008・レベルを上げて、物理で殴るのが最強

「いたんですよ!」


「何がです?」


「想力体です! 昼間見かけました!」


 自宅のダイニングテーブルについた七海が、キッチンの中にいる空羽に向かって大声で訴える。


 しかし、それを聞いた空羽の表情は変わらない。七海の方など見ようともせず、夕食の準備を継続しながら、ごく普通の口調で言葉を返してきた。


「そりゃいますよ。想力体は世界中のどこにでもいます。毎日とは言いませんが——そうですね、野良猫と同じくらいの頻度で見かけますよ」


「野良猫?」


「はい。見かけない日もあれば、一日に何度も見かける日もある。そんなところです。溜まり場もありますよ」


「そういうもの、ですか?」


「そういうものです。見たくらいで騒いでいたら身が持ちませんよ」


「う~ん、空羽さんが言うならそうなんでしょうけど……でも、やっぱり気になります。少なくともあれは、野良ではなかったと思いますから」


「と言うと?」


「想力師らしき人と一緒でした。しかもその人、声優みたいで」


「へぇ」


 ここでようやく七海の方に顔を向ける空羽。少しはこの話題に興味を持ってくれたようである。


「その声優さんと面識は?」


「ありません。一緒に仕事をしたことはないはずです。と言うか、あの人はまだデビューしてないと思いますよ。聞いたことのない声でしたから」


 ここは自信を持って断言する七海。すれ違いざまに挨拶をされるまで下を向いていたので顔はほとんど見えなかったが、声は聞けた。


 七海は、一度でも耳にした声優の声は忘れない。どんなモブキャラの声でもだ。そして、ここ数年の新番アニメはすべてチェックしている。


「想力体はどんなでした?」


「蟲、だと思います。蟲の想力体」


「それだけじゃちょっと……」


「蟲を模した想力体がどれだけいると思ってる。何か特徴を言え。その想力体の名前が特定できるような特徴を」


 七海の漠然とした回答を聞き、苦笑いを浮かべる空羽。そんな空羽を助けるように、隣の席の背凭れを陣取っていたアモンが、七海に補足説明を求めてくる。


「そう言われても、すれ違いざまにちらっと見ただけなので……」


 想力体の姿は、視界の隅に少し写っただけで、見えたのは蟲のものと思しき外骨格と、半透明の羽だけである。七海としても、これ以上の説明はできない。


「デカラビア」


 七海に聞くのは無駄と判断したのか、デカラビアの名前を呼ぶ空羽。すると、七海の左側頭部、髪飾りの内側から、デカラビアの声が聞こえてくる。


「ごめん……死角だった……私も……姿は見ていない……」


「そっか」


「でも……」


「でも?」


「かなりの大物……だと思う……」


 夕食を準備する空羽の手が止まった。アモンも「ほう」と呟き、目を細める。


「かなり強い想力体なのは……間違いない……擦れ違っただけで……わかるくらい……」


「お前にそこまで言わせる相手か」


 興味深げに言うアモン。


「デカラビア。まさかとは思うけど、ソロモン七十二柱じゃないよね?」


「それはない……もしそうなら……同じカテゴリーの私が……気づかないはずがない……」


「だよね。それじゃあ、その想力体から他に何か感じた? 殺気とかさ」


「感じなかった……感じてたら……七海の頭でまったりなんてしていない……」


 空羽の問いに、言葉通りまったりと、力の抜けたような声で応じるデカラビア。心なしか寝むそうにも聞こえる。


 そんなデカラビアに対し、七海は困ったような顔で口を開く。


「あの、デカラビアさん。いつまでその中にいるつもりですか? もう器から出てもいいんじゃ?」


「ここ……なんだか落ち着く……私、ずっとここにいられる……」


 デカラビアの言葉を聞いた後で、七海は諦めの溜息を吐いた。


 デカラビアは器から出る気がないらしい。自分をモチーフにつくられた器、その中の居心地が良いのか、それとも、七海の頭に引っついているのが気にいったのか、あるいはその両方か。


 思えば、アモンも一度として器から出ていない。となれば、日がな一日器の中で過ごすのは、想力体にとってはごく普通のことなのだろう。


「それにしても、器にも入れず、素の状態のまま想力体を連れ歩くなんて、その声優さんはいったい何を考えてるんですかね?」


「器に入るのを拒否しているのは想力体の方かもしれんぞ? 自身とその契約者の安全よりも、己の力を誇示することを優先する。そんなふうに考える想力体は少なくない」


 空羽は難しい顔で首を捻り、アモンは変わらない口調でこう言った。


「それで、空羽さん。私はどうしたらいいんでしょう?」


「現状維持。触らぬ神に祟り無し」


 空羽はそう言いながら手を動かし、夕食作りを再開する。


「七海さんから動く必要はありません。こちらから接触する理由も、意味もない。七海さんとしても、近日中にその声優さんと顔を合わせるような予定はないのでしょう?」


「あ、はい。そんな予定はありません」


 今日のオーディションで、あの声優が何かしらの役に合格したとしても、顔を合わせるのは『天使のホイッスル』のアフレコが本格的に始まってからだ。まだまだ先の話である。


「なら、七海さんにはもっと優先すべきことがあるはずです。素性の知れない想力体と、想力師を気にしている場合じゃないでしょう?」


「おっしゃる通りで」


 今の七海が真っ先に気にするべきことは、自分自身がいかにして生き残るかである。空羽の言う通り、素性の知れない想力体と、想力師を気にしている場合ではない。


「まあ、なにはともあれ腹ごしらえです。もうすぐできますので、食器を出していただけますか? 今日のメニューは――」


「カレーですよね。匂いでわかりますよ」


 空羽の言葉を待たず、メニューを言い当てる七海。次いで席を立ち、食器棚からカレー皿を取り出した。



     ●



「つまりですね七海さん。想力行使のプロセスは、映写機と同じなんです。想力師は、イメージというフィルムに、想力という光を当て、世界というスクリーンに投影することで、想像を具現化しています。想力はある程度纏まった量がないと意味を成さない。この点もこれで説明できますね。光が弱ければ影はできませんから」


「ふむふむ、ということは、映写機の電源……つまりは、想力師の意識が途絶えれば、投影されているイメージも——」


「そう、消えるんです。ですので、寝込みは想力師にとって、最も警戒すべき時間な訳ですね。襲わないでくださいよ、七海さん」


「襲いませんよ! それはむしろこちらのセリフです!」


「はは、ですよね」


 夕食の後、七海は想力に関する追加説明を空羽から聞いていた。


 ダイニングテーブルを挟んで向かい合う七海と空羽。デカラビアは相変わらず髪飾りの中で、アモンはニュース番組を映すテレビの前に陣取り、二人の様子を横目で眺めている。


 当初七海は、食後のトークで空羽に心地よい時間を与え、自分は空羽にとって有益な人間であるとアモンにアピールするつもりであったのだが、共通の話題が想力に関係するものしかないため、いつしか七海が想力についての質問をし、それに空羽が答えるという流れが自然とできてしまった。


 「ラジオ番組で鍛えたトークを見せてやる!」と意気込んでいた七海であったが、目論見は見事に空振り。軌道修正もできそうになく、もうこの流れでいってしまえと、七海は会話を続けた。


「そもそも、寝込みを襲うにしたって、私と空羽さんじゃ身体能力に差がありすぎます。襲っても返り討ちに遭うのが関の山じゃないですか」


 想力師の意識が途絶えれば、具現化されているイメージも消える。つまりは、契約した想力師に肉体を具現化してもらっている想力体、デカラビア、アモンの両名も、空羽の睡眠中は実態を失い、その力を行使できなくなる訳だが、たとえ一対一であっても、素手であの殺人鬼を圧倒する空羽に、七海が勝てるはずもない。


「地面に大穴を開けるような人間に襲い掛かるほど、私は命知らずじゃないですよ~だ」


 七海が不満げにこう言うと、空羽はすぐに言葉を返し、七海の誤った認識を指摘する。


「七海さん、それは間違いです。あの身体能力は想力によるもの。本来の僕の身体能力は、普通の人間となんら変わりません。まあ、それなりに鍛えてはいるので、同年代の男子に比べれば、幾分か高いとは思いますけど」


「ふえ? 空羽さんて、素の状態であの強さじゃないんですか?」


「どこの改造人間ですか僕は……あれは、自身の肉体をスクリーンにして、その上に強い自分を投影、具現化しているんです。僕自身を、一時的に想力体にしているんですよ」


「はあ、なるほど。それであの身体能力ですか……でも、それならもっとわかりやすくした方がいいんじゃないですか?」


「と言うと?」


「想力で強い自分を具現化しているなら、姿形は自由自在じゃないですか。だったらほら、アニメや特撮の変身ヒーローみたいな感じに」


 正体も隠せて一石二鳥と思い、七海は言ったのだが——


「弱くなるので嫌です」


 空羽は、夢も希望もない言葉を返してきた。


 デビュー作が『魔法洋菓子職人シュガー』という、いわゆる魔法少女もので、変身ヒーローには一家言を持っている七海としては、聞き捨てならない言葉である。さすがに表情が引き攣った。


「空羽さんは今、全国の変身ヒーローファンを敵に回しましたよ」


「いやいや、それは誤解です七海さん。僕は変身ヒーローを馬鹿にしている訳じゃありません。これは、想力の性質上仕方のないことなんです」


 空羽はここで言葉を区切ると、カレーを食べるのに使ったスプーンを教鞭のように振るい、次のように言葉を続ける。


「七海さん、今朝のおさらいです。空想上の存在が想力体になるのに必要な条件は?」


「高い知名度によって、多くの想力を獲得し、自我を確立すること——ですよね?」


「はい正解。自我の確立、それが想力体の第一条件です。逆に言えば、自我のない想力構成物は、想力体とは言わないのです」


「それはなぜ?」


「我思う、故に我あり、とでも言いましょうか、自我を持たない想力構成物は、自我を持つ想力構成物、つまりは想力体と比べて、弱く、脆いのです。これは、自我と肉体にズレがあっても同じことが起きます。七海さんが言うところの変身ヒーローに近しいことは確かに可能ですが、どんなに強い肉体を具現化しても、自我と肉体が一致しない限り、その肉体の性能は著しく劣化します。そして、僕たち想力師は、他者の自我、魂、心などを具現化することはできません。用意できる自我は生まれ持った自前のモノ、ただ一つ。僕は門条空羽です。適合し、十全に動かせるのは、門条空羽の体だけ」


「想像を具現化するのが想力師。逆に言えば、想像できないモノは具現化できないってことですね?」


「その通りです。他者の自我なんて、想像のしようがありませんから」


 空羽の口から語られる、想力についての更なる情報。それらを事前情報に加味しつつ、七海は次の質問をした。


「なら、仮に空羽さんが全力で具現化した剣と、同じく空羽さんが全力で具現化した自身の肉体がぶつかった場合、勝つのは——」


「僕の肉体の方が勝ちますね。武器には自我がありませんから」


「となると、RPGの召喚獣みたいな攻撃方法も——」


「弱いですね。見た目が強そうでも、具現化した怪物に自我が無い以上、中身がスカスカの木偶人形でしかありません。強化された自身の肉体を具現化しての肉弾戦こそが、想力師最強のスタイルです」


「レベルを上げて、物理で殴るのが最強かぁ」


 七海のこの言葉に「その解釈でかまいませんよ」と頷く空羽。そんな空羽を見つめながら、七海は次の質問をする。


「実際のところ、空羽さんは想力師としてどの程度の実力なんです?」


 今だ幼さ残るこの少年。アモン、デカラビアという、二柱の悪魔から絶大なる支持を受ける想力師、門条空羽。その実力は、いったいどれほどのモノなのだろう?


 七海の無遠慮ともとれるこの質問に、空羽は不敵な笑みを浮かべた。次いで、絶対の自信を感じさせる声でこう断言する。


「最強です。僕より強い想力師は、この世界に存在しません」


 呆れを通り越して感心するほどに清々しく、迷いのない発言だった。しかし、こうもはっきり最強宣言されると反応に困る。


 七海が言葉を返さずに固まっていると——


「今、傲岸不遜で鼻もちならない奴って思ってます?」


 先程と打って変わって、歳相応の少し不安げな表情で空羽が尋ねてきた。七海は慌てて口を開く。


「い、いえいえ! そんなまさか! ただ、ずいぶん自信満々に言い切るな~とは思いましたけど」


「その自信が大事なんです。想力師は想像、イメージを具現化して戦います。戦闘時は負けることを考えてはいけません。負けをイメージした瞬間、自陣営の敗北が確定します。どんな相手だろうと必ず勝つという気概の元、相手が天地創世の神だろうが、地獄を統べる魔王だろうが、僕のほうが格上なんだぞって、見下しながら戦うのがコツです」


「神様を見下すんですか!?」


「はい。というか、もう何度も戦っていますし、勝ってます。アモンたちと一緒に」


「負けたことは?」


「一度もありません。一度負ければ死にかねない世界です。そういう世界に、僕は生きています」


 一度負ければ死にかねない。この言葉に七海は生唾を飲んだ。空羽が生きる世界の過酷さと、自分自身がその過酷な世界に片足を突っ込んでいるという事実に物怖じしてしまった。


 顔を強張らせ、冷や汗を浮かべる七海。そんな七海に気を使ったのか、空羽は再び笑い、こう告げる。


「大丈夫ですよ、七海さん。神だろうが悪魔だろうが、恐れる必要はありません」


「……なぜです?」


「想力体は、突き詰めれば人間の空想の産物です。故に、人知を超えた力も、全知全能もありえない。どんな想力体も、その力は人間の想像の範囲内に収まります。なら、同じ力を使えば勝てるのが道理。想い次第で、人は神も悪魔も超えられます」


 神も悪魔も恐れない。人は神も悪魔も超えられる。空羽はそう言い切った。そして、その言葉には一切の偽証はない。あるのはやはり、絶対の自信のみ。


 空羽の声には絶対の自信が常にある。歴史に名を残す英雄や、時の王者たちも、きっとこんな声をしていたに違いない。そんなことを考えていると、七海の中の恐怖はいつの間にか消えていた。


 最強の想力師を自称する空羽。そして、それは決して大言壮語ではないのだと、七海は悟った。


 先程までの話が真実なら、己が自信は想力師としての実力に直結する。自分こそが最強だと信じて疑わない空羽は、想力師としてさぞ強いことだろう。そして、その常に最強であろうとする彼の姿が、アモンたち想力体からの支持に繋がるのだ。


「想力師として一流で、料理もできるなんて、空羽さんは多才ですね。憧れちゃいます」


 生まれた時代が時代なら、彼は歴史に名を残す英傑になっていたかもしれない。七海は本気でそう思い、言葉を紡いだ。すると、空羽は浮かべていた不敵な笑みを、困ったような笑顔へと変化させる。


「どれもこれも、生きるためにと足掻いていたら、いつの間にかできるようになっていただけですよ。想力師としての実力は生死に直結しますし、料理は一人暮らしの貧乏学生が生活水準を向上させようと思えば必須スキルです。自然と上達しますよ」


「おいおい空羽、一人じゃないだろ?」


「そうだよ……私たちがいる……」


 二人の会話に聞き耳を立てていた二柱が、揃って不満の声を上げた。空羽の一人暮らし発言が、どうにも我慢ならなかったらしい。


「ああ、ごめんごめん。おおやけには一人暮らしってことになってるから、つい」


 素直に謝罪し、自身の誤りを認める空羽。そんな空羽とアモンたちのやり取りを見つめていると、ある疑問が浮かび上がってくる。その疑問を明確な言葉に変えて、七海は空羽に投げかけた。


「あの、素朴な疑問なんですが、空羽さんのご家族は?」


「家族ですか? 沢山いますよ。アモン、デカラビア、それから——」


「いえ、そうではなく。血の繋がった人間のご家族は?」


 七海がこの言葉を発した瞬間、空羽の右手からスプーンが抜け落ちた。その一瞬後、甲高い金属音がダイニングキッチンに響き渡る。


「……」


 完全にその動きを停止する空羽。打てば響くように答えを返してくれた口の動きも、合わせて止まる。


 その姿と、周囲を満たす重苦しい空気から、七海はあることを理解した。


 地雷を踏んだ。間違いない。


 アモンが険悪な視線を七海に向けている。髪飾りの中からは「馬鹿……」という非難の声が聞こえた。


 喉がカラカラになっていくのを感じつつも、七海は空羽を見つめ続ける。視線をそらせば楽になれるかもしれないが、どうしてもそれができない。


 七海が見つめる先で、空羽は大きく深呼吸をした。次いで、フローリングに転がるスプーンに手を伸ばしつつ、言う。


「そっちの家族のことは、話したくありませんね」


 この声に、怒気や殺意の類は含まれていない。だが、それ以外の感情が強く込められていた。


 その感情は、後悔。


 深く、暗い、後悔の念を感じさせる、悲しい声だった。


 七海は胸中で安堵の息を吐いた。地雷は確かに踏んだ。しかし、どうやら爆発はしなかったようである。


 家族の話題には二度と触れない。七海は心の中で、何度も何度もそう復唱した。空羽が抱える強い後悔には少し興味があるが、無遠慮に聞いたら今度こそ地雷は爆発するだろう。地雷はあえて踏んで踏み抜くものだとどこかで聞いたが、そんなのは大ウソだ。地雷は踏んだら死ぬ。死ななくとも一生消えない傷を負う。極力近づかないのが正解だ。


「「……」」


 途切れる会話。ダイニングキッチンに沈黙が満ちる。


 爆発こそしなかったものの、地雷を踏んだときの重苦しい雰囲気は継続中。ゆえに言葉を発することができない。それどころか、アモンの視線が未だに険悪なままなので、七海は凄まじい息苦しさを感じていた。


 このままじゃ窒息死するかも。七海が本気でそう思ったとき——


「七海さん、今度は僕から質問してもいいですか?」


 空羽が真顔で口を開いた。


「ふえ?」


「ですから質問です。僕の方も、七海さんに幾つか聞きたいことがあるので」


「え、ええ、もちろんです! どうぞどうぞ! なんでも聞いてください!」


 慌てて言葉を返す七海。一度言葉を発すると、七海の体は思い出したかのように自然な呼吸を取り戻した。


 助かった。七海はそう胸中で呟き、強張っていた全身から力を抜く。アモンの視線は険悪なままだが、会話をすれば気も紛れるだろう。


「では遠慮なく。七海さんは二年前、一度倒れてますよね?」


「調べたんですか?」


 七海が『劇場版・魔法洋菓子職人シュガー』のアフレコ中に倒れたのは有名な話だ。ネットを開き『御柱七海』で検索すればすぐにわかる。


「ええ。それが原因で、七海さんは仕事の量が制限されていて、病院にも定期的に通っているとか」


「はい」


「大変ですね。どこも悪くないのに病院通いなんて」


「——っ!?」


 なぜそれを!? と、七海は目を見開き、次いで口を動かした。


「どうして空羽さんがそのことを!? 世間的には私は——」


「過労により体を壊し、倒れた。そのときの後遺症が残っており、仕事の量が制限されているとなっていますね。ですが、それは嘘です。アモンが教えてくれました」


「アモンさんが?」


「今朝、アモンが言ってましたよね? 繋がった相手の状態把握くらいは簡単だって」


「あ……」


「よかったですね、七海さん。体は健康そのもの。どこにも異常はないそうですよ」


 ここで七海は黙った。黙ることしかできなかった。


「後遺症は嘘。でも、倒れたのは本当。嘘を吐き、仕事量を制限してまで隠し通す、七海さんが倒れた本当の理由。それを僕は知りたい。よければ教えてくれませんか?」


 七海の目をまっすぐに見つめて、空羽は言う。七海が倒れた本当の理由が知りたいと、彼は言う。


 散々こちらからの質問に答えてもらっていた手前、答えてあげたいと七海は思った。


 しかし、これは、これだけは——


「……すみません。お答えできません」


 ダメだ、言えない。


 あの日、あの時、あの場所で、御柱七海が倒れた理由。これだけは人に知られる訳にはいかない。それを誰かに知られたら、声優・御柱七海が死にかねない。


「そうですか、残念です」


「すみません……」


 心底申し訳なく思いながら、七海は再度謝罪の言葉を口にする。


「気にしないでください、想定内の反応です。それじゃ、次の質問いいですか?」


「どうぞ」


 黙秘権を行使した七海に気分を害した風もなく、次の質問に移る空羽。七海は、今度こそ答えなくちゃと思いつつ、空羽の質問を待った。


「七海さん。あなたは……その、なんで僕と普通に話ができるんですか?」


「ふえ?」


 七海の口から思わず間の抜けた声が漏れる。決意と共に待ちかまえた空羽の質問、その真意がよくわからなかったからだ。


「えっと……それはどういう……?」


「つまりですね、なんで一般人の七海さんが、人殺しの僕と普通に会話できるんですか? ってことです」


「あ~」


 そういうことかと、今度は納得の声を漏らす七海。


「僕は人殺しです。人でなしに分類されるであろう人間です。常日頃から犠牲者を出さないよう心掛けてはいますが、そんなのは努力目標にすぎません。僕は、必要なら誰だって殺しますし、助けられないなら見捨てます。そんな人間と普通に話をして、そんな人間が作った料理を平然と食べるなんて……その、おかしいですよ」


 この言葉には、強い興味と、ほんの僅かに恐怖の感情が込められていた。要するに「僕のこと、怖くないんですか?」と、空羽は言いたいのである。


 結論としては、七海は空羽のことが怖くない。七海が空羽のことを怖いと感じたのは、殺されかけたあのときだけだ。


 しかし、その理由も口にすることはできない。なぜなら——


「す、すみません。先程とまったく同じ理由でお答えできません……」


 そう、七海が空羽を恐れない理由は、七海が倒れた理由に直結してしまう。ゆえに言えない


「倒れた理由と同じ、ですか?」


「はい、同じ理由です。でも、信じてください。理由は言えませんけど、私、空羽さんのこと、怖くないです。平気です」


「ふむ」


 空羽は右手のスプーンを揺らしながら、考えごとをするかのように目を閉じた。


 ほどなくして——


「それじゃ、こんなのどうですか?」


 目と共に口を開き、空羽はある取引を七海に持ち掛ける。


「七海さん、僕と等価交換をしませんか?」


「等価交換?」


「はい。秘密と秘密の等価交換です。もし、七海さんが先程の質問に答えてくれるなら……僕も、僕の家族のことをお話しましょう」


「……え? ……ええ!?」


「空羽!?」


 デカラビア、アモンの順に、驚愕の声を上げた。どうやらこの二柱にとって、空羽のこの提案は信じがたいことらしい。


「どうです?」


 意味深な笑みを浮かべて、七海に回答を促す空羽。


 悩む七海。自らの秘密と、空羽の秘密。その二つを胸中で天秤にかける。


 そして——


「等価交換、ですか。面白いですね、いいですよ」


 七海も、空羽と同じように意味深に笑い、こう返した。


 平時の七海なら、回答はNOだっただろう。しかし、明後日には死ぬかもしれないという異常な状況と、空羽の家族への興味が、七海にこの選択をさせた。


「交渉成立ですね」


 意味深な笑みを楽しげな笑みに変える空羽。次いで、こう言葉を続ける。


「では、七海さんから。お願いします」

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