空を裂く
《では機体を選びましょう。私は<ヴァルキュリア>を選択します》
ヴァルキュリアは比較的機体サイズの大きい戦闘機だ。燃費と耐久性は低いが火力と速度は申し分なく、あらゆる種類の兵装が揃っておりゴリ押しも利くため、初心者から上級者まで幅広いプレイヤーに使われる機体だった。
《私のチームカラーは黒でお願いします》
対戦の場合、機体の色はチームカラーと同じになる。次はあなたが機体と色を選ぶ番だ。
「ぼくは<モトシャリ>を選ぶ。チームカラーは白だ。こいつにはそれが似合うからね」
対してモトシャリは流線型の小型機体。兵装は機銃と汎用ミサイルのみで攻撃手段は乏しいが、速度と旋回性能は随一の機体であるがゆえ、一方的にドッグファイトを仕掛けては反撃される前に逃げるヒット・アンド・アウェイ戦法が厭らしい。
《ふむ。忙しい機体ですねえ》
背後から雲を切り裂いて二機の戦闘機がやってくる。無人だ。両機はあなたとアラームの前で停止する。
あなたとアラームは互いの機体に乗り込む。機内のヘルメットを装着する。音声チャット・オン。
間もなく開戦する。あなたは通信でアラームに話しかける。
「きみ、<アカネ・シシカワ>ってわかる?」
《ええ。週末の乱戦で一位を独占するエース・プレイヤーでしょう。リプレイ動画を見ましたから、知ってますよ》
「へえ。じゃあこの間、そのアカネ・シシカワに撃墜されるまで空に残ってた<クローク>ってユーザーはわかるかい。そのときの順位は六位だった」
《知ってますが……それがどうか?》
あなたは返事をまだ返さない。
三秒前……。二秒前……。一秒前……。
ゼロ。二機が同時に火を噴く。開戦の合図。
同時にあなたは云う。
「ぼくがそのクロークさ」
このゲームにおいて、各機体は一定時間が経過するまで兵装を使うことができない。あなたはまず降下し、雲よりも低い場所を目指す。同時に、アラームの駆るヴァルキュリアも空を突っ切って姿を見せる。レーダーがふたりの距離の正確な位置を示す。
(――まだだ)
あなたのモトシャリは旋回し、ヴァルキュリアから遠ざかる。そして兵装の使用可能時間が経過。ここからはどんなタイミングでも攻撃可能だ。レーダーでヴァルキュリアの位置を確かめる。
距離があっては不利だ、とあなたは考える。
しかし彼女から逃げたのは、奇襲を行うためだ。
ヴァルキュリアの兵装は中距離から遠距離で猛攻を仕掛けることができる。つまりこの状況で先手を打てるのはアラームだ。モトシャリの射程圏内は敵機よりも短いため、ドッグファイトに持ち込むためには、あなたはミサイルを避けながら接近しなくてはならない。しかし当然、真正面からロックされれば狙い撃ちにされる。
利用するのは高低差だ。このゲームの仕様では、高性能レーダーを搭載しなければ敵機がどの高さを飛んでいるかは計れない。そこにモトシャリの機動力を活かして懐に飛び込むチャンスはある。
その隙にヴァルキュリアの真下か、あるいは真上からラッシュをかけることができれば、攻撃力の低い自機でも勝負を決めることができるだろう。幸い、ヴァルキュリアは撃たれ弱い。撃墜プランは決まった。
「安藤さん、いいよ!」
《了解》
レーダーが新たな機影の接近を告げる。二機目のモトシャリだ。安藤さんもまた、その機動力に目をつけてこの機体を選んでいた。
《おや。乱入ですか》
「モトシャリの機動力なら初心者の安藤さんでもミサイルくらい躱せる」
《安藤さんは初心者なのですか》
《こんの、バカタテワキ!》
うっかり口を滑らせたあなたを安藤さんは叱責する。
「おいおい侮るなよ。彼女はけっこう筋がいいんだぜ」
《存じていますよ。このときのために今まで口を紡いでいたのですから、とんだポーカーフェイスです》
「え……?」
もう一機、別の機影が接近する。
レーダーに表示されるユーザー名は――<ヒサマ>。
「イナフじゃねえか!」
《この館の人形は私が操作できるのです。あなたには見せていたはずですが?》
「日佐間先輩のネットアバターを使ったな! ちょっと待て。じゃあきみは二機同時に動かしてるってことか?」
《ええ。そうですよ》
ヴァルキュリアの僚機として出現した機体は<イカロス>。対空攻撃が最も強力とされる低空飛行戦闘機である。旋回性の悪さゆえ上空戦では棺桶と化し、さらに攻撃範囲の広い対低空用兵器にも巻き込まれるリスキーな機体だが、その耐久力と火力の高さからイカロスの名に似つかない『浮く戦車』という俗称を与えられている。
(――全部バレてた? まさかだろ……)
この機体の出現により、モトシャリの低空圏での戦闘勝率は大きく損なわれた。
アラームは最初からあなたたちの策に気づいていたのだ。だから多彩な攻撃方法を持つ機体を選んだ。安藤さんが選んだ機体を見て、それのメタとなる攻撃のできる機体を選ぶつもりだったが、彼女はあろうことかモトシャリを選んだ。
(――同じ機体を選んだのが仇になった。アラームは低空を制すことのできるイカロスを選び、ぼくらを上空に追いつめた)
イカロスの出現により下方からの奇襲はなくなった。しかし今、上空にはヴァルキュリアが接近している。
あとは飛び回るあなたたちを、アラームが火力で押しつぶせばゲームは終わる。
「キビシイな……」
読まれていた。
このゲームがはじまる前から勝負は着いていたのだ、とあなたは思う。敗北の可能性が高くなるに連れ思考が狭まる。勝とうとする意志が消えていく。
「上昇しよう、安藤さん」
レーダーに映るヴァルキュリアとイカロスの機影。このまま飛び続ければ二つの敵機の射程圏内に挟まれ、上と下から集中砲火を浴びるだろう。例えイカロスと低空戦をやり合おうと、そのうちにヴァルキュリアにロックされて終わる。いくら高機動とはいえ、モトシャリは両機を相手にできるほどの性能ではない。あなたか安藤さんのどちらかが集中砲火を浴びれば、あっけなく真昼の花火と散るだろう。
《いや、突っ込む》
「え?」
あなたは問い返す。
「突っ込む?」
《そうだよ。急がなきゃ》
「なにを云ってるんだ……きみは莫迦なのか? あれはイカロスと云って、低空ではめちゃ強い機体なんだよ」
《知ってるよ。さっき公式サイトから説明書落としたし、ウィキにも目を通したから。タテワキくんも降下してよね》
云われるがままにあなたは降下する。これでいいのだろうかと内心不安になる。しかし安藤さんの妙な自信を、あなたは少なからず信用している。
《ヴァルキュリアが支援する暇も与えずに、わたしがイカロスを落とすよ。ミサイル全弾撃ち込めば落とせるんでしょ?》
「いや、やっぱり無理だ。イカロスの耐久力じゃ、二人で攻めてもギリギリ落とせないと思う」
《そう。ありがと。……じゃあ、がんばって援護してよね? 自称ハンサムさん》
二機のモトシャリがイカロスの領域に侵入。
イカロスは兵装を起動。花が咲いたようにバラバラに発射されたポッドの群れは、モトシャリに狙いを定めて軌道修正する。
追尾型ミサイル・ポッドだ。自動で敵機を追いかけ、近づくと小型のミサイルをばら撒く。それらは高い命中率を誇り、全力で回避しても少しはもらうだろう。その一発のダメージそのものは少ない。しかし間髪入れずに連射されれば、たちまち機体はレッドゾーンに突入する。もちろん気を抜いて全弾命中すればアウトだ。
イカロスは様々な方向にミサイル・ポッドを撒き続ける。ポッドの距離が遠くなれば、もちろん攻撃がこちらに到達するのにも時間がかかる。アラームは間隔を開けた攻撃をするつもりだとあなたは思う。ヴァルキュリアが到達するまでの時間稼ぎをしたいんだ、と。
迷っている暇はない。
「ええいままよ!」
あなたと安藤さんはミサイルの群れを回避し、そして僅かに被弾しながら接近する。イカロスが高度を落とし、地表すれすれを飛ぶ。対空攻撃力が向上。
イカロスの距離が近くなる。地面との距離も。
「ダメだ、安藤さん! ぼくらもこのままじゃ地面にぶつかる」
僚機のモトシャリがミサイルを発射する。――フォックス・ワン。
イカロスに命中。――フォックス・ツー。
直撃。イカロスはこれに耐える。機銃が叫び声を上げる。安藤さんのモトシャリが弾雨を浴びる。しかし減速はしない。これは――
「ちょっ……」
レーダーからモトシャリとイカロスの機影が消える。
僚機ロスト。同時に、ログには《僚機が敵を撃墜》と表示される。
すべての武装を使い切ったあとにカミカゼを行えば、イカロスも耐えられない。
特攻である。
このゲームにおいて、堕ちた戦闘機のパイロットは音声チャットから外される。無言。
あなたは残りのミサイルを回避しながら、旋回する。すぐ近くに接近しているヴァルキュリアを視認する。低空圏に一機のモトシャリ。それ以外の機影なし。真下からの攻撃を開始できる。
「アバター!」
あなたは叫ぶ。安藤さんは特攻した。
「お前もぼくのアバターならわかってんだろ!」
モトシャリのなかにいる、あなたのネットアバターも叫ぶ。怒りだ。ゲームといえど安藤さんをやられた怒りが、激情が、あなたにはある。
一瞬、ブーストが悲鳴を上げる。問題ない。ブースト起動。爆炎が上がり、視界が大きくぶれる。それはスピード表現のためのゲーム上の演出だ。機体は加速する。
じりじりと目前の敵機を追い上げる。警告音がなる。アラームのヴァルキュリアにロックされている。避けられるかどうかはわからない。しかし構うか、とあなたは思う。行け。行け。距離が縮む。カーソルが赤色の電飾をまとう。敵機にロックサイトが重なる。ヴァリュキュリアはミサイルを発射。あなたもロックオンを完了する。この距離なら撃てる。今しかない――あなたはスイッチを押す。
「ハンサムでミサイルを撃つぼくは!」
フォックス・ワン――ミサイル発射。モトシャリがミサイルを回避する。
アラームが驚きの声を上げる。
《なんですと!》
「クールガイだよな、安藤さんよ!」
今ごろは相手のコックピットで〝アラート〟が鳴っているはずだ、とあなたは思う。
一息つく間もなく、ヴァルキュリアは尻から火を噴いた。命中。
ざまあみろ。――いや違う、爆発ではない。
アラームは対後方接近機体用の迎撃ウェポンを使った。接近したモトシャリに、大きな火花を散らしたみたいな機銃が炸裂する。あなたは反撃を喰らい、ネール画面に弾痕のエフェクトが生じる。
「当たってない、なんで!」
あなたは唇を噛み締める。
《こういう勝負もさせてもらいますよ》
守ったのは、先ほどイカロスの撃った拡散型の追尾ミサイルだ。間隔を開けてばら撒かれたそれが、直撃寸前でモトシャリのミサイルを妨げた。ヴァルキュリアは被弾していない。ミサイル同士が当たって爆発したに過ぎなかった。
《ヒーローになり損ねましたね、タテワキさん》
「イチマだ。タテダイチマだ」
そう。たしかにヒーローになれたのだ。今のがこのゲームの、いわゆるストーリーモードなら。しかしこれまでのシリーズであんな攻撃をしてくる敵はいなかった。犠牲になった僚機の安藤さん。彼女は悲劇のヒロインだった。その犠牲も虚しく、今、自分は一歩のところでヴァルキュリアを墜とせなかった。
モトシャリは逃げた。中距離兵器を回避。次は長距離兵器で狙い撃たれる。このままじゃジリ貧だ。もう一度、真下から攻撃しようとも考える。しかしあなたにその勇気はない。悔しいが読み合いも操縦技術もアラームのほうが上だ。
できるのは、このまま時間切れまで逃げ切ること。そうすれば試合は仕切り直しだ。再び安藤さんと組んでアラームに挑戦できる。
「いや……ダメだ……」
次には作戦はない。アラームを上回るだけの連携やテクニックは、今のあなたたちにはない。勝てるプランが見当たらない。
レーダーに別の機影が接近。
新たな乱入者。ヴァルキュリアである。
《申し訳ないのですが、再挑戦はありません。時間切れを狙うなら撃墜します。潔く勝負するなら、こちらのヴァルキュリアはこのままにしますが》
あなたにはアラームの提案を受け止める義務がある。奇襲を先に行ったのは、あなたなのだから。言い逃れはできない。
再び別に機影が接近。
アラームは自分を囲むつもりなのだ、とあなたは思う。あなたは顔を伏せ、その無慈悲さに思わず自分を悲観しそうになる。
しかし現れたのはヴァルキュリアではない。
《こんばんは、イチマさん》
その声に聞き覚えがある。
あなたはハッと顔を上げる。
レーダーがいくつもの機影で埋め尽くされていく。乱入者。乱入者。友軍のマークをしているもの。敵機も増える。友軍機。敵機。交互に増援が増えていく。止まらない。三……四……五……まだまだ増え続ける。十……十五……二十……。
「なんだ、こりゃあ……」
真っ先に目についた友軍機のユーザー名は<クロイ>。
黒井。
「く、黒井さん?」
《はい。またお会いできてうれしいです、イチマさん》
次いで<幽霊>は、アラームに通信する。
《初めましてアラームさん。黒井と申します。安藤さんという方に招待されてきました。このゲームは同エリア内の者ならだれでも乱入する権利はあるんですよね。ゲームなんて久しぶりのことで、とても楽しみです。ちなみに私のネットアバターは社会復帰支援システムのものですので、意図的に他者に譲渡したり、逆に受け取ったりしても法的に罰せられてしまいます。賭けに使うとあなたにも迷惑がかかってしまいますのでその辺はごめんなさい》
《はい初めまして。この館の管理を任されているアラームです。ネットアバターが館内に入った様子はなかったので驚きましたよ。なるほどシステムメッセージを介して移動するようですね。……ええ、構いません。こういったアクシデントもゲームの醍醐味です》
《ありがとうございます。とても光栄です》
空の密度に気圧されながら、あなたはあの増援のことについて黒井さんに訊く。
《安藤さんの提案で十機ほど増やしました。乗っているのはすべて黒井の人形です。まだまだ増えますが、友軍機が増えるとアラームさんも敵機を増やすようなので、この辺にしておこうかと思います。アラームさん、フェアな方なんですね!》
「人形?」
《はい。ここに来る途中、安藤さんからネットアバターでも人形が作成できるようになる拡張ソフトを紹介されたので、試しにインストールしました。まだモデリングには慣れないので私の外見データに似せて作っただけですが。今、ゲームの外では安藤さんがそれを複製して大量生産しています》
「人形って、このゲームプレイできるんですか?」
《できません。ですからコンピュータ設定で飛ばしています》
「けど、そもそも黒井さんが会話できるのってずっとゲームしてる――ああっ!」
《はい。アラームさんのはアクティブになるとだいたいオンラインゲームをプレイしていますので、支援システムの範疇です》
ゲームの外では彼が作ったという<黒井さん人形>を使って、安藤さんが片っ端から戦闘機を送り込んでいるという。あなたには、もはやレーダーに映る無数の機影はどれがどれでなにをしているのかすらまったくわからない。あらゆる種類の戦闘機が入り乱れ、その負荷ですでにラグが発生しつつあるほどだ。
《あ、そうだ。イチマさん、安藤さんから伝言です。〝目には目を。怪異には怪異を。〟……私にはなんのことかわかりませんが》
「いや、だいたい伝わった。実に頼もしいよ……快適なゲームプレイは期待できなくなったけど」
あなたのモトシャリは背後に迫る機影を振り切りつつ、損傷の激しい敵機にとどめを刺す。相手がCPUなら、ハイエナみたいな真似も通用する。
このゲームでは爆発する瞬間、コックピットから敵パイロットが脱出する演出が入る。
あなたはそれを見て、思わず悲鳴を上げる。
「ひいっ」
《どうかしましたか、イチマさん? 大丈夫ですか?》
「市松人形がパラシュート開いてた」
《ああ、この館に入ったときに見かけましたね。安藤さん同様、アラームさんもあの人形たちを乗せて飛ばしているのだと思います》
「リカちゃんとかアン人形が戦闘機に? シュールすぎるだろ。夢に出そうだ」
あなたは安藤さんの隣でせっせと戦闘機に乗り込む人形たちを想像したが、すぐに振り払う。
あなたは次に打つ手を考える。
あの人形たちはゲームのなかではコンピュータ設定だ。先ほどのイカロスのときとは違い、アラームは今回の友軍機を手動で操作しているわけではない。どれだけ優れたゲーマーでも、あれだけの数の機体を同時に駆るすることは不可能だ。
アラームは友軍と敵軍の増援を、等しい数になるように出現させた。しかし黒井さんの云うフェアプレイの精神でそうしているのではないことに、あなたは気づいている。あなたがアラームの立場でもそうしただろう。ゲーム内の負荷を上げてでも、互いの勢力を拮抗させたほうが勝率は変動しないからだ。どれだけ張り合ったかで勝ちが決まるわけではないが、張り合わなければ負ける。そういう勝負があることを、あなたは知っている。
あなたは先ほどの安藤さんの伝言を思い出す。
「目には目を……怪異には怪異を……」
恐らく、彼女は黒井さんに自分の作戦を伝える暇がないと判断したのだ。であれば、彼女の考えはこの言葉に凝縮されている。あなたは今、それを紐解く。
なるほど、とあなたは思う。アラームの所持する人形があちらの武器だったのは、最初からだ。つまり彼女は、やろうと思えば最初から物量で推すこともできた。それをしなかったのは、理由がないからだ。口実がない以上、相手がやらなければやってはいけない。これはルール外のルールのようなもの。
相手がやればやってもよいなら、まずは相手がそうするようにする。
館に足を踏み入れてから一言も口を利いていなかった間、安藤さんもまた数手、先を読もうとしていたのだろう。館に入ってあの人形を見た時点で、安藤さんはどうにかして増援を呼ぶことまで考えていたに違いない。そうすることで初めてアラームと対等な勝負ができる。
「いや……」
あなたは呟く。
じゃあどうして黒井さんを選んだのだろう。例えば、いつも暇をしている鷹木彰人や少々難はあるが日佐間上級生を呼ぶこともできたはずだ。ほかにも、安藤さんの知り合いのだれかを。しかし彼女が呼んだのは、黒井さんである。あなたにはこれがどうしても引っ掛かる。怪異には怪異を。アラームはアラームの持っているすべてを使う。
ではあなたは? 黒井さんの持っているものは?
「そうか……」
状況は正常に動いている。あるのはラグだけ。
あなたは近くにいる敵機に通信を送る。コックピットに乗っているのは、アラームが所持している人形だろう。
「ダメか」
会話ログは開かない。恐らく通信を拒否されているからだ。あなたには、このゲーム内でアラーム以外の敵機と通信をする権限はない。
しかし、このゲームでログそのものをオフにはできない。
「すみません黒井さん。ちょっとあのネットドールたちに話しかけてもらえます?」
《全部にですか?》
「ええ、まぁ」
黒井さんは《わかりました》と云って、会話ログを開く。
《なんと話しかけましょう?》
「〝こんにちは〟でいいですよ。返事をするまで何度も話しかけてあげて下さい」
なにかに気づいたのか、あなたに幾つかの機影が接近する。が、徐々に敵機の速度が落ちていく。
「やっぱりな」
あなたは先ほど捉えていた、最も近い敵機を落とす。
さらにあなたに接近し始めていた機体も、やはりその勢いを失っていく。
モトシャリは次々に敵を墜としていく。さながらエースパイロットのように。あなたに向けられるすべての攻撃は、命中しない。敵機がミサイルを発射する間もなく、あなたはそれを振り切るか、あるいは撃墜するからだ。
《見、抜け――て、ません――あなた。私の、勝ち――です……》
あなたはアラームの声で確認を完了する。
「レスポンスが遅いな」
《わ、ざと――です――》
「今、すべての機体には、黒井さんから同じメッセージが送信されている。きみは取り憑かれたんだ。自動でログが開き、集音モードも起動している。大変な負荷だ」
《え、え――》
「重そうだな。人形たちの負荷を担ってるのはきみなんだろ」
《苦、労し――ました。――どうで、しょう?》
「さっききみの情報を読み込んだとき、フリーズした。あれは情報過多が原因だったんだな。ぼくのネールじゃ読み込めないほどの量がきみのなかにあった。それで考えたんだけど……ぼくが読み込んだのはきみではなく、この館そのものだったんじゃないか。きみを含むすべての人形が、ひとつの情報集合体になってこの館を構築している。全ての人形が互いに繋がり合って、並列化することで負荷を処理していたんだ。奇妙なことだけど……人形の情報群で構築されたサーバーのようなもので、ぼくらはそのなかにいる。けど、ぼくらのネットアバターは館の一部じゃない。ネールデバイスと繋がっているから負荷は関係ない。この館のシステムを作った人はえらいな――それでわかった。きみの正体はネットドールだ」
《い、え。わ――たし、ですよ》
「ネットアバターは、この館そのものだったんだ」
《心、外で――す、ね》
「まるで人形地獄だ。それだけ大勢がしがみつけば、仏の垂らした糸も切れるさ」
《下からです。上からではありません》
「なに?」
レーダーに変化がある。黒い機影は、反転し、重なっていく。
負荷ゆえに降下と上昇を繰り返す。……まるで鳥。いや、カラスが羽ばたいているようだとあなたは思う。あなたのモトシャリとその友軍機は、逃げていく敵機を一機ずつ墜としていく。
しかし、黒井さんにもまた変化が見えていた。
《す、みま――せ――ん――イ――……チマ――……さん》
すべての人形と会話ログを開いているということは、黒井さんの乗っている友軍機もまたアラームと同じか、あるいはそれ以上負荷がかかった状態にある。このなかで本来の動きができているのは、あなたのモトシャリだけだ。
あなたはアラームの乗るヴァルキュリアを探した。それさえ撃墜できれば――。
その間にも、カラスは一箇所に集中する。
やがて大きな、黒い集合体になっていく。
「信じられないな……」
空を飛び交う無数の戦闘機。それらが集合体となることは本来ありえない。その理由はシンプルだ。翼がぶつかれば互いの飛行に支障が出る。だから空という空間を保つために、彼らは互いを必要以上に近づけない、それは戦闘機の然るべき性質だ。
《カーニ、バルは――こ、こか――らです》
「よく云うな……そんな状態で……」
あなたの目のに映る黒い戦闘機の群れは、もはや暗雲の如きフォルムで空に浮かんでいる。あれはなんだ、とあなたは思う。まるで黒い滲みが空を侵蝕しているようだ。そして恐らく、あのなかの中心か、もしくは最後尾にアラームはいる。あの負荷のなかで、彼女はシビアな演算を行いながら、全軍の戦闘機を衝突させることなく結集させた。
黒井さんの機体が堕ちていく。ダメだ、とあなたは思う。この場から彼らが消えていくごとに一機分のマッチングが解除され、いずれ負荷は軽減されていく。そうなればアラーム軍の機動力は戻る。あなたの勝ち目が消えていく。
今……アラームの意識が黒井さんに集中している今なら、あの群れに突っ込み、彼女の乗る親機を墜とせば勝てる。しかしどうする。その手は……。あの集合体のなかにいる一機だけを狙い撃つなんて不可能だ。それに気づかれた瞬間、あれだけの数の機体に機銃を向けられれば、あなたは間違いなく撃墜処理される。それではあまりにも無謀すぎる。
「なにか……なにか手を……」
あなたはゲームの終わりを感じる。一手一手を返して勝利に近づいてきたはずだった。しかしここまでだ。アラームの戦法の外に、あなたは出ることができなかった。
あなたのネットアバターは引き金を引く。フォックスワンの声が虚しく空に吼え、弾数のゲージが減っていく。がむしゃらにミサイルを撃てばまぐれ当たりを狙えるかもしれない。心のなかではそれを否定する。残弾はわずかだ。あの黒い戦闘機の群れが自分たちに近づくのを止められない。かといって反転して距離を取ることもできない。今なお黒井さんの機体は堕ちている。時間が経過するごとに、不利になるのはあなたのほうだ。
逃げようがない。
「すまない……安藤さん……」
あなたは呟く。
「きみにいいとこを見せたかったんだけどな」
あなたは空に散った僚機の姿を思い出す。その光景は少なからずショックだったんだ、と改めて思う。悔しさがあるとすればそこだ。ゲームといえど、彼女は落ちてしまった。それも自分を助けるために。そしてアウトしてからも、あなたの勝ちのために彼女は助けを送った。あなたはその期待に応えることができなかった。
覚悟を決めるときがきた。
射程圏内に入った瞬間、モトシャリのブーストを最大にする。
どこまで行けるかはわからないが、あの群れの中に突撃を行う。
あの安藤さんのように。
「カミカゼをやるか……?」
あなたは深呼吸する。
「すまない。お前をあの人形使いに渡すことになる」
あなたは座席に座る分身に語り掛ける。
ネットアバターが親指を立てる。だれに送るでもないグッドラック。
失ったって構うもんか、また作り直せばいい。あなたはそう思う。しかし胸の残る敗北が消えることはないだろう。これまでの人生と同じだ。帯刀田一麻という人間は今まで日陰者として扱われてきた。その無念を夜な夜な思い出すから、改奇倶楽部でなにかを見つけたいと思っていた。しかし<幽霊>の一件ではシステムメッセージに心を惑わされ、この人形の館ではアバターを奪われる
「どこまで行っても勝てないやつだよ、ぼくは」
あなたはネットアバターにそうつぶやく。
《特、攻です――か?》
アラームから通信が入る。あなたは応答しない。
なにもかもお見通しの口調に対し、フンと鼻を鳴らす。
《歓迎――しま、すよ》
ブースト、最大。残るのは意地だけだ。
この目の前にいる人形たちに、せめて莫迦にされない負け方をする。それは潔く散るということだ。美徳。いや――
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