番外編<自動人形>

人形の館

 あなたは写真部の窓辺から曇天を見上げる。湿度は高い。天気の話をすると、級友たちは浮かない顔をする。今は梅雨。人が最も嫌う六月の半ば。しかしあなたが厭気を背負っているのは、天気のせいではない。あなたは今、評判の悪い先輩の相談事に付き合っている。

 その上級生――伊ヶ出高校二年生の日佐間が陰で<イナフ先輩>と呼ばれているのをあなたは知っている。あなたはこの人物と親しくはない。しかし彼は藁にも縋る思いであなたを訪ねてきた。それはあなたが、校内で<改奇倶楽部>と呼ばれるを非公式部活動を起ち上げ、不可思議現象に関する蒐集を行っているからだ。

 彼はあなたにこう話した。

「つい先日のことだ。ネットアバターを盗られたのは。人形の館。そんなアトラクションがプラウダーにあった。サーカス団みたいに拠点を動かしながら、仮想空間のなかを巡ってるらしい。そこに女の子たちのアバターを連れて行こうと思ったんだ。けどデートには下見が必要不可欠のイナフだ。――タテワキもそう思うだろ?」

「デートなんてしたことないからわかりませんけど」

「まぁそんなことはどうでもよいのだよ」

 その上級生はあなたの言葉なんて聞こうともせずに話を続ける。こういうところが陰口叩かれる部分なのだなあ、とあなたは思う。もっとも、あなただって上級生の言葉を背中で聞き、窓辺から外を眺めているので人のことは云えない。

「ところがだ。人形の館、あれはアトラクションなどではない」

「と云いますと?」

「あれはトラップだ。悪質かつ有害な情報体だよ。さっきから云っているが、ぼくはそこでネットアバターを盗まれたのだ」

 あなたは眉を潜め、その上級生に向き直った。

「なにもせずに、ですか? 一方的にネットアバターを奪われたと?」

「あ、ああ。そうさ。もちろんそうだとも。だから云ってやろうと思ってさあ」

「云ってやる……」

「持ち主にさ――イナフだろ?」

「はあ」

「バックの協力でそいつのネットアバターを特定した。だからこっちもネットアバターを作り直して、ネールの個人通話で話をつけてやろうとしたんだ。そしたら……」

 上級生の顔模様が梅雨の空と同じ色になる。あなたはこの上級生が嘘をついていると感じつつ、それを指摘することはしなかった。そんなことをして、この上級生の機嫌を損ねてしまえば面倒だからだ。彼がもし普段と同じ調子ならば、あなたは背を向けて話していた時点で怒鳴られている。そしてそれを確かめるために、あなたはわざとそういった態度を取っていた。

 あなたは心のなかで、日佐間上級生の精神は今、ひどく弱っていると結論した。

「話し中だったんだよ」

 あなたには彼の言葉の意図するものがよくわかっていなかった。だからあなたはこう訊いた。「またかけ直せばいいのでは?」

「かけ直したさ。何度も、何度も。……でも、そこでやめておくべきだった」

 次の言葉は、あなたにとって、そしてこの改奇倶楽部という団体にとっても決定的な一言になる。

「死んでたんだ、そのネットアトラクションの持ち主」


 ぽつぽつと雨が降り始めた。

 あなたは唇をそっと人差し指の第二関節で触れた。これはあなたの癖のようなものだ。

「いつ?」

「正確な日付や時間は知らないよ。けど、こっちが通話をするよりもずっと前さ。向こうはジジイだったからな、もしかしたら老衰ってのもあるかもしれないけど。それより話し中だったってのが問題だろ。いったいだれと……いや、なにと話してたんだ。死んだ人間がだぞ?」

「電脳化している人間は、心臓が停止しても脳が生きている間はネットのなかで意識を動かせると聞きます」

 上級生は妙に強張った表情をする。そこに嘘偽りはない、とあなたは思う。

「タテワキ……知ってるか? 歳を取りすぎると、人は電脳のための手術に耐えられないって話。だからネットアバターなんてもんがあるんだろ。老害たちにおべっか使いたい人間だっているだろうしな」

 あなたはため息をついた。

「それで、具体的にぼくらになにしろってんです」

「調査だよ。わけがわからない状態がもう何日も続いてる……不眠症なんだ。もうすぐ期末テストだってのに……。ぼくの精神に良くないんだよ。ノットイナフ……ノットイナフ……。だれに話したって信じてくれないんだよう」

「先輩の親からの力で、向こうのネールや履歴を調べることはできないんですか?」

「……死んだら、情報保護のために持ち主のネールは初期化されるんだぜ。その履歴を見れるのはプラウダー管理者だけさ。マナミ・ウタミヤとかさ。……ぼくだってさすがにプラウダーを私用に使うことはできないし。なんのための情報保護だってカンジだろ? それに、人形師のネットアバターはもう消えているみたいなんだ」

 あなたは短く「ン」と漏らす。

「人形師というのは、そのお爺さんのことですか?」

「ああ、人形の館の持ち主だ。その爺さん、生前は人形作家をやっていたそうだ。だからプラウダーのなかにも人形の館なんてものを作ったんだ。そうに決まってる。まったく……運営はなんであんなもんを放置してるんだ。通報しても対応しない……」

 あなたは安藤さんに目を向けた。彼女は頭を振った。それを見て、あなたは上級生にこう答えた。

「ぼくらにも無理ですよ。こっちがアバターを盗まれる可能性だってある」

「改奇倶楽部なんだろ? 頼むよ。きみらくらいしかこういう話題にイナフな連中が見つからないんだ」

「医者に睡眠剤をもらってくださいよ。それはイナフじゃないんですか」

「厭だ、薬は怖いんだよう!」

 上級生は仔犬のようにあなたに泣きついた。あなたはそれを不愉快に思いながらも、その性分ゆえについ云ってしまう。

「……わかりましたよ、やりますよ」

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