<ネットドール>
「ネットアバターに別の情報が入っている――ん?」
《そのとおりです。――どうかされましたか?》
「いや、知っている名前が出たから驚いただけだよ……偶然か?」
《ええ。それは偶然です》
《うわっ……たしかに黒御影先輩の名前だね》
安藤さんも驚く。館に入ってから、彼女が言葉を発したのはこれが最初。
アラームは《不思議なこともあるものです》と云う。
「ちょっとおっちょこちょいか?」
《たまには》
「続けてもらっていい」
アラームは少し頬を掻き、再び淑やかな口調で話し始める。
《……この人形は、二○一一年に黒御影燈という女性が作ったものです。彼女は人形作りにたいへん熱心な方でした。いえ、人形というよりは、創作物すべてに対して責任と情熱を強く抱いていた。……しかしあるとき、プラウダー内にある自分の作品の情報をすべて消去しました。もちろんこの人形も。私はその情報をサルベージしてネットアバターに移しました》
「その人形は元々ネット上で作成されたもの?」
《いいえ。実作業で作ったものを、ネールを使って仮想世界に情報化したものです。云わば人形そのもののアバター。世間では、こういった情報化した人形や、仮想空間で作成された人形を総じて<ネットドール>と呼ぶのです。あなたがたが<人形の館>と名付けたこの建物は、元々私の制作者である人形師がネットドールの作り方を教えるために建てたものです》
安藤さんが頷く。
《なるほど。元はお人形教室だったんですねえ。わたしも聞いたことがあります。仮想世界のなかで、ネットアバターに人形を作らせるというのが一時期流行っていましたね。ネットドールという言葉が使われはじめたのも、たしかそのころだったはず》
《ええ。そのソフトを開発していたのは、しがないアマチュアの原型師です。デジタル造形や立体出力が登場する以前よりガレージキットというものを愛していた人。そして彼は最後までデジタルで造形するのを拒んでいました。……ジェネオン粒子による立体出力が主流となった現代では考えられないことですが》
「そうでもないさ。ぼくの親友は自分の創作物が世界を変えられるって信じてるからな」
《それはよいことです》
「しかしプログラマーなのに、手作業にこだわってるような人がそんなソフトを作ったの? ……ふつうは逆じゃないか。デジタル造形をやっている人間が開発するほうが自然だ」
《彼は住み分けが必要だと信じていたのです。ネットで行うモデリングは、ネットのなかのものたちが行うべきだ、と。そして現実世界に暮らす人間は、現実にある素材に関心を持ち、そこからものを作るべきだと。もしそのソフトでネットアバターが人間よりも優れた造形物を作れるようになるなら、デジタル造形を行う人々は減ります。それは彼にとって復讐でもあり、同時に人々をアナログに回帰させたいという悲願でもあった……》
アラームは虚空を見つめる。
その表情は亡き友を想っているようにも見える。
《しかし彼の望みは叶いませんでした。ネットアバターは、アバターであるがゆえにその機能は副脳的なものであり、主体性は欠如しています。……ものづくりとはどんなものであれ意思を必要とします。ネットアバターがモデリングを行ったとして、そこには閃きや情熱といったものがありません。込めるべき精魂を持たないのですから当然です。結局、そのソフトウェアは人々にとってはただのアバター拡張ソフトに過ぎず、一時的な流行以上のものは生めなかった。その後、それで心を病んだ開発者は命を絶ちました》
「哀しい話だ。けれど、それときみのやっているアバター狩りがどう結びつく? 黒御影先輩の作った人形の情報が、どうしてイナフ……日佐間先輩のアバターに入っているんだよ」
《狩りとは……人聞きが悪いですねぇ》
あなたは言葉だけで謝った。「すまない」
《その開発者の先輩原型師、すなわち私の制作者――お父様は、この一連の出来事で大きなショックを受けました。仮想空間で人形の作り方を教えていたお父様にとっては、ネットアバターが人形を作るようになることは複雑でした。食いぶちが減るからです。しかし次世代のネットドールに対する関心はあったために否定的な立場ではありませんでした。再び人形づくりが話題になったときは、心の底から喜んだのですよ。しかし――》
突然、日佐間上級生のネットアバターが糸の切れたマリオネットのように崩れ落ちた。
口の中から、透明な球体が出現する。球体のなかには黒いウジ虫のようななにかが蠢ている。あなたはそれが小さな文字であることに気づく。
アラームはそれを手に取り、やさしく撫でる。
《ブームの終わりとともに多くの人形のデータが破棄されることになった。これはお父様にとってはとても悲しいことでした。だからお父様は、消えていく人形たちの情報を保護するプログラムを作った。これがそれです。なかで動いているものは、一度消された人形のデータを再構成した復元情報体なのです》
「みんなが消していった人形の情報をサルベージしてるってことか。プライベートもなにもあったもんじゃない。悪趣味だよ」
あなたは次の言葉を口にするか迷う。
これから先、アラームの云う言葉を、あなた自身がわかっていたから。
しかし聞かずにはいられなかった。好奇心ではなく、自分の考えを確かめるために。
「きみが奪ったネットアバターを器にしたんだな。先輩のアバターを空のフォルダにして、そこにサルベージした情報を入れた」
《はい》
「そんなの狂ってる。人形のための人形なんて」
アラームは球体をそっと手から落とした。球体は日佐間上級生のネットアバターに戻り、それはゆっくりと起き上った。
《この館は失われたネットドールの情報を含む、仮想世界に存在するすべての人形の情報を集めています。あなたたちが廊下で見た人形は、完全な再構成ができたもの。ネットアバターのなかに入っているものは、壊れたファイルです。修復手段を見つけるまではこのまま。私はそれらを管理する者です》
「だいたいわかった。きみのやっていることは無意味だ。管理が目的なら、その球体のまま保管しておけばいいはずだろう」
アラームは空虚な笑みを浮かべる。
《情報体は、人の形ではないでしょう? 寂しいのですよ。あなただって自分が魂だけの存在になれば肉体が恋しくなるはずです》
「きみはいったいなんなんだ。ネットドールなのか?」
《病床に伏したお父様の最後の作品です》
「ネットドールなんだな?」
あなたは責め立てるように言葉を続ける。
「きみのお父さんが亡くなったあと、そのネットアバターと通話していたのはだれなんだ。だれかのネットアバターなのか? それともきみか?」
《わたしには違いありません》
「ならきみが<X>だと? ふざけるな。ネットドールならどうしてそんな応答ができる。きみには人工知能を超越した意思があるように思える。まるでその背後にはだれかがいて……ロールプレイにでも付き合わされているような気分だ。どこかのテーブルトークゲーム好きが仕組んだシナリオとかな」
《ゲームにだってシー・ピー・ユーというものがあるでしょう》
「答えになっていないぞ」
《私はソフトウェアを通じてしか『対戦』できないのです。戦ったり人を襲ったりするためのものではありません。人形は人間と遊びたいのです。これは遊びですよ。ゲームだと思って下さい。しかし――》
アラームがすっと、日佐間上級生のネットアバターに手の平を向ける。ネットアバターはお辞儀して扉の外へ消える。
《壊れた人形の情報を入れておく器はまだまだ足りません。私が勝ったとき、あなたのネットアバターはいただきます》
「いいだろう。きみのプレイングを見て判断してやる。無人か有人か」
《ではあなたがダウンロードしたソフトウェア群のなかから、好きなものを選んでください》
あなたはダウンロードしたゲームソフトの情報を参照する。
「ぼくが落としたのは、アバターなしでもプレイ可能な<うーっすコンバット>だけだ。これしかやったことがないもんでね。アバター同士を戦わせるタイプの格ゲーは趣味じゃない」
《なるほど。<うすコン>ですか。どのシリーズがお好みですか?》
「もちろん四作目だよ。序盤のステージでエース機が隊を組んで登場したときは震えた。ストーリーを進めるごとに自機がエース扱いされるのも最高だし、ライバルの中隊に対する感情移入ができるのもいい」
《いい趣味ですねぇ。私はナンバリング・ゼロの最終ステージが好きですよ。あの演出とサウンドを超えるものには未だ出会えません。それに序盤の円卓戦は名言の宝庫です》
アラームの言葉に自信を感じる。彼女は手練れているだろう、とあなたは思う。
あなたは事前に安藤さんと打ち合わせをしている。この<うすコン>は乱入可能なゲームであり、あなたが劣勢になった際は安藤さんが乱入して二対一でアラームを攻撃するという作戦だ。先ほどから彼女がずっと黙っているのも、すべてはそれを悟られないための予防に過ぎない。
館の壁が拡がっていき、やがて見えなくなる。同時に、天井が消え、床は雲になる。
あなたは雲の上に立っている。
仮想空間が空を構成した。アラームがゲームを起動したのだ。
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