その三.化物デパートに来た

 夕方。吹雪は綾廣と別れ、鍛錬場から社員寮へと向かっていた。

 日はすでに西に沈み、辺りを藍色の闇が覆いつつある。

 耳を澄ませれば、かすかにサイレンの音が聞こえてきた。化物への注意を呼びかけるサイレンだ。奴らはこの時間帯から活性化を始める。


「……まぁ、ここで会うことはないでしょうけど」


 まだ明かりが灯っている社屋の方を見つめ、吹雪は肩をすくめた。

 その耳が、微かな足音を捉える。はっと吹雪が前を見ると、ヒグマのように大きな影がこちらへと近づいてくるのが見えた。

 まさか化物か――吹雪はとっさに太刀に手をかける。

 近づいてくるにつれ、相手の顔が徐々にはっきりしてきた。ざんばら髪、白いコート、そして左目に刻まれた傷跡。

 吹雪は太刀から手を下ろし、渋い顔で軽く会釈する。


「……どうも」

「……貴様か」


 時久は立ち止まり、思いっきり眉間にしわを寄せて吹雪を見下ろした。

 その手が、腰に帯びていた鬼鉄の柄から離れる。それを見逃さなかった吹雪は、薄く笑った。


「あら、また斬り合いになるところでしたね」

「全く紛らわしい……敷地内の結界を潜り抜けてきた化物かと思ったぞ」


 苛立たしげに時久は吹雪を睨む。

 吹雪は怯まず、その視線を真っ向から受け止めた。

 やがて時久の視線が動き、吹雪が持っている絶句兼若を見る。


「……式器の整備は終わったのか」

「えぇ。問題なく動かせます」

「どうだか。式器に問題がなくとも、使い手が信用できん」


 時久は鼻を鳴らすと、ゆっくりと歩き出した。

 その言葉に吹雪は眉を寄せ、近づき通り過ぎていく時久の顔を睨む。


「足を引っ張るつもりはありませんよ。どうぞご安心を」

「当然だ。……俺は子供のおもりなど御免だからな」


 素っ気ない言葉を残し、時久の背中が夕闇に消える。

 吹雪はじっと時久が去った方向を睨み続けていた。その先にあるのは鍛錬場だ。恐らく先ほどの吹雪のように、これから時久も鍛錬をするのだろう。


「……明日、あの人と組むのですね」


 吹雪はため息をつき、視線を空に移した。

 昨夜と同じように、夜空には灰色の霧がかかっている。吹雪は眉をひそめた。


「帝都って、もしかしていつも瘴気が出ているのでしょうか」


 それは、淀んだ霊気によって形成されるものだという。

 瘴気は人の体と精神に悪影響を及ぼす。あまりにも瘴気に触れすぎた者は気が触れ、奇病にその身体を侵され――最終的には化物と化す。

 そのせいか、瘴気の霧が出る夜は殺人事件が増えるという話がある。

 しかし実際は空に漂う瘴気の危険性はさほどではない。

 そのため吹雪は特に身を守ろうともせず、薄く瘴気のかかる空をじっと見上げていた。


「星も、月さえも見えませんね。瘴気ばっかり……居心地が悪いですね」


 吹雪は目を伏せ、深くため息をついた。


「……早く愚兄を見つけて、父様のところに帰らないと」


                   * * *


 そして、吹雪は朝を迎えた。

 その日は吹雪の初仕事――あの時久と共同で任務を行う日だ。


「……遅いぞ、小娘」

「いちおう二十分前に到着しているのですが」


 時刻は八時四十分。社屋の玄関前。

 扉の側に立つ時久がじろりと睨んでくるのに対し、吹雪は淡々と切り返す。

 そこで社屋の扉が開いた。


「あ、吹雪ちゃん! おはよ!」

「あら、ワンコさんではありませんか。おはようございます」


 現れたサチの姿に、吹雪は表情を明るくする。

 扉を後ろ手で閉めたサチは何歩か進み出て、時久と吹雪とを見比べた。その体には吹雪や時久が来ている者と同じ、赤い制服を着ている。


「今から二人でお仕事? 頑張ってきてね!」

「犬槙、貴様もう出勤か?」


 時久が眉を片方吊り上げ、驚いたようにたずねた。

 サチはどこか嬉しそうにうなずく。


「はいっ。わたしも、夕子さんやみんなの役に立ちたいの」

「――林檎りんごは、良いのか?」

「……林檎?」


 探るように問う時久の言葉に、吹雪は首をかしげる。

 果物のリンゴの事――ではなさそうだ。時久の言い方からすると、恐らく吹雪がまだ出会っていない何者かの名称だろう。

 そしてそれは、サチとはやや複雑な関係の人間のようだ。


「林檎は……その……」


 サチは言葉に詰まり、視線を泳がせた。誰もその話を聞いていないか、素早く周囲の様子を探ったように見える。

 そして最後に一瞬吹雪の顔をちらっと見たあとで、サチはゆっくりと首を振った。


「林檎は大丈夫、です。他の子とも仲良くできてるし、最近は夕子さんとも」

「本当か? 奴は相当の気難し屋だぞ。特に最近はこの新入りも――」

「大丈夫だから!」


 サチの叫び声に、時久はやや眉を動かす。

 サチははっとした顔で一瞬吹雪を見て、口元を隠した。


「……ごめんなさい」

「いや……俺も聞きすぎた。夕子にまた怒られる」


 謝った! 仏頂面でやや頭を下げる時久を、吹雪は信じられない思いで凝視する。

 サチは苦笑し、首を振った。


「あはは……その、林檎については、社長さんも何か考えてくれてるみたい」

「ならば社長の意向に任せよう――と、そろそろ時間か」


 時久はポケットから懐中時計を取り出し、その文字盤を確認する。

 その言葉に、吹雪も自分の時計を確認した。


「始業時刻三分前ですね……もう準備万端ですし、出た方が良いでしょう」

「貴様に言われずともそのつもりだ」

「……朝から突っかかってくるのやめていただけません?」

「あ、あの、吹雪ちゃん」

「はい?」


 淡々と時久と言い合っている吹雪に、サチがおずおずと声を掛けてきた。

 きょとんとした顔の吹雪に、サチは小さく手を振る。


「また、その……一緒にご飯食べてくれる、かな?」


 サチは同年代の子と過ごしたことがない。だからサチと仲良くして欲しい――そんな、夕子に言われた言葉を思い出すまでもなかった。

 吹雪はふっと微笑し、うなずく。


「えぇ。いつでも構いませんよ」

「ほんと!?」

「勿論です。私もワンコさんとの食事を楽しみにしていますよ」


 吹雪の言葉に、サチの表情は見る見るうちに明るくなった。尻尾がついていたら、恐らくちぎれんばかりに振っているだろう。

 時久がぱちりと時計を閉じた。


「……そろそろ、行くぞ」

「承知しました。――では、ワンコさん。また後ほど」

「うん! 二人とも頑張ってきてね! あと吹雪ちゃん、またご飯食べようね!」


 ぶんぶんと手を振るサチの歓声を背に、吹雪と時久は会社の敷地から出た。

 大股で歩きながら、時久が低い声で切り出す。


「……貴様にも、それなりに少女らしい感情はあるのだな」

「失敬な。――ところで、少しスピードを緩めていただけません?」


 時久の一歩はほぼ吹雪の二歩に相当している。故に最初歩いて時久について行こうとした吹雪の足取りは、途中から小走りになっていた。


「これくらい普通だろう。とっとと歩け」

「……身勝手」

「なんとでも言え.小娘に何を言われても屁でもないわ」

「では言わせていただきますが……本当に成人していらっしゃっているんですよね?」

「貴様」


 いがみ合いつつ、二人は紅梅社中の駐車場に足を踏み入れた。


                   * * *


 自動車の補助席に座り、吹雪は慶次郎から渡された書類を細部まで確認していた。

 運転する時久が横目でじろっと睨んでくる。


「……今さら読むのか」

「いえ、寮でも何度も確認してますよ」

「ならばわざわざ今読む必要があるのか?」

「いつ読んだっていいでしょう。昨日も申し上げましたが、足を引っ張りたくないので」

「ふん……好きにすれば良いがな」

「そうさせていただきます」


 吹雪は薄く笑い、書類のページをめくった。

 その十分後。吹雪は青い顔でひたすら遠くを見ていた。


「貴様、自動車に乗ったことは?」


 時久がまたじろっと見てくる。その視線にはやや呆れが混ざっているように感じられた。


「……あまり。昨日が初めてかもしれないです」

「……酔ったな?」

「酔ってないです。昨日も酔っていなかったでしょう」

「昨日は大方緊張していてそれどころではなかったのだろう……吐くなよ」

「ですから酔ってないです。これは眠いだけです」

「……あと二十分ほど待て」

「だから酔ってな――っう」

「今停める」

                   * * *


 そしてさらに三十分後。吹雪達は依頼の場所に到着した。

 駐車場に入ってすぐ、時久に追い立てられるようにして吹雪は自動車から降りる。彼が自動車を適当な位置に止めるまでの間、吹雪はひたすら打ちひしがれていた。


「体調が悪いなら帰って良い。というか帰れ」


 車を停めてきた時久が、空を見上げる吹雪の背中にため息交じりに言い放つ。


「……嫌です。もう元気いっぱいです」

「強情だな」

「放っておいてください」


 吹雪はゆるゆると首を振り、視線を地上に降ろした。

 駐車場の側には鉄筋コンクリートの建物がそびえている。あちこちに曲線を取り入れた優美な造りのそこは、かつては華族なども利用する大きなデパートだったらしい。


「……化物の巣というのは、あれですか」

「ああ。昔火事になって、今はああいう有様だ。取り壊して売却しようにも、すっかり化物が棲み着いてしまったらしくてな」


 時久の言うとおり、建物は完全に廃墟と化していた。

 表面には孔雀やライオンなどの彫刻が施されていたようだが、ほとんどが無惨に壊れている。そこから火が噴き出したのか、黒く煤けている窓もあった。


「普通に街中ですよね、ここ」


 建物から視線をそらし、吹雪は辺りを見回す。

 廃デパートのすぐ近辺はさすがにやや廃れているようだが、それでも吹雪達の周囲は賑やかなものだった。和装や洋装に身を包んだ人々が道を行き交い、立ち並ぶカフェーやレストランも繁盛しているように見える。


「こんな所に化物の巣があるなんて」

「何もおかしな事はない。奴らは瘴気の濃く漂う場所を好む。人間の多い場所というのは、それだけ瘴気も強くなる。それにあの建物は厄介な代物でな」

「厄介?」


 吹雪が聞き返すと、時久は渋い顔でうなずいた。


「……非常電源として龍脈発電の発電機が設置されているそうだ」

「龍脈発電の……!?」


 吹雪は思わず目を見開く。

 龍脈発電とは、今この世界では最も一般的に行われている発電方法だ。大地に横たわる巨大な霊気の流れ――龍脈から霊気を吸い上げ、電気に変換する。


「まだ稼働しているのですか?」

「恐らく稼働させられていると言った方が正しい。発生した化物どもが瘴気を求めて、どうやってか無理やり動かしている」


 龍脈発電は電力だけでなく、瘴気をも発生させる。

 二十世紀初頭に大規模な発電法が発明されて以来、この星の瘴気の量や濃度が年々高まってきているのがわかったのはわりと最近のことだった。

 そして化物は瘴気から生じ、瘴気を好む。


「……化物を駆除するだけでなく、発電機も止めなければならないようですね」

「ふん、物わかりが良くてなにより」

「それくらいはわかります。それで? 今から乗り込むのですか?」

「あぁ。ひとまず巣を潰してから、残りがいないか見回る。――行くぞ、小娘」

「……あの、その小娘ってのやめていただけません?」

「小娘は小娘だろう。さっさと行くぞ」


 コートの裾をひるがえし、時久が廃デパートへと歩いていく。

 吹雪はややむっとした顔で、その背中を睨んだ。やはり彼とは到底仲良くできそうにない。

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