006・私、声優バカですから

「そう言えば七海さん、何で制服姿なんですか? 今日、学校はお休みですよね?」


 オーディションがあるレコーディングスタジオ、その最寄り駅から出て少し歩いたところで、空羽が七海に話しかけた。


 現在、七海と空羽は並んで街中を歩いている。アモンは上空から二人を追いかけており、デカラビアはあるものの中にその身を潜め、二人のすぐそばに隠れていた。


「あ、これはですね——って、そう言う空羽さんも学生服じゃないですか?」


 首を傾げながら尋ねる七海。空羽の服装は黒の学生服で、パジャマから着替えた七海は私立明声学園高等部の制服だ。互いに昨日とまったく同じ服装である。


「僕は私服がほとんどないだけですよ。お金なくて……」


 七海の視線から逃げるように顔を背け、空羽は切実な声で語る。


「お金、ないんですか?」


「全然ありません。実を言うと、まともな食事にありつけたのは今日の朝が久しぶりだったりします。高校が始まるまでは、この制服と、少しの私服でやりくりですね。今日も午後からバイトです」


「中学生の身の上でバイトですか……」


「はい。友人のご両親が経営している『サザンクロス』っていう喫茶店で働かせてもらってます。七海さんの方は?」


「今日のオーディションで演じるキャラクターが女子高生だからですよ。私は、その日に演じるキャラクターに合わせて、服をコーディネートするんです」


 七海は「少しでもキャラクターに近づきたいですから」と、笑顔で言った。


「では、演じるキャラがメイドのときは?」


「メイド服を着ます」


「幼稚園児のときは?」


「園児服を着ます」


「露出の多い女戦士のときは?」


「ビキニアーマーを着ます」


「……」


 七海の言葉を真に受けたのか、空羽は信じられないといった顔で沈黙した。そんな空羽に思わず吹き出してしまう七海。そして、ひとしきり笑ってから口を開く。


「空羽さん、ここは笑うところですよ? 冗談です。そういったときは、そのキャラクターのイメージカラーに合わせて服を選ぶ程度ですよ」


「で、ですよね……」


「そうですよ。さすがにスタッフの人に止められます。と言うか、駆け出しの頃に何度も注意されて懲りました。ノイズも入りますしね」


「止められなかったら着るんですか!? って言うか、着てたんですか!?」


「やれることはなんでもやりますよ。私、声優バカですから」


 右手で胸を叩き、七海は誇りを込めてそう言いきった。


「な、なるほど……不世出の天才声優って聞いてましたけど、七海さんは才能だけで今の地位に立ってる訳じゃないんですね……」


 感心と呆れが同居した声で空羽が七海の努力を評した、次の瞬間――


「お母さんお母さん! あのお姉ちゃんの髪飾り、とっても綺麗! 私も欲しい!」


 と、偶然すれ違った小さい女の子が、七海の左側頭部を指差して、無邪気に叫んだ。


 七海は思わず苦笑いを浮かべ、その女の子に向かって右手を振る。その後「ダメよ、人を指差しちゃ」と、控えめに叱る母親に手を引かれ、女の子は人混みの中に消えていった。


 そうなのだ。先程女の子が指差した七海の左側頭部には、陽光を反射して煌びやかに輝く、金色の髪飾りが着いている。


 家を出る際に「今日から三日間、外出するときは必ず着けてくださいね」と、空羽から渡されたもので、細かい装飾の施された五芒星の台座に、正五角形にカットされた青い宝石がはめ込まれている。


 普通の人間にも見えることからわかるように、想力で具現化されたものではない。本物である。そして、この髪飾りこそが、今まさにデカラビアが身を潜めている場所なのだ。髪飾りの中にデカラビアの体が消えていくのを、七海はその目でしかと確認している。


 空羽曰く、街中で想力体を連れ歩くときは、このような装飾品、または人形といった入れ物の中に想力体を隠しておくのが、常識ある想力師のセオリーらしい。


 その理由は、同業者の目を欺くため。


 普通の人間には見えない想力体だが、それをいいことに素の状態で想力体を連れ歩けば、同業者の目に止まったときに一目で想力師だとばれてしまう。それを避けるため、実在する物質で作られた入れ物が必要なのだ。


 これら入れ物のことを総じてうつわと言うらしい。


 普通のカラスに見えるアモンだが、それもそのはず。あの体は、本物のカラスを使って作られた器であり、剥製に近いものらしい。つまり、今のアモンは世を忍ぶ仮の姿で、悪魔としての本当の姿が、あの器の中に隠されているということになる。


 七海はここまで考えてから、気が重いとでも言うように大きな溜息を吐いた。


 理由を聞いた今、想力体を素のまま連れ歩けないのもわかるし、そのために器が必要なのもわかる。そして、デカラビアの器であるこの髪飾りを、空羽が七海に渡した理由もわかる。


 ようは監視だ。デカラビアに七海を監視させるため、この髪飾りを七海に渡し、身に着けるのを強要したのである。


 初めこそ監視されるという事実に気が沈んだが、立場上仕方のないことと割り切った。だから、それはいい。七海を憂鬱にしているのはそれ以外のところ。想力なんて関係ない、もっと単純な話だ。


「空羽さん、やっぱりこの髪飾り、ちょっと派手すぎませんか?」


「そんなことありませんよ。とてもよくお似合いです」


 空羽は自然な笑顔でこう言ってくれたが、やはり不安になる。なんと言うか、分不相応な気がしてならないのだ。


 金属工芸の極み。そう言っても過言ではない細工の数々が施された金色の台座。その中心に鎮座する青い宝石は、触れれば砕けてしまいそうな危うさを残しつつも、大胆かつ繊細なカッティングが施されており、大した知識のない七海にも、製作者の強い拘りと、凄まじい技量、そして、熱い情熱を感じさせる仕上がりになっている。


 七海を生かしておくことに反対だと主張する空羽の仲間。七海がまだ見ぬ七十二柱が、デカラビアをモチーフにして制作した一品ものだと空羽は言っていた。つまり、神の手ならぬ、悪魔の手による金属工芸品である。その魔性の輝きが、七海の、延いては人間の放つ輝きを、すべて覆い尽してしまうのではと不安になってしまう。


「本当に、ほんと~に、大丈夫ですか?」


「本当に大丈夫です。十分に着けこなせていますよ」


「これ、売りに出せばすごい値がつくと思いますよ? こんなの作れるお仲間がいるなら、お金なんていくらでも……」


「あ~無理です。自分の作品を金に換えることは絶対にありませんから、あいつは」


「拘りのある人——じゃなくて、悪魔なんですね?」


「はい。硬派で職人気質な奴でして。機会があれば紹介しますよ」


「機会があれば、ですか。それで、その、空羽さん」


「大丈夫です、心配しないでください。ぶっきらぼうで誤解されやすいんですけど、心根の優しい面倒見のいい奴で——」


「いえ、そうではなく。着きましたよ、ネットカフェ。ここの二階がそうです」


 そう言いながら七海は足を止め、すぐ横の雑居ビルを指差した。


「おっとと、いきすぎちゃうところでしたね」


 慌てて足を止める空羽。次いで、ビルの前に置かれていた看板に目を向ける。手作りと思われるその看板には、時間ごとの基本料金と利用規約。そして『アルバイト募集中。社員割引あり』という文字が書かれていた。


「三十分・二百円。非会員制、身分証明不要。これは理想的です。七海さん、早速入りましょう」


 空羽は七海の返答も聞かずにビルの入り口へと向かった。七海は慌ててその後に続く。


 階段を上がり、ネットカフェに入店。受付で入店時間と部屋番号が印刷された紙を受け取った後、すぐに中へ。


 割と綺麗な店内だった。外から見た印象よりも、ずっと広く感じる。


 空羽は漫画で埋め尽くされている本棚や、無料ドリンクバーには目もくれず、最短距離で指定されたカップルシートへと向かった。七海も共に入室する。


 二畳半ほどの広さの個室だった。中にはパソコンとテレビが一台、デスク、大きめのソファーが一つある。


「さてと……」


 ソファーに腰かけ、空羽と七海はパソコンと向かい合った。次いでインターネットを開く。


「あの、空羽さん。言われるがままにここまでついてきましたけど、パソコンなら私の部屋にもありますよ?」


「いえ、自宅のパソコンやスマホだと、万が一がありますので……」


 空羽はそう言うと、検索は使わず、アドレスバーに直接アドレスを入力し始めた。


 ほどなくして画面に表示されたのは『怨嗟の声』という名前のサイト。バックは黒塗りで、文字はすべて白。簡素ではあるが、異様な迫力を感じさせるトップページだった。


 見た瞬間、七海は察する。これは、俗に言うアングラサイト。現実では表に出せない心の闇で作られた、ネットの裏側そのものだ。


「空羽さん、このサイトはいったい?」


「このサイトはネットの暗部で有名なんです。曰く、ここの掲示板に殺したい相手の名前を書き込むと、掲示板に宿る殺人鬼がその相手を殺してくれる」


「……は?」


 七海の口から呆れた声が漏れる。


「は、はは、もう空羽さんたら、何言ってるんですか。そんなバカな話、ある訳ないじゃないですか」


「そうですね。それがまともな人間の反応です。ですが七海さん、これを見ても、あなたは同じことが言えますか?」


 空羽はマウスを操作して、トップページの『画像』と書かれたリンクをクリックした。パソコンの画面が切り替わり、七海は驚く。


「これ、昨日の!?」


 右手から無骨なナイフを生やした、黒い包帯で全身を余すことなく包む、筋骨隆々の大男。昨晩殺されかけた、異形の殺人鬼。


 その殺人鬼が、液晶画面の中にいた。


 一瞬写真かと思ったが、違う。パソコンのグラフィックソフトを使って描かれたイラスト、CGである。


「これが昨日の想力体。その原型です」


「なんで、あの殺人鬼がここに?」


「事の発端は、ここの掲示板に書き込まれた、ある書き込みです」 


 唖然としている七海を尻目に、空羽はマウスを操作してトップページに戻る。次いで『掲示板』と書かれたリンクをクリックした。


 画面が切り替わり、殺したい相手の名前を書き込めば殺人鬼が殺してくれるという、くだんの掲示板。その中へ。


「——っ!」


 掲示板の中を一目見た瞬間、七海は咄嗟に顔を背けた。怨嗟の声。そのサイト名に相応しい書き込みが、画面いっぱいに現れたのである。


 見ちゃだめだ。


 これは、御柱七海が見るべきモノではない。


「えっと、あの書き込みは掲示板の……もうちょっと後ろかな? 書き込みが多いから、場所がすぐずれるんですよね。日付が確か……」


 七海と違い、他人の怨み辛みなど知ったことではないと、円滑にマウス操作を続ける空羽。


 ほどなくして——


「あ、あった。七海さん、これがすべての起点となった書き込みです」


 画面から目を背けている七海の肩を軽く叩き、画面を見るよう促す空羽。七海は、恐る恐るパソコンへと視線を戻す。戻して、言葉を失った。




 投稿者・名無しさん

『この前、この掲示板に死んでくれって書き込んだ奴、交通事故で死んだ! マジ嬉しいんですけどww』




 なんて身勝手な書き込みだろう。


 その後の書き込みは、不幸な事故であるはずのその事件を羨むものや、自分にも同じことが起きないかと、死んでほしい相手の名前を書き込むものなど、見ているだけで気持ちが悪くなっていく書き込みが続いている。酷いものになると、死んでほしい相手の個人情報まで書き込んであるものもあった。まるで、殺しの依頼でもしているかのようである。


「次に起点となった書き込みがこれです」


 人の心の闇にあてられ、徐々に顔色が悪くなってきた七海を尻目に、空羽は再度マウスを操作する。


 そこには——




 投稿者・名無しさん

『やった! 願いが通じた! 私の書き込んだ人も死んだ!』




「次にこれ」




 投稿者・名無しさん

『すっげ、まじすっげ! 俺の書き込んだ奴も死んだ! この掲示板すげーよ! 絶対何か憑いてるよ! このサイト作った奴、まじで神!』




 画像も添付できるタイプの掲示板だったようで、この書き込みに至っては証拠画像までついていた。


 書き込みと共に添付された画像には、テレビで流されたニュースの一場面らしきものが映っている。そこには犠牲になった人の名前と年齢、そして、その死因が映っていた。


 死因・刃物による刺殺。


 この書き込みの後は凄かった。明確な証拠写真が提示されたことと、死因が殺しだったからだろう。この掲示板の力と、サイトの管理人を褒め称える書き込みが、延々と続いている。


 やがて、書き込みの中に、ある共通した書き込みが出はじめた。


 この掲示板には、殺しの願いを叶える殺人鬼が宿っている——と。


「そして、これが最後の起点です」




 投稿者・名無しさん

『この掲示板に宿る、私たちの殺人鬼を描いてみました』




 この書き込みにも画像が添付されていた。それは、先程見た殺人鬼のイラストと同じもの。先程の画像は、これのコピーだろう。


 改めて見ると、このイラストがとてもうまいことがわかる。プロのイラストレーターが描いたのではないかと思えるほどのでき栄えだ。そう思ったのは七海だけではないらしく、掲示板にはこのイラストを称賛し、受け入れる書き込みが多々ある。


 この掲示板で、あの殺人鬼は多くの人に知られ、受け入れられた。そして、それと同じ量の想力を獲得したのである。


「日本を震撼させた殺人鬼は、ここで生まれたんですね……」


「はい」


「で、でも空羽さん。こんなアングラサイト、知っている人はほとんどいないはずですよね? いくらなんでも想力が足りないんじゃ?」 


 想力体の説明をしたとき、空羽は一万、十万、百万といった数を口にした。例として上げた大雑把な数であろうが、想力体が自我を確立するには、最低限それくらいの想力が必要だということだろう。こんなアングラサイト、いくらネットの暗部で話題になったところで、万単位の人間に知られているとは到底思えない。


「その通りです。確かに、このサイトだけでは想力は足りません」


「ですよね。なら、想力はどこから?」


「先程のニュースですよ」


 空羽はこう言うと、掲示板を先程の証拠画像、テレビで流されたニュースの一場面が映っている場所へと戻した。


「このニュースが報道されたとき、犯人は逃走中。しかも、その犯人の情報は一切公開されませんでした。皆無です。警察も手詰まりだったのでしょうね。むしろ視聴者に情報提供を求めるぐらいでした」


「情報が皆無……」


「はい。凶悪な殺人犯が逃走中。なのに、情報は一切ない。さて、七海さん。こんなとき、このニュースを見聞きした人間は、いったい何を考え、何を想いますか? いもしない殺人鬼を、頭の中で勝手に想像してしまったりはしませんか?」


 あり得る話だ。全員とは言わないが、そのような想像をする人間は、かなりの数がいるだろう。


「つまり、このニュースが日本全国に報道された瞬間、いもしない空想の殺人鬼が、多量の想力を得たと?」


「その通りです。しかし、その想力は曖昧で、方向性がバラバラ。とてもじゃありませんが、一個の想力体として具現化できるようなものではありません。しかし、この掲示板には、その事件の犯人であると決めつけられた殺人鬼の画像と、それを信じる掲示板の閲覧者たちがいます。そして、曖昧な想力には、明確な方向性を持つ想力に引っ張られるという性質があります」


 空羽は、改めて殺人鬼の画像をパソコンの画面に表示した。七海は、その殺人鬼の画像を直視する。


「ここの掲示板に集まる想力には、明確な方向性があります。そして、その明確な方向性を持つ想力に、膨大な量の曖昧な想力が引っ張られ、そして——」


「多量の想力を獲得したこの殺人鬼が、自我を確立。想力体となった」


 これが、十一人の東京都民を惨殺し、昨夜七海を殺そうとした殺人鬼。その正体。


「全部、偶然じゃないですか……」


 そう、偶然。殺人鬼の正体は、ただの偶然だった。


 この掲示板が作られたのも、その掲示板に名前が書かれた人が殺されてしまったのも、殺人鬼の噂が広がったのも、その殺人鬼に画像がついたのも、それらすべてが偶然だ。


「私は、偶然に殺されかけたんですね」


「想力体が生まれる原因は、そのほとんどが偶然の重なりですよ。で、偶然の重なりにより生まれた殺人鬼と契約した想力師。つまりは昨日のあの男ですが、このサイトの管理人だったりします」


「え!?」


「こっちの話は単純です。掲示板の閲覧者たちに神だのなんだの誉め称えられて、その気になっちゃったんでしょうね。そして、心の底から自分に特別な力があると信じてしまったあの男は、想力体を認識できるようになった。もっとも、これは事前調査からの推測ですがね」


「その後で、この殺人鬼と契約した……」


 掲示板から生まれた想力体と、その掲示板の管理人。この二人が出会い、契約を結んだのは、幾つもの偶然の中で、唯一の必然だったのかもしれない。


「まあ、そんなこんなでこの掲示板は、殺したい相手の名前を書き込めば殺人鬼が殺してくれる、殺人掲示板になっていったんです。殺人鬼の方は、テレビなどの報道で自分自身の想力を更に増やすために。管理人の方は、掲示板の閲覧者に褒め称えられるために。ひたすらに人を殺し続けました」


 それが、都内を騒がせた無差別連続殺人事件の真相。


「なんて言うか、その、ちゃんと色々調べてから動いてるんですね、空羽さんたち」


「人一人殺すんですよ。間違いでしたではすみません」


「それは――はい、確かに」


「今回は、いろいろ考えた末に殺しを選択しました。話し合いでけりがつくとは思えませんでしたし、事件の性質から迷宮入りさせる訳にもいきません。ですので、あの男には事故死という形で世に出てもらいました」


「なんで迷宮入りはダメなんです? 想力が深くかかわった事件なんですから、迷宮入りの方が何かと都合がいい気がするんですけど?」


「想力体は、想力、つまりは知名度が一定値以上を保ち続ける限り、時間をかけて復活するからです。何度でも」


「時間をかけて復活!? 何度でも!?」


「はい。何せ、実体のない空想上の存在ですから。想力を用いた攻撃によって、一時的に無力化することはできますが、それは根本的解決になりえません。迷宮入りして何年も捜査や報道が続いたり、都市伝説になったりしたら、本当の意味での解決に、何十年、何百年とかかります」


 空羽は「想力体にとっての死は、人に忘れられること、それだけですから」と、小声でつけ足した。


「しかし、事件が解決され、世間の明るみに出ればそうはなりません。あの男が無差別連続殺人事件の犯人だと各メディアで報道されれば、この事件は凄惨で、不幸な事件だったものの、ただの人間が起こした事件になります。多くの人が想像していた『いもしない空想の殺人鬼』が消えるんです。そうなってはじめて事件が解決します。あの殺人鬼は、二度と想力体としてこの世界に現れることはないでしょう」


 こう口にした後、空羽は掲示板に最新の書き込みをした。




 投稿者・名無しさん

『さっきの臨時ニュースで報道された、建設途中のショッピングモールで死んだ男。このサイトの管理人で、無差別連続殺人の犯人らしいよ。ソースは秘密。警察もこの掲示板を見つけたみたいだから、殺人依頼をしていた人たちはやばいんじゃないかな?』




「自首するならお早めにっと」


 こう口にした後、空羽は画面をスタートページへと戻した。掲示板が消え、馴染み深い検索サイトが表示される。


「これで、僕にできることは全部です。後は天の采配に任せましょう」


「え? もう全部解決したんじゃ?」


「先程も言いましたが、想力体は無力化しても復活するんです。あの殺人鬼が、各メディアの事件解決報道よりも早く復活し、新たな想力師と契約する可能性もありますから」


「そっか。まだ安心できないんですね」


「はい、万事解決とは言えません。二度手間を避けるために、あの殺人鬼は無力化せずに封印して、知名度の低下による自然消滅を待つ予定でした。あの場所におびき出した後、一般人のふりをして封印の準備を進めていたんですが、七海さんの乱入でそれどころじゃなくなっちゃいましたからね」


「ほんと、いろいろすみません」


「過ぎたことです。とりあえず、この事件はこれで解決としましょう」


 空羽はこう言うと、パソコンに残っていたインターネット接続履歴をすべて削除した。その後「終わった~」とでも言いたげに全身から力を抜き、感情の込もらない声で漠然と告げる。


「嫌な事件でした。殺しは、なるべくしたくないんですけどね……」


「あの、殺さないで済む方法はなかったんですか?」


「警察にでも突き出せと?」


「それは……無理ですよね」


「現状では口を封じる以外ありません。記憶操作系、もしくは精神支配系の能力を持つ想力体がいれば、どうとでもなるのですが——」


「空羽さんのお仲間にはいないと?」


「はい、残念ながら。まったく、大手の連中の腰が重いからこんなことに。インターネットの書き込みが事の発端でしたから、仕方ないと言えば仕方ないんですけど」


 空羽は「大手の連中は、いまだにアナログ重視ですから」と苦々しく続けた。


「こういったときは、本来大手の人たちが?」


「はい。今回のような突発的想力事件は、暗黙の了解で大手が処理することになっています――っと、そろそろ時間がまずいですね。僕はバイト先の『サザンクロス』に向かいますが、七海さんはどうします? 一緒に出ますか?」


「あ、いえ。せっかくですから少し調べ物をしていこうと思います。オーディションまで時間がありますので」


 立ち上がった空羽と入れ替わる形でソファーに座り直し、七海はパソコンと向かい合った。


「そうですか、ならここで。デカラビア、七海さんの護衛をしっかり頼むよ」


「任せて……」


 髪飾りの内側から発せられるデカラビアの声。空羽はそれを聞いてから小さく頷き、個室を後にしていった。


「護衛……か」


 実際には監視だよね——と、七海は胸中で呟き、口では溜息を吐いた。そして、検索ワードを入力しつつ次のように尋ねる。


「あの、デカラビアさん。ちょっとお話いいですか?」


「なに……?」


「私、この先どうやったら生き残れると思います?」


 そう、七海は未だに生死の境にいる。ネットカフェでパソコンと向かい合っていると忘れそうになるが、それは純然たる事実なのだ。


 このままでは、せっかく拾った命が明後日には消えてしまうかもしれない。


 生き残るための条件はわかっている。アモンだ。


 現在中立を主張しているアモンに、七海を生かしておくことに賛成だと言わせればいい。今日を含め三日以内に、だ。そうすれば生き残れる。


 しかし——


「正直、何をすれば良いのか、まったくわからないんですよね」


 そうなのだ。何をすればいいのかまったくわからない。いったいどうすればアモンの主張を変えられる?


 贈り物? それともお金? いくら考えても、人間である七海に悪魔の趣味嗜好はわからない。ゆえに、同じカテゴリーの悪魔で、つき合いも長いであろうデカラビアに聞いてみようという訳だ。


「ん……そうだね……七海が生き残るには……」


「生き残るには?」


「七海が……使える人間になれば……大丈夫……」


「使える人間?」


「そう……使える人間は利用する……これ……悪魔の鉄則……」


「悪魔って! 悪魔って!」


 七海はすべての悪魔に対し憤りを感じ、肩を震わせた。


「あと……気にいった人間は贔屓する……これも……悪魔の鉄則……」


「そこには感謝しています」


 表情をコロッと変え、七海はデカラビアに感謝した。デカラビアの贔屓がなければ、七海はすでに死んでいる。


「後は……七海が空羽にとって……有益な人間になれば……大丈夫……」


「空羽さんにとって?」


「うん……七海が空羽にとって……有益な人間か……有害な人間か……そこが一番重要……」


「なるほど」


 頷く七海。先の見えない暗闇に、僅かだが光が差した気がした。


 デカラビアは舌足らずなところがあるのでわかりづらいが、要するに、七海がアモンにとって使える人間になるか、空羽にとって有益な人間になりさえすれば、生き残れるということである。


「七海……がんばって……私は……七海の味方だから……」


「あ、はい。がんばります」


「何かあったら……言って……力に……なる……」


 この言葉を最後に、デカラビアは黙った。七海は「ありがとうございます」と、簡素ながらも心からの感謝を告げ、エンターキーを押す。デカラビアとの会話の中で打ち終えていた検索ワード、その検索を開始した。


 検索ワードは『ソロモン七十二柱』。


 さて、空羽は有名だと言っていたが、はたして——


「検索結果は——約337000件!?」


 なるほど、有名だった。日本語検索で一発だった。


 とりあえず検索結果の先頭にあるサイトからだと、七海はパソコンを操作し、次いで身を乗り出す。


 さあ、ソロモン七十二柱についての勉強を始めよう。

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