた吹雪の耳に、再び化物の甲高い叫びが届く。
吹雪は死んだ目で時久の方を見た。
「よい――せ、と」
時久は発電機に絡みついていた野槌を片手で引き抜きにかかっていた。
野槌はテッポウユリに似た口を苦しげにぱくぱくと動かしている。その胴体には緑色の血管にも似た筋が浮かび、あちこちから火花を散らしていた。
「ちょ、ちょっと御堂さん! さすがにそんな、無理に引き抜いたら――!」
「やかましい。こうすれば手っ取り早いだろう」
言いながら、時久はさらに力を込める。
ぶちぶちと音を立て、ケーブルと同化していた化物の血管が切れていく。蛍光緑の血液が吹き出し、火花は滝のように床に零れた。
キィイイイイ! 断末魔の叫びをあげる野槌の喉が、激しく明滅を始めた。
「御堂さん――!」
その瞬間、機械室が青白い光に包まれた。
引き抜かれる間際の野槌が、最期の足掻きとばかりに鬼火を吐いたのだ。
爆発にも似た轟音ともに、空気が一気に熱くなる。
慌てて吹雪は近くの機械の影に転がり込む。幸い炎は吹雪のいる場所にまでは届かず、発電機とその周辺を呑み込むに留まった。
しかし、時久は……。
青白い光が集束し、周囲の気温が徐々に下がっていく。
吹雪は恐る恐る機械の影から顔を出し、時久がいた方向をうかがった。
ところどころに火が付いた発電機と制御棒がまず目に入った。霊気の炎は温度こそ低いもののあらゆる物に燃え移り、消えにくいという特性がある。
そして。
ずるりと野槌を引きずりつつ、発電機の背面から時久が現れた。
「ややこしい絡み方をしおって。さては自分でも胴体を解けなくなっていたな」
「……は?」
吹雪の口から間の抜けた声が出る。
時久は力尽きた野槌を地面に転がし、分厚い靴底でその頭蓋を踏み潰す。その体躯には火傷一つなく、コートには焦げた跡さえない。
「……御堂、さん?」
吹雪は恐る恐る時久の名を呼んだ。
すると入念に野槌の頭を踏んでいた時久が顔を上げる。その顔にもやはり、なんの傷もなかった。左目に刻まれた傷痕を除けば。
「なんだ小娘。漏らしたか?」
「なっ……ちょっ、漏らすわけないでしょう! あの、怪我は……?」
「怪我だと? 俺はそこまでやわではないわ」
傷痕を歪ませ、時久は不敵に笑う。
筋骨隆々とした牛頭馬頭を一刀のもとに両断し、刃を通さない甲殻を持つ矢返をあっさりと握り潰し、そして鬼火の直撃を受けつつも傷一つ負わない。
その人外じみた所行に、吹雪はゆるゆると首を振る。
「そんな……馬鹿な事が……」
その時、吹雪の脳裏にサチから聞いた話が蘇った。
『御堂さんも戦闘特化型の異能』――まさか、これが時久の異能なのだろうか。
「……時久さんの異能で、防いだんですか?」
「異能だと?」
鬼鉄を鞘に納め、時久は鼻を鳴らした。
「そんなインチキ技に覚えはないな」
「え、ですがワンコさんが時久さんは異能を持っていると……」
「貴様らには異能のように見えるだろうがな」
時久は肩をすくめ、軽く両手を広げてみせた。
「俺は異能など持っていない。人よりちょっと頑丈で少し力が強いだけだ」
「ちょっ――」
『ちょっと』や『少し』で済まされる問題ではない。
吹雪は自分が殺した矢返の死骸を見下ろし、爪先でひっくり返した。
鈍い輝を放つ甲羅を軽くつついてみる。それだけで、きぃんと金属質な音が響いた。
これを片手で握り潰す――吹雪はまた、緩く首を振った。
「いや、これは……」
「ぼうっとするな。とりあえずこの建物の化物の掃討は終わった。次は周辺の見回りだ。とりあえず昼休みをとってから、夕方に戻ってこい」
硬直したままの吹雪の隣をすり抜け、鬼鉄を肩に担いだ時久が機械室を出て行く。
しかし途中で立ち止まり、時久は吹雪に指を向けた。
「俺の動きはしっかり見たな? 次は、俺に合わせられるようにしろ。良いな?」
「……はぁ」
「では俺は飯を食ってくる」
かんかんと靴音を立て、時久が階段を上っていく。
吹雪は停止したまま、ぼんやりと時久の言葉の意味を考えた。
俺に合わせられるようにしろ――その言葉の意味が、やっと脳にまで浸透してくる。
「……無理です。死んでしまいます」
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