一一
「國分さん、書き出しは重要だ。風景を延々と語るよりも、まずは人物から、それもアクションから始めたほうがいい」
「それはそうかもしれないけれど、じゃあ飛田君だったらどう書くの?」
「僕だったら、そうだな……。すぐにヒロインを出す。彼女との出会いから書き出す」
「なぜ?」
「読者に物語が始まるのを教えるためだ」
「ほー、なるほどなー」
ボーイッシュな雰囲気を持つ
「『ほー、なるほどなー』じゃないです。波さんは知っているはずですが?」
波の小説は出会ってすぐに読まされた。俗に言う百合と呼ばれるジャンルで、主人公とヒロインの出会いから始まっている。
展開も、適度に山場を入れることにより飽きさせない構成となっていて、素晴らしいものがある。
とくに主人公の恋敵、男性なんだが、その使い方には妙があり、彼なしでは彼女たちの恋愛は成就しなかったであろう。
「私は別に意識して書いたわけじゃないよ。あの作品は三日で書いたものだし、最初から勢いと乗りしかないから」
「……そうでしょうね」
波の文体は連綿体のようなリズム感があって、言葉の選び方も
きっと、全く推敲していないのだろう。本能のままに書いたに違いない。
それであれだけの文章が書けるのだから才能はあると思う。
「飛田先輩!」
突然、
「尾上先輩から聞いたんですが、飛田先輩は佐々先輩と仲良しなんですよね!」
「……」
「佐々先輩?」
國分が言った。樹が答える。
「征ちゃんの幼馴染だよ。前の剣道部主将なんだ」
「もしかしてバス停の? 飛田君が手を振った?」
僕は頷いた。
「……それで、毛利さん。その佐々先輩がどうかしたのか?」
「おうちが剣術道場をやってるんですよね? 取材したいんですけど、尾上先輩に聞いたら、飛田先輩と仲良しだっていうじゃないですか!」
僕は樹を見た。樹がそっぽを向く。僕は浅いため息をつき、言った。
「仲良しかどうかは知らないが、ただの取材なら先輩に直接頼めばいいじゃないか、あとは波さんに紹介してもらうとか、同じ学年なんだし」
「そうしたいのは山々なんですけど、面識ないですし、部長に頼んでも、その……」
毛利は波を見た。波が言った。
「あの人苦手なんだよねー。いつも難しい顔してるし、何事もきっちりしていて清廉潔白というか、私みたいな邪気を
「邪気って、何ですか?」
國分が聞くと、隣でモバイルノートをカチャカチャ鳴らしていた、三つ編みおさげの
「小町、波先輩は親に言えないような小説を書いてるんだ。察してやれ」
「こらこらこら! 人のことを犯罪者みたいに言うな、こら!」
波が目を細める。本人は睨みつけているつもりらしいが、全然迫力がない。
江夏は眼鏡のブリッジに中指を当て、押し上げた。そのまま何も言わず次の文章を打ち始める。無視だ。
波がテーブルに顔を突っ伏した。
僕は聞いた。
「あの、大丈夫ですか?」
「いい、ほっといて。どうせ私なんて……」
最後がよく聞こえない。ぶつぶつ何か言っている。
國分に目を向けると彼女は苦笑した。
「大丈夫。いつものことだから」
「そうか、だったらいいんだが……」
昼休み、僕は文芸部の面々と一緒に食事をしていた。ハーレムを味わいたいからと樹も一緒だった。
皆で昼食を食べ終え、トレイを片付けたら部活動が始まる。小説談義だ。
と言っても書き方のほうだが。
でも、なぜ学食でやるのか。文芸部には部室がないからだ。
なぜ昼休みにやるのか。彼女たちは放課後になるとばらばらに行動するからだ。
小説を書くのに一緒にいる必要はない。定期的にこうやって集まって報告するだけでいい、と波が決めたらしい。
そんな波を國分が慰めている。
僕は部には入らなかった。が、國分には協力することにした。
こんな僕でも助言ならできるような気がする。
……弱々しい言い回しだ。
虎子との件以来、僕は自分の言葉に自信が持てずにいた。足掻いていたのだ、言葉の海で……。
「いいもんねー、別にいいもんねー」
突如、波が顔を上げた。何事もなかったかのように
上級生なのに気さくな人だ。先輩という立場の者が皆、彼女のような人だったら、どんなによかっただろうにと思う。
僕は先輩風を吹かす人間が嫌いだった。中学の剣道部にいた上級生を今でも軽蔑している。
たった一つの年齢差であそこまで勘違いするとは馬鹿げた話だ。伝統の悪い面がもろに出ていた。
僕は樹を見た。樹は國分を見ていた。
……自分が情けなかった。どんなに剣術が出来ても、伝統と法律の前ではあまりにも無力だった。逆らえば疎外され、斬れば犯罪だ。
虎子が主将だったらと未だに思う。思ってしまう。
中学には男子剣道部しかなかった。そこで樹は上級生にいびられていた。
クォーターだからか理由はわからないが、露骨な暴力はなかったものの、僕と出会う前から「
樹は今の軟派な姿からは想像もできないほど暗く、臆病だった。
だから僕は樹を鍛えた。もちろん同情もあったが、それだけではない。上級生の偉そうな態度が気に入らなかった、そちらのほうが理由として大きい。
僕は樹を虎子の道場に招き、掛かり稽古を何度も行った。竹刀の打ち合いで彼はどんどん腕を上げていった。
当然であろう。
樹には恵まれた身体があり、足りないのは気迫だけだったのだから。
樹は瞬く間に剣道部のエースとなった。僕と違い、顧問の教師からも可愛がられ、一年生でありながら団体戦の大将に任命されるまで成長した。
それが上級生の劣等感に火を付けたのか。
真面目な樹は風邪を引いているにもかかわらず、先輩に言われるがまま雨の中を走らされ、肺炎で倒れた。救急車で運ばれ、一週間ほど入院した。
上級生は責任を取らず、教師も追求しなかった。知らぬ存ぜぬ、学校はただの事故扱いだ。
幼稚な僕は復讐心に心満たされかけたが、途中で虎子と話し合い、思いとどまった。
怒りや憎しみで振るうために、この剣はあるのではない。そんなことをすれば佐々道場の先達に申し訳ない。
それに法律もある。暴力はいかなる理由があっても暴力だ。僕は法治国家の一員なのだ。
……と、色々御託を並べてはいるが、結局、僕は何も出来なかったのだ。
三年祭のあの夜、虎子に何も言えなかったように……。
僕は窓を見た。ガラスの向こうに青空が広がっている。今朝の新聞によると、長かった梅雨が明けたらしい。
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