#12 「改奇倶楽部」(前)

 和長は<ジャンパー荘>と呼ばれるアパートの一階に部屋を借りていた。

 六畳半で家賃は二万五千円(共益費は別途三千円)のそのアパートは、和長が職員室で「一人暮らしがしたい」と相談した日の翌日、今江先生が見つけてくきた物件らしかった。

 玄関を開けると、狭いキッチンとユニットバスがあり、そこから一歩進むと洗濯機と冷蔵庫がある。そこからさらに一歩進んで引き戸を開ければ、そこからは和長の世界につながっている。

 六畳一間の空間に、教材の置かれた棚と絵画用のイーゼルがあるだけだった。床に敷かれた青いビニールシートは昨日今日広げられたものではなく、彼がこの部屋で油絵を描くと決めた日に敷かれたものだ。イーゼルの三つ足にはカバーがつけられ、何かの拍子で床に傷がつかないように工夫が施されていた。

「いつも絵を描いてるの?」

 ぼくは聞いた。

 和長は「ああ」と言って、ぼくの足下に座布団を放り投げた。

「これしかすることがない」

「そうか。……しかし、えらく殺風景な部屋だな」

 和長は苦笑した。「そのほうが落ち着く」

 中学のころから、和長は特に友人という友人を作らなかった。幼馴染みのぼくと彰人にだけ付き合いがあり、他の人と何かを楽しんだり、あるいは励ましあったりすることはなかった。

 まるで感情を持たないように、笑ったり怒ったりすることもせず、ひたすら絵を描き続ける彼のことを、だれかが<サイボーグ>と呼んだ。

「昼飯、まだ食ってないんだろう。なにか作る」

 腕時計を見ると、もう一時半を回っていた。そういえば今日は何も食べていない。日曜の昼に寝ぼけ眼でゲームでもやろうかと思っていたところで、和長との約束を思い出し、急ぎ支度したので何を食べることがなかった。

「さっきまで寝てた」

「だったら朝食か。……少し待ってろ」

 ぼくは「悪いなあ」と云いながらわざとらしく頭を掻いた。和長は「別に構わん」とだけ言って、台所でなにか作り始めた。待っている間、トントン、ジュージュー、チンッと言ったそれらしい音が聞こえ、ほのかにごま油の香りが鼻を誘った。

 数分後、和長は皿を二つ分持って帰ってきた。片方をぼくに差出し、もう片方を床に置いた。そういえば、この部屋にはテーブルがない。

「和長も、お昼まだだったんだ」

「ああ」

 昼食は豆腐のグラタンだった。

 曰く、作り方は簡単とのこと。

 豆腐を適当な大きさに切ってフライパンにかけ、焦げ目をつけたあとはレンジで水抜きする。それを皿にのせて、その上からミートソースをかける。あとは皿の真ん中に作っておいた穴に卵を落とし、そこにだし醤油とバターを少量と、ハバネロの粉を一振り。最後にチーズをのせてオーブンで焼けば完成だそうだ。

「ミートソースはレトルトカレーやクリームシチューでも代用できる」

「なるほど。しかし和長よ、聞いたところで、ぼくは一切家事をしない男だ」

「やってみると、意外と面白い」

「その必要はない」

「なぜだ」

「ここに来たら、また食べられる」

 ぼくは空になった皿を台所に持っていく途中、

「そして実際、美味かった」

 と正直な感想を述べる。和長はキザッたく「フッ……」と笑った。本人に自覚はないのだろうが、これは和長がぼくと彰人に褒められたときによくやる、一種の照れ隠しのようなものだ。



「食べたところで、話を聞こう」

 実は今日、約束をしたのは和長ではなくぼくである。

「話とはなんだ」

「うむ。その前に和長よ。実は今日、ぼくはさっきまで和長と約束をしたのをすっかり忘れていた。すまぬ」

「いいさ、おれも特に用事があるわけじゃない。くたばれ悪友」

「しかして彰人よりはマシだろう!」

「当たり前だ。あいつ以下はありえない」

「では本題――に入る前に、ひとつ聞きたいんだけれど」

 和長が訝しげな視線を向ける。

「和長は、幽霊を信じるかい?」

「さあな。あまり真剣に考えたことはない。……だが、いないと言い切ってしまうのも少し寂しいか。画家の中には幽霊画を描き続ける人もいるし、そういう方々へのことも尊重すると、やはり信じたい気持ちはある。……なぜそんなことを聞く」

「ぼくは幽霊を探さなくてはいけなくなったのだ」

「……どういう意味だ」

 ぼくは、安藤さんと結託し、<改奇倶楽部>なる非公式団体を立ち上げたことを話した。

 <改奇倶楽部>の目的は都市伝説や怪談を考察、布教、実証するというものである。ときには熱き青春を謳歌している者たちに対しテロ行為も行う。

「しかし、ぶっちゃけ探すのは無理だ。無理ではないかもしれないけれども途方がない。そんなわけで、ぼく以外の人間に〝幽霊がいる〟と思わせることにしようと思う。……要は、偽造だね」

 和長は『偽造』という言葉に興味深そうな顔をした。

「つまり幽霊を造りたい、というわけか」

 ぼくは頷いた。

「詳しく話を聞こう」

 ぼくはこれからの<改奇倶楽部>に必要不可欠な人材がいることを話す。

 それはアーティストの存在である。

 偽造は我々が行うテロ行為には欠かせない。前回の<幽霊新聞>の一件で怪文書による訴えがまったく効果を見せなかったことと、<一日だけ消えた少年>の噂が思いの外広く知れ渡ってしまったことを考えるに、大切なのは『実感』というやつだ。

 安藤さんとぼくはそう結論した。

「なるほど。……安藤か」

「どうだろう。女の子が苦手なお前には――」

「だからと云って男が好きというわけでもない」

「そんな和長には少しキビシイ話かもしれないけれど、どうだろう。協力してくれないか?」

 和長は渋い顔をする。ぼくは親友に対して〝莫迦どもを脅かす共犯になれ〟と言っている。さすがに二つ返事では受けられないだろう。

「和長」

「なんだ」

「〝面白きことなき世を面白く〟……ぼくの一番好きな言葉だ」

「二番目に好きな言葉は?」

 ぼくは短く「黒髪の乙女」と答えた。

「なるほど」

「和長の一番好きな言葉はなんだい?」

「〝メメント・モリ〟(死を忘れるな)」

「……いいね! じゃあ二番目に好きな言葉は?」

 和長は短く「黒髪の乙女」と答えた。

「では今日より我々の合言葉は〝黒髪の乙女〟だ! 歓迎しよう、我が友よ!」

 こうして<怪奇倶楽部>三人目の仲間が加わった。

 

 ネールデバイスで呼び出すと、彰人はいつでも着信を取る。

 常日頃から面白いことを探し、なにかを焚き付けることに生き甲斐を出しているような男である。年がら年中、暇を持て余しているやつである。

 和長と別れた帰り道、ぼくは彰人に電話をかけた。

「彰人」

《ン?》

「ちょっと面白いこと考えたんだけど」

《やる》

 即答だった。

「ところで彰人の一番好きな言葉は?」

《〝オレだけ安泰〟》

「では二番目に好きな言葉は?」

 彰人は短く「黒髪の乙女」と答えた。

 こうして<改奇倶楽部>四人目の仲間が加わった。

 <改奇倶楽部>最初の活動が決まり、ぼくらは入念に計画を練り上げた。

 前回、幽霊新聞第二号を小莫迦にした伊藤先輩を覚えているだろうか。トロール顔の彼といえば心当たりはあるだろう。

 あのあと文芸部を追い払われた彼の精神的ダメージたるや、相当なものだったらしいと聞いている。ぼくは意気消沈している生徒を放ってはおけない。辛い試練こそ熱き青春の堪能でもあるからだ。我々は青春する者を許さない。

 そんなわけで、これから我々が行うのは死体蹴りである。



「聞いたところによるとトロールには彼女がいるらしい。それも中学生だッてよ」

 そう語るのは我が悪友である。

「ゆるせんな」とぼく。

「ああゆるせん」と和長。

「ゆるせンぜ」と彰人。

 とにかく許せないのでぼくは般若の形相で拳を握ることにした。

「なんたる不届き者だ。柔道部で青春を謳歌しながら『イエス・ロリータ、ノー・タッチ』のルールに違反するとは……」

「最近付き合いはじめたらしいぜ。救ッてやるなら今しかあるめえ」

「そのとおりだ。最近の若者のモラルは低下する傾向にある。実に嘆かわしいことだ。娯楽作品にも十八歳未満ダメダメよのゲームをプレイするのが趣味のキャラクターが登場する時代だ。それにあの性格の悪いトロールのこと。強引な不純異性交遊に及ぶやもれん」

 作戦会議は写真部の部室で開かれた。

 何を隠そう、改奇倶楽部の本拠地はここである。安藤さんと結成した日から、写真部の実態は怪奇倶楽部となった。表面上はこれまで通り健全な活動をしつつ、その裏で日夜熱き青春を行う者たちと戦いを続けるのである。

「よし、ではこれより<改奇大作戦>の立案をはじめる!」

 選ばれたのは<八尺様>であった。

 八尺様とは比較的最近になって流行し始めた現代妖怪のひとつである。

 ある男が帰郷した際、そこで奇妙な声を聞く。「ぽぽぽ……ぽぽぽ……」と聞こえる声は濁音とも半濁音とも取れるような不気味なものであった。

 辺りを探すと、二メートルほどある塀の上に白い帽子が見える。そして男はそれを被った女と目が合う。どうやら女は白いワンピースを着ているようだ。だが少し目を離した隙に女は消えてしまう。

 その後、男性は凶事に見舞われるのである。


「まぁ掻い摘んで話すとこんな感じ。結局、男は人に手を借りて八尺様を封じたんだけど、話の最後で封印されてた地蔵が壊れちゃって、これからも何かあるんじゃないかっていうのを匂わせてるんだよね」

「八尺様は特徴的でわかりやすい現代妖怪です。なによりビジュアルがはっきりしているのと、ぽぽぽ……という声の不気味さが非常によくできていますね」

「画図百鬼夜行に出てくる<けらけら女>とは違うのか」

「猛尾くん、あれ読んだんですか」

「あ、ああ。……まぁな」

「いいですねえ、いいですねえ。でもそれだと<けらけら女>より<高女>に近いかもしれませんよ!」

 なんだか安藤さんもテンションが上がっているようだ。多くのマニアたちと同様に、彼女も自分の興味ある話には饒舌になるのだろう。

 ちなみにこの計画を最初に話したとき、安藤さんは「ええぇぇ……警察に捕まっちゃうよぉ……」とひどく不安そうな声をあげたが、トロールの真実の愛を試すためだなんだと言って適当になだめておいたら、そのうちケロッと開き直って作戦に参加してくれた。

 現代人の順応性の高さには驚くばかりである。

「八尺女を偽造する辺り、まずぼくがプロデューサー兼仕掛け人を担当する。和長には造形班として動いてもらうことになる。次に、彰人は扇動部隊だ。とにかく八尺様の噂を広めてもらいたい。安藤さんには監修を任せるよ。できればリハーサルを面倒みてやってほしい」

 無表情に頷く和長。

 にやにやと悪そうな笑みを浮かべる彰人。

 固唾を飲みぼくを見つめる安藤さん。

 なんだか銀行を襲撃する犯行グループになった気分だ。ぼくはジェイソン・ステイサムが主演を演じていた『バンク・ジョブ』という映画のことを思い出した。あの映画なら、たしか計画は……。

「タテワキくん、大丈夫?」

「いや、大丈夫。少し武者震いがするのう!」

 縁起でもないことを考えるのはよそう。なにも、大犯罪を犯すわけではない。バレたら停学、あるいは退学処分にはなるかもしれない。

 え? 退学? マジで? それは困る!

「頑張ってバレないようにしなければ!」

 ぼくが叫ぶと、彰人が「だな!」と威勢よく答えた。

 意気込みを入れたところで、ここからは具体的な計画を立てていく。

「こうしてみると幽霊画というのは、同一のイメージを持っているようで、その実、作家ごとにまったく異なる価値観で描かれているのがわかる」

 ぼくが<図書王国>から持ってきた『芸術新潮』にある『美女と幽霊』の記事を読みながら、和長は実に興味深そうにそう呟いた。

「……<八尺様>の話は初めて聞いたが、どうにも典型的な日本幽霊みたいな印象を受けた」

「白いワンピースを着ているから?」

 和長は短く「そうだ」と言った。昔から女性の幽霊といえば白い着物を着ているものだ。しかし長年現世を彷徨いつづけた幽霊が時代に合わせて白いワンピースを着用していても不思議ではない。

「幽霊なりに健気にトレンドを理解しようとする姿勢はむしろ萌えですね」

 安藤さんが嬉しそうに微笑む。なに云ってんだこいつ。なんかがズレてるぞ。

「この高山雲峰という人が描いた幽霊画なんか、割とイメージに合う」

「和長、あまり絵画のほうに夢中になるなよ」

「心配いらん、もうプランは決まった。イメージの確認をしていただけだ」

 実に手際がいい。和長はスケッチを広げてぼくに説明をはじめる。

「……いきなり幽霊を偽造すると言われてどうしようかと思った。だが、今回は偽造ではなく『偽装』だ。……実行は夜。ということは、お前に<八尺様>のコスプレをさせるだけでモノ自体は大丈夫だろう。問題は見せ方だ」

「展示の方法というやつかい」

「より怖く見せるにはどうすればいいかを考えるに、ただのワンピースを用意するだけじゃ効果は薄い。白いカーテンを使え。加工はおれがする」

「カーテンかぁ」

「<美術部>の備品にボロボロになって使えなくなったのがある。それを頂戴しよう」

「その下はどうすればいい?」

「裸だ。毛も全部剃っておけ」

「それじゃ変態だ」

「最悪、変態と思われてもいいだろう。怖がってくれるなら」

 ぼくは渋々了承した。『悪しき青春』が『熱き青春』に反旗を翻すための第一歩である。己の身を捧げる覚悟はできているはずだ。そう自分に言い聞かせた。

「メイクだが、揃えようとなると金がかかる」

「金? 金なんて――」

 ぼくは財布の中を広げて見せた。

「だろうな。だから、顔面パックしたあとに、おれが取っておいた木炭のカスを顔に塗れ。アイシャドウにする」

「マジでか」

「パックならすぐにメイクを外して逃走できる。あとはウィッグをつければ何とかなるだろう」

「ウィッグは?」

「彰人の妹が持っているのを借りる」

「なるほど」

「あとおれにできることは『地蔵』を造ることくらいだ。『地蔵』はできるだけ自然にターゲットに壊させて、布石として利用する。そうしておけば、地蔵を壊してせいで呪われたと思い込ませることができる」

「どうやって壊させる?」

「それは……お前たちでうまく考えてくれ」

 たしかに、そこからはぼくたちが頭を使う領域だ。

「彰人、トロールとその彼女はどうやって現場まで向かわせる?」

「ノッポちゃん、オレの話術を信用してねェのォ~」

 口で焚き付けるか。まぁ彰人なら何とかしてくれるだろう。

「ちなみにターゲットはふたりで行かせるより、集団で行かせるほうが確実だと思うぜ」

「ただ、対象が多すぎるとバレる可能性も高くなるよ」

 高校生が集団になったときの盛りようを侮ってはいけない。

「心配すンな。驚かせるのをひとりにすりゃあいい」

「できるのか?」

「オレもそのメンバーに入る」

 なるほど。

「つまり集団の内部から仕掛けるわけか」

「ああ、最悪、オレが地蔵を壊すよ。なにも本物の地蔵じゃあるめえしな。親戚にヘンな宗教開いてる罰当たりな坊サンがいるから、ソイツにお祓いさせりゃアフターケアもばっちりだ」

 親戚の坊さんがそんなこと引き受けてくれるのだろうか。まぁ、罰当たりな坊さんだから、きっと大丈夫なのだろう。

 結局、計画は当初の予定とは少し違う段取りを踏むことになった。

 まず、彰人が八尺様の噂を流すことはなしにして、突発的に肝試しを行うような流れを持っていくことになった。

 肝試しのメンバーに選ばれたのは、トロール伊藤と親しかった文芸部を一名、その生徒と同じクラスの柔道部の男子を一名、これに彰人を加え、トロールとその彼女を交えた合計五名だ。中学生の彼女をどうやってメンバーに入れるか悩みどころだったが、その彼女はなんと先の柔道部部員の妹であった。驚くほど順調に計画は進んでいく。

 彰人に言わせれば、共通の友人や知り合いがいるほど、ことは上手く行きやすいという。しかし彼らは上級生。親睦を深めるため、彰人は柔道部に仮入部までしてくれた。

 実をいうと彰人の父方の祖父は有名な武道家であり、実家に道場も構えているらしく、あの悪友も中学まではその道場に通っていた。そのころの彰人は剣道をはじめとするさまざまな武道に精通していた天才少年だったのだけれど、この話は今は割愛する。


 そして計画は実行の日を迎えた。

 放課後、急ぎ廃屋の前に地蔵を設置する。

 本物の地蔵なんてものを用意できないぼくらであるから、和長が水粘土で造ったものを石膏で複製し、その上からエアブラシでちょちょいと色を塗ったものを使った。

「……正直大味な出来に仕上がっている」

「否、あとはぼくの技量次第だ」

「そうか」

「それに、この暗さでは本物と見分けはつくまいね!」

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