#8 「端本花澄」
そうして自分なりに考えた結果、ぼくが出した答えは〝行動力と時間が足りないから〟であった。この写真部の活動も、より精力的に継続していけばいずれ成果は出るだろう。もしかしたらある日、堰を切ったようにモテモテになるかもしれない。その確率は何パーセントだろうか。いや待て本当にそうなのか。ぼくは盲信めいた蓄積主義に囚われて高校生活を棒に振ろうとはしていないだろうか。
「危ない! 危うく世間の自称努力家たちの築き上げた蓄積論に騙されるところであった! ぼくは今すぐ青春を謳歌すべきだ! さもなくば! さもばくば!」
しかしあの彰人を以て〝興味がない〟と言わしめた有象無象どもの関心を引くにはどうすれば良いのだ。
考えるに、ぼくは青春を謳歌したいのではなく単に悪しき青春を送るのが嫌なだけではないのか。そりゃそうだ。ぼくは汗臭い努力が嫌いである。そらみたことか!
つまり、ぼくはスポーツなんてかったるいことはやりたくない。しかし学校のみんなに注目されたい。あわよくば勝ち組になりたい。そういうことなのだ! 参ったか!
「参ったのは、ぼくだ」
気が付けば部室でひとり、頭を抱えてごちる時間が増えた。ますます拙い。
「しかし、結論は出た」
自分自身を見直せば、目標と手段を思いつくヒントになるものだ。
悩ませること数時間。ついに閃きの電球マークが頭上に点滅し、ぼくは写真部の隅で邪な笑みを浮かべた。
しかし何をするにも取材が必要であることは間違いない。ぼくは写真部らしく堂々とカメラを引っ提げ、校庭のど真ん中をひとり横断した。途中で野球部の三塁を堂々を盗み、見覚えのある顔の野球部員が「三塁ランナーならぬ三塁ウォーカーか!」と驚きの声をあげた。
「やあやあ<野球部>諸君、男球が欲しければいつでも声をかけてくれたまえ!」
「黙れタテワキ! ストレートしか投げれないくせに!」
なんだとこのタコ坊主ども。以前はぼくを助っ人に召喚したくせに。それにぼくはノッポだぞ。涼しい顔で野球部の島を横断するぐらい容易いわ。今に見ていろ「熱き青春」どもめ。必ずやぼくの悪しき青春の前に地を這う思いをさせてやる。
ぼくはそのまま<陸上部>へと向かう。陸上競技のラインをひとりだけの軍隊で行軍していたところ、危うく走者に跳び蹴りを食らいそうになった。やめてくれ。ぼくはノッポなのだ。すべてが的だ。逃げようがない。強者のように見えて実は弱者なのがノッポの実態である。
さすがに走者たちが一斉にぼくに向けて飛びかかってくるのは肝が冷える。仮面ライダーの軍勢が一斉にライダーキックをしたのかと思ってハラハラした。まさか正義の味方が集団で必殺技を浴びせるなんて、そんな猟奇的な真似が許されていいはずがない。子どもが見ているのだぞ。いじめを助長したらどうする。ぼくは特撮ヒーローに明るくはないしなりたいとも思わない。しかし世間でヒーローモノと銘打たれているブランド作品にそのような演出はないだろう。きっと大丈夫。仮面ライダーの映画は全部「子どもが見て楽しいもの」であり、それが第一だ。とにかくそうであるはずだ。
しかし<陸上部>は正義の味方でもなければ、ぼくの理解者でもない。唾棄すべき「熱き青春」を謳歌するものたちだ。ぼくを蹴り倒すなんてわけはないだろう。恐怖である。
そんなこんなで、ようやく目的地――そう、あのラクロス部にたどり着いた。ここには、ぼくが求める重要なネタがある。あれをカメラに収め、確証を得ることでぼくは悪しき青春の奴隷ではなく帝王となり、学校中にフラストレーションをぶつけることができるのだ。
「おや、あれは……」
そのとき、暗く疚しい情熱の権化と化したぼくの眼に、あの幼馴染身の姿が映ったのである。友とはやはり清いものか。変にテンションが上がっていたぼくも、猛尾和長の姿を前に心を落ち着かせてしまった。
いったい、和長は何をしているのだろう。
「またきみ? ウチにはそういう子、いないんだよね」
「……そんなはずはない」
見ると、先ほどぼくにそのおみ足をぶち込もうと躍起になっていた陸上部の部員と何やら揉めているらしかった。なにを揉めているのだろう。もしかしたら仮面ライダーの映画の出来が悪かったのだろうか。それはさておき和長が自分からほかの部に行くとは珍しいこともあるものだ。でもいいぞ。陸上部は走るだけでモテる勝ち組どもの集まりなので、そこに難癖を引っかけに行く分にはなにも問題ない。ある意味では正義だ。ただし〝人に関わらず関わられない〟が心情の和長ならば話しは別である。
あいつがそのような邪悪な正義を執行するわけがない。
「和長、なにしてんのさ」
ぼくが間に入ると、和長と話していた陸上部員が不機嫌そうな眼差しでぼくを見た。その見下し気味の視線から察するに、彼は上級生なのだろうけれど、人一倍身長の高いぼくを見下すなど物理的に不可能。
勝利を確信してほくは内心ほほ笑みつつ、再び紳士らしいキリッとした表情で先輩に挨拶した。
「なんだそのウルトラマンのC型みたいな顔は。それよりきみ、この子の友達? なんとかしてよー。さっきからスゲーしつこいんだよね」
「いるはずだ。一昨年の県大会で優勝した女子陸上選手なんだ。推薦で入学したはずだから間違いない」
なんと和長は人を訪ねて三〇〇メートル。孤独主義者のこいつにしてみれば実につらい心の旅だっただろう。そんな和長の努力を無碍にするとはなんというクソ先輩だ。これだから陸上部は嫌いなのだ。そう思いながらも同時にどこか釈然としない気持ちがなぜかぼくの胸をそわそわさせる。
女子陸上選手。女子。
あの和長が、女子。
中学二年生のころに幼馴染みのお姉さんに虐められて登校拒否になって以来、重度の女性恐怖症に陥っていた、あの和長が。
女子だと。
許さん。
やはり陸上部は最高やで。ぼくは先輩を応援することに決めた。これが終わったら裸足だけになり、持ってきたあの競技のときに鳴らすピストルみたいなやつを三丁ずつお互いの顔に向け合おうぜ。それからはきっともうめちゃくちゃや。ランナーが校庭の周りをぐるぐるすることだろう。和長、お前だけにいい思いなどさてなるものか。
「くどいなあ……」
先輩のイラついた表情に我に返ったぼくは和長の肩を叩く。いかん。胃が痛くなってきた。ぼくは昔からお腹が弱いのだ。ほらもう、嬉々として脳内で走り回っていたランナーたちのように糞が出口を求めて腹の中をぐるぐるしている。
「な、なぁ和長。先輩困ってるだろって」
「いないだと。だったら、一体どこに……」
ストレスで過呼吸になりかけるぼくに目もくれず、和長はどこか悔しそうな顔で呟いた。
いやしかし驚きの感情とクソが漏れそうな不安が過ぎ去ったあとに訪れるのは感動の嵐であろう。女性恐怖症すぎていつの日かぼくの尻を狙ってくるのかもしれないと無駄な不安を抱いたりもした。だって美術家って男の子が好きな人が多そうなんだもん。芸術の父と称されるあの人からして同性愛者かバイセクシャルだという説が多数あるのだ。
和長がホモでなくて本当に良かったと心からそう思う。ぼくは将来、和長と彰人の息子の面を拝むまでは死なないつもりであると決めているのだ。
「あ、端本サン」
安堵するぼくと不満げな和長をよそに、陸上部の先輩は遅れてきた同胞に声をかけたようである。なんだなんだ、また熱き青春の使者か。いつになればこの軍勢は途絶えるというのだ。これだから陸上部というやつは。
「あん?」
端本サン、と呼ばれた生徒は訝しそうにぼくらを見つめ、顎で差して云った。
「だれだよ、こいつら」
実に禍々しい空気を持つ女子生徒であった。陸上部員の口振りからするにこの人もおそらく先輩なのだろう。しかし深淵の色をした瞳からは他を寄せつけない圧倒的な威圧感と、背筋の震えるような凍てつくなにかを浴びせてくる。こんな厭世的な世界観をその眼に宿す生徒がこの学校にいたのか。まだ二か月と少しだけれどまったく知らなかったぞ。まあ多々良田さんみたいな人もいるわけだけど。
「い、一年A組の帯刀田です」
「タケダ?」
「タテダです。タテダイチマ」
端本先輩は眼を細めて呟いた。「アバターがないのか……」
瞳がうっすらと青くなる。点眼型のナノマシンが網膜になにか映しているのだろう。
ぼくのほうは内心ビクビクしながらかろうじて自分の名前を云ったつもりだけど、いつもの聞き返され方をしたので少しホッとした。この端本先輩という人もまた、今江先生と同じ類の人間だと言える。〝ぼくの名前を間違える人間〟……そうカテゴライズして自分に云い聞かせると、あの目つきにも少しは耐性ができる。
問題は和長だが――
「……一年A組。美術部」
あっさりいきよった!
どうした和長、お前女性恐怖症と違ったんかい! ええ。中学のころに体内に潜伏したナノマシンの弊害で女性の顔が認識できなくなったって話はどうしたよ。
「名前は――」
「美術部がなにか用?」
先輩がそっけなく和長の言葉を遮る。奈落を映したような瞳に対し、和長は野獣の眼光でガンを飛ばしている。見えぬ火花がバチバチと弾けるのを感じながら、ぼくはそのうちこの二人は目からビーム合戦を繰り広げるのではないかという恐れと、もしそうなったら伊ヶ出高校は怪獣大決戦の舞台になるのでは……? と大いに期待しながら次の展開を待った。
「人を探している」
「へえ」
ところがどっこい端本先輩はそれだけ言ってくるりと背を向けた。なにやら陸上部の部室のほうに歩き出すところを見るに、なにやら彼女は彼女の用事を思い出したようである。よかった。平和を乱す怪獣なんていなかったんだね。
どうやらこの場は穏やかなままで済みそうだ。ぼくは仏教徒も平伏すほどの神々しいアルカイックスマイルで顔を満たし去りゆく先輩を見送る。
そして和長が「おい」と呼び止める。
「いた! 平和を乱す怪獣いた! お前だよ和長! さすがに仏の顔も三度を過ぎると黙示録起こすわ。宗教が違うけど。アルカイックスマイルどころかアポカリプス参るよ。ふふっ……。いやいやいや。ていうかお前、本当に女性恐怖症だったの? その背景のスルーっぷりがすごいよ。あの、もうちょっとさ、女性というものから色々と学ぼうよ。昔虐められてたんだから、反省する時間だってたくさんあっただろ!」
「一麻、少し黙ってろ」
「ハイ」
勢いのあまり親友の社会的地位を転落させるような過去を晒してしまったことは反省する。
「猛尾和長だ。あんた、二年生なんだろう。名前は?」
端本先輩はじろり、と再び和長のほうを見た。
「……ム」
もうおしまいだと思いかけたとき、妙な間があった。端本先輩の瞳孔がみるみうるちに拡がり、奈落の奥底から光が輝きだす。ぼくの脳内では自分に対する無礼な態度に怒り心頭した端本先輩が渋い声で「成敗!」と叫び暴れん坊将軍もかくやと思われる剣裁きで我々三人(陸上部員含む)をばっさばっさとなぎ倒す姿が浮かんでいる。
「和長! お前は本当に年上におべっかの使えないやっちゃ――」
「端本花澄」
「へ?」
ぼくは思わず呆けた声を出した。冷や汗をぬぐいながら横目で和長を見る。
「そうか」
どうやら、今度こそ和長は黙って端本先輩の背を見送る覚悟を決めたらしい。
先輩はついでと云わんばかりに陸上部員に声をかける。「ちょっとお邪魔するよ」
「あ、はい。どぞ……。あの、珍しいスね」
「……あと少ししたら、辞めるから」
そのやり取りが印象的だったせいか、ぼくは急激に落ち着きを取り戻した。もう少し先輩の声が強張っていたら思わず「上様!」と叫んでいたことだろう。本当によかった。
しかし今出会ったばかりのこの先輩が、部活を辞める――と。その言い方はどこか申し訳なさそうな顔で、そして少し寂しそうだった。
「タケオくんだっけ? ……見つかるといいね、その人」
先ほどまでの緊張感が嘘のような、穏やかな声だった。端本先輩が倶楽部棟に消えていくのを見送りながら、ぼくは「クールな人だなあ」と呟く。
「猛尾くん、きみ、たまげたなあ。どんだけ怖いもの知らずなんだよ」
先ほどの陸上部員がえらく感心したらしく、ちょっぴり馴れ馴れしく肩を叩いた。
「あんた、二年生のくせに同学年の女子に敬語使ってたな。なぜだ? あの女は不良なのか」
陸上部員は声をひそめて、
「そうだよ。ウチの学校ってあんまりそういうのいないんだけど、だから余計目立つんだよね。陸上部にも一年のころに入部したんだけど、ほぼ幽霊部員なんだよなぁ……」
ぼくは「初耳ですね」と挟んだ。
「ま、特に荒れてるわけじゃないんだけど。あの格好と、あの目つきだからさ」
「キビシイですね」
「たまらんよね、ほんと」
陸上部員は少し頬を染めた。マゾかな。
もしかしたら思いの外に話のわかる人なのかもしれない。この学校にも女子に対してこのような研究熱心な人がいたのだ。この人ならば、ぼくの「悪しき青春」は理解できずとも心の奥深くに宿る「悪しき性春」への探求心を語り合えるかもしれない。
「きみらA組ってことは、今江先生の担任のクラスなんでしょ」
唐突に今江先生の話をされ、ぼくは我に返った。
「はい、そうですけど」
「今江先生って、生徒指導やってるでしょ。あの人も端本サンには手を焼いてると思うんだよねえ。しょっちゅう職員室に呼ばれてるしね」
なるほど。端本先輩は教師陣からも不良のレッテルを貼られているようである。それを担当しているのが、あの今江先生か……。新任だというのに早速そういう生徒を充てられて少し可愛そうだなと思いつつも、不意に見せた端本先輩のあの人間性を伺うに、割と大丈夫なのでは? という気がしないでもない。
まぁでも、今江先生も大変なことに変わりはないか……。
今江先生も――。
「あ! そうかっ!」
唐突な閃きに思わず手のひらを叩く。
「和長、今江先生だよ。今江先生に聞いてみたらどうだい。陸上部が知らないってことは、もしかしたら別の部にいたり、しばらく学校休んでるとか、なにか原因があるのかも。生活指導員ならそういう情報を調べてもらえるんじゃないかな。ぼくら、コネもあるし……」
「それはできない。下宿を決めたとき、今江先生にはさんざお世話になってしまった」
「だったらぼくが聞いてやるからさ」
「ダメだ。……極力、自分の力で探したい」
「面倒くさいやっちゃなあ」
先輩も横で頭を掻いている。
「なんか難儀な子だねえ、猛尾くんは。ああ、そういやさ、端本サンもたしかスポーツ推薦だったよ。あんまりスポーツしてるとこ見たことないけど。探してる人のこと、聞いてみたら?」
「……必要になったらな」
相変わらず不愛想なやつだ。
しかし和長は先輩に、少し笑ってみせた。
「その選手の名前とか、わからないの?」
ぼくは自分の目的など忘れ、和長の人探しに協力することにした。女性恐怖症だったこいつが女の子を探している。その事実が友人として非常に興味深いからだ。親友の変化、いや変革を間近で感じられるのは実に面白い。
「わかるさ。……調べればな」
「調べりゃあいいじゃん」
「ダメだ」
和長はきっぱりと否定した。ぼくは訊いた。「その理由は?」
「……約束を、破ることになる」
「約束?」
「ああ……。高校に入る前に、したんだ」
高校に入る前というと、受験期かそれ以前の話になる。その時期の和長はやはり女性恐怖症の最中にあり、同級生の女子に話しかけられるだけで冷や汗が出てくる様子だったけれど、いつの間にそんな約束をしたのだろうか。
とにかく、和長がそう云うのだから実際にあった出来事であることは疑わない。ぼくは野暮な発言を控え、和長から聞ける範囲の情報を教えてもらうことにした。
「ショートカットだったな。ウインドブレーカー着てて……、性格は明るいやつだった。それと、うっとおしいくらい熱血思考だったな……」
「熱血ねえ……」
和長が短く「なんだよ」と言った。
「女子恐怖症のお前がそんな女の子と仲良くなってたってことにまずびっくりだ。けれど安心した。男に転ばなくて……」
「アホか。仲良くなったわけじゃない。もちろん男に転ぶ気もない」
和長はどこか遠くを見るような目をした。
「その女子には……、少し助けられた。あの女が入学すると言ったから、おれはこの高校に入ったんだ。バカみたいに勉強してな」
云われてみれば中学のころから勉強そっちのけで絵を描いていた和長にとって仮にも進学校であるこの伊ヶ出高校は相当難易度が高かったはず。猛勉強のモチベーションがその女子に会うという目的のためにあったのだとすれば、なんと健気なことだろう。
「なるほど。受験のときの頑張りようはそれが理由だったのか。しかし、となればだ」
「……なんだ」
「和長よ、お前もしかして、その女子のこと好きなんじゃあないか?」
「殴るぞ」
ああでもないこうでもないと考えを巡らせているうち、さっきの端本先輩が倶楽部棟から出てくるのが見えた。
「あんたスポーツ推薦らしいな。……一昨年の県大会で優勝した短距離の陸上選手がこの学校にいるはずなんだ。知らないか?」
「会ってどうするのさ」
端本先輩は気だるげに栗色の髪を弄ぶ。なにか考えごとをしているようだ。陸上部の部室でなにかったのだろうか。それとも和長の探している謎の女子生徒に心当たりでもあるのだろうか。
「どうもしない。……返すべきものを返して、伝えるべき言葉を伝えるだけだ」
「伝えるべき言葉?」
和長はそこで一呼吸置いて、
「〝約束は果たした〟と……」
「ふぅん」
端本先輩は和長の顔を見つめ、少し呆れたように言う。
「あんた、その女子のために?」
和長は短く頷いた。
「だったら……、他の人に聞かないほうがいいんじゃない。自分の力だけで探してみなよ。案外、答えは近くにあるかもよ」
「どういう意味だ」
「あんたその子のことちゃんと見てたわけ。何回一番になってた? 走ってた距離は?」
「……わからない」
「よくは見てなかったんだね」
「ああ……よくは見ていなかった……」
なんだか和長は徐々に自分の言葉を萎えさせていく。
なるほど。こいつは今、その女子生徒に会いたい――会ってどうするかはさておき――けれど、和長自身にもその手がかりがない。だからこうして陸上部にその手がかりを探しに来た。
それでも、和長自身がその女子に対して漠然とした情報しか持っていないので、だれに聞いても難航する。さらにこいつのコミュニケーション能力のなさが加わって、端本先輩みたいな人を困らせる。
けれど女子生徒を探すこと自体は間違っていない。
和長のいう小さな〝約束〟のために、こいつはそこまでの時間と労力を割いたのだ。周囲からすれば、なんの意味もなさそうなことだ。それでも、ただひとりの女子生徒に言葉をひとつ伝えるために、和長は陸上部までやってきた。コミュニケーション不全のくせに。
――やりたいことがあるのに、空回りしているのは空しいもんだ。
「端本先輩」
「なに?」
「こいつ、人間不信なんですよ」
「見りゃわかるよ……」
「おまけに女性恐怖症で」
横にいる和長が「おい」といって強張る。
「でも、その女の子のことがずっと気になってるらしいんです。本当に珍しいことなんだけど……、こいつが女の子を探すなんて今までになかったことなんです。……ぼくは友人として協力してやりたいと思ってる。不愛想に見えるかもしれないけれど、たぶん、端本先輩に縋る思いでいるはずなんですよ。だから、最後まで話に付き合ってやってください。……お願いします」
結局のところ、ぼくにできるのはコミュニケーションの補完と、頼むことだけだ。
端本先輩はため息をついた。
「一生懸命な子ではあると思うけど。まぁいいよ。……聞こうか」
ぼくは頭を下げた。
和長が横で「すまん」としょぼくれた声を漏らす。云われるほどのことはしていない。できることをやっただけだし、その女子生徒が見つからなければ、どうせ余計なおせっかいに終わることだ。
「その子の趣味とか、そういうことはわかんないんだね」
「そういう話はしなかった」
「ちゃんと思い出してみなよ」
「いや、待て。ヒーロー趣味だ」
「……ム」
おっとまさか本当に仮面ライダーの話とかするわけではあるまいな。
「ああ、たしか、特撮ヒーローのストラップか何かを鞄につけていた。水筒だったかもしれない」
先ほどの険悪さが嘘のように、端本先輩は和長の話に付き合ってくれている。この人、ひょっとして結構面倒見がいいほうなのでは。
ヒーロー好きの熱血スポーツ女子。ますます和長の趣味とは合わなさそうな女の子だ。そもそも中学にもなってヒーローとは。ぼくとは趣味が愛想にないな。そんな気はするけれど、具体的な人物像はまだまだ見えてこない。
「……あとは、おれに対して〝熱い〟だとか〝燃えろ〟だとか、そういう言葉をよく口にしていた気がする」
えらいスポコン魂だ。どことなく昭和のニオイがするが、陸上の大会で一位を取るような女子だ。根性論を振りかざしていてもおかしくはない。
端本先輩が表情を変えずに「可愛いと思った?」
「な、なにを……」
少し取り乱す。
「男としてじゃなく、美術部員としてさ」
「顔は……。おれは顔はあまり……」
ぼくはぼくでなんとなく厳つい体格なのかなと想像する。若干中性的な顔つきの和長と並んでいる姿をぜひ見てみたい。絵面を想像しただけで笑えてくる。写真部としてぜひ記録したいところである。
端本先輩がだいたいわかった様子で云った。
「今聞いた限りじゃ、さっき言ったことを伝えるっていうことはあんた自身が〝自分の存在をアピールしたい〟とか〝その子のことを本人から教えてほしい〟って気持ちがあるからなんだろ?」
和長は一瞬きょとんとして、
「……そう、なのか?」
「そうだと思うよ。でも、向こうからしたら〝あんた誰だっけ〟ってこともあり得るはずだ。覚えのない人間に嗅ぎ回れて、女の子としては少し迷惑なんじゃない」
「それは……」
「その子とトモダチになりたいならさ」
はきはきと喋っていた割に、端本先輩はそこで一度間を置いた。
「……それこそ、もっと熱い男になんなきゃダメだよ。じゃなきゃ県大会で優勝した女の子には釣り合わない……だろ?」
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