番外編<幽霊>
一麻、恋をする
五月三日。ぼくの意識はネットのなかにあった。
連休中、特にすることのなかったぼくは、普段は同期などさせていないネールデバイス(このデバイスの形は様々だけどぼくの持つそれは前時代に流行した携帯電話機と同じ)をネットに繋げ、この無課金でもそれなりに遊べるゲームをプレイして無為に過ごしていた。とにもかくにも世の中はなんでもかんでも金・金・金である。ボーリング行くにも金。カラオケ行くにも金。おしゃれするにも金。マンガを買うのも金。オンラインゲームをするにも金。ぼくのような高校入りたてで特にバイトする気も起きない学生にとっては母親に拝み倒して恵んでもらう小遣いがすべてであるにも関わらず、世の中は本当にお金がないとどうにもならない。逆であって然るべきと常に思う。どうせ大人になれば仕事々々の生活が待っているのだから、学生時分にたくさんお金をもらったり使ったりして、思う存分、己が好奇心を満たすべきなのである。それにより得られる経験はきっと学校では学べないものであるに違いないし、大人になるころにはそういった経験をしていたかいなかったかで大きく差が生じるのだ。絶対にそうなのだ。
それなのにぼくときたら、暇で暇で仕方ないのである。不条理を感じる。財布のなかに一銭も入っていないわけではない。しかし五月のはじめにもらったこのなけなしの金をどうしてゴールデンウィークなどという刹那的な快楽のために消費できようか。
やることもなし。新しいなにかを得るだけの金もなし。ぼくの連休はただぼけーっとするだけの無為な日々に終わってしまうだろう。そう。このぼくの状況を見ればだれだってそう結論するに違いない。ぼく本人ですらそうだったのだから。
ところがどっこい。この『基本無料』という宣伝文句のオンラインゲームは遊ぶだけならタダなのである。もう一度繰り返すが、そう、タダなのだ。タダ。
ぼくにはお金がない。
だからお金のかからないゲームをする。
「ああ……なんということだ。最初からこうすればよかったんだ……」
つくづく自分の聡明さを実感する。いやぁ~やはりぼくは頭がいい。そんじょそこらの高校生とは作りが違う灰色の類の脳細胞をフルに活用し導き出した結果、このような方法で『退屈な連休』という試練を難なくクリアしてしまったのだから。天才的、あるいは鬼才という言葉がまさに相応しい。大昔より日本には八百万神がいるというが、さしづめぼくは八百万とんで一番目の神童である。敗北を知りたい。
思い返せば、家庭用ゲーム機以外のデバイスでオンラインゲームをプレイするのは初めてのことであった。仮想現実に別荘を作り、そこで特定のだれかと関係を築くなんて煩わしいことを同年代の友人は習慣的に行っていたけれど、ぼくには今ひとつその感覚がよくわからなかったのである。そりゃぼくとてゼロ年代生まれの高校生。物心ついたときから家庭内にパソコンがあったわけだけれど、そのころにはすでに仮想空間に意識を溶け込ませることに対する嫌悪感があった。それが昨今、ツイッポーだのデュクシィだのというSNSに自分の感情やポエムをつらつらと書き連ねるセンチメンタリストが急増し、それがもはや当たり前のような風潮になってしまっているではないか。実に不甲斐ない連中だ。ネットで馴れ合うよりもまずはその性根を叩き直したほうがよい。
おまけにネットコミュニティに熱心な同級生の西田などは「帯刀田もやってみたらどうだ? そんときはID教えてくれよな!」などと自分と同族を増やすことにかけても情熱を怠らない始末だ。
「ネットを使って友達を作ろうとはセンスのキビシイやつ!」
ぼくは当然のごとくこのように一蹴した。まったく度し難い。どうしてプライベートの時間までお前たちと情報を共有し合わねばならぬのだ。煩わしいぞ。そういえば西田はゴールデンウィーク中にほかの級友たちとキャンプに行くと行っていたが、どうしてぼくを誘ってくれたなかったのだろう。ああいった連中の考えることはわからないものだ。
とはいえ、ぼく自身もネットそのものはよく使う。しかしそれはあくまで情報を手に入れるための手段としてだ。ネールで知識を蓄えることはあるけれど、そのネールをコミュニケーション・ツールとして使用する気は全くなかった。理由は前述したとおりである。しかしネット上で公開されているソフトウェアのおよそ五割が他者とのコミュニケーションを支援するためのソフトであると知ったときは、ぼくはユーザーの中でも比較的マイノリティな立場であるのだなと自覚せざるを得なかった。どうやら今の世の中というものは、このネールという世紀の大発明を出会い目的に使っている品性の欠片もない連中で構成されているらしい。
ぼくは今、適当に接続したネット内の大型情報集合体<プラウダー>の過疎地帯に自分のネットアバターを待機させている。ネットアバターとは、ぼくの外見データを反映させた、ネット上のもうひとりのぼく、同じ姿をした分身のことである。
ネットが潜るものから平行なものに変わった現代では、なにをするにしてもこのネットアバターが必要であり、仮想空間におけるほとんどの認証工程はこいつがなければ通過できない仕組みになっている。声紋、顔の骨格、網膜をスキャンをしたあと、ネットアバターと実在する本人のそれを照らし合わせて仮想空間にログインする。これにより、アバターはネットのなかで『分身』となり得るわけだ。仮想世界上の完全な分身であるネットアバターは、その空間内の似たような認証を通過することができる。通販サイトを利用するときや、SNSサイトにログインするときも必ずアバター認証を要求してくる。そして案の定、ぼくがはじめたオンラインゲームもネットアバターを作ることが前提となっていたので、長らくアバターを必要とするサイトを避けてきたぼく自身も、作らざるを得なかったのだ。
作るのは初めてではない。過去に作ったネットアバターは一度、ぼくが自分で消去した。中学のときに通っていた塾で、ネットアバターを介した勉強方法が実施されていたから仕方なく作ってはいたけれど、勉強のとき以外は断固として使わなかった。なので受験戦争を終えた瞬間にもうこんなものは必要ないと胸を張って削除した。十五の夜のことだった。そう、あれは中学生からの脱却だったはず。こうした決断の積み重ねがやがて帯刀田一麻という少年を大人物へと導くのだと確信していた。その結果、得られたものは特になかったし一カ月と少しで作り直したわけだけれど、まぁそれはいい。過ぎ去った時はそれはそれ。これはこれ。
それにしても、相変わらずこのネットアバターというやつをネール越しに見つめていると、生き写しだとかドッペルゲンガーを観察しているようでなんだか気が滅入ってくる。なぜに自分の姿を常に見ていなくてはならんのだ。(ネットアバターを視えなくすることはできるけれど、それにはインディーズサイトから非公式のソフトウェアをダウンロードする必要があるし、そのセッティングまでにどうせまた何度も手間を取らせてくるのだろう。うんざりだ)
たしかにこれでハンサムな容姿ならばぼくは恵まれすぎているので、神様もルックスだけは普通に設定したのだろうなと渋々納得はしているけど、それゆえにこのネットアバターはほかのハンサムなネットアバターに出会ったとき、間違いなく負け犬の烙印を押されてしまうだろう。ぼくの思考に基づいた副脳的な機能を持ち、代替悟性を抱いてはいるものの、ネットアバター自身は副脳ゆえに基本的にぼけーっとしているからである。イケメンがぼけーっとしているのと、ぼくがぼけーっとしているのでは絵面的には前者のほうがいいと思われる。まぁぼくはぼけーっとしているように見せかけて実は凡人が考えもつかないようなことを思考しているので、センスがよい人が見れば並々ならぬ空気を察しぼくのほうを選ぶだろう。しかしまぁネットではそういった雰囲気を汲み辛いしね。仕方がないことなんだよこれは。
そう考えるとこのネットアバターは不憫な存在である。ぼくの聡明さを受け継がなかったぼくの分身……。ああ、それではまるでただの凡俗ではないか。なんという悲劇。そのあまりにも哀れな存在にぼくは涙した。もし現代に蘇ったシェイクスピアが、なんの因果かぼくの部屋に遊びに来ていたらきっと彼すら涙したであろう。
数日後。流した涙は完全に無駄だった。基本無料のオンラインゲームにはわずか一日足らずで飽きてしまい、自分の分身という無様さにやられて気が付けばネットアバターそのものを数日間も放置していたのである。ついにはソフトウェアを終了するのも億劫に思い始め、気づけば三日ほど、ぼくのネットアバターは仮想空間にぼけーっとアホ面引っ提げて滞在し続けていた。そして連休のちょうど半ばに当る五月三日。つまり今日、ネールに一通の通知が入るまでは、ぼくもぼけーっとしてすっかりそのことを忘れてしまっていた。
《こんにちは、カズマさん》
ぼくのネットアバター宛に、知らない人物からメッセージが届いていた。送り主は<黒井>とだけ表示されていた。<黒井>。それが、この唐突に話しかけてきた人物の名前。
慌ててメッセージログを開くと、ネールにマイクの形をしたアイコンが表示される。集音モード。<黒井>とのチャットが始まったので、このデバイスはぼくに音声認識で会話をしろと促している。ちょっと待って。心の準備ができていないぞ。ログを開いたからっていきなり会話しろというのか。なんと攻撃的なシステムなのだ。無礼だぞ。このような主人を噛み殺す凶暴性を持ったチャットシステムを扱うには、それ相応の覚悟が必要だ。雄弁してやる。ぼくは一大決心をして自分のネールに話しかけた。
「ここここんにちは」
うわぁ……控えめに云ってもシャイですね。日ごろから常々思うのだけれど、どうやらぼくの肉体はこの天才的な脳から発せられた信号をうまく処理できていないらしかった。というのもすべては環境のせいである。ぼくの周囲にはぼくを理解できるだけの優れた知識と知恵と人間性を持っているものがいなかったため、このぼくのコミュニケーション能力は彼らに合わせるために低くならざるを得なかった。ぼくというやつは常々、悲しき宿命を与えられた時代のあだ花である。世が世ならぼくという人間は人々から褒め称えられ、モテモテとなり、薔薇色の青春を過ごすことができたであろうに。それがこと現代に生まれたばかりに、初対面の人間に対して痰の絡んだ返事しかできず、耳を真っ赤にしながらソフトウェアを強制終了させそうになっているではないか。
しかし、ぼくはそうはしなかった。それほどまでに器量の低い男だからだとかではなく、単にネットアバターの耳も赤くなっていることに気づいて踏みとどまったからである。なんと芸が細かい。これほどまでに素直にぼくの気持ちを反映させてくれているではないか。ネットアバターはぼくの恥ずかしさを共有している。ぼくはひとりではなかったのだ。もうこうなればお前を半身と認めざるをえない。お前はぼくの高貴な魂を宿せはしなかったものの、ぼくの内面を学習したために、その感受性はぼくと等しいものなのだ。愛してやろうではないか、自分を。……と、ネット技術の向上に少し感動を覚えたあたりで、ぼくは<黒井>のアバターが(少なくともぼくの視える範囲には)表示されていないことに気が付いた。
「あ、あの」
《はい?》
「突然こんなことを聞くのもどうかと思いますが、アバターって非表示にできるんですか?」
《あ、これは失礼しました。今用意しますね……》
<黒井>から返事が届く。どうやらこの人物は相当うっかりしているらしい。
しかしネットアバターがないのにどうやってこの仮想空間に入ってきたのだろう。いくつかの認証があったはず。アバターなしでそれを逃れているということは、例えるなら切符のない状態で電車に乗車するようなものだ。つまるところ、この黒井なる人物は正規の手順ではない(あるいは違法の)行為を用いて、この空間にアクセスしているのではないか? ぼくはさながらミステリードラマの主人公のように冷静に推察した。冷静ながら考えれば考えるほど心臓の鼓動は速くなり、気が付けば冷や汗を流しているではないか。気のせいかネットアバターの姿勢も弱腰になっている。決して怪しい人物に話しかけられたから動揺しているとかではない。こうした状況で不安になるというのはだれにでもある話だ。――いやいやいやいや、ぼくは凡人とは違うので、あれだ。ある種、天賦の才を持つ者が抱える病のようなものがあるのだ。あの沖田総司も肺結核を患っていたというではないか。落ち着け……我が肉体……。
間もなく黒井のネットアバターが表示される。
フムン。派手、というのが率直な感想だ。高い身長に、赤と白の鮮やかな刺繍レース……どこか欧州文明のニオイを感じる民族衣装を褐色の肌に包み、中性的な顔立ちでにこやかに笑っている。それが<黒井>のネットアバターだった。
しかし現実の<黒井>がこのような恰好をしているとは思い難い。<黒井>というからには日本人なのだろう。だとすれば現代の日本でこのような恰好をしているのはあまりにも奇抜だ。ここ最近でヒッピー系(?)のファッションが流行したという話も聞かないし。金持ちが道楽でネットアバターに服を着せているのかな? だとすればなかなか趣味をしているではないか。ぼくのネットアバターなんぞ学生服しか着ていない。ありのままの姿だよ。
《改めてご挨拶しなければいけませんね。初めましてカズマさん。黒井と申します》
「えと、イチマです。帯刀田一麻……、タテダイチマです……」
《あ、これは失礼しました……。それではイチマさんとお呼びしてもよろしいですか?》
「はい。あの、黒井さんは変わっ……いや、綺麗な服を着てますね」
《綺麗……ですか? ありがとうございます。男性の方にそう云われたのは初めてです。イチマさんは身長の大きい方なんですね。私は自分よりも身長の大きな方に出会うことがあまりないので、少し新鮮な気持ちです》
どうやら喜んでもらえたようだ。ありのままの返答だよ。
<黒井>の云ったとおり、ぼくは同年代の子と比べて特に身長が高い。自慢ではないけれど一八六センチである。そして当然、分身であるネットアバターも仮想空間ではぼくと同じ身長をしている。黒井さんはぼくと同じか、それより少し小さい程度だ。先日のオンラインゲームでもぼくより高い身長のネットアバターは見かけなかったので、こちらとしても新鮮な気持ちである。
それからしばらく、<黒井>とは自分たちのことについて話した。趣味はなにか? 今、関心を持っていることは? 休日の過ごし方は? 学生か? 兄弟はいるか? 将来の夢は? ――徐々にぼくのネットアバターからは、初めて挨拶をしたときのようなぎこちなさは消え、まるで生来の友であるかのように親しく会話を弾ませることができた。理由はわかる。<黒井>の人柄のよさによるものだ。<黒井>はぼくがどう話しても、真摯に受け止めてくれ、丁寧な物腰とやさしい言葉を返してくれた。あまりにも高次元すぎて普通の人ならば耐え兼ねるぼくの会話にその熱心さを持って追いついてきてくれたのだ。こんな人に出会ったのは初めてだったのでぼくは感動した。思えば最初に身長を褒めてくれたときからして、<黒井>には人を見る目があった。中学時代、ほかの生徒と比べて身長が目立ってきたあたりでぼくは「クソノッポ」だの「でくノッポ」だのと悪友に莫迦にされ続けてきた。決して悔しかったわけではないけど、そいつの語彙力のなさがあまりにも哀れだったので何度か人目を憚らず涙した。おまけに女子に笑われたことだってあった。さんざ莫迦にした挙句、その鷹木彰人という悪友は女子たちとぼくの身長のことで大いに盛り上がった。ヤツはこと人をコケにする才能には長けておりスポーツも万能、勉強もできたので常に、女子に、非常に、モテモテの男であった。まあお前みたいなのは将来ろくな大人になんないから今のうちは悦に浸っているがいいよ――とぼくは嗚咽を漏らしながらも不敵な笑みを浮かべていたらそれも笑われた。ぼくは思い出し怒りに駆られ、それを察知したネットアバターもなにやら表情を曇らせている。
《イチマさん、大丈夫ですか? 顔色が悪いようですが……》
なんということだ。ぼくとしたことが……。<黒井>が心配そうにぼくのネットアバターの表情を伺っているではないか。
「いえ、問題ありません。少し厭なことを思い出していただけなので」
《そうですか。最近はネットに意識を溶け込ませすぎて、他人のネガティブを共有してしまう人が多いので気をつけてください。……あ、イチマさんはデバイスの同期はされていないんですね》
「ええ。ぼくはネットの有象無象の一部になりたいくないのです。こんな時代だけれど、自分の価値観を集合的な意識の中に放り投げたくはないものでね」
《素敵です》
「素敵?」
《はい、とても》
「そうでしょうか。まぁこういったものを使っている時点でどうなの、という気はしますけど」
こういったものとは、ネットアバターのことだ。
《イチマさんは、ネットアバターがお嫌いなのでしょうか……?》
「ええまぁ。実は、中学を卒業したときに一度削除しているんですよ。ダイバー世代のやつを。……けどこいつを持っていると、いずれコンピュータをパーソナルなものとして使えなくなる気がして、なんだかなあ」
《そうなのですか。……少し話はズレますが、イチマさんはネットアバターが開発される以前の、『電脳』の技術についてご存知ですか?》
「いえ、あまり明るくはないですね。……あ、いや、知ってます知ってます。あれでしょ? たしか元々は内殻世界で行う処理を、自分の脳処理と同等にまで高めるための技術ですよね。キーボードで打ったりするような動作を介さずに、自分の脳で思ったことを直接コンピュータに反映できる、的な……」
《はい。だいたいはそんな感じですね。ただ、電脳は自分の意識に対する制御があまり利かず、思考部位との相性が極めて悪いと判断されました》
「ほう?」
《例えば、電脳化した人々は、自分の考えや意識をそのままネットに反映する人が多かったようです。……顕著な例として、SNSに書き込む頻度が上がっていたようですね》
「へえ。今日なに食べようかなー、とか?」
《そうですね。ふつうはそこで終わるでしょうけど、そのあとに『カレーにしよう』『にんじんあったかな』『じゃがいも買わなくちゃ』というふうに、連想したものをそのままネットに書き込み始めます》
「そりゃいかん。本来、秘匿するべきことまで書き込んでしまうと怖い」
《そのとおりです。イチマさんは勘がよいかたなのですね》
「いや~……へへへっ」
《そういった面で制御の利かない電脳に代わり登場したのが、このネットアバターだそうです。脳とコンピュータを繋ぐのではなく、仮想世界に本人の思考に基づいた副脳を作ることで、それに処理を行わせる――と。電脳と比べ安全性が増し、ネットアバターに仕事をさせる傍ら、自分はほかの作業ができるので結果的に効率も上がりました。なにより電脳ほど脳が疲れません。……こう考えると、ネットアバターの誕生には技術家たちのアイデアや努力が見えてくるでしょう? 少しは好きになっていただければ、と思うのです。それに社会問題でもあった<解離性意識拡散症>にかかる人々も減りました》
<黒井>は懐かしい話題を口にした。<解離性意識拡散症>――数年前、たしかぼくが小学生くらいのときに流行った言葉だ。
<解離性意識拡散症>とは、電脳化の際、自身の脳をネットと同期した人物が発症すると呼ばれている解離性障害の一種だ。ふつう、人間の記憶や意識と云ったものはひとつに統合されているのだけれど、この<意識拡散症>はネット・コミュニティに依存あるいは、仮想世界を現実と同じようにリアルに感じた場合や、膨大な量の情報集合体に自分の電脳を同期した際などに発症し、その過程で自意識を見失っていく状態に陥るらしい。電脳が普及したころ、新世紀の病名として多くのメディアに取り上げられた。
「その病名は久々に聞きましたね」
《……ネットアバターの歴史を語るうえでは外せないですからね。こうした知識を共有し、互いの見聞を広めていければと思っているのです。社会に出たときのために》
「黒井さん……」
世の中にこんなにもいい人がいるとは思わなかった。金がなければ得られないだとか思っていた経験、新しい発見や考え方をこの人はぼくに教えてくれたのだ。それこそがぼくの求めていたものであり、ぼくを成長させるためには不可欠なもの。この<黒井>は今まで出会ったなかできっと、だれよりもぼくに共振してくれるはずだ。
数日の間に、何度かの交流を経てぼくと<黒井>は友達になった。
次の日も、その次の日も、ぼくらは同じ場所で待ち合わせをして、ふたりで素敵な時間を過ごしたのだった。
連休が終わるまでの間、ぼくは<黒井>――黒井さんと心地のよい時間をすごした。ふと気づけばなにをするときも黒井さんのことを考えている自分がいた。けれどこれは幸せなことだった。ぼくはぼくの知らない新たなぼくに出会えたのだ。そう、新しい感情とともに。聞くところによると、俗世ではそれを恋と呼ぶらしかった。
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