その二.クグツとの鍛錬

 時久とともに依頼を受けた、その二時間後。

 吹雪は紅梅社中の鍛錬場にいた。敷地内にあるその建物は、かつて吹雪が通っていた高等女学校の体育館にどことなく作りが似ている。

 ただ学校の体育館と異なるのは、床板が全面黒いこと。

 そして、その二階部分に無数の機材を設置した制御室があること。


「……慣れませんね、洋服」


 ブーツの爪先で軽く床を叩きつつ、吹雪はぼやく。

 その体にまとうのは紅梅社中の制服だ。深紅の上着に黒のスカート。腕には紅梅社中に所属していることを示す、梅花を刺繍した黒の腕章を着ける。

 制服の着方はある程度自由だった。そこで吹雪は近場の店で選んだブラウスを上着の下に着て、両腕には簡素な篭手を装備することにした。

 不思議な物を見るような顔で吹雪はスカートの裾を摘まみ、軽く振ってみる。


『おぉー、制服似合ってるじゃない!』


 鍛錬上のスピーカーから綾廣の声が響いた。彼は今、二階の制御室にいる。


『どう? 姐さんが急いで用意したらしいんだけど、サイズ合ってる?』

「えぇ、特に窮屈ではありませんよ。――ただ、スカートってこんな感じなのですね」

『なんだって!? スカート履いたことないの!?』


 綾廣の声が一気に裏返った。

 吹雪は戸惑いながらも制御室を見上げ、うなずいた。


「えぇ、これが初めてです」

『それはいけない! 今日から君はずっとスカートを履くべきだ!』

「そ、そうなんですか?」

『そうとも! 君がスカートを履けばみんなが幸せになる!』

「はぁ……善処いたします」


 本当に皆が幸せになるのだろうか。いまいちわからないままうなずく吹雪に対し、綾廣は『ところで』と改まった口調で問いかけてきた。


『絶句兼若はどうだい?』

「兼若ですか? 一応問題はないと思うのですが……」


 答えつつも吹雪は腰に帯びた太刀、絶句兼若を抜き放った。

 絶句兼若を目の高さまで持ち上げて、刃をじっくりと確認する。箱乱れの刃文に変化はない。さらに吹雪はそれを何度か軽く振るい、首をひねりながら再び鞘に納めた。


「……重さもさわり心地も変わりませんね。昨日と同じままです」

『ところが昨日とは色々違うんだなー。――それを確認する準備は出来てるかい?』

「えぇ、いつでも」


 吹雪は答え、絶句兼若の柄に緩やかに手を掛けた。

 すると、一面黒一色だった床に緑の光が走った。驚いて背後に数歩下がる吹雪の足下でそれは交差し合い、格子模様を描き出す。


『この鍛錬場にはね、クグツを発生させる装置が備わっている』

「クグツ?」

『訓練用の化物のことだよ。その床の格子模様は霊力を循環させている回路だ。化物はその模様が光ってるところのみに出現する』


 言われてみればたしかに、床には格子模様のない空白の区域が存在している。危険を感じたら綾廣に訴えるか、その区域に逃げれば良いのだろう。

 吹雪は軽く足首をほぐしながら、じっと辺りの様子を観察する。


『準備は良いね? 吹雪ちゃん』

「どうぞ」


 吹雪が答えた直後、頭上からポンポンッと軽い音が立て続けに響いた。

 見上げると、いくつかのカラフルなボールが降ってくるところだった。張り出した制御室の下部に設置された射出機から放たれたモノのようだ。

 ボールは黒い床に落下し、クルミの砕けるような音ともに割れた。

 そこから赤、緑、青――様々な色の煙が噴き上がる。


「一応お聞きしますが……この煙、人体に害は?」

『大丈夫だよ! 人体にも環境にも優しいクグツダマさ!』

「そうですか……あまり優しそうに見えませんが」


 吹雪が呟く間に、煙は明確な形を持つ化物へと形を変えつつあった。

 色鮮やかなクグツが体を震わせながら咆哮する。どれも見た目は二足歩行の犬といったところ。毛並みの下でしなやかな筋肉が隆起し、鋭い爪や牙が電灯に輝いた。

 増えていくクグツの姿を見ながら、吹雪は事前に綾廣に聞いた話を脳内で反芻していた。


                   * * *


「あらゆる人間には霊気、もしくは霊力と呼ばれるエネルギーが宿っている」


 制御室で、端末を調整しながら綾廣はいった。

 狭い部屋はよくわからない機械類でいっぱいだった。どれも吹雪にとってはまったく未知の装置だが、綾廣は慣れた様子でそれらを操作している。


「ただ、大抵の人間はそれを操る事が出来ない。……レコードがあっても、音を出すためのレコーダーがないようなものさ」

「操ることが出来ない……でしたら巷に存在する霊能者は、偽物と言うことですか?」


 機械を壊さないよう身を縮めながら、吹雪は考える。故郷にもたしか、霊気を用いて治療や祈祷などを行って生計を立てている霊能者がいた。

 綾廣は振り返り、すらっと長い指先を振ってみせた。


「『大抵の人間は』という話さ。例えば、厳しい修行によってレコーダー――つまり霊気を操る素養を得た者もいる……姐さんとかがそうだな」

「夕子さんが修行を?」

「あぁ。相当頑張ったらしいよ? ――かと思ったら、生まれつきレコーダーを持っている子もいる。吹雪ちゃんが知ってる中だと、ワンコちゃんはこのタイプだな」

「ワンコさんが……?」


 ちゅるちゅるとうどんを食べていたサチの姿が脳裏に浮かぶ。

 首をひねる吹雪に対し、綾廣がくすっと笑った。


「とてもそうは見えないだろ? ワンコちゃん、ああ見えて特殊だからね」

「は、はぁ……そうなんですか……」

「でもワンコちゃんだけじゃなくて、吹雪ちゃんもわりと特殊なんだぜ? 異能者の持つ『異能』というのは、この霊気を部分的に操作している事で現れるものだからさ」

「……レコーダーの部品を持っているような状態でしょうか?」

「どちらかというと音質は抜群だけど、用途が限定されてるレコーダーを持ってるような状態だね。ヘビィメタルしか流せないレコーダーとか」

「そ、それはまた」


 どちらかというと吹雪は演歌の方が好きだ。


「それでその……化物退治に用いる『式器』という道具は、何か簡易なレコーダーのようなものと考えればよろしいのでしょうか?」


 吹雪が確認すると、機械のダイヤルをいじりながら綾廣はうなずいた。


「その通り。式器はね、人間が霊気を操作する助けをするものなんだ。式器によって霊力は安定し、『化物を殺す』という性質を与えられる」

「媒介というわけですか」

「その通り。式器を使うことで、初めて人間は化物に有効打を与えられる――普通はね」


 振り返った綾廣はにっこりと笑い、意味ありげに吹雪にウィンクした。


                   * * *


 クグツの唸り声に我に返る。

 見ればもうどのボールも形を変えたらしく、吹雪の前には十体前後のクグツがいた。


「……実際に使ってみた方が呑み込みやすそうですね」


 絶句兼若の柄に手をかけたまま、吹雪は地を蹴った。

 その接近に気づいた一体の青いクグツが振り返り、興奮気味に吠え立てる。そのやかましい喉元に、吹雪はすれ違いざまに抜き打ちを仕掛けた。

 クグツの頭部が吹き飛ぶ。直後その体は崩れ落ち、青い塵と成って床に小さな山を作った。

 スピーカー越しに綾廣の口笛の音が響いた。


『こりゃ……すごいな。式器を発動してないのにクグツが破壊された。本当に、発動しなくても戦えるのか……』


 様々な色のクグツが縦横無尽に襲ってくる。

 しかし訓練用と言うだけあり、本物の化物よりもその動きは単調だ。次々に繰り出されるその攻撃を捌きつつ、吹雪は綾廣にたずねた。


「えっと、発動するときはどうすればいいんでしたっけ」

「式器に対し意識を集中し、符号を口にするんだ。そうすれば、その式器は君の意のままだ」

「符号……」


 それは慶次郎により伝えられていた。

 かつて吹雪の父も口にしていたという言葉。絶句兼若の真の姿を現すための口上。


「――雪一片、百鬼を殺す」


 絶句兼若を握る指先に一瞬冷感が走った。

 直後、まるで霜が貼り付いていくように、根元から切っ先までが青白く染まっていく。


「なっ……」


 吹雪はその変化に驚きつつも、隙を突いてクグツに斬りかかった。

 大きく振り上げられた獣の左腕。その肩から腰までを、一思いに袈裟懸けに斬る。

 直後――その傷口が白く染まった。

 迸った血飛沫が凍り付き、赤い結晶と化して黒い床に散った。


「凍った……!」


 驚愕しつつも吹雪は身を翻し、背後に迫っていたクグツの一撃を避けた。

 獣の手が床に叩き付けられる。

 吹雪は即座にクグツの後ろに回り、クグツの首めがけて絶句兼若を振り下ろした。

 ごとりと音を立てて犬に似た頭部が床に転がる。

 その傷は先ほどとは違って凍結せず、頸部から噴き出した血は一瞬で塵に姿を変える。


「……なるほど、本当に意のままに動かせるのですね」


 塵と化していくクグツを前に、吹雪はうなずく。

 休む間もなく、怒濤の如くクグツが襲ってきた。

 吹雪は即座に絶句兼若を構え直し、最初の一体の腕を叩き切った。

 悲鳴とともによろめいたクグツをすれ違いざまに両断。続く二体目、三体目も切り捨てる。

 そして最後のクグツ。

 がむしゃらな突進をギリギリのところで躱したところで、吹雪の脳内に閃きが走った。

 その発想のままに姿勢を整え、刃を地面と水平に構え――。


「ふっ――!」


 踏み出しとともに突き出す。

 しかし直前クグツが振り返り、わめき声とともに腕を振り回した。吹雪の太刀はその掌を貫通したところで止まり、それを真っ白に凍結させる。

 クグツの手が音を立ててひび割れる。

 吹雪は小さくため息を吐いた。


「……あと一歩、といったところですね」


 そしてぐっと足に力を込め、クグツの腹に渾身の蹴りを叩き込む。よろめくクグツの手から絶句兼若を引き抜き、身を翻しながらその首めがけて一閃。


「――六の太刀【つむじ】」


 遠心力を上乗せした破魔の剣。

 クグツの首が刎ね飛び、遅れてその胴体がどうっと音を立てて床に倒れ込んだ。

 ふっと息を吐いた吹雪の耳に、小さな拍手の音が届く。


『……すごいな、侮った。なんだかもうすでに化物を倒すプロって感じだ』

「いえ、それほどまででも……これくらいは普通でしょう」

『いや普通じゃないよ。君くらいの歳の子ってたいてい女学校行ってたり、化物とかと関係ない仕事してたりするものだよ?』

「……それは、そうですねぇ」


 綾廣の言葉に、吹雪は微妙な顔で相づちを打つ。

 確かに自分は同じ歳の少女と比べれば、異質な育ち方をしていると思う。かつて通っていた女学校で、吹雪は常に浮いた存在だった。

 だが――吹雪は肩をすくめ、絶句兼若の峰をそっと撫でた。


「まぁ、私は父の期待に応えられればそれで良いので」

『お父さんはどんな期待をしてるんだ……』

「単純ですよ。『強くあるように』そして『剣を使えるように』です。まぁ、私も色々勉強中ですが。――ところで、あと二、三体ほどクグツを出していただけますか?」

『えぇ!?』


 吹雪の頼みに、スピーカーの向こうで綾廣が驚く。


『そろそろ休憩した方が良くないか? なんせ、今回が初めての発動だ。結構霊力を消費して疲れていると思うよ』

「えぇ。ですから、あと何体か倒してから休みます。早く式器の感覚を掴みたいのですよ」

『……大丈夫なのかな?』


 声のトーンを落とし、念を押すように綾廣がたずねてくる。

 吹雪は制御室を見上げ、にこりと笑って見せた。


「えぇ。――早く、皆さんの役に立ちたいんです」

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