#10 「幽霊新聞二号」

 翌日、校内に<幽霊新聞第二号>なるものが貼られたという。

 その内容はいかに示す通りである。


【罪状:青春泥棒】

 有象無象の諸君、こんにちは。無知なる諸君らは今日も何食わぬ顔で青春を謳歌しているだろうか。

 私は前回の一件で君たちに失望した者である。諸君らは「青春」というものの代償に対してひどく軽薄で、またその返済を蹴飛ばそうとする不届き者たちである。いわば青春泥棒といえよう。これは罪である。

 罪である以上、報いとして罰を与えなくてはならない。これは諸君らが歴史学を通じて知ったとおりのこの世の真理である。諸君らは青春を償う必要があり、また利子を支払う責任も生じているのだ。

 そこで諸君らに要求する。

 その要求とは諸君らの中に潜むアカシック・レコードの目撃者を私に差し出すことである。

 諸君らがその者を見つけ出すことが出来れば、私は諸君らを悪しき青春の理解者として認め二度とこのような新聞を書かないと約束しよう。

 しかし、もし諸君らがアカシック・レコードの目撃者を見つけられなかった場合、私は次なる計画を実行せねばなるまい。それが諸君らに対する罰である。


                        「悪しき青春」の奴隷より

「しッかしまぁ……これは、なあ?」

 ぼくが<幽霊新聞第二号>の話を聞いたのは、やはり彰人であった。

 前回の<第一号>に比べ、今回は彰人が焚き付ける隙もなくその噂は広まったと聞く。現に目の前で呆けた女子がひとり携帯電話型のネールデバイスで写真を撮っている。

「昼休みだというのに皆して暇を持て余しているな。どう思う?」

 ぼくは彰人に聞いた。

「どう思うッて、コメントのしようがねえよ。アカシック・レコードがなンなのかッちゅーのも検索するまで分かンなかったわ。なにが言いたいンかねえ、これ作ッたヤツは」

「さすがの彰人も今回は煽る余地がないか」

「いや、煽ることはできるさ。けどよう、そうなるとこれを書いたヤツのコトが心配になるわけで」

 彰人は肩をすくめる。ぼくは「そうだな」と生返事をした。

 そのまま生徒たちの反応を見ていると、廊下の先から多々良田さん率いる文芸部の一同がやってきた。

「なんだなんだ、また許可もなしにこんなもん貼るやつがでたのか」

 大声で群衆をかき分けたのは、文芸部の中でも人一倍体格のいい生徒である。体格のいいとは云っても、筋肉ではなく脂肪によるものだけれど。眼が細くて丸坊主で鼻持ちならないトロール似の面をしたその男子生徒は、群がる野次馬をわざとらしく小突きながら多々良田さんの背後で腕を組み、にやにや笑いながら見下し気味の視線で辺りを見回すと、今度は幽霊新聞第二号の前で小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

 ぼくは彰人に耳打ちする。

「文芸部にもゾンビ以外のクリーチャーがいたんだね」

「ありゃ二年生だな。ブンゲーブと掛け持ちで<ジュードーブ>のトロールもやっている」

「さすが情報通」

「一応、オレもブンゲーブだしな」

「しかし柔道部のトロールがなぜ文芸部に?」

「元々文章のほうは上手かッたらしいぜ。読書感想文だとかで賞をもらッてたンだとよ。文武両道ッてあるんだなあ。ただやっぱりアイツも多々良田には頭が上がらンらしい」

「ふうん。ちなみに彰人はどう思ってるの? トロールのこと」

「……オメーが抱く印象と同じだよ。トロールだと思ッとろーる」

 ぼくは「なるほどね」と云った。

 文芸部の先頭に立つ多々良田さんはまじまじと幽霊新聞第二号を見つめている。ぼくからすれば多々良田さんは悪しき青春とは無縁の人物だ。かと云って幽霊新聞第二号に書かれているような青春泥棒でもない。常に淡々と文芸部で執筆活動を行っている彼女は、なんというか「仕事人」という言葉がよく似合う。

 その彼女があれを見てなにを思うのか、ぼくは内心かなり興味があった。

「たかが学生の分際でなに云ってんだって感じっすよねえ」

 期待と不安を抱えたぼくの胸に刺さったのは、先のトロールが多々良田さんに言ったその一言である。

「それに自分の云いたいを匿名で書くってのもだっせえよう。だれが書いたのは知らねえけど、云いたいことがあんならバシッと実名さらして書くべきっすよ。じゃねえと訴えは通らねえ。真面目に文章を書いてる人間からしてみりゃあ、こいつはただの卑怯者だ。とっとと総務に剥がしてもらうべきでしょうよ」

 ぼくは舌を巻いた。

 このトロールは青春泥棒どころか青春踏み荒らしをしたいらしい。

 横にいる彰人が冷静な声で「ほらな」と呟く。なるほど。文武両道が聞いて呆れる。おそらく柔道の作法も文芸の作法もこいつの人格形成にいい影響を与えることはなかったのだろう。それでもぼくに彼を責めるだけの資格はない。

 ぼくは彰人といっしょに舌打ちの連打である。その具合たるやその辺にいる女子に「猫でも呼んでいるのではないか」と疑われるほどである。多々良田さんが口を開いた。

「オタク臭いのよね」

「え?」

 見るとその眼はトロールの彼に向けられているではないか。

「あなた、名前なんだっけ……」

「いや、伊藤っすけど」

 伊藤というのか。名前を覚える気はないけれど、少なくともヨーロッパの伝承に登場する妖精の類でないことはわかった。普遍的な名前だなと思ったけれど、よく考えてみれば安藤・加藤・佐藤に続いて伊藤である。藤が多すぎて晩春が待ち遠しい限りである。

「あなた、この文面からなにも感じないの。これを書いた人、きっと匿名じゃないとこういうことが云えないのよ。それってどういうことかわかる?」

「えっと……」

「この人はつまらない学校生活に刺激を与えようとしているのよ。それってすごく活動的だと思わないかしら。それに、学校という社会をよく理解しているわ。もしこの人が自分の本名でこんなこと書いてみなさいな。〝○○が変な新聞を書いた〟という話だけが広まってしまう。書いた内容なんて見向きもされずにね。……だから、この人は自分の名前を伏せることで文面を読んでもらおうとしたのよ。匿名のほうが内容には注目されるの」

 ぼくは焦った。気が付くとものすごい勢いで貧乏ゆすりを開始している自分に気づく。

 なんだこの、むず痒いような、恥ずかしいような気持ちは。

「そういう意味では、そこら辺の生徒よりは頭のキレる人だと思うわ。文章の書き方も下手だし心得があるようにも見えないけれど、工夫は上手よ。そして優しくて、けどだれよりも焦燥してる。それゆえに悩んで、結果こういう行動を生んだ。たぶんこれを貼ったのはそういう人よ」

 幽霊新聞第二号があの伏魔殿の主にお墨付きをもらった瞬間である。

「それとあなた、もう来なくていいから」

 しかし、さすがにトロール先輩を公開処刑したことは如何なものか。なんだか申し訳ない気がしてならない。

「多々良田さん、あの……」

「あら帯刀田くん、いたの。大きいくせに存在感ないわね。身長何センチよ」

「あ、はい。いました。身長は一八六で……体重は……。それよりきみ、なにも退部させることは……」

「読解力ってのは気持ち。その才能がない人に無駄な時間を使わせたくないだけ」

「わからないな。彰人から聞いたけどトロール……伊藤だっけ。文章の書き方だって上手いって話じゃん。だったら文芸部的にはウェルカムだろ」

 多々良田さんは肩をすくめた。

「それはね――」

「上手くたって書いた人間の気持ちを考えようとしないんじゃ、創作には向いてねえわな」

 多々良田さんが一瞬、はっとした顔で彰人のほうを見た。

「とか言ッちゃったりして……、ナハハ……」



 多々良田さんが文芸部の人々をその場で解散させると、文学に取りつかれた亡者たちが蜘蛛の子を散らしたように校舎中に散っていく。また放課後になれば伏魔殿に集まるのだろう。この人たちはいつも締切に追われているので、やっぱりぼくと同じでそれ以外のことができない、もどかしい思いをしている悪しき青春の奴隷なのだろうかと考える。いや、ちがうな。少なくとも彼らには仲間と目標があるのだからぼくと同類ではない。

「それにしても、アカシック・レコードとは」

「知ってるの、多々良田さん?」

「ええ。知ってるわよ。……むしろ常套手段のひとつ。あなたSF小説とか読まないの?」

「あんまり」

「信じられない」

「どちらかというとSFは少数派だと思うけど」

「だれだってファミレスでハンバーグを注文した経験はあるでしょう。本屋に行ってSF小説を手に取るのは、それと同じくらい普遍的な選択だと思うけれど」

「ぼくは基本、作家買いだからなあ。モスしか食わねえ、みたいな」

「でも季節になればお月見バーガーを食べる」

「そりゃ当然」

「あなた話題性のあるものが好きなのね。それならこれ」

 多々良田さんはそう言ってハヤカワ文庫の「虐殺器官」という小説を取り出した。ついこの間、脳内で彼女のことを女性版ジョンポールと銘打ったぼくの先見性に脱帽するがよい。

「読み終わったあとにパイソンズの殺人ジョークというスケッチも観ておくといいわ」

「フフン。もう読んだ」

「あらそうなの。さっきと云ってることが違うじゃない」

「SFはあまり読まないが、近代作家の作品で有名どころのは一通り読んでいるのだ。でも海外のは……あんまり……」

「ふうん。タテワキくん、あなた意外と面白い話ができそうね」

 なんだか今日の多々良田さんは妙に言葉数が多い。多々良田渚央といえば、いつも死んだ瞳で文学的な何事かを考えているような女の子だ。噂では高校生小説家としてデビューしているとも云われている。ぼくにはその精力の限界を想像できない。

 そのくせ人と話すときは歯に衣着せず物を云って完膚無きまでに論破し尽くす。その凄みに文芸部の連中は圧倒されてしまったのだろう。

 それでも物事の本質を見抜く力を、だれかを評価するために使える人だというのが、さっき知ることができた。

「それにしてもこの新聞、だれが書いたのかしらね」

「なんでぼくに聞くんだよう」

「新聞部はあなたなのだから、あなたがなんとかなさいな」

 ぼくは肩をすくめた。

「はい」


 とにかくこの<幽霊新聞第二号>の噂は全校に知れ渡り、さらに一部の数寄者たちの関心と称賛と軽蔑を得ることに成功した。

 そしてこの日が金曜日だったというのが、我ながら素晴らしい。彼らの対応を見て<幽霊新聞第三号>を用意する時間ができた。次なる第三号ではもっと突っ込んだ内容でアカシック・レコードについて触れていく必要がある。より過激に、より衝撃的に。

 次回にはアカシック・レコードの目撃者を差し出さなかったことについてゴネた展開にし、次々回には愛想をつかした振りをしつつ目撃者に対するヒントを記す。こうして、学校中の生徒をアカシック・レコードの目撃者に一歩一歩と近づけてやろうではないか。


 が、事件はここで予期せぬ展開を迎える。

【罪状:青春爆破テロ】

 有象無象の諸君、こんにちは。私は諸君らの青春に対する無頓着ぶりにあきれ返る毎日でございます。

 さて、この度は我が「悪しき青春」の領域に土足で踏み込んだ罪人の名を公表せねばなりません。

 その者の名は<一日だけ消えた少年>でございます。

 彼を見つけることができましたら、あなた方にかけられた青春テロルの容疑を解くと同時に、速やかに罪人の公開処刑を執り行うことをお約束します。

 今後も青春の奴隷めらに血の滾りがあらんことを。


 追伸

 <一日だけ消えた少年>の参考資料を添付します。

 どうぞこれをもとにテロリストを捕まえて下さいませ。

 下さいませませマッセイ・ファーガソン。


                        「悪しき青春」の女王より

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