その二.紅梅社中

 それからしばらくして、吹雪は自動車の補助席にちんまりと収まっていた。

 ハンドルを握る男がくすっと笑う。


「――いやー、ツイてるなー」

「こら綾廣、鼻の下伸ばしてんじゃないよ。黙って運転する」


 時久とともに後部座席に座る夕子が、運転手を叱った。


「だってさー、こんな遅くにまさかこんな可愛い子に会えるなんて! ――ねえ、吹雪ちゃんって言ったよね? どこから来たんだい?」

「あ、北陸です。石川県」

「あぁ! あの……えー、おわら節とか有名だよねぇ!」

「何言ってんだい、それ富山だろ。知ったかぶりするんじゃないよ」

「いって――富山だっけか? あっはっは、ごめんねー!」


 夕子に頭をはたかれつつ、運転手は明るい声で笑う。

 目尻の垂れた紅茶色の瞳と、白く輝く歯が印象的な美男子だった。クセのある茶髪を中途半端に伸ばして束ねている。やや着崩した制服がいかにも優男風だ。

 さすがに時久に比べれば細身だが、それでもしっかりと鍛えられた体格をしている。


「オレは一色綾廣いっしきあやひろ。生まれも育ちも帝都さ。趣味はテニスとバイオリン。あと映画を見に行くことかな。歳は――あ、吹雪ちゃんいくつ?」

「あ、十七歳です」


 怒濤のような自己紹介に思わず気圧されていた吹雪は慌てて答える。

 すると綾廣は口笛を吹いた。


「オレ二十二! いいねぇ五歳差だ!」

「……ごめんねぇ吹雪ちゃん。そいつ鬱陶しいだろ。今からでもアタシと席代わるかい?」

「い、いえ、大丈夫です」


 気遣わしげな夕子の言葉に、吹雪は慌てて首を横に振る。

 さすがに今から席を替わるとなると、他の三人に負担を掛けてしまう。

 それに――ちらと吹雪はミラー越しに時久の方をうかがう。時久は腕組みをしたまま、じっと両目を閉じて座っていた。


「もー、あねさんったらひどいなぁ。それにこの席順は吹雪ちゃんにとってベストなんだよ」

「え……わ、私ですか?」


 綾廣の言葉に吹雪ははっと我に返った。

 信号待ちをしながら、綾廣は吹雪にウィンクを飛ばしてくる。


「そうそう、聞いた話じゃさ。吹雪ちゃん、御堂と斬り合いになったんだろ? だったら隣同士になったりしたら気まずいじゃん。なぁ、御堂もそう思わないか?」

「……俺を引き合いに出すな」


 眠っているかのように見えた時久が唸るように答えた。

 綾廣はへラッと笑い、アクセルを踏む。


「でも事実だろ? それに今から席を替わっても――っと、さぁ皆さん到着ですよー」


 自動車は頑丈そうな鉄の門を潜り抜けた。礼をする守衛に軽く手を振りつつ、綾廣は自動車をレンガ造りの建物の前で止める。

 先に下りた綾廣がうやうやしくドアを開け、吹雪に手をさしのべる。


「さ、どうぞお姫様」

「う、うん? ありがとうございます……」


 戸惑いつつも綾廣の手を取り、吹雪は自動車から降りた。

 辺りを見回してみると、その敷地はわりかし広い。正面には大きなレンガ造りの建物があり、その側にもいくつか小さな施設があるように見えた。


「あーい、今帰ったよー」


 気の抜けた声とともに、夕子が仰々しい玄関の扉を開ける。大人三人の背中について、吹雪はそろそろと社屋の中に足を踏み入れた。

 目の前に広がるのは、こじんまりとした玄関ホールだ。

 左右に廊下が伸び、正面奥には緩やかな弧を描いて上へと伸びる階段が見える。

 その階段の脇で、洋装の少女がせっせと台車に荷物を積んでいた。


「あ! おかえりなさい、夕子さん! 皆さんも!」


 少女が振り返り、ぱっと表情を明るくした。

 小柄な体をしゃれたブラウスと赤いスカートに包んでいる。肩まで伸びた髪に赤いカチューシャを合わせ、どことなくハイカラな印象だった。

 ただ、その腰の部分を見て吹雪はわずかに目を見開いた。


「鞭……?」


 猛獣使いが使うような革の鞭が二つ、少女のベルトに固定されている。

 吹雪が驚いている間に、夕子が少女に声を掛けた。


「ワンコ! そんなところで何してるんだい?」

「年越しに向けて色々準備をしているんですよ。わたしと、あと十真とおまさんと、小町こまちさんと……えーと……ともかく、今暇してる人達で!」

「と、年越しぃ?」

「はい! クリスマスとか大晦日の準備です。あ、お正月のもこの通り!」


 洋装の少女は箱の中から小さなしめ縄飾りを取り出してみせる。

 夕子が困惑した様子で頭を掻いた。


「……もうそんな時期だっけ?」

「そういう時期さ、姐さん――にしても、今年はいつもに比べて荷物が多いような?」

「あ、はい。社長さんが今年はもう少し派手めにやるって」


 台車の荷物を前に首をかしげる綾廣に対し、洋装の少女が答えた。

 すると、時久が眉間の皺を深くする。


「いくらなんでもたるんでいないか? 年々派手になっていっているぞ」

「まーまー、怖い顔すんなよ御堂。こういう息抜きも大切さ」

「む……しかし……」


 綾廣に軽く肩を叩かれ、時久は不服そうに唸る。

 その様子に洋装の少女は少し困ったように笑い、次いで吹雪に視線を移した。


「あの、ところでさっきから気になってたんですが、その子は――?」

「あ、えっと――」


 急に水を向けられ、吹雪は慌てて姿勢を正す。

 しかし吹雪が名乗るよりも早く、夕子がサチに答えた。


「ああ、おやっさんに会わせようと思ってね。――吹雪ちゃん、こっちは犬槙いぬまきサチ。アタシの後輩さ。吹雪ちゃんと同じ十七歳」

「え、同い年なんですか!?」


 途端、サチの表情がパッと明るくなる。

 しめ縄飾りを箱の中に放り込み、転がりそうな勢いで吹雪の元に駆け寄ってきた。


「こんばんはー、犬槙サチです! 気軽にワンコって呼んでね!」

「あ、遠峰吹雪と申します。不束者ふつつかものですがよろしくお願いいたします……犬槙、さん?」


 その勢いに尻込みしつつ、吹雪はなんとか笑顔で握手する。

 すると吹雪の手をぶんぶんと振りつつ、サチは激しく首を横に振った。


「いや『ワンコ』でいいから! そんなかしこまらなくてもいいんだよ!」

「え、え、いやそんな……」


 初対面の、それも同年代の人間にここまで情熱的に迫られるのは初めてだ。

 吹雪は対応に困り、しどろもどろになってしまう。


「こらワンコ、そんな初対面の人に一気に距離詰めるんじゃないの」

「あいたっ!」


 見かねた夕子がサチの頭を軽くはたいた。

 するとサチは一気にしょんぼりとした様子になり、肩を落とした。


「ご、ごめんなさい……わたし、あんまり同世代の女の子と喋ったことなくって……」

「いえお気になさらず――えーと、ワンコさん」

「あ……はい!」


 恐る恐る吹雪があだ名で呼んでみると、サチは一気に笑顔になった。嬉しそうに何度もうなずく様子はあだ名の通り人懐っこい子犬のようだ。

 そんなほのぼのとしたことを吹雪が考えていると、綾廣がサチに問いかけた。


「ワンコちゃん、おやっさんは事務所にいるかな?」

「社長さんでしたら休憩室にいますよ。呼びに行ってきましょうか?」

「おぉうサンキュ! オレ達は応接間にいるからね」

「お任せ下さい! すぐ呼んできます!」

「あー、ワンコ! そんな走らなくても良いから――」

「ふぎゃ!」


 夕子が注意するよりも早く、サチは顔面から転んだ。

 しかしすぐに体勢を立て直し、振り返ったサチはぐっと親指を立ててみせる。


「っ……すぐッ、戻るんで……っく」

「大ダメージじゃないかい! 急がなくて良いからゆっくりいきな!」

「はい……っく」


 涙目のサチはそろそろと――しかしやや急ぎ足で廊下の曲がり角に消えた。

 夕子が小さく咳払いする。


「……悪いね。ちょっとそそっかしい子でね」

「いえ、そんな――あの、ワンコさんですけど、あの方も関係者なのですか?」

「ああ、そうさ。ワンコも、アタシらの仲間だよ」

「……ああ見えてなかなか侮れん」


 時久は言って、サチが歩いていった曲がり角から視線をそらした。

 サチが腰に提げていた鞭を吹雪は思い出す。彼女もまた、自分と同じくなにかしらの武術を身につけているのかもしれない。

 程なくして、吹雪は社屋の一階にある応接間に通された。


「ちょいと待ってておくれよ。今お茶出すから」

「あ、お構いなく……」


 夕子に声を掛けられ、吹雪は身を縮める。

 花の形をしたランプといい、床に敷き詰められた絨毯と言い、洋風の――しかも高そうなモノばかりでいまいち落ち着かない。

 しかも重厚そうなテーブルを挟んで向こう側の椅子には、時久が座っている。

 テーブルの上にあの野太刀をおいているため、威圧感倍増だ。

 その射貫くような視線から逃れるように、吹雪はひたすら自分の靴を見つめ続けていた。


「姐さん姐さん、玉露発見!」

「出しちまいな。こんな時くらいしか使わないし。おやっさん秘蔵の菓子も出しちまおう」

「いえ、本当にお構いなく!」


 しかし意味はなく、数分後には吹雪の前に茶と羊羹ようかんが用意された。

 手を付けないのも失礼なため、吹雪は湯気を立てる茶にそろそろと口を付ける。

 その間、他の三人はしばらく思い思いに過ごしていた。

 暖炉の側に立つ夕子は手近にあった冊子を暇そうにめくり、吹雪の隣に座る綾廣はじっくりと羊羹を堪能し、向かいに座る時久は相変わらずじっと吹雪を睨んでいる。

 居心地が非常に悪い。

 吹雪は気を紛らわそうと羊羹に手を伸ばした。

 しかしちょうどその時、応接間のドアが音を立てて開く。


「おうおう……そこに見えるのはおれの羊羹じゃねぇか」


 野太い声とともに、大柄な壮年の男が入ってくる。

 たてがみのような灰色の髪。右目に着けた黒い眼帯が物々しい。時久よりもやや背が低いが筋骨隆々としていて、グレーのスーツが窮屈そうに見えた。

 綾廣がにっと笑って、自分の分の羊羹を載せた皿を軽く持ち上げてみせる。


「美味しくいただいておりますー」

「この野郎……なんのためにおれが隠したと思ってんだ」

「かみさんに隠れて高い菓子食ってるのがバレたらヤバイから以外に理由があるのかい?」


 呆れたように言って、夕子が冊子をぱちんと閉じる。

 眼帯の男は不機嫌そうに舌打ちして、ドアを後ろ手で閉めた。


「ねぇに決まってんだろ。チッ……今月の楽しみが」


 どうも目の前にある羊羹は、眼帯の男にとって大事なもののようだ。

 吹雪はやや申し訳ない思いになって、羊羹に伸ばしかけていた手を引っ込める。

 しかし、テーブルに近づいてきた男は首を振った。


「いや、気にすんな嬢ちゃん。ひと思いに食っちまってくれ」

「え、えっと……」

「いいから食っちまえ。おれの供養だと思って食ってくれ」

「フン、なにが供養だ。貴様には縁遠い言葉だろう」


 時久が鼻を鳴らす。

 すると眼帯の男はにやりと笑った。


「ははっ、どうだかな。おっさん不健康だからな。――とと、本題に入ろうか」


 眼帯の男は時久の隣の席にどっかりと座った。空の湯飲みと急須を引き寄せ、荒っぽい所作で湯飲みにじゃぶじゃぶと茶を注ぐ。


「おれをこの嬢ちゃんに会わせたかったらしいな。どうかしたのか?」

「あぁ、そうさ。さっきこの三人で浅草近くの例の場所、見回ってたんだけどね、そこに現れた化物をこの子が――」

「一撃で殺した」


 重々しい口調で、時久が夕子の言葉を継いだ。

 眼帯の男はぐびりと茶を飲んだ。


「ほう?」

「式器も使わず――だ。正確には式器を使ってはいるのだが、夕子の【眼】によれば休眠状態にある。故にその機能を発揮していない」

「ふん……どっかで聞いた事のある話だな」

「何?」


 時久は眉をひそめる。

 眼帯の男は身を乗り出し、吹雪をじっと見た。


「嬢ちゃん、名前は?」

「あ……遠峰吹雪と申します」

「念のため、だが。嬢ちゃんの親父の名前は?」

遠峰八雲とおみねやくもですけど……あの、父がなにか?」


 何故父の名前を聞くのか理解できず、吹雪は首をかしげる。

 すると眼帯の男は額をぱんっと叩いた。


「……ははっ、こいつぁ傑作だな」

「おやっさん、もしかして吹雪ちゃんのお父さん知ってるのかい?」


 綾廣が身を乗り出す。

 肩を震わせて笑いながら、眼帯の男はうなずく。


「知ってるもなにも……腐れ縁だ。巫覡庁で雑用やってた頃の同期だよ」

「えっ、父が……?」


 この会社と繋がりがあったなどと、父からは今まで聞いたことがなかった。

 困惑する吹雪に、眼帯の男は笑いながら名乗る。


「おれは紅梅社中社長、武藤慶次郎だ。おれの名前、八雲から聞いた事はねぇか?」

「武藤、さん……?」


 その名前に、吹雪は目を見開く。

 それは確かに帝都へと旅立つ前、父から伝えられた名前だった。


「父が、帝都に着いたら貴方を頼るようにと」

「八雲がそんなこと言ったのか……はっはっは!」

「おやっさん! 話が進まないじゃないか!」


 ついに大笑いしだした慶次郎を夕子が咎める。

 慶次郎は目元の涙を拭い、「悪ぃな」と夕子に向かって軽く手を上げた。


「しかし、こいつぁ面白ぇ。まさか、あの朴念仁がガキをこさえてたとはな……というか、あいつに子育てが出来る事自体が驚きだ。嬢ちゃん、一人っ子か?」

「いえ、双子の兄がいます」

「ほぉー、双子か。そいつぁいいな」


 慶次郎はごくりと茶を飲んだ。

 そしてまるで天気の具合でもたずねるかのような調子で、吹雪に問いかけた。


「そのあんちゃんも、化物を一撃で倒せるんだろ?」

「は……?」

「なっ――!」


 その問いに、吹雪と慶次郎以外の三人は一気に表情を変えた。

 吹雪は戸惑いつつ、こくりとうなずく。


「え、えぇ……兄も、私と同じようによく化物退治に駆り出されていました」

「そんな無茶苦茶な……」


 綾廣は絶句し、夕子は信じられないという様子で口元を覆った。

 しかし時久は何かに気づいたようで、隣で茶を啜る慶次郎に鋭い視線を送った。


「社長、まさかこの小娘は――」

「わかったか、トキ。こいつぁ馬鹿みてぇに単純な話なんだよ」


 慶次郎は空になった湯飲みをテーブルに置く。

 湯飲みの縁をなぞりながら、慶次郎は低い声で語りだした。


「稀にいるんだよ、【化物を殺す】力をもった奴が。――かつて北陸随一の鬼切りと言われた遠峰家は、そんな物騒な破魔の異能を代々受け継いできた連中だ」

「私が、異能を……?」


 先祖代々で当たり前のように行ってきた事が、実は常人にはない特殊能力によるものだった。

 その事実に混乱し、吹雪は額を押さえる。

 慶次郎はしっかりとうなずき、幾分か柔らかな口調で説明した。


「八雲がどこまで説明しているかはしらねぇがな。化物ってのは本来、なかなか死なねぇんだよ。すぐに再生しちまう。――殺す方法は二通り。再生できなくなるまで破壊するか、あるいは式器を使うか」

「式器……なにか特殊な武器のようなものでしょうか?」

「その通り。化物に対して最も有効的な武器さ」


 吹雪の問いかけに、綾廣がうなずく。


「化物の体の一部を使って作ったモノ、あるいは化物の血を浴び続けているうちに変異するモノ――その種類は様々だ。時久の野太刀も式器だよ」

「この野太刀も、そうなんですか」


 綾廣の言葉を聞き、吹雪はテーブルの上に横たわる野太刀を見る。

 見た目も拵えもほとんど普通の野太刀と変わらない。吹雪は刀についての知識にそこまで自信はないが、絶句兼若に比べれば新しい刀にみえる。


「野太刀ではない……銘は鬼鉄おにがねという」

「あ、そうなんですか」


 なにやらこだわりがあるらしい。

 吹雪はぎこちなくうなずき、視線を慶次郎に戻す。


「それでその……つまり普通の人は、式器を使わなければ化物を殺せないと」

「殺せねぇわけじゃねぇな。ただ恐ろしく手間がかかる。例えば普通の刀で化物を殺そうと思ったら、まず心臓を一突きだけじゃ無理だ」

「え、そうなんですか? 私は今まで心臓を狙ったり、首を狙ったりでなんとか――」


 言いながら、吹雪は双子の兄との戦いを思い出す。

 力を誇示する傾向にある兄は、化物をなぶるような戦い方を好んだ。しかし吹雪はその手間を嫌って、一撃で仕留められるようひたすら急所を狙ったものだ。


「か、かわいい顔して意外とえげつないね……」


 綾廣が青ざめた顔でぎこちなく笑う。


「フン……虫も殺せぬような顔をして、俺の喉笛をまっすぐに狙ってきたからな」

「あ、貴方も私にいきなり斬りかかってきたでしょう!」


 鼻で笑った時久の言葉に、吹雪は思わず噛みついた。

 しかし時久は肩をすくめる。


「状況が状況だ。考えても見ろ、真夜中の、あんな化物がうろついている区画で妙に白い小娘が一人。しかも奇妙な剣の使い手――どう考えても魑魅魍魎の類いだろう」

「断定しないで人間かどうか確認して下さい! 普通どんな馬鹿でもそうするでしょう!」

「紛らわしい場所に紛らわしい奴がいるからいけないのだ!」

「こらこら、二人とも落ち着け」


 怒鳴りあいに発展しつつあった吹雪と時久を、慶次郎が手を広げて止める。その言葉に、今にも自分の得物に手を掛けそうになっていた二人はしぶしぶ身を引いた。

 慶次郎はため息を吐き、顎ひげを撫でる。


「しかし、八雲は俺に嬢ちゃんを任せると言ってきたわけか……」

「はい。――あ、こちらに手紙が……」


 そういえば、父から慶次郎宛に手紙を預かっていた。

 冷静になってようやくその存在を思い出した吹雪は椅子の側に置いていた鞄を探り、折りたたまれた書状を取り出す。

 慶次郎はそれを受け取り、ざっと目を通した。


「……相ッ変わらず、サッパリした素っ気ねぇ文面だなぁオイ」

「なんて書いてあるんだい?」

「嬢ちゃんが言ってることまんまだよ。野暮用ついでに修行として娘を帝都にやることにした。その間、娘を頼むってな」


 夕子に答えつつ、慶次郎はそれを大ざっぱに折り直してテーブルに置いた。

 すると、夕子はいぶかしげに首をひねる。


「野暮用……ってなにさ?」

「ああ、その……先月、兄が家を出てしまって。それを連れ戻しに来たのです」


 兄はいつも無茶ばかりをするが、今回は別格だ。父や吹雪とさんざん切った張ったの大喧嘩をした後で、家を飛び出していってしまった。

 もしかすると、この紅梅社中のメンバーの中に兄を見かけたものがいるかもしれない。

 そう思った吹雪は、鞄から似顔絵を取り出した。


「名前は雷光と言います。こんな感じなんですけれど……どなたか、この顔に見覚えのある方はいらっしゃいますか?」

「……うわっ」


 似顔絵をテーブルの上に置くと、何故か綾廣が息を呑んだ。

 それだけではない。どういうわけか慶次郎が額を押さえ、近づいてきた夕子が不思議な事に口元を覆って絶句する。


「あの……どうなさいました? 皆さん」


 吹雪は戸惑い、テーブルの面々を見回した。

 すると、今までにないレベルで時久が眉を寄せる。


「……なんだ、この……化物は」

「え? いや、人間の絵ですけれども」


 一体なにを言いだすのだろう。吹雪はややむっとして答える。


「これは、その……斬新な絵だね。うん、新しい」

「え、あの」


 綾廣の反応も何かおかしい。吹雪は少し落ち着かなくなってきた。


「……見覚えがあるかどうか以前の話だねぇ」

「な、何故ですか? あ、色を塗っていないから?」


 夕子の言葉についに吹雪は怖くなる。

 似顔絵の出来は改心のもので、父も褒め称えてくれた。問題などあるはずが――。


「色を塗ろうと変わらんわ」


 しかし、そんな吹雪の自信を時久の言葉が打ち崩した。

 時久は似顔絵をコツコツと指先で叩きながら、淡々とこき下ろしていく。


「なんだこれは、タカアシガニか? 腰と思わしき部分には吸盤がびっしりと生えているし、本当になんなんだこの化物は」

「タカアシガニじゃありません! 兄は猫っ毛なので……腰回りのそれはチェーンです!」

「しかも裂けた口から火を噴いている」

「呼吸の表現です!」

「……貴様、本気でこの画力で人捜しをしようと思ったのか?」

「な、なんです失礼ですね! この絵は父からも太鼓判をもらったもので――!」


 どこか哀れむようなまなざしの時久に対し、吹雪は思わず立ち上がる。

 しかし慶次郎が身を乗り出し、その肩を叩いた。


「あのな……嬢ちゃん。嬢ちゃんにはちっと悲しいことを言わなけりゃならねぇが」

「は、はい?」

「……八雲の画才も、世間一般からすると壊滅的なんだわ」


 その言葉がとどめとなった。

 吹雪はがっくりと座り込み、ゆるゆると力なく首を振る。


「そ、そんな馬鹿な……父の絵は、それは立派なもので……」

「俺からするとな……人間がちゃんと人の形してるあたり、嬢ちゃんのが画力上だ」

「そ、そこまでひどい絵なのか……」


 綾廣の言葉に、吹雪は頭を抱え込む。

 慶次郎は制服のポケットから棒付きキャンディーを一本取り出し、口にくわえた。


「あんちゃんの写真かなんかは、ねぇのか?」

「……ここ最近のものはありません」

「そうかぁ……そいつぁ大変だな。少なくとも、その絵で探すのは骨が折れるぜ」

「なんとか、地道に探します……」

「――そこで、だ。嬢ちゃん、うちで働かねぇか?」

「え……?」


 思わぬ言葉に吹雪は顔を上げる。

 それは綾廣も同じだったようで、驚いたように目を見開いた。


「おやっさん、いいのかい? 急な話になってしまうけど――」

「昔からのダチの頼みだからな。それに……夕子もトキも、そのつもりで嬢ちゃんをここに連れてきたんだろ」

「役立つかと思ったから連れてきた。それだけだ」

「……まぁ、吹雪ちゃんの意思次第だけどね」


 時久はふてぶてしく答え、夕子はやや曖昧に肩をすくめた。


「八雲も言ってたろ。おれを頼れ――ってな。そしてこれが修行の一環だと」

「は、はい……」


 吹雪はうなずく。

 慶次郎は身を乗り出し、こつこつとテーブルを指先で叩きながら語った。


「夕子や時久から聞いたかもしれねぇが、うちは――紅梅社中はな、退治屋だ。化物退治や呪いの解除なんかをやって飯を食ってるのさ」

「……なるほど。貴方の会社で仕事をすることで、修行になると言うことですね」

「おう。ま、それに働かざる者食うべからずとも言うしな」


 吹雪の言葉に、慶次郎はキャンディーを舐めながらニヤリと笑う。

 そして、その視線は応接間の窓に向けられた。


「……帝都は広い。そして、有象無象がゴチャゴチャと散らかってる魔窟だ。ここで人捜しをするってのはな、生半可な事じゃねぇ」

「えぇ……」


 吹雪もまた、窓の外を見る。

 ここからだと、あの摩天楼の林立する都心の風景は見えない。だがそれでも、その光景は吹雪の脳裏に焼き付いている。


「うちの会社はそこそこ大手でな。仕事の関係でいろんな奴に会うんだよ。そのツテを活かせば、あんちゃんを見つけることもできるかもしれねぇ」

「確かに、そうですね」


 吹雪は相槌を打ち、考える。

 父からは活動資金も渡されているが、それだけでやっていくのは無理がある。なにかしら資金を稼ぐ方法が必要だと、汽車の中でも考えていた。

 そして父からはもう一つ、言いつけられていることがあった。


【雷光だけでなく、帝都で自分の剣のあり方を見つけること】――粉雪の舞う金沢で、父はそう言って吹雪に絶句兼若を授けた。


 父の言葉の真意はわからない。

 だがこの街でなら、父の言ったモノを見いだせるかもしれない。


「……わかりました。兄を見つけるまでの間、貴方の会社で働かせてください」

「良いのか、小娘?」

「時久」


 冷ややかな時久の言葉に、夕子が咎めるように彼の名を呼ぶ。

 しかし時久はそれを無視して言葉を続けた。


「言っておくが、異能だけでどうにかなるほど甘くはないぞ」

「……承知の上です」


 吹雪は真っ向から時久の視線を受け、固い口調で答える。

 二人はしばらく睨み合っていた。しかしやがて、時久は小さくため息を吐いて目をそらす。

 慶次郎がガリッとキャンディを噛み砕く。


「満足したか、トキ」

「……好きにしろ」


 時久は唸るように答え、目を閉じた。

 吹雪はふっと体から力を抜くと、慶次郎に向かって頭を下げる。


「どうぞ、よろしくお願いいたします」

「よし来た。そうと決まれば……と言いたいとこだが、もう夜中だからな。とりあえず諸々の説明は明日にしよう」

「ほ、本当に大丈夫なのかな?」


 綾廣がおずおずといった様子で口を挟む。


「オレ、吹雪ちゃんが実際に化物退治したとこ見てないから、心配なんだけど……」

「あたしらが口を挟む事じゃないよ、綾廣。吹雪ちゃんが決めたことだ」


 たしなめるような夕子の言葉に、慶次郎が「そうだ」とうなずいた。


「それに時久と夕子の目に間違いはねぇだろうし――なにより、あの八雲の娘だからな。期待してるぜ、嬢ちゃん」

「ご期待に添えるよう尽力いたします……」

「はは、そう固くなるなよ。――夕子。寮まで案内してやってくれ」

「あいよ。――じゃ、吹雪ちゃん。ついておいで」

「あ、ありがとうございます」


 吹雪は慌てて荷物をまとめて立ち上がる。

 その時、また時久と目が合った。空気が再び張り詰め、二人の表情が一気に冷え切る。


「……後悔して逃げるなよ、小娘」

「そのような無礼を働くつもりはございません」


 吹雪は冷ややかに笑む。すると時久は小さく鼻を鳴らし、そっぽを向いた。


 ――やはり苦手だ、この男。

 

 反射的に感じた敵意をどうにか鎮めつつ、吹雪は夕子に促されるまま応接間を出た。

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