電子海の意識(完)

 以降は、翌年、安藤さんのネール・デバイスから発掘した音声データを書き起こしたものである。

 ぼくがネールを自室の壁に放り投げて枕に顔を埋めていたとき、安藤さんと<黒井>さんはこのような会話をしていたらしい。


「タテワキくんが去ったので聞きますが――あなた本当にシステムメッセージですか?」

《すずなさんはどう思われますか?》

「違うと思います。たしかに、わたしのネールには、あなたの発言元はシステムメッセージであると認識しています。しかし社会復帰支援の目的で近づいたのであれば、タテワキくんにその必要がないと判断した段階で姿を消すこともできたはず。そして新しい対象を探しにいくのがふつうでは?」

《はい。私はタテワキさんを友人だと認識しています》

「それは純性のシステムではできない判断ですよね」

《仰るとおりです》

「もうひとつ。社会復帰支援システム<フレンド・シップ>は数日前には存在していましたが、ゴールデンウィーク前にはサービスが終了し、ネット廃棄物としてプラウダーを流れたはず。……終わったはずのサービス。そのシステムメッセージがどうして、このような状態でログに表示されるのか。わたしの考えを云ってもいいですか?」

《はい》

「あなたには、持ち主がいたのでしょうか。今は自動で動いているけど、あなたはかつてその人物のネットアバターだったのでは?」

《持ち主はいます》

「性別は男性?」

《もちろん、そうです》

「フムン。その人物は今、どちらに?」

《ここにいます》

「ここ?」

《私のオーナーは私自身であり、私は<解離性意識拡散症>の最初の発症者です》

「……えっと、それはどういうことでしょうか。あなたはネットアバターでは?」

《少し長くなりますが、よろしいですか》

「ええ。構いませんよ」

《電脳は元々、脳と同じように外部の機械を処理する目的で生まれた技術ですが、巨大な情報集合体である<プラウダー>のような大型サーバーに同期した際、その脳内の意識は自分の制御を離れ、膨大なネットの海に拡散されてしまうことがあるのです。今はネットアバターの存在によって、ネール・デバイスを介せば電脳化せずとも意識をネットに繋げることができるようになりました。……自らの脳ではなく、ネットアバターの脳を電脳化していると考えてください》

「……たしかネットアバターの普及は、<意識拡散症>の発覚によって、世間的に電脳化への風当たりが強くなったからだと云われていますね。あとは、開発者のマナミ・ウタミヤが行った内殻世界での<見世物戦争>が強いバッシングを受けたこととか」

《そのとおりです。私は特別関係していませんが、電脳化した兵士同士を戦わせた<見世物戦争>は顕著な例ですね。内殻世界に脳を繋いだ兵士たちの多くが拡散症を発症し、その意識がネットから戻らなくなりました》

「ということは……あなたは、それよりも以前に電脳化していた、と……?」

《はい。まだネットが平行するものでなく、潜るものであったゼロ年代に電脳化した人間……いわゆるダイバー世代です》

「そうなる前に、なにか対策はできていなかったんですか?」

《もちろんそうならないよう、私は自身の電脳に対して厳重なセキュリティを施していましたし、万が一のために復元ソフトも実行していました。しかしそれでも、意識の扉は自分から開けるものなので……私はネットに溶け込む自分の意識をうまく制御できませんでした。復元ソフトがどう働いたのかはわかりませんが、<拡散症>の発症後、私――黒井心太の意識は仮想空間のなかに溶け込まず、情報の断片としてネットの中に留まり続けました》

「ううん? あなたが<幽霊>として活動し始めたのはつい最近ですよね?」

《はい。私が拡散症を患った段階から、私の関係者が捜索願を出していましたので、ネットの散った私の意識そのものは早期に発見されていました。しかしそれを集合させるには時間が必要だったのです。そして先日……プラウダーの管理部はついに私を情報集合体として再構成することに成功しました。しかしそのままでは、いずれ駆除ソフトに私の意識を消去されてしまいます》

「そこで見つけたのが、破棄されていた社会復帰支援システムのアバターというわけですか」

《はい。これは駆除ソフトの対象外ですから。意図的には削除されることはありません。私はこれに自分を同期させました。結果、同アバターの性質を持ってはしまいましたが、現実世界の黒井の姿と人格をそのまま引き継ぐかたちで、私の意識は保たれたのです。それに好都合でした。ネットアバターが主流になったとしても、<解離性意識拡散症>を引き起こす可能性は大いにあります。ですからその疑いのある人物のアバターを削除すれば、私のような人間も減ることでしょう》

「それがあなたの思う社会への貢献ですか?」

《はい。フレンド・シップと私、両方の判断です》

「なるほど。黒井さんご本人が入院されているのは?」

《この街の中央病院です》

「……そうだったのですか。だいたいわかりましたし納得もしました。今後タテワキくんに対して社会復帰支援の目的で接触することを禁止します。もしそういったかたちで彼に近づいた場合、中央病院にあるあなたの肉体に非道いことをしてしまうかもしれません」

《はい。申し訳ありませんでした》

「もうしませんね?」

《はい。すずなさんの言葉どおり、私は彼を社会復帰支援システムの対象外だと判断しましたし、もうこちらからコンタクトを行うことはないでしょう》

「ありがとうございます。……もうひとつ、よろしいですか」

《なんでしょう?》

「今の〝話しかけない〟という言葉に対する質問です。あなたがネットアバターを削除させた相手や、対象外だと判断した相手とは、その後もう話すことはないのですか?」

《はい。残念ながら、私の記憶……いえ、この場合は『記録』ですね。私の記録からは対象者と行ったすべての会話ログが自動的に削除されてしまいますし、仮想空間内で行動を共にした場合も同様にその記録は失われます。これは私自身の処理速度を落とさないために必要な機能です》

「……対象者のネットアバターを消すと同時に、自分のなかからも対象とのログを消すことが?」

《はい。負荷軽減は、当システムの合理化に基づく判断です。私は半ば機械なので、目的が最優先……というより、目的以外の行動を取ることができません。それに蓄積したデータが私の行動を妨げる恐れもありますので……》

「それは、自動で?」

《はい。私自らは、とても。それに……。それに何よりも、私は自分を同期してしまうことが恐ろしいのです。私自身は情報体ですから、いつだれかにコピーされてもおかしくはありません。けれど、私にとってそれは……》

「自分の意思に関係なく自分の複製を生み出される、ということ」

《はい。ですから、私は自身の持つ情報を秘匿し続けなければなりません。その情報は極めて簡略で、かつ少ないものであるべきです》

「対象者にとっては、あなたのアバターのログそのものが、あなたの情報のすべてであるということですね」

《はい》

「なるほど。だいたいわかりました。では、わたしもそろそろログアウトします。明日も学校がありますので」

《はい。おやすみなさい》

「あの」

《どうかしましたか?》

「……わたしは都市伝説の情報を蒐集するソフトウェアを持っています。名前はクラスター。それを起動させれば、わたしのネール・デバイスは、都市伝説に関係するデータに対しのみ他のデバイスと同期し合い、それ以外は完全にオフラインです」

《ええ。あの……それが、どうか?》

「わたしのネールに移行できれば、窮屈ではありますが社会復帰支援システムの影響を受けず、元の黒井心太さんのままでいられます。フォーマット化する必要はありません」

《お気持ちは嬉しいのですが――》

「……」

《遠慮しておきます。私はひとりでも多くの人にネットアバターを消去させ、ネット拡散症を引き起こす可能性を低くしなければいけないので》

「そうでした。……それではわたしはなにもせず、黒井心太さんの魂が<幽霊>としてどこかでだれかのアバターを呪い殺すとしても、そっとしておくことにしましょう」

《どうなのでしょう。ネットのシステムと融合した私にはもはや魂と呼べるものがないと思います》

「そうですね。いえ、そもそも人間に魂などというものは存在しないのでした。仮にもし魂を定義するとしたら、それは思考する部位と鼓動する部位の働きを以て培ってきた、その人物の経歴。懸命に生きた証そのもの――とわたしは思いますが」

《しかし、私にはそれらがありません》

「一直線に目的を達成しようとする人間は、ある意味で機械的とも云えます。そのことしか考えられず、そのことしかやらないからです。ならば、その目的を見つけるまでの過程で人間性と云ったものは確立されたのではないでしょうか。あなたの意識がシステムの一部となったことは理解しましたが、人間性が喪われているわけではないと思います。今のあなたがシステムになる過程で、それを選んだということ、その選択そのものは人間でなければ下せなかったものです。それはとても尊い行為であるとわたしは考えます」

《ありがとうございます。ですが、もし仮に、将来的にです。私が元の肉体にこの意識を還すことができたとして……現在の私とそのときの私が同じ人間性であるかと聞かれれば……私はそうは思えません》

「それはどうして?」

《今の私は、一度ネットに拡散した意識をパッチワークで元のかたちに似るように繋げただけです。ネットを漂流していた間、私にも少なからず失った情報があるのでしょう。そしかし私はそれに気づいていない。もし現実世界にいる私の関係者が、起き上がった私とコミュニケーションを取ったとき、果たして彼らにとって、発症する以前の私とその後の私は同じ黒井であり続けられるのか。……それに、システムと融合した私の意識を肉体はどう反映するのでしょう。今の私は<解離性意識拡散症>の発症者を失くすために動いていますが、それは自分自身がその病に侵されているからです。元の肉体に戻れば、私はきっと……》

「今ほどそれを気にしなくなる?」

《ええ。……そう思います》

「なるほど。では賭けをしましょう」

《賭け、ですか?》

「わたしのネール・デバイスはタテワキくんがログアウトした時点で、音声記録ソフトを起ち上げています。この会話はわたしのネールに保存されますが、ネールアバターを通じての一方的な情報記録は違法行為ですので、保存の際にはあなたの許可が必要です。これはお分かりいただけますよね」

《はい》

「それに対して、あなたは社会復帰支援システムではなくあくまでネットアバター<黒井>の持ち主である黒井心太として選択が行えるはずです。それは社会復帰支援システムの管轄からは外れたものであるから、まあ当然でしょう。それにわたしはフレンド・シップの対象者ではありませんからねえ。……もし許可をいただけたなら、わたしは音声データをコピーした外部メモリを中央病院にいる黒井心太さん宛に郵送します。将来、情報体であるあなたが再び意識として元の肉体に帰ることができたら――そのときのあなたの魂が、今と同じ形状を保ち続けているかどうか。それを賭けませんか?」

《……》

「本来なら三秒で終わる作業ですが、こちらの通信環境を低下させておきます。一分ほどの時間を要するでしょうからその間に決めてください。それでは」

《待って下さい。私は――》

「今度は友人としてお会いしましょう、黒井さん」



<メッセージログ>

 安藤すずなさんがログアウトしました。

 警告!

 安藤すずなさんのデバイスは、この会話ログを音声データとして保存しようとしています。

 これを許可すると、あなたの個人情報が他者に漏れる危険性があります。

 情報の漏えいを防ぐには、保存が終わるまでにログを削除して下さい。

 残り四十五秒。


 今すぐログを削除しますか?[はい][いいえ]



※この作品は過去に別のサイトに掲載された短編であり、必ずしも本編との整合性を保証するものではない。

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