二章 <ペルソナ殺し>
#1 「ネットアバター」
彼のことはよく覚えています。
伊ヶ出高校で入学式を終えた日、わたしたちはネットアバターといっしょに自己紹介をしたときのことがあまりにも印象的だったからです。本人は気づいていませんが、クラスのみんなにとってもそうだったのでしょう。
わたしの苗字は「安藤」――クラスでは一番最初に名乗りを挙げる役です。
〇
同じ人物が同時にふたり存在するという怪奇現象<ドッペルゲンガー>は世界的にも有名な都市伝説の類だが、時代がそれを現実のものにした。ただし自分とうり二つのそれがもたらすのは「幸運」である――とアーカム大学は主張しています。
かつて仮想空間は潜るものでした。
人々はネットに「ダイブ」し、新たなる「電脳」という技術に夢を見ていました。
けれどそれも過去の話だ。
脳を改造する必要はありません。だって、潜らなくてもいいのだから。
ネットが<潜るもの>から<平行するもの>になったのは、人々が仮想世界に情報知性体と呼ばれる新たな知性を誕生させてからのことです。情報知性体の役割は仮想世界で人間のつくった情報を管理すること。情報化社会が進むに連れて、人々は個人で情報を管理することが難しくなりました。人々は背負い切れなくなった情報という力をコントロールするために、情報集合体を用いて仮想空間にもうひとりの自分を作りました。それが<ネットアバター>です。どうしようもないほどに膨れ上がった「情報」というものを、人はもうひとりの自分を作ることで処理しています。
「ネットアバターは我々の隣に立っている」
それこそがネットが平行するという時代の証明だと云われています。アバターはわたしたちといっしょにSNSの管理パスワードを共有し、ATMの暗証番号を管理し、恋人との思い出を語り、はじめて我が子を見たときの喜びを分かち合う。だって、アバターは我々自身なのだから。死んだ祖父母のにおいが思い出せないのならば、仮想世界で祖父母のネットアバターに会えばいい。取り壊されていく田舎町の情景を記録すれば、仮想世界に記録したその街に行けばいい。記憶への扉は我が身の分身が「記録」しているのです。
伊ヶ出市の中心部にある<伊ヶ出タワー>には、大型情報集合体(ビッグブラザー)と呼ばれる、大きな大きな情報知性体が、街の人々が持つネットアバターのオリジナルを管理しています。大型情報集合体はそれそのものが仮想世界のサーバーであり、デバイスを通じてネットにアクセスする場合、わたしたちはこの大型情報集合体を経由します。
わたしもがはじめてネットアバターを手に入れた日、わたしは伊ヶ出タワーで体中をスキャンされました。そのすぐあとに、デバイスのなかに自分そっくりの姿をした情報知性体があらわれて、簡単な言葉のやりとりをしました。最初はおぼつかない口調だったアバターも徐々にわたしの喋り方に似てきて、数日後には考え方までそっくりになったのだから驚きです。
その後、そのアバターはわたしが知らない間に<子アバター>と呼ばれるアバターのコピーにすり替えられていました。では先ほどまでわたしのデバイスのなかにいたオリジナルはどこへ行ったのか。
父にそれを訊くと、伊ヶ出の大型情報集合体<プラウダー>の下へ旅立ったと聞かされました。わたしたちが子アバターを失ったとき、オリジナルを管理する<プラウダー>が次の情報知性体を生み、それをわたしたちの新たな子アバターにする。
これでわたしたちはネットアバターを失うことがなくなったわけです。
〇
話を戻しましょう。
<ペルソナ殺し>と呼ばれる電子犯罪者が姿を消してからしばらく経った日。
わたしはクラスで自己紹介を終えて席に座りました。伊ヶ出付属中学という故郷を離れ、新たな学校生活に一抹の不安を覚える乙女心を抑えながら、せめて高校生になったからには普通でありたいと願っていたときのことです。
ある生徒が新任の先生に名前を間違えられました。
「タテダイチマです。タテダイチマ……」
その生徒はクラスでとても背が高く、しかしどこか幼いぼんやりした顔つきで慣れたようにそう答えました。先生も苦笑いして、少し顔を赤らめました。
わたしはやれやれと思いながら、頬杖をついてため息をつきました。
(――この学校にわたしの心を理解できる友人は現れるのだろうか。そもそも友人というものを作るべきなのか。当分はクラスでは大人しくしておいて、ネットラクロスでそこそこの成績を挙げているラクロス部に入部しておこう。そういえば黒御影という選手がなかなかの強者らしい。陸上部には弟の友達のお姉さん、端本花澄さんもいる。ぼっちになることはまずないだろう。けれど……写真部にだけは注意しなければ……)
そんなことを考えていたとき、不意にクラス中がざわつきました。
何事かと思うと先ほどの生徒がなにか妙なことを口走った様子。
「アバターは死にました」
「えっと……新しく作ってはいないの?」
「はい。親アバターも死んだので」
またクラスはざわざわしています。わたしも思わず口をぽかんと開けてしまいました。先生はううん、と唸りながらその生徒に頭を悩ませているようです。
「でも帯刀田くん。授業にはネットアバターがないと難しいですよ」
「大丈夫です。紙とエンピツがあるので」
その言葉を聞いたときのわたしの気持ちの昂ぶりようはどう表現したものでしょう。
〇
「実を云うと、そのときからわたしはタテワキくんが気になっていたのです」
改奇倶楽部の結成から一年が経ちました。
今、彼の前には<ペルソナ殺し>と呼ばれる怪人が立っています。
さあタテワキくん。
約束を果たしてください。
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