#11 「チーム名だよ」

「ギャグが渋い!」

 月曜日の朝、運動部の生徒たちが朝練を終える直前を狙い、人知れず幽霊新聞第三号を貼りだそうとしたぼくがその記事の第一発見者となった。

 すでに掲示板に貼られていたこの怪文書は間違いなくぼく以外の人物が書いた幽霊新聞である。そして結果的に第三号となった。ぼくの手に握られているのは三号なり損ないであり、もはや二度と公開の機会を得ることのない没書である。

 けれど問題はこの幽霊新聞第三号が貼られていたことよりも、ここに書かれている言葉そのものだ。第三号を書いた人間は、どうやら先日のぼくとまったく同じ方法である生徒を狙い撃ちにしたいらしかった。

 そのある生徒とは<一日だけ消えた少年>――即ち、ぼくではないか。

 なんという嬉しい誤算だ。

 彼女は気づいているのだ。このぼくに。



 しかし添付されていた資料を読んだときには肝が冷えた。テラーに載っていた<一日だけ消えた少年>の記事のコピーである。焦る。焦る。第三号を読んだ生徒たちが口々に「この学校にいるらしいぜ」と噂している。その正体まではたどり着けなくとも、彼らの間で<一日だけ消えた少年>の存在が広まりつつあるのだった。

 そして実際にオカルト雑誌に取り上げられているというのがアカシック・レコードのときよりも利いているらしい。つまりぼくの書いた第二号よりも話題性、注目度も上なのである。なんということだ。周りの連中もアカシック・レコードのことなんぞすっかり忘れている様子。

 口々に自分のことを話されているぼくはなんだか居心地が悪く、うがーと叫びながら没書のほうの第三号をびりびりに引き裂いた。



「今回は女の子らしいじゃねえか」

 昼休みに掲示板の前で打開策に頭を悩ませていると、どこからかやってきた彰人がそう云った。それから間もなく多々良田さんも加わり、気が付けば以前同様の面子で第三号の前に立っていた。

「多々良田さん、実は……」

 ぼくは彼女に耳打ちする。

「第二号を書いたのは、ぼくなのだ」

「知ってるわよ。あんまり莫迦にしていると殴るわよ」

 ぼくは唸り声をあげて頭を抱えた。

「なぜだ! 文章の書き方はいつもと変えたはず!」

「だってタテワキくん、あなたイチタロー使ってるでしょ」

 それはぼくが新聞を書くとき、いつも使っているソフトの名前だった。

「レイアウトがいつも同じなのよ。余白の使い方とか、その他もろもろ。どうせ設定変更せずに印刷してんでしょう」

 気づかなかった。そんな落とし穴があったとは。

「うぅぅぅ……」

「けれど今回はあなたじゃないんでしょう」

「ぬぉっぉん」

「その人の検討はついているの」

「ぬわぁぁぁぁん!」

「そう。……わからないのね」

 といいつつ、心当たりはあるどこか彼女以外ありえないとすら思っている。けれど整理ついでに多々良田さんに話してみるのも面白かろう。

「たしか、ぼくも似たようなギャグをこの前言っていた気がする」

「それはどこで?」

「ミルクと砂糖ありありアリアリアリーヴェ・デルチ!」

「どこで言ったのかを聞いてるの」

「じ、ジ・パンだよ。学校の近くにあるパン屋のカフェ。そこでサービスのコーヒーもらったときに云いました。というかですね、ミルクと砂糖って言ったら喫茶店に決まっているのではありませんかね。多々良田さん。アキくんもそう思うよな?」

 ギャグが決まらなかった気まずさで焦るぼくは彰人に振る。彰人は「お、おう」とコメントし辛そうに相槌を打った。このおしゃべり大明神に言葉を濁させるとは、ぼくもギャグも中々の侘しさであろう。

「喫茶店っていうのは普通、テーブルに砂糖とコーヒーフレッシュが置いてあるのよ。あとガムシロップ。もっとも牛乳は冷蔵庫でしょうけどね。でもジ・パンがサービスで出すコーヒーといえばメニューにある一番安いブレンドコーヒーよね? だったらあなたが欲しかったのってやっぱりコーヒーフレッシュのほうじゃないの」

 ええい、多々良田さんの揚げ足取りめ。

「どっちも同じミルクだろっ!」

「コーヒーフレッシュは植物性の油よ。牛乳とは全然ちがう。大量に入れると脂っぽくなるわ。想像しただけでおええ」

「ぐぬぬ……」

 ついにぼくは言葉を返す気力も失ってしまう。完全論破されてなにも言えなくなった多々良田さんは文学的嗜虐心を伺わせる追い打ちを決める。

「よかったわね、タテワキくん。あなたが今日経験したそれは日本のことわざで〝墓穴を掘る〟っていうのよ」

 ぼくはもう二度と多々良田さんの前で寒いギャグを入れることはないだろう。彼女に言葉責めされるのは文芸部――もとい伏魔殿の亡者たちだけで十分だ。ぼくは御免なのだ。

「先日、ある友人の人探しに協力をしてね。その関係でジ・パンに寄ったんだ。そのときに、さっきのくだらんギャグは言った記憶がある」

「まぁ、似たような方向性の……よね。〝下さいませませマッセイ・ファーガソン〟……」

「マッセイ・ファーガソンってのはなンだ?」

 頭上に疑問符を浮かべる彰人の質問にはぼくが答えた。

「たしか、農耕用のトラクター作ってる会社だよ。はたらくクルマ」

「言葉そのものにはあまり意味はないでしょうね。たぶんこれはクソくだらないギャグを云っただれかさん宛てに書かれたメッセージ……」

「メッセージ? なんだか探偵みたいだな、多々良田さん」

「わたしの知り合いには探偵の助手もいるけれど。でもよかったわね、女の子からの手紙なんて」

 さっきから多々良田さんの言葉は妙に含みがある。

「どうして女の子からと? ぼくはまだ、ギャグを言った相手が女の子だとは言ってない」

「ここに女王って書いてあるじゃないの」

「それだけ? 男が女のふりをしているだけかもしれない。なにかほかに根拠があるんじゃあないのかい」

 そう訊くと、今度は逆に彰人が言葉を挿む。

「さらさらパウダーシート」

「なんだって?」

「さらさらパウダーシートだよう。汗疹ができないために使う、ウェットティッシュみたいなアレだ。女性用のはいいニオイがすンだよな」

 多々良田さんは短く頷いた。

「紙のにおいを嗅いだとき、わずかに残ってたわ多めに使ってたんでしょうね。で、この時期にそれだけの枚数を使うとなると、運動部。……使われているところは手。汗疹防止のためにそれだけ使うのだから、間違いなく〝手袋〟をはめているはず。運動部が朝練を終える直前ってことは、たぶん、その十五分前くらいには片づけをしている部活じゃないかしら」

「片づけるものが多い部活……、ね」

 思いの外、イイ線を突いてくるな。さすが多々良田さん。これが若き物書きの慧眼か。

 しかし――なんてこった。てっきり開門と同時に貼ったのかと思ってたけれど、この第三号はぼくとタッチの差で貼られていたらしい。なんだか余計に悔しいではないか。

「それでタテワキくん」

「なんだい」

「あなたは<一日だけ消えた少年>なの?」

 ぼくは「さあね」と答えた。これでも、それを教える相手は選んでいるつもりだ。

 その翌々日、ぼくは安藤さんの机に件の怪文書、<幽霊新聞第四号>を投函した。彼女に第二号の内容が掴まれている以上、もう掲示板に貼りだす必要はないのである。ちなみに今度は手書き。



【罪状:青春挑戦状盗作之罪】

 「悪しき青春」の女王様、お元気でございましょうか。

 私はあなたが嗜虐癖丸出しで奴隷と蔑むような者ではございません。謝罪と賠償を要求するとともに〝悪しき青春のプリンス〝と呼ぶことを命じます。



 すると次の日にはぼくの机に以下の文面――<第五号>が入っていた。



【罪状:青春名誉毀損罪】

 いきなりあのようなテロ行為を働くような人でございましょうから、あなたはプリンスなどという品のある地位の人ではありません。

 それは「悪しき青春」と云えど同じことです。猫ほどかわいいものでもないので奴隷ということでどうぞよろしく。



「安藤さんめ、許せんな……!」



【罪状:反逆罪】

 いつの世も革命は起こるものです。

 白黒つけましょう。放課後お待ちしておりま



 放課後の写真部。そこまで書いたところで、なにやら窓ガラスにぱちん、ぱちんという音が鳴っていた。何事かと思いそちらを見やると、そこには件の怪文書が貼り付けられているではないか!

「しーんぶーん!」

 何者かの叫び声が響き、ぼくは反射的に椅子から転げ落ちた。

「お、おげげええっ!」

 尾骨にキャスターが直撃し、ぼくは悲鳴を上げた。


「はははは!」

 聞き覚えのある声が、聞き覚えのない笑い声を発している。

 ぼくが尻を撫でながら眼にしたのは、かの悪しき青春の女王の姿であった。

「あ、安藤さん……!」

「次が来る前に来ちゃったよ。……でも、びっくりしたでしょう?」

 このような不意打ちを受けた屈辱と初めて見る彼女のいたずらっぽい笑顔にちょっぴり心を動かされている自分が信じられない。

 ぼくは平静を装うことに全力を注ぎ紳士らしく答えるのである。「きみは新聞配達の霊かなにかか」

「わたしがポルターガイスト氏だったら良かったんですけどねえ」

「いや、それはちょっと困るけど」

「さて――タテワキくん。不毛な争いに終止符を打ちに来たよ」

 そう云って安藤さんは手に持っていたノートを、写真部の机の上に広げた。

「へえ。ぼくよりも出来のいい新聞が書けたのかい」

「ちょっと違いますねえ。タテワキくんを懲らしめにきました」

 その言葉にぼくは固唾を飲む。どうやらポルターガイストがぼくのパンツのなかに入り込んだらしく社会の窓のあたりがムクムクと執念を滾らせているではないか。

「……期待していいのか?」

「わたしはノット物理攻撃を貫きます」

「残念だ」

「タテワキくん、変態なんですか。云いふらしますよ」

「やめて」

「じゃあ聞きたいことがありますので答えてください」

 どうやら楽しい交換怪文書も終りに近づいてきたらしい。

 答え合わせの時間、というわけだ。

「うん、わかってる。その前にぼくからいいかな」

「どうぞ」

「いつわかった? どれだけ時間をかけてその答えに至ったんだ」

 安藤さんはにこりと微笑んで「最初からです」と答えた。

「タテワキくん、わたしがネットで痛いクソコテをやっていたこと、知ってたんでしょう」

「うん」

 なにか整理がついたのか、安藤さんは少し爽やかな顔をしている。

 ぼくはまず、その理由から説明することにした。

「ラクロス部に撮影に行ったときの<&>って文字が気になってね。それで安藤さんがネットで情報収集をしてると知ったときにそうなんじゃないかと。ジ・パンでオカルトのことを語ってくれたときの言葉は、だれかに信じてもらえないことを経験してる人の言葉だったし……まあ、すごい偶然だと思うけど」

「けど、わたしもあなたがクロークさんだってことはなんとなくわかってました」

「そりゃ驚いた。どうして」

「入学初日のタテワキくんの挨拶を今でも覚えてるからです」

 なんだそりゃ。なにか云ったっけ。

「わたしが今回いちばん悩んだのは〝あのお人好しのタテワキくんがどうしてこんなことをしたのか〟ってことですねえ」

「きみにはぼくがお人好しに見えるのかい」

「ぶきっちょの端本先輩のことを優しいだなんていう人が、こんな無意味な挑発をするはずがない。あの幽霊新聞第二号の本当の狙いはなんなんだろう……って、考えたのですよ」

「聞かせてもらおうじゃないか」

「はい。でも全部はわかりませんでした」

 枕詞を置いて、安藤さんは続ける。

「どうにも腑に落ちないのは、やはり第二号です。あれを読んだとき、わたしはタテワキくんが、自分のことを少しは理解してくれている気がしました。あの新聞に書いてあったの生徒たちに対する<失望>とは、真因を追求せずに騒ぐ無神経さのことなのでしょう。無知という言葉を用いているので、それに気づいていないことに対する憤りも感じられます。それなのに楽しそうな学校生活を送っているという<罪>と、その<罰>として下した要求。〝アカシック・レコードの目撃者を見つけろ〟という文章は、タテワキくんの言葉で云うなら……〝安藤に目を向けてやれ〟」

「正解」

「どうしてそんなことを。わたしを励ましたかったから、ですか」

 ぼくは僅かに目をそらして――違う、と答えた。

「でしょうね。では続けます。そこでヒントになったのが……この<悪しき青春>というフレーズです。一般的に、青春に悪いもなにもありません。スポットライトの当たらないような〝暗い〟青春はありますが、〝悪い〟と呼ばれるような青春はないはずです。でも、これを書いた人間は、自分が悪しき青春に縛られているものだと云っている。なぜ悪いのか。だれが悪いのか」

「それを決めているのは?」

「書いている本人です」

 ぼくはため息をついた。「正解だ」

「悪い青春というのは、だれにも理解されない青春のことだ。やりたいことがあってもやれない。欲しいものがあっても手に入れることができない。だから他人の邪魔をする。それは不正であり卑怯なことだ。そういったものに時間を割くのは〝悪いこと〟以外のなにものでもない。文芸部の多々良田さんの言葉を借りるなら、こういうのを『焦燥』というらしいね」

「そこで気が付きました。これはタテワキくんが私を助けるためにやったことじゃない――と。あの新聞はわたしを励ますのものじゃない。ましてや不快にさせることが目的のものでもない。ではなにか。それは……〝わたしを励ましたことに対する見返り〟」

「正解だ。大正解だよ」

 ぼくは軽く拍手する。

「〝クラスメイトの安藤〟じゃなくて〝この謎を解けた安藤〟になにかしてほしいことがある、ということでしょう」

「とんでもない考察力だ、まいったな」

 茶化すぼくに対して安藤さんは真剣なまなざしで答える。

「わたしは、別にタテワキくんの人格を否定したいわけじゃない。わたしにはそんな権利ないしね。それに今回の件でちょっとタテワキくんのことを見直したよ」

 安藤さんがノートを指さす。

「ここ数日、きみのことに関して考えをまとめたの。それでノート一冊分埋め尽くして、今の答えを出しました。……分析は大事ですね」

 ぼくは内心、安藤さんは少しストーカーの気があるんじゃないかと思った。

 けれど、真面目な子だ。

「安藤さんにしてもらいたいこと、ないわけではないんだよ。ただ、あの幽霊新聞の騒動はそれだけのためにやったことじゃない」

 ぼくは少し間を置いた。

 窓のほうを向くと、写真部の掃除をしていた日と同じ光景が見えた。

「うちの写真部はね。ぼくが来るまでずっと死んでいたんだ。……そこにある機材を見てみろよ。役目さえ与えてもらえずに、埃だらけになって、魔女の助けの来ない灰かぶりみたいだったよ」

「それは……残念ですね。ネットアバター世代が置いてきぼりにした過去の技術の結晶。一眼レフというものが、少年たちのあこがれだった時代もあるのに」

 運動場ではラクロス部がグラウンドの後片付けをしている。そうか、安藤さんは今日、部活そっちのけでここに来てくれたのか。そのことに少し感謝した。

「ぼくが来なければ、この子らはずっとこうだった。そして処分されていたんだ。それが暗室を壊す手間がかかるという理由で、かろうじて生きながらえていたんだよ」

「写真部の仇を討ちたかったんですか」

「まさか。ぼくはそこまで物に愛着を持つほうじゃないよ。それにどうせ、物は人間が必要じゃなくなったときに捨てられる。モノの一番きれいな瞬間は、モノが使われているときだけだ」

 ぼくは安藤さんのほうに向きなおった。

「……ずっとこの部屋をひとりで片付けていて思ったんだ。……〝ぼくはなんのためにこんなことをしているんだろう〟って」

「写真が好きだから、じゃないの?」

「写真なんて今まで数えるほどしか撮ってない。この部活を始めなきゃ、小学校の修学旅行でインスタントカメラを触ってそれきりだっただろうね。……ぼくはねえ安藤さん。この学校でやりたいことなんて本当はないんだ。それなのに写真部を立て直しただけで、先生やラクロス部の子たちはぼくを熱心な生徒だと言った」

 なんだか火曜日のサスペンスドラマの犯人になった気分だ。

 安藤さんは立派な探偵だった。ぼくが思っている以上に。

 だから安藤さんにぼくの頼みを聞いてもらう前に、これだけは伝えておかなくっちゃならない。ぼくの本心だけは。

「今回の件、実はほかにもヒントはあったんだ。ぼくの書く文章の癖を見抜いていたら、簡単に犯人なんてわかったはずなんだ。……多々良田さんだけは真っ先にそれに気づいたね。さすがだと思ったよ。でも、ほとんどの生徒の眼は節穴だった。……どうせ気づかないだろうと思ったけど。なんせ奴らは、噂をするのは大好きなのに真相を知ろうとは決してしない連中だ。潰れかけの写真部に対しても、興味すら抱かない連中なんだよ。いや、はっきりと云っておこう。〝がんばって掃除までして校内新聞も書いてるぼくに見向きもしない〟……そんなやつらが、友達と楽しく笑いあったり、なにか目的に向かって徒党を組んで立ち向かったりしているんだぜ」

 安藤さんがどこか寂しそうな顔をする。

「和長が美術部で絵を描いていて思ったんだ。〝あいつはやりたいことをやって、目的に向かえているんだ〟って。羨ましかったよ。部活なんてやってる連中はみんなそうだ。いっしょに練習して、いっしょに試合して……、みんなは同じ時間を過ごしてる。厭な話、青春だよ。でも、ぼくが本当にやりたいことをしたって、それはぼくだけの世界で完結する。みんなと違って、青春にはほど遠い結果になる。いいとこ自己満足さ。……ぼくと同じ時間を共有する人はいない」

 ぼくは一呼吸おいて、

「だから少しの間だけ……さ。潰れかけの写真部の部長が、やりたいことやってやった。青春なんて謳歌できない日陰者のぼくがさ、ほんの少しだけあいつらから関心を引きたかった……いや、引けたんだ。そしてぼくはあいつらを心の中で見下したかった。……以上が幽霊新聞を書いたもう半分の理由だ。ゲスな趣味だよ」

 ここまで安藤さんはぼくの言葉に対して、一度も頷くことはなかった。

「ねえタテワキくん」

「なに」

「タテワキくんのしたいことって、なんだったの」

「<一日だけ消えた少年>の真相をつかむことだ。あの日、ぼくになにが起きたのか、それを探してくれる仲間がほしかった。……安藤さんなら、心強い仲間になってくれるんじゃないかと思った」

「どうして?」

「きみが付属中学でのけ者にされていたからじゃないかと思ったから」

 安藤さんは喉の奥で短い悲鳴をあげた。

「そ、それは……!」

「言っておくけど、これは裏付けはしなかったからね。だから、ぼくの勘だ。答えなくていいよ。でもそのとき、なんだかきみはぼくと似ているんじゃないかって思った」

「似てる……?」

「この前、ぼくは、<一日だけ消えた少年>じゃないかってことを多々良田さんに聞かれたんだ。でも答えなかったよ。……言えるわけないだろ。彼女にとっては、そうなんだで済む話かもしれないけれど、ぼくにとっては違う。もしぼくが<一日だけ消えた少年>だってこと明かしたとき、彼女がなにも云わなかったら、ぼくはきっと彼女を厭な人だと思ってしまう」

 視界が霞む。

 自分に対する嫌悪感が、目の奥から溢れるのを堪えられなかった。

「キビシイな。自分にとっては大切なことなのに、周りにとっては軽いことなんだぜ。その価値観の目方はだれが決めてくれるっていうんだ」

 言い終えると、最後の言葉に安藤さんは「そうだね」と言ってくれた。

 ありがとう。そう呟くと、安藤さんは短く頷いた。

「やっぱり、タテワキくんはわたしの思ってたとおりの人だったよ」

 安藤さんはゆっくりと言葉を続ける。なだめられているようで少し申し訳ない気持ちになった。

「タテワキくんはたぶん、心の底から無償で人を助けたりはできない人だよ。でも……、やっぱりきみはお人好しだね」

 安藤さんはいつぞやぼくが投函した、あの幽霊新聞第四号をノートの上に広げた。

「ねえ。きみはわたしと幽霊新聞を出し合って、どう思った? わたしは楽しかったよ。きみと莫迦をやるのは楽しかった。……それだけで、この学校に来てよかったと思えるくらい」

 ぼくもだ。

 ぼくも、嬉しかったよ。多くの生徒たちには気づいてもらえなくても、きみのような人に気づいてもらえたのだから。

 それでも――。

「タテワキくん、さっき自分の中で自己完結がどーとか言ってたけど……。人に言わないからいい、ってこともあると思うよ」

「……どういうことだよ」

「仲間なんていないから、平和でいられるってこと」

 それでも、安藤さんがぼくの仲間になることはないらしい。

「わたし、前の学校でアカシック・レコードを見たことを、当時の親友だと思ってた子に云っちゃったんだよねえ。ネットに書いたのと同じように。そしたらさ――その子がそれを彼氏に話して、あっという間に伝わっちゃったよ。莫迦だね、話さなければ壊れなかったのに」

 作り笑いをしている安藤さんの声が少し濁る。

「それ以来、ちょっと居心地悪くなっちゃって。それで出て来ちゃったんだ。まあ他にも色々あったんだけど。やりたいことがあってこっちに来たっていうのは本当だけど、それは半分。もう半分は、そういうことだよ」

 安藤さんの唇は少し震えていた。ぼくは「ごめん」と云った。

「謝ることないよ。だってわたし、きみには色々と感謝してる。あのスレで擁護してくれたこともそうだし、同類がいることを教えてくれたりもした。それに、さっきも言ったけど、幽霊新聞は楽しかった。でも、やっぱりこれきりにしようと思う」

「どうしてさ」

「さっきのきみの言葉を借りるなら、これはわたしのゲスな趣味だから。人前で出しちゃいけないものだから。……出せばまた、わたしはだれかに傷つけられる。わたしもだれかを傷つける。だから最後にしたいの」

「そんなことはない!」

 ぼくは思わず声を荒げた。それは、安藤さんの口から出た言葉が、自分と同じ気持ちを持っていたからでもある。つまりは――自己否定だ。

「そんなこと、云うなよ」

 安藤さんは首を振る。

「おかしいことが好きていうのはね、やっぱり本当はどこかおかしいんだよ。わたしは自分がおかしいってことを自覚してる。それを発散させることができればどれだけ楽しいかもわかってる。でもしない」

「なんでそんなこと云うのさ」

「おかしいことなんて、本当はなにもないからだよ」

 いつぞやと同じように、窓の向こうでは太陽が瞼を閉じていた。途方もない時間と距離をかけて、世界が眠ろうとしている。

 時間が迫る。もう誰も止めることのできない夜が来る。そしてその前に安藤さんはぼくに見切りをつけ、誰も時を止めることのできないのと同じように、この世界は変えられないと信じ込むだろう。そうして、ぼくに「さよなら」か、あるいは「またね」と告げてこの部屋を出ていくのだろう。

 ぼくは安藤さんの考えを変えられるだけの言葉を探す。探しながら、うつらうつらと眠っていく世界を恨めしく思う。

「安藤さんは……、才能がある人なんだ」

「え……」

「だれも気にしないことを気にするっていうのは、それだけで才能じゃないか。きみはぼくに嬉しかったって言ったけど、ぼくだってそうだよ。……ほかの連中には、ぼくだとはわからなかった。でも、きみはそれを解明できる力と行動力を持っていたから、ぼくに気づいてくれた。だから、きみはぼくにとっては才能のある人なんだよ」

「無駄な才能だね。本当に無駄な才能……」

 そうだ。そして少し力業でもあった。

「おかしなことを解明し続けていけば、いつか本当におかしなことに出会えるかもしれないじゃないか」

「でも、そんなこと本当にあるかわからないでしょ」

「それでも信じたいなら、やっぱり探すのをやめちゃダメだ」

 まるで子どもの言い争いだ。お化けのいるいないで口論するなんて、今どき小学生でもやらないだろう。

「たぶん、大人になったら……ぼくらは忙しさに囚われて、そんなものに見向きもしなくなる。けど今はそうじゃない。今しかできないことをやらなくちゃいけないんだ。ぼくは大人になったら<一日だけ消えた少年>だったことなんて忘れてしまうさ。けど、そんなのは厭だ。……そして今のぼくにはね。安藤さんと一緒なら、それが見つけられるかもしれない。――そう思う」

 そのとき、ぼくは安藤さんの瞳がわずかに揺れるのを見た。

「安藤さん、あのさ」

「うん」

「ぼくはこの学校にいる間に〝本当に不思議なこと〟を見つけてみせる。それで証明するよ、きみの正しさを。……そしたらもう、だれにもその価値は崩せないだろ。だから、ぼくの記憶に関する手掛かりを一緒に探してほしいんだ」

「一緒に、かぁ」

 ぼくは祈った。しかしこれではまるで愛の告白である。まだ入学して少ししか経っていないし、安藤さんと話したのも数えるほどしかない。なのにこれでは、これではまるで。

「ぷっ――あはははっ! タテワキくんってさあ、変な人だよね」

 いきなりぶっと吹き出す安藤さん。ぼくは慌てて否定する。

「そんなことあるものかよ! し、ししっ失礼なっ!」

「うん。ごめんごめん」

 彼女は少し微笑み、どこか遠くを見るような目をした。

「タテワキくん。――<ペルソナ殺し>っていう犯罪者を知ってる?」

 いきなり知らない言葉を云われて、ぼくは少し返事に困る。

 その様子を察したのか、安藤さんはまた少し微笑んで云った。

「<一日だけ消えた少年>という話がテラーに載った日、別の記事で名前が出てるよ。……運命ですね」

 その言葉の意味を、このときぼくはまだよくわかっていなかった。

「<ペルソナ殺し>はある時期に、中学生のネットアバターだけを狙って活動していたの。仮想世界からアバターを削除する電子テロリストだよ。その方法は極めて悪質。<ペルソナ殺し>に目をつけられた人のネットアバターは最終的に“自殺〟という方法で仮想世界から姿を消していったのです」

 ぼくははっとした。

 ネットアバターは人工知性を持つがゆえに自ら〝死〟を選択することはない。アバターの役目は所有者、つまり元になった人物の助けをすることであり、持ち主が生きている限りはその人生を支えるという性質を持っている。

 ただ、ネットアバターが死を選んだというケースをぼくはひとつだけ知っていた。

「わたしが写真部に入る代わりに、タテワキくんにはこの<ペルソナ殺し>を探してほしいのです。そして一年後、わたしたちが二年生になったときにその人物がどうしてそんな凶行に走ったのか、きみの考えをわたしに聞かせてください。同情ではなく、きみの意識と知性を示す言葉で。このわたしに」

「ぼくが同情するような余地がその犯罪者にあるってのかい」

「あると思う。でも<ペルソナ殺し>に関することをわたしの口から伝えることはありません」

 ぼくは少し考える。

「わかった段階で話しちゃダメか?」

「ダメです。きっちり一年待ってください。わたしがタテワキくんを<一日だけ消えた少年>だとわかった理由もそのときにお話します。それが上手くいったら、わたしはあなたの失った記憶を探す手伝いをします」

 どうやら安藤さんはなにを云っても聞かなさそうだ。ぼくはその条件を飲んだ。

「わかった。ついでにはっきりと云っておくけれど、実はぼくはきみが写真部に入ってくれるだけでめちゃんこうれしい」

「それでは決めましょう」

 ぼくはなにを、と聞いた。

 彼女は答えた。――「チーム名だよ」と。


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