#2 「カメレオンは好きじゃないんだ」
ぼくはかつて<一日だけ消えた少年>と呼ばれたことがある。
けれど多くの人はそんなことは知らない。そして知ったところで、ぼくを羨んだり煩わしく思ったりもしない。ぼくは一日だけ記憶喪失になったという点以外は、なにひとつ他の人と変わらない、ただの少年である。そして日陰者だ。
幼馴染のふたりを除けば、友人は皆ぼくのことを「タテワキ」と呼ぶ。
一年生の一学期初頭。担任の今江紀美子という先生が帯刀田という名字を読み間違えて呼んでしまったのがその始まりである。
今江先生はこの学校で最も若い先生で、ぼくらが伊ヶ出高校に入学したのと同時期から、教卓に立つことになった。
漢字が苦手らしく、珍しい名前の人はよく間違えてしまうらしい。申し訳なさそうにクラスの皆にそう弁解していた。
そのとき恥ずかしそうに耳を赤くした仕草が、なんだか歳の割には初々しくて可愛いかった。
ともかくそれ以来ぼくのあだ名はタテワキとなり、一年経った今、さらにその名前は浸透していった。
<写真部>の活動記録を提出するために生徒会室に顔を出したとき、<図書委員長>兼<文化祭執行委員長>兼<生徒会副会長>の肩書きを持った菅原先輩から生徒会の皆さんに紹介され、上級生の人たちにも名前を覚えてもらった。結果、ぼくのあだ名は知っていても名前は知らないという先輩が増えたりもした。
これに入学当初から校内で八面六臂の暗躍をしていたことで学校中にその名を轟かせたぼくの幼馴染み――鷹木彰人の友人と認知されたことが大きく影響し、伊ヶ出高校ではそこそこ、顔馴染みの生徒が多くなっていった。
名の知れた生徒、というやつだ。
けれどここ一年――つまりぼくらが入学してから、二年生になるまでの間。
そんな彰人と双璧を為す問題児と化した<怪奇倶楽部>部長、安藤すずなの相棒となったことでぼくの〝名の知れた生徒〟という肩書きの頭には「悪」という字が乗ることになった。
もはや校内で<怪奇倶楽部>を知らない生徒は一人もいなかった。
風の噂で聞いた話によると、どうやらぼくは〝堕ちた優等生〟と呼ばれているらい。そういえば<写真部>を立て直したときは優等生扱いされてたっけ。今となっては懐かしささえ感じる。
いつもどおり、安藤さんの招集により<怪奇倶楽部>に顔を出すことになった。
一年経った今も、<怪奇倶楽部>の集会は常に<写真部>の部室で行われている。
放課後は特に用事がない場合ここに集まり、「トイレの花子さんがどうのこうの」だとか「口裂け女がこれこれこういう」といった話をしつつ、それを肴にジュースを飲んだり、お菓子を食べたりしているわけである。
ぼくは少し憂鬱だった。
春休みに入る前に、安藤さんは「父が悪魔と人間のハーフだと判明した。その血を受け継いだ自分もまた闇組織との聖戦に行かなければならない」という謎の言葉を残して去っていった。
もし安藤さんが本当に闇組織と戦っていたならば話は別だが、平凡な一市民である彼女と世界を牛耳る秘密結社の間にはなんの接点もない。おそらく「父方の実家に帰る」ということを彼女なりの表現に変えて発した言葉だったのだろう。
おそろしいのはその言葉ではなく田舎に帰省している間に彼女が何を企てたのかだった。去年の秋ごろは彼女の思いつきで廃墟旅行に出かけたが、どうやら知らぬ間に近隣住民に通報されていたらしく、記念写真を撮ったところで警官と追いかけっこを繰り広げることになった。追いかけられるのは慣れていたが、旅行先でそんな目にあったものだから、ぼくらは帰宅してからもしばらく、妙な焦燥を拭うことができなかった。
《くぅ~~……、組織の連中めぇぇ……》
次の日あたり安藤さんに電話したら懲りずにそんな恨み言を呟いていた。
おそらく春休み中に、組織の連中を見返す算段を整えていたに違いない。ぼくは悪寒に身を震わせながら写真部のドアを開けた。
「やあ、タテワキくん」
そうぼくに声をかけた安藤さんは机の上でトレーディングカードを何束かの山に分けて整理していた(海外発祥のカードゲームで数年前にブームは過ぎたけど、未だ日本にも根強いファンが残っている。かく云うぼくもそのひとりだった)
去年の冬にぼくがプレイ方法を教えて以来、安藤さんもすっかりこのゲームにはまっている。
「春休みはこの子と戯れていたせいで活動を疎かにしちゃったよ」
安藤さんはグロテクスクなゾンビのクリーチャー・カードを指した。
「ああ、そうそう。おじいちゃん家で<くねくね>を探したけど見つからなかったよ。スマフォ用の三脚とか買って、一日中撮ってたのにさ。<八尺様>関係の危なそうなお地蔵さんとかもなかったし。やっぱギャザしかやってなかったかも」
「そうかそうか」
安藤さんは学生鞄からオカルト雑誌<テラー>を取り出した。
「今日、テラーの発売日だったからね、買ってきちゃったわけなのだよ~」
ここ数か月、我々<怪奇倶楽部>の活動方針はネットに落ちている無数の都市伝説を除けば、ほとんどこの人気雑誌の掲載情報に依存していた。
伊ヶ出市で発刊されているこの雑誌の巻頭には『今、もっともホットな都市伝説はこれだ!』の見出しと共に、最新の都市伝説情報が掲載されている。<怪奇倶楽部>はその記事に書かれているネタを順番に調査し、真相を確かめていきつつも、それらを偽造するにはどういう計画を立てるべきかを話し合うのである。
「しかしよくもまあ毎回こんな記事が書けるよなあ、緑上さんも」
ぼくが呆れていると、安藤さんは鞄にぶら下げているマスコット、<クルブシくん>の人形を撫でて言った。
「そりゃあ、この街の名物だからねえ。ねぇクルブシくん。……あ、早速載ってますね、ホットな都市伝説」
安藤さんはご機嫌に、広げた怪奇新聞の特集記事<落下する男>という文字を指した。
「落下する、男……。なかなか面白そうだな。なんて書いてある?」
「えーっと……」
テラーを読みながら、安藤さんは唇に軽く人差し指を当てる。
「話の発端はこうだよ。まず最初、午前零時に消灯して誰もいなくなったはずの<伊ヶ出タワー>から人が飛び降りた。近くにいた人が偶然、それを見たんだって。
次に、目撃者の人が警察に通報したんだけど、地面には遺体がありませんでした。それどころかタワーの鍵は全部施錠されてて、警備員の人だって誰も見ていないって云ったらしいよ」
「事件にはならなかったのか?」
「まさか。遺体もないし、なるわけないじゃん。なったらなったでこんな雑誌には載らないよ。不謹慎だからね。で、そのあとのことなんだけど。伊ヶ出タワーではもう何度もそんなことが繰り返されてる、らしいね。……うん、そう書いてある」
ぼくは小さく「フムン」と呟いた。
「今日からは、その<落下する男>を調べようか」
「そうだね。でもこれの偽造は難しそうですねえ。ああ、それと───」
安藤さんが次のページをめくろうとしたときだった。騒がしい音を立てて部室のドアが開いた。
中に駆け込んで来たのは彰人だった。
「どうしたの?」
安藤さんの声にかまわず、彰人は掃除用具の入ったロッカーに飛び込んだ。ぼくは急いで部室の窓を全開にした。安藤さんが不機嫌そうな様子で「もーっ」とため息をつくのと同時に、今度は別の生徒たちが駆け込んでくる。
「鷹木を見なかったか!」
三名の生徒たちはそれぞれ柔道着、陸上着、校内指定のジャージを身に着けた三人で、いずれも見るからに「熱き青春」の奴隷。スポ根主義者だと云わんばかりの体つきをしている。
およそ一介の高校生の表情とは思えぬ剣幕。日頃から熱い息を吐いているだろう口から次々に「鷹木は!」「鷹木は!」という言葉が出てくる。
「さっきあの窓から出て行きましたよ」
ぼくがそう言って窓のほうを指差すと、彼らは顔を見合わせて怪訝そうな表情を浮かべた。
「バカな……、ここは二階だぞ」
「しかし鷹木ならやりかねん。ええい忍者のようなヤツ!」
「あいつなんであんな運動神経いいんだ」
などと云いながら部室から出ていった。
彼らの気配が完全に消えたころ、埃まみれになった彰人がロッカーから抜け出てきた。けほんけほんと咳き込みながら、彰人は申し訳なさそうに苦笑いを浮かべ、安藤さんとぼくに「悪ィな」と言った。
「いィ~やァ~、ちょっち運動部の連中に追われてまして」
「また何かやらかしたのか?」
「まあなあ」
彰人はヘラヘラ笑いながら、フゥーとため息をついた。
「鷹木くん、あのさぁ……」
「悪ィなぁ部長。もうちょいしたら出てくから、そんな怒ッちゃヤだぜ」
表面上は苦笑いをしつつも、内心まったく悪びれていないのだろう。彰人は今までに何度もこんなことを繰り返しては同じように平謝りをしてその場を凌いでいる。
「ここは<改奇倶楽部>です! 部に関係ない問題ごとを持ち込むな!」
「安藤さん、怒ってるとこ悪いんだけど、一応ここ<写真部>なんだけど。ついでに安藤さんも写真に関係ないものを色々と持ち込んでんだけど」
「うるさいタテワキ!」
安藤さんの怒鳴り声が外に漏れないよう、ぼくは黙って窓を閉めた。彰人はそこらへんに置いてあったカップにコーヒーを注いで、猟犬のように「グルル……」と唸り声をあげる安藤さんをなだめるようにそっと差し出す。
「アンドー、コーヒー飲むか?」
「要りません! 不必要! あんたと同じ!」
「もしかしてオレ……嫌われてンの?」
彰人はばつの悪そうな顔をしながらコーヒーをすすった。ちなみに彼は無糖派だ。ぼくはミルクと砂糖はアリアリ。
「アンドー、お前ブラック好きだろ? まァ飲めや……」
「別に好きじゃないもん」
「でもよォ~、飲むときはいつもブラックだろ?」
「うん。……そのほうがなんか、恰好いいし」
ちなみに、ご存じのとおりぼくはミルクとシュガーありあり派である。
「そういや彰人。お前まだ進路希望提出してないだろ。今度はちゃんと出してくれよな。頼むよ」
ぼくは二年生になってからもクラスの委員長を任された。そのぼくに与えられた最初の仕事というのが、進路希望票の回収である。
ところが彰人は一年生のときに一度も真面目に進路票を提出せずに逃げ延びた男であり、ぼくは最後までこの男から進路票を回収できなかった。そのときに失った信頼を今年こそは必ず取り戻し、前年度の無念を晴らさねばなるまい。
「進路ね……公務員ンなって安全で順風満帆な余生を送ってやろうかな」
「公務員って、お前が?」
「オウ。疲れ切っちまッたのさ。……なにもかもにな」
ふと横目で安藤さんの顔を伺うと、彼女は「もう呆れて何も云えんわ」といった感じで口をぽかんと開けていた。ぼくにとっても別段笑えるジョークではなかった。
彰人はグイッとコーヒーを飲み干して軽く咳払いする。
「そろそろ行くぜ。邪魔して悪かッたな」
適当に手を振って出て行こうとする彼の背に、安藤さんが「鷹木くん、日曜来る?」と訊いた。
「いやァ~~……行けたら行くわ」
「あっそ。来ないってことね。わかったよ」
「ココの部長サンは物分かりがよくて助かンよ! じゃあな!」
安藤さんがまたため息をつく。外ではもう夕日が落ちかけていた。
「安藤さん、今日はこれからどうする?」
「ああ、そうだね。<落下する男>は深夜にしか出ないっていうから、他のも探そうって言いかけたんだった。〝バカ木〟くんのせいで忘れてちゃってたね。まあそれは置いといて……」
安藤さんはテラーの次の頁をめくった。
明日は土曜日で特に予定はなく、明後日の日曜日は<改奇倶楽部>活動の日である。安藤さんが先ほど云っていた<落下する男>を調べるには丁度いい。明日は昼まで寝てやって、起きてからネットで一通り詳しい情報を探ったあと、夜中に<伊ヶ出タワー>まで行ってやろうではないか。父さんにもなにか心あたりがないか聞いてみようか。まあ期待はできないけど。
……そんなことを考えていたとき、なにか不穏な光景がぼくの視界にちらついた。
「これ。<消えるカメレオン>っていう都市伝説なんだけど。今度調べてみない?」
そこには伊ヶ出のビルに張り付く大きなカメレオンの姿が映っていた。おそらく合成画像だろう。雑誌編集者が作り上げた悪質なコラージュに違いない。
ぼくは安藤さんの手から<テラー>を取り上げ、別の頁をめくった。
「カメレオンは好きじゃないんだ」
「え、そうなの? なんで?」
頭の先端に疑問符を浮かべる安藤さんを見つめ、ぼくは答えた。
「どうも、こう……、生理的に受け付けないっていうかさ。……嫌いなんだ。見てるとイライラするんだよ。不安になるっていうか……」
安藤さんが歯切れの悪そうな顔をする。
「じゃあ日曜までに、夕方の時間帯で調査できそうな都市伝説探してくるよ」
「うん」
「あ、それと――麗薙ちゃんが月曜日に来るって」
「来るんだ? ここに?」
「そう! 楽しみだねえ、新入部員!」
安藤さんのこの言葉で、今日の活動は終了した。
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