<幽霊>
あくる日の放課後、写真部の部室できなこ棒をつまみながらオカルト雑誌を嗜む安藤さんにこのような話をした。
「ぼくと安藤さんはこれまでこの<改奇倶楽部>でくすぶり続けていたね……」
「まだ出会って一カ月経ってませんけど」
「寂しいけれど巣立ちのとき来たり」
安藤さんはちらりとぼくを一瞥したのち、少し頭を振ってまた雑誌に目をやった。ぼくはやれやれ、とわざとらしくため息をついて一言。
「恋をしてしまったのだよ」
彼女は咥えていたきなこ棒をぽろんと唇から逃がしてしまった。
きゃっ、という小さな悲鳴。
「サイアク! きなこ制服についた!」
「ふふふ。その動揺も無理はあるまい……」
慌てて制服からきなこを払う安藤さんを尻目に、ぼくは今の喜びを全身で表現すべく、くるくるとバレリーナの真似ごとを行ったが四回転ほどしたあたりで放置していた掃除道具に足を引っ掛けて派手にすっ転び、パイプ椅子の背に鼻の頭が直撃した。
「なんで箒がこんなとこにあるんだよ!」
「冷蔵庫入れたからでしょ。きみと鷹木くんが」
連休前、掃除用具のなかに小型の冷蔵庫を(もちろん部室にそういったものを置くのは禁止されいるため教師陣や自治会の不備を突いて)設置したのをすっかり忘れていた。
「うごご」
「で、だれに」
「え?」
「相手だよ。恋した相手」
安藤さんは制服の裏地を指で弾きながら器用に粉を落としはじめた。
「フフン、安藤さんの知らない人さ」
「えっ……まさか校外? え~、なになに。塾の講師とか? いやタテワキくん、予備校とか行ってないよね」
「行ってないね」
「んーじゃあネール塾でもないかな」
「おお、さすが安藤さん。ここでネットを判断するとは。いい線行ってるぞ」
「なんだ出会い系か」
安藤さんが鼻で笑った。黒井さんを莫迦にされているように感じ、ぼくは思わず「なにをう!」と呻いた。
「出会い系じゃねえよ。ネットの過疎地帯でたまたま会っただけです。決して出会いを求めてネットコミュニケーションに浸ったわけではない。訂正を要求する」
「似たようなもんじゃん」
「いや、街角でたまたますれ違った相手と親しくなるようなもので、接点などまったくない状態からスタートしたのだよ。なあ、これはもはや運命と云えるのではないか? ぼくの初恋がこのようにドラマティックに始まるとは……いったいだれが予想しただろう。ここから始まる恋模様たるや、それはもう神すらも手に汗握るラブロマンスが期待できるはずだ。なにぜこのぼくですら思いもよらなかったのだからな!」
「まあ結果的にネットで会ったなら、出会い系の類でしょ」
「違うっつってんだろうがよー。ぼくはよー」
「それで、どんな人なの? 写真とかあるの?」
ぼくは少し狼狽える。なんだか気恥ずかしい気持ち。ついにこの選ばれし脳構造は乙女心すらも獲得してしまったというか。自分の才能が恐ろしい。
「安藤さんその、写真とか……発想が意外と大胆ですね……」
「ネットアバター使ったんなら相手の顔わかるんでしょ? スクショとか撮ってるでしょどうせ。やましいことするために」
「やましいことってなんだよ。ぼくが黒井さんで孤独な猥褻遊戯を行うとでも思ってるのか」
「よくひとりでそういうことしてそうじゃん、タテワキくん」
「偏見だ。いや冒涜だ。ぼくは自分の好きな人でやましいことなんてしたりしないぞ。好きな人に負い目を感じるようなことはしたくないし。……してても安藤さんには云わない」
「それで、いいから写真。ほら早く」
やたらと写真を急く安藤さんはどこか不機嫌そうであった。
この小動物的女子生徒に対しこれ以上の秘匿行為は危険である。いずれ凄まじい剣幕でがなり立てられるであろうことは明白であり、そんなことになればこのぼくですらただではすまない事態に陥るであろう。安藤さんは決して暴力は振るわないが、少し性格がヤバく、控えめにいってもサイコパスの気があるのでなにをされるかわかったものではない。胃が痛くなってきた。
ぼくは降参しますと云わんばかりに何度か頷き、自分のネールデバイスに、黒井さんの写真を表示させた。
「ん、思いもよらぬ美人!」
安藤さんの吃驚の声に、ぼくはふふんと顎を上げる。
「そのとおり」
「ん……これ男? 女? どっち?」
「わからん。聞いてないのだ」
「や、プロフィールとかでわかるでしょ」
「ああ――それがさ。黒井さん、ぼくの目の前でプロフとアバター作ってたんだよね。どうしてかはわからないけども」
「なにそれ? タテワキくんの恋愛とかどうでもいいから、そっちのこと詳しく教えてよ」
「なんできみの関心はそっちに行ってしまうかね。だからきみは喪女なのだよ」
「片思いでリア充気取りか?」
「恋はいいぞ安藤」
「そういうのいいから……それで、そのときの状況はどんな感じだったの?」
ぼくは当時の状況を詳しく話すと、安藤さんは栗色の髪をしばし弄び、こう告げた。
「なるほど。運命だね」
「褒めるなよ安藤さん。まぁ出会いはああしたものだったけれど、この短い時間のなかでぼくはきみのことを悪くは思っていなかったぞ。いや、むしろ好意的だった。ふふっ……今でこそ打ち明けられる正直な気持ち。でもね? 黒井さんを知ってしまった今、悲しいがきみとのロマンスはないと断言せざるを得ないんだ。ほんのわずかに期待してもらっても構わないけれど、ぼくは仮にも友人である安藤さんを泣かせることをよしとはしないのだ。わかってくれ……わかってくれ安藤さん……!」
安藤さんは開いていたオカルト雑誌の頁を指さして云った。
「きみは<幽霊>に出会った」
「幽霊?」
「ドンピシャなのだよ、タテワキくん」
ぼくがそのオカルト雑誌を貸してもらおうとすると、安藤さんはそれを机に放り投げた。紙媒体はずささ、と音を立てて着地する。ぼくは少し唖然とし、唐突に秘めたるサディストぶりを如何なく発揮しはじめた安藤さんに若干の被虐心を催したため、思わずそれを隠すように目を伏せてしまった。ドキドキさせんなよ。
「我想う、ゆえに我あり。コギト・エルゴ・スム」
はっと我に返り顔を上げると、安藤さんは自分のネール・デバイス(ぼくと同じ携帯電話型)を取り出し、なにやらソフトウェアを起動した。サディストになったかと思えば唐突に中二病じみた発言を喋り出した……のではない。彼女は音声キーを使ってなにかのソフトウェアを起動していた。
「クラスター」
《はい、なんでしょう。部長》
ネールは少し低めの人工音声で答えた。
「あれ、完成したんだ」
「ゴールデンウィーク中にね。人前では起動するのは初めて」
安藤さんは以前、知人にクラスターなるソフトウェアの開発を依頼したと云っていた。それは都市伝説に関する情報に対してのみ同期を可能とするものであり、それ以外の一切の情報を完璧に遮断する端末管理ソフトである。彼女は自分のネールがこれを搭載した暁には、至高の情報〝蒐〟集マシンとして深化を遂げるであろうとぼくに豪語した。なんということだ。ゴールデンウィーク中にその野望が叶っていたのか。だったらだったでぼくに一言それを報告してくれてもよいではないか。盟友として寂しいぞ。
そんなぼくの気持ちにはお構いなしに、安藤さんは起動したクラスターに命令する。
「ここ一週間以内で、<ネットゴースト>という単語が使われている記事や書き込みから<幽霊>の都市伝説を調べなさい」
《かしこ、まり、ました》
クラスターは実直な執事のように彼女の言葉を聞き入れた。
「こいつ、ちょっとぎこちないな」
「言語学習中だからねえ」
「ふうん」
「その代わり手際はいいから、まぁ見ててよ」
たしかにクラスターの仕事は早かった。間もなく人工音声は自身の作業が終えたことを告げるように《調査終了》と答え、安藤さんは次の命令を下す。
「報告して」
《――<幽霊>とは、仮想空間の中に存在する、宿主を持たないネットアバターのことであり、仮想空間において、対象となるネットアバターに、憑りつき、コミュニケーションを図る意識のことを、差します。これまでに、この意識と交流した、ネットアバターは、すべて、一六八時間以内、に、削除されており、このことから、ネットアバターを、死、に、導く<幽霊>、と、名付けられました。四月下旬ごろ、に、出現したとされ、その正体は特定、されておらず、現行の、都市伝説として、情報が更新、されています》
若干の聴き取り辛さがあったけれど、云っていることは把握できる。なるほど。大した人工知能じゃないか。これなら、改奇倶楽部専属のパーソナルなマシンとして認めてやれなくもない。部長のアシスタントも務めてくれそうだ。
安藤さんはどや顔で、指を鳴らした。
「便利でしょ」
「まあな。けれど――なんだって? 黒井さんが幽霊? ネットアバターを削除する? なあこれ精度に問題があるんじゃないか。あるいは取って付けたようなオカルトを創作するマシンか」
「クラスターはネットにある情報をそのまま教えてくれてるよ。それにほら、テラーの記事にも同じように書かれてるでしょ」
安藤さんは自分が放り投げたオカルト雑誌を再び手に取り、ぺらぺらと頁をめくってぼくに寄越した。ぼくは「最初からそっち見せてくれれば――」と言いかけ、止めた。このとき、彼女が実はクラスターを自慢したくてしたくて仕方なかったことを悟ってしまったからである。ははん。本当はぼくの前でこいつを起動するときを今か今かと待っていたのだな。少しは(見かけと同様に)かわいいところがあるじゃないか。
たしかめてみると、安藤さんのいうとおりオカルト雑誌の記事にも同じことが書かれていた。
「フムムン」
「きみは都市伝説に出会った。改奇倶楽部としては見過ごせない」
安藤さんの目が光る。
「莫迦々々しいな。クラスターの性能は褒めてやらんでもないけど、ぼくという盟友が青春に向かっていくのを恐れた安藤さんの妨害工作という可能性もある」
「いくらわたしでも、この短時間でそんなことはできないよ。しようとも思わないし」
「その自負心には恐れ入る」
「きみも改奇倶楽部の副部長なら、真実を確かめたいんじゃないの」
煽るような口調に苛立ち、ぼくは眉間に力を込める。
「云っておくけど、ぼくが安藤さんに協力してるのは<一日だけ消えた少年>の手がかりがほしいからだ。それ以外にも都市伝説の工作をやってリア充どもをビビらせることだとか私怨は色々あったけど、今となっては興味がない。なぜならぼく自身がリア充になる一歩手前まで来てるから!」
安藤さんはため息をついた。「阿呆」
「なにをう! こんの……小動物が!」
「わたしは、この<幽霊>がネットアバターを削除するまでの流れに、タテワキくんがすでにハマッてると思ってるの」
不意に真顔になる安藤さんから少し目を逸らした。彼女としては、ぼくがこの<幽霊>の術中に既に嵌っているとふうに見えるらしい。ぼくには全然そうは思えないけれど。だいたいからして安藤さんという女子は、自分の脳みそが宇宙と繋がっていると信じている節があるし、彼女の口から出る言葉すべてを真に受けていたらいつかこっちの頭がエイリアンに侵蝕されそうだ。
「その黒井さんってと会話したログを見せなさい」
「ヤだよ。安藤さんのなかでは黒井さんが容疑者なんだろ。だいたいその態度、まるで裁きにでもかけるみたいじゃないか。黙秘権を行使する。絶対に教えん」
「大丈夫。タテワキくんの恋はわたしに裁かれて終わるラブロマンスじゃない。素晴らしいものだよ」
「たしかにね!」
ぼくはネールを操作し、一番新しい会話ログを参照した。
安藤さんが鼻を鳴らす。
「なんで笑った?」
「いや別に」
「まぁいい。そしてとくとみるがいい。これが桃色遊戯に至るまでの前日譚となるものだ。これからのきみは裁判官ではなく証人となるのだ。ぼくと黒井さんのラブとラブが重なり合った瞬間の証人にな。観測者だよ。ぼくと黒井さんが結ばれた暁には、結婚式でスピーチするときにでも役立ててくれたまえ!」
安藤さんは数日分の会話ログを読み始めた。
そして五分ほど経過したのち、再びクラスターを呼び出した。
《はい》
「このデバイスへの同期を許可」
人工音声は《かしこまりました、部長》と答え、ぼくが止める暇もなく同期を終了した。
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