カンザイ砦攻略戦・一日目 3

「はっ、はっ……やっと……引いたわ……」

訓練開始から六時間、既に夏の日差しも傾きかけている時間。

B班による統率の取れた進行から、なんとか砦を守りきったミルカは、森の向こうに消えるB班の背中を見送った瞬間、その場に崩れ落ちた。

一瞬たりとも同じ攻撃をして来ないB班の兵士に対し、常に正確な対応策を指示していた彼女は、誰よりも疲れていた。

「ミルカちゃん大丈夫……?」

その横に、同じく疲労の色を浮かべるライカが尻餅をつく。

最初こそ景気良く敵を撃ち抜いていた彼女だったが、敵も馬鹿では無い。三人戦闘不能になったと同時に散開し、数名を残し北・南壁へと別れて行った。

当然ミルカもその数名を対処し、他の手薄な場所へと援護に回ろうとしたのだがーー


・・・


「うふふ、待っててねミルカちゃん、こいつらぶっ殺したら助けに行くからね」

正直なところ、幼少の頃から射撃の腕を鍛え上げてきたライカにとって、このような訓練生同士の模擬戦など茶番に等しかった。

確かに統率の取れた隙の無い行軍だが、祖母の命令で正規軍に混じって訓練をしたことがある彼女にしてみれば、上げるべき粗というべき点が多々見受けられた。

なればその粗を的確に突き、撃ち崩してしまえばこちらの勝利は揺るがない。はずだったのだが……

「……!あぶない!」

唐突な殺気を感じ、慌てて横へ一回転し回避する。そしてその一瞬前まで彼女が伏せていた場所に、血のような赤い水たまりが出来ていた。もちろん血ではなく、魔甲を使用不能にする例の液体だ。

「私が見落とすなんて……どこから撃ってきたのかなー?」

定点にしていた狙撃ポイントを離れ、次点に決めていたポイントへ伏せ、スコープを覗き込む。そして淀みの無い動作で森の中を捜索するが、今彼女を狙撃したであろう人影は見受けられなかった。

(さっきまでこっちを攻めてきてた雑魚兵がこんな正確な射撃を出来るはずが無い……とすると、敵の主力がこっちに掛かったのかなぁ……)

などと思考をしている間も捜索を続ける。そのとき、偶然にもこちらへ向けられた魔甲ライフルの先端が見えた。


マズルフラッシュ。


「ーー!!」

身を捻って弾丸の直撃を避けるが、僅かに液体を掠めた右肩の魔甲が解除される。

「くっ……?いない!?」

敵の居場所を突き止めようと、即座に気を入れ替えてスコープを覗くが、既にその場所には誰も存在しなかった。

「おかしいなぁ……あ、これがアークス君の言ってた『ニンジャ』って人なのかなぁ?」

ライカは模擬戦開始前にアークスから教わった「要注意人物」の名簿を思い出す。そしてそのプロフィールまで思い出すと、口角を上げてと不気味に笑った。

「……少しは私を楽しませてくれるかなぁ」


「ぐっ……今ので仕留めきれないどころか、こうして無様に反撃をくらうなど不覚の極み……!」

一方ライカと対峙する東の森の中。その茂みには、左腕の魔甲が解除されたキキョウの姿があった。

彼女はタンラーに言い渡された「プランH」を遂行するに当たって最も注意すべき相手、ライカントを戦闘不能にすべく射撃戦を挑んだのだが、こうして無様に反撃に会う始末だった。

「こちらの射撃を視認してから反撃するとは、タンラー様が警戒するだけある……」

キキョウも幼い頃からニンジャの技を仕込まれてきた生粋の戦士。その技に加えてB班でも一番の射撃術があれば敵無しだと思っていたが、その考えも今の一瞬の交錯で覆された。

「この化け物め……しかしタンラー様からの命令、必ずや遂行してみせる!」

その言葉を残し、彼女の気配は森の中へと溶けて行った。


・・・


「いやー、つい私としたことが熱くなりすぎちゃったよー」

「……ふふ、あんたを熱くさせる相手なんて珍しいわね」

そうは言うものの、キキョウの放った弾丸がライカに触れたのは最初の一発のみだったのだが。

「ミルカちゃんも魔甲ライフル練習すれば上手くなりそうだし、今度教えて上げるから勝負しよう?」

「いやよ。前一回やったけど、あんた情け容赦なく撃ってきたじゃない」

「うーん、あのときは若かったからだよぉ。今度は手加減するってー」

「手加減なんて冗談じゃないわ。やるからには勝ちたいもの」

「残念だなー。せっかくミルカちゃんをボコボコに出来ると思ったのにー」

「……あんた私にどんだけ鬱憤が溜まってんのよ」

夕暮れが近付き、空気も若干冷えて来た夏空の下、幼馴染の少女達は束の間の休息に包まれていた。


ーーー


「ーーやあやあお二人共、防衛ご苦労様」

城壁へと伸びる階段から、一人の少年がやって来た。ミルカとライカは、その人物が誰かも確認することもなく返事をする。

「あ、アークスあんたなに勝手に塔から出てんのよ」

「あ、サボリ魔だー」

「戦闘が終わったんだし、少しぐらい外出てもいいだろ……?それにサボリ魔って、君達が僕を閉じ込めたんじゃないか」

黒髪の少年アークスは、数時間も軟禁されていたため身体が凝ったのか、あちこちの筋を伸ばしながら二人の元へと歩いて行く。

「で、何しに来たの?」

「どうしたんだよミルカ、今日はいつにも増して当たりが強くないか?生理?」

「んなわけないでしょ……単純に疲れただけよ」

彼は壁にもたれ掛かって座る二人の前に腰を下ろす。

「僕は一応この班の代表だからね、みんなに激励して回ってるところさ」

「うわぁ、アークス君の激励とか嬉しくない……」

「本当ね、何様のつもりよって感じ」

「君達さぁ……僕、涙出そうだよ」

女性二人の蔑んだような目線に、さしものアークスも渋面を浮かべる。

しかしそれもやむなきことだろう。必死で戦って疲労が溜まっているときに、一切戦闘に参加せず、ただ引きこもっていただけの人間に激励なぞされたら、誰でも同じ様なことを言うだろう。引きこもらせたのが自分達だとしてもだ。

「……なんてね、班員のみんなに同じ様なこと言われて来たから、流石に涙も枯れてるよ」

そうは言うものの、彼の目元には一切の涙跡が無かったのだが。

「で、ミルカ。初めての部隊指揮はどうだった?」

「散々よ。敵は予想外の動きばっかりだし、味方は全然言う通り動いてくれないし……あ、ライカは私の予想以上の戦果を上げてたからね?最後の方なんて頭がこんがらがって、ほぼ勘で指示出してた始末だし……」

ミルカは首を大きく項垂れて溜息を吐く。普段なら味方の愚痴なぞ言わない彼女も、気心の知れたこの二人の前では本音が漏れる。

「え、あれ勘だったのー?最後の方はミルカちゃんにしては的確な指示だったし、そんな風には感じなかったけどなー」

「……それじゃあダメなのよ。その場は勘で乗り切れたとしても、そればっかしに頼ってたらいつか破綻するわ。私もタンラーみたいな……」

「ミルカ」

彼女が言葉を続けようとした時、その頭の上で束ねられた髪の毛を鷲掴みされ、無理矢理前を向かされた。

「君にはタンラーみたいな理詰めの戦略なんて無理だよ」

「……そんなことわかってるわよ」

彼女のアークスを睨む瞳に、怒りの火種が灯る。

「でも……!」

「でも、タンラーには君のような直感的な指示は出来ないんだよ」

ミルカの反論に被せるようにアークスは台詞を紡ぐ。

「直感と理詰め、どちらが優れてるかなんて、僕にはとてもじゃないが分からない。ただ一つ言えることは、君がいくら付け焼き刃の『理詰め戦略』を使ったとしても、間違いなくタンラーには勝てないよ。だから、君にはそのまま直感的な指示を出せるような将になって欲しいんだ」

「……それなら、私でもタンラーに勝てるの?」

ミルカの瞳から怒りは消え、代わりにアークスに対する信頼が宿る。

それを見たライカから「……ふ〜ん」という感嘆なのか冷やかしなのか定かでない声が漏れた。

「え?無理だよ無理無理」

「……は!?え、だってあんた今どっが優れてるかなんて分からないって……?」

しかしその真摯な眼差しも一瞬で吹き飛び、いつもの強気な視線がアークスを突き刺す。

「当たり前だろ?そもそも兵の質が違う。相手は一の指示を十や二十に判断する訓練を受けてるのに対して、僕達の兵は一の指示を一、良くて三くらいでしか実行出来て無いじゃないか。しかも理解の差にばらつきがあるから、せっかく練習した連携も活かせてないしね」

「で、でもあんたこの前連携の質は私達が上だって……!」

彼女は数日前の会議の内容を思い出す。

「それは少数対少数、もしくは平地での衝突戦ならってことだよ。でも今は防衛戦だ。いくら防衛の訓練をしたとは言っても、相手は訓練通りに攻めてくれない。それに今回相手の目的は、こっちの集中力を削ることだった。このまま攻められてたら、早くて明日には落とされちゃうかもね」

「で、でもそれはB班も同じでしょ!?ずっと攻めてたんだから、あっちも疲れてるはずじゃあ……」

ミルカは遠くで談笑する仲間を見る。確かに疲労の色はやや見えるが、明日にも体力が底を尽きそうには見えない。

「違う、倒れるのは君だよミルカ」

「……私?私はまだまだやれるわよ!?……ってあれ?」

そう言って彼女は勢い良く立ち上がり、力こぶを浮かべて見せる。が、すぐに膝が笑い出し壁に背を付ける。

「だ、大丈夫ミルカちゃん?生まれたての子鹿みたいになってるよー?」

「こ、このくらい一日寝れば治るわよ!」

ライカの肩を借り、再び尻もちを付くミルカ。

「残念だけどミルカ、敵は君を休ませてくれないよ。恐らく後数時間もすれば夜襲もあるだろうし、音による妨害もあるだろうね。そんな中、君無しで防衛が成り立つか怪しいところだ」

「で、でもアークス君!指示はミルカちゃんが出さなくても、エマリンちゃんとかマグナ君、それこそアークス君が出せばいいじゃん!みんなミルカちゃんに頼りすぎなんだよぉ……」

珍しくライカが大きな声を出し、アークスを糾弾する。そ指示を出す人の候補にライカの名前を上げないのは彼女らしかったが。

「……確かにエマリン辺りならミルカの代わりは務まるかもしれない」

「じゃあ!」

「でも、A班が一番実力を発揮できるはミルカが指示を出した時だ。それでやっと均衡が取れてるのに、そこが崩れたらまず勝てない」

「そんな……」

アークスの言葉に納得してしまったライカは、せめて自分の体力をミルカに与えるように、彼女の身体を強く抱きしめる。

「……ありがとライカ。でもいいの、これは私が望んだ道だから」

ミルカはライカの胸を鷲掴みにして退かすと、両足を踏ん張り立ち上がる。

「こんな苦戦、私が歩くイバラの道に比べれば苦じゃないわ。悔しいけどアークスの言ってることは正しいし、もしかしたら明日には砦を落とされてるかもしれない。それでも私はその時まで全力を尽くす。そうしなきゃ成長できないし、私の夢にも届かないわ」

「ミルカちゃん……うん!ミルカちゃんがそう言うなら止めないね!頑張れミルカちゃん!」

「げふー!」

ライカがミルカの背中を叩いたことによって、ギリギリ立っていた彼女はそのまま前方に転んでしまった。

「え、えとあの、そんな強く叩いてないような……」

「ははは!大丈夫かよミルカ。ほら、立てるか?」

大声で笑いながらも、ミルカへ手を差し伸べるアークス。

「う……ありがとってうわ!」

彼の手を掴んだミルカは、そのまま引っ張られて無理矢理アークスと肩を組まされる。

「そんなフラフラしてたらまた転ぶぞ?」

「ふん……礼は言わないわよ」

そしてそのまま三人並んで仲間の元へと歩き出す。

「期待してないから安心していいよ。あ、そうだミルカ、なんか僕に出来ることってあるかい?」

「そうね、あんたには班旗の番をしてもらうわ」

「まかされた……ってまた司令室に引き篭れってことか!?」

「頑張ってねアークス君♪」

夕暮れの中、三つの長い影が地平線へと消えて行った。


ーーー


「申し訳ありませんタンラー様!ライカントを仕留めきれかったのは一生の不覚!」

カンザイ砦から幾分離れた場所に設営された天幕の中、部下から提出された戦況報告書に目を通すタンラーの前に、膝をつき頭を垂れるキキョウの姿があった。

彼女の艶やかだった黒髪は土埃にまみれ、枝に引っ掛けたのか、軍服が数カ所ほつれていた。

「ライカントと一対一撃ち合って敗北、か。高低差の利はあちらにあったが、遮蔽物の量だけは圧倒的にこちらが多い状況で敗北か」

頭を伏せているキキョウには、今タンラーがどのような表情をしているのかは分からない。ただ笑っていないことだけは確かだ。

「はっ……言い訳のしようが無い、完膚なきまでの負けです。ライカントへ与えた損害は一箇所なのに対して、私の魔甲は全損。そしてこの実力差は今回の訓練で覆すことは不可能かと思われます……!」

キキョウは奥歯を噛み締め悔しさを滲ませる。

(正直なところ、あの乳娘に負けるとは考えて無かった……しかし超えられぬ実力差では無かった!あと一年、いや半年以内には超えてみせる!)

「……キキョウ」

と、彼女が己の胸に一つの誓いを立てていると、ふいにタンラーから声が掛かる。

呆れか叱責か、どちらにせよ良い評価は下され無いだろうと覚悟し、目を瞑る。

「あのライカントを五時間も足止めしてくれるなんて、流石はキキョウだ。うん、僕の想定より倍以上の成果だよ。ご苦労」

「……は?」

称賛、とは少し違うが、まさかそう来るとは思っても無かったキキョウは、思わず呆けた顔で言い返してしまう。

「実際のところ、君とライカントとの勝率は1対9と見てたからね。いや、これは褒めてるんだよ?そのお陰でA班の体力、もといミルカの精神力を予定より削るのに成功したんだからね」

「は、はぁ……ありがとうございます?」

わけがわからなかったが、取り敢えず叱責されることは無いと感じ、胸を撫で下ろす。

「……でも欲を言えば、今の戦闘でプランHを完遂して欲しかったんだけどね。信頼して送り出したんだ、もしかしたら今日中に落としてくれると期待してたんだ」

「っ!申し訳ありませんっ……!」

上げて、落とす。タンラーは転じてキキョウへ失望の視線を送った。彼女は再び頭を垂れる。

「全員が万全の状態になるまで後三時間ある。そして三時間後、再び戦闘を仕掛ける。言ってる意味が分かるね?」

「はっ!必ずやこのキキョウ、今日中にプランHを遂行し、カンザイ砦を落としてみせます!」

「うんうん、期待してるよ」

そう言うとタンラーは戦況報告書に視線を落とす。彼の伝えたいことは全て伝えたのだろう。後は退室するだけなのだがーー

「タンラー様、プランHを遂行するにあたって、一つよろしいですか?」

「ん?なんだい?」

「もしよろしかったらなのですが、タンラー様のーー」


・・・


一方こちらはカンザイ砦。すっかり夜も更け、A班の面々は簡単な野戦食で夜ご飯を済まし、一時の休息を取っていた。

そして司令室では、アークスが何やら砦の見取り図と睨めっこをしていた。

その時、司令室の扉を叩く音が一つ聞こえた。

「アークス、俺だ。入るぞ?」

「俺ってだ……ってマグナ?許可した覚えは無いんだけど?」

扉を勢いよく開けてズカズカと入ってきたのはマグナだった。彼はアークスの対面にあるソファに腰をかけると、単刀直入に言った。

「なあアークス、暇だ」

「暇って……君には司令塔を守るっていう仕事があるだろ?」

マグナ率いる重式歩兵隊は、今回の戦闘中ずっと司令塔の周囲に待機していただけで、下手すればアークスより疲れていない。そんな彼らの隊長であるマグナが、こう言いだすであろうことは予想出来ていた。

「いや、今回の戦闘を見て思ったんだが、俺達も戦闘に参加した方が全員の負担が減るんじゃないか?それに俺達が壁外を守れば、万が一敵が壁まで辿り着けてもそこで迎撃できるだろ?」

どうだ、おれは間違ってることを言ってるか?とでも言いそうな態度で語ってくるのに対し、アークスは額を抑えて溜息を吐く。

「……それ、ミルカにも言ったのか?」

「もちろん言ったさ。だが『配置の決定権は私には無い。アークスに直接聞いて』と言われたから、わざわざこんな所まで来たわけだ」

「ミルカめ、面倒ごとを押し付けたな……」

もう一度溜息を吐くと、彼は椅子に座り直しマグナと向かい合う。

「確かに相手が歩兵を中心に侵攻してきたら、君の言うその作戦はかなり有効だよ。でもB班の主力は魔甲ライフルだ。足の遅い重式歩兵なんて格好の的になるだけだ」

「む……ならば俺達も魔甲ライフルを装備して壁上で戦えばーー」

「君達が重式歩兵になったのは何故だい?射撃の素質が無かったからだろ?それにそもそも魔甲ライフルの予備は少ししか無いから、下手な射撃手を増やすことも出来ないんだよ」

「ぐ……」

アークスの暴論に、何か言いたげなマグナだったが、概ねアークスの言ってることは正しかったので口を噤んでしまう。

「……まあ安心してくれ。多分今夜中に君達の出番は来るから、それまで力を溜めといてほしい」

「……?それってつまり……?」

回りくどいことが苦手なマグナに、アークスは単刀直入に告げた。


「今夜中に敵が壁を越えてくると思う。その時は頼んだよ」


ーーそして、初めての夜戦が始まった。

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