一一

「國分さん、書き出しは重要だ。風景を延々と語るよりも、まずは人物から、それもアクションから始めたほうがいい」

「それはそうかもしれないけれど、じゃあ飛田君だったらどう書くの?」

「僕だったら、そうだな……。すぐにヒロインを出す。彼女との出会いから書き出す」

「なぜ?」

「読者に物語が始まるのを教えるためだ」

「ほー、なるほどなー」


 ボーイッシュな雰囲気を持つなみかおるが言った。髪型はベリーショート、高身長でスレンダーな体型、テーブルに頬杖突いて、左手でペンをくるくる回している。


「『ほー、なるほどなー』じゃないです。波さんは知っているはずですが?」


 波の小説は出会ってすぐに読まされた。俗に言う百合と呼ばれるジャンルで、主人公とヒロインの出会いから始まっている。

 展開も、適度に山場を入れることにより飽きさせない構成となっていて、素晴らしいものがある。

 とくに主人公の恋敵、男性なんだが、その使い方には妙があり、彼なしでは彼女たちの恋愛は成就しなかったであろう。


「私は別に意識して書いたわけじゃないよ。あの作品は三日で書いたものだし、最初から勢いと乗りしかないから」

「……そうでしょうね」


 波の文体は連綿体のようなリズム感があって、言葉の選び方も洒脱しゃだつ、しかしながら非論理的で無駄が多い。

 きっと、全く推敲していないのだろう。本能のままに書いたに違いない。

 それであれだけの文章が書けるのだから才能はあると思う。


「飛田先輩!」


 突然、毛利もうり真希まきが叫んだ。髪型はショートボブ、まだ顔に幼さの残る一年生、小柄な体とは真逆で声がとても大きい。


「尾上先輩から聞いたんですが、飛田先輩は佐々先輩と仲良しなんですよね!」

「……」

「佐々先輩?」


 國分が言った。樹が答える。


「征ちゃんの幼馴染だよ。前の剣道部主将なんだ」

「もしかしてバス停の? 飛田君が手を振った?」


 僕は頷いた。


「……それで、毛利さん。その佐々先輩がどうかしたのか?」

「おうちが剣術道場をやってるんですよね? 取材したいんですけど、尾上先輩に聞いたら、飛田先輩と仲良しだっていうじゃないですか!」


 僕は樹を見た。樹がそっぽを向く。僕は浅いため息をつき、言った。


「仲良しかどうかは知らないが、ただの取材なら先輩に直接頼めばいいじゃないか、あとは波さんに紹介してもらうとか、同じ学年なんだし」

「そうしたいのは山々なんですけど、面識ないですし、部長に頼んでも、その……」


 毛利は波を見た。波が言った。


「あの人苦手なんだよねー。いつも難しい顔してるし、何事もきっちりしていて清廉潔白というか、私みたいな邪気をまとっている身としては近寄り難いのよ」

「邪気って、何ですか?」


 國分が聞くと、隣でモバイルノートをカチャカチャ鳴らしていた、三つ編みおさげの江夏えなつ幸子さちこが指を止め、口を開いた。


「小町、波先輩は親に言えないような小説を書いてるんだ。察してやれ」

「こらこらこら! 人のことを犯罪者みたいに言うな、こら!」


 波が目を細める。本人は睨みつけているつもりらしいが、全然迫力がない。

 江夏は眼鏡のブリッジに中指を当て、押し上げた。そのまま何も言わず次の文章を打ち始める。無視だ。

 波がテーブルに顔を突っ伏した。

 僕は聞いた。


「あの、大丈夫ですか?」

「いい、ほっといて。どうせ私なんて……」


 最後がよく聞こえない。ぶつぶつ何か言っている。

 國分に目を向けると彼女は苦笑した。


「大丈夫。いつものことだから」

「そうか、だったらいいんだが……」


 昼休み、僕は文芸部の面々と一緒に食事をしていた。ハーレムを味わいたいからと樹も一緒だった。

 皆で昼食を食べ終え、トレイを片付けたら部活動が始まる。小説談義だ。

 と言っても書き方のほうだが。


 でも、なぜ学食でやるのか。文芸部には部室がないからだ。

 なぜ昼休みにやるのか。彼女たちは放課後になるとばらばらに行動するからだ。


 小説を書くのに一緒にいる必要はない。定期的にこうやって集まって報告するだけでいい、と波が決めたらしい。

 そんな波を國分が慰めている。

 僕は部には入らなかった。が、國分には協力することにした。

 こんな僕でも助言ならできるような気がする。

 ……弱々しい言い回しだ。


 虎子との件以来、僕は自分の言葉に自信が持てずにいた。足掻いていたのだ、言葉の海で……。


「いいもんねー、別にいいもんねー」


 突如、波が顔を上げた。何事もなかったかのようにほがらかに笑う。いや笑い飛ばした。

 上級生なのに気さくな人だ。先輩という立場の者が皆、彼女のような人だったら、どんなによかっただろうにと思う。


 僕は先輩風を吹かす人間が嫌いだった。中学の剣道部にいた上級生を今でも軽蔑している。

 たった一つの年齢差であそこまで勘違いするとは馬鹿げた話だ。伝統の悪い面がもろに出ていた。

 僕は樹を見た。樹は國分を見ていた。


 ……自分が情けなかった。どんなに剣術が出来ても、伝統と法律の前ではあまりにも無力だった。逆らえば疎外され、斬れば犯罪だ。

 虎子が主将だったらと未だに思う。思ってしまう。

 中学には男子剣道部しかなかった。そこで樹は上級生にいびられていた。


 クォーターだからか理由はわからないが、露骨な暴力はなかったものの、僕と出会う前から「木偶でくの坊」と言われ馬鹿にされていた。気も弱くなる。

 樹は今の軟派な姿からは想像もできないほど暗く、臆病だった。


 だから僕は樹を鍛えた。もちろん同情もあったが、それだけではない。上級生の偉そうな態度が気に入らなかった、そちらのほうが理由として大きい。

 僕は樹を虎子の道場に招き、掛かり稽古を何度も行った。竹刀の打ち合いで彼はどんどん腕を上げていった。

 当然であろう。


 樹には恵まれた身体があり、足りないのは気迫だけだったのだから。

 樹は瞬く間に剣道部のエースとなった。僕と違い、顧問の教師からも可愛がられ、一年生でありながら団体戦の大将に任命されるまで成長した。

 それが上級生の劣等感に火を付けたのか。


 真面目な樹は風邪を引いているにもかかわらず、先輩に言われるがまま雨の中を走らされ、肺炎で倒れた。救急車で運ばれ、一週間ほど入院した。

 上級生は責任を取らず、教師も追求しなかった。知らぬ存ぜぬ、学校はただの事故扱いだ。


 幼稚な僕は復讐心に心満たされかけたが、途中で虎子と話し合い、思いとどまった。

 怒りや憎しみで振るうために、この剣はあるのではない。そんなことをすれば佐々道場の先達に申し訳ない。

 それに法律もある。暴力はいかなる理由があっても暴力だ。僕は法治国家の一員なのだ。

 ……と、色々御託を並べてはいるが、結局、僕は何も出来なかったのだ。

 三年祭のあの夜、虎子に何も言えなかったように……。

 僕は窓を見た。ガラスの向こうに青空が広がっている。今朝の新聞によると、長かった梅雨が明けたらしい。

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