#7 「猛尾和長」
美術部のドアを開くと、まずほかの部員が「なにか用?」と訪ねてくる。ぼくが和長の名前を出すと、その部員は和長を呼びに行く。声をかけられた和長は返事もせず、ちらりとその部員を一瞥してぼくらのところへやってきた。
和長を呼び出してもらうときはいつもこんな感じである。ぼくが「不愛想なやつでごめんね」というと、部員は知らない顔で自分の作業に戻っていった。
「お絵描きのほうは順調かい」
「……まぁな」
えらく不機嫌そうな声だった。和長は自分のやりたいことをやっているときに声をかけられるのを嫌うやつで、それに例外はない。例え長馴染みのぼくといえど貫くような眼差しで射抜かれれば流石に肝も冷える。
「ピリピリしてるねえ。なにかイヤなことでもあッたンかいな」
彰人が茶化す。
「早く要件を言え」
「オゥ……、コワイコワイ」
彰人と和長は昔から正反対の性格だった。なにをするにも群集の主導的存在として円の中心でありたがる彰人と、円から離れて自分でなにかを為そうとする和長。このような対極のふたりだが、いや、ぼくを含めた「三人」は十年来の付き合いだ。
ただ、このふたりは放っておくとすぐに憎まれ口を叩き合って、仕舞いにはその狭量さゆえに小規模な喧嘩を始めることもある。
ぼくは彰人の悪態が和長の癪に障る前に、美術部に来た理由を話すことにした。
「実はこれこれこういうわけなんだけど……。和長、幽霊新聞のことは知っているかい?」
「知らん」
即答であった。
「あの、誰かから聞いたりとかは……」
「ここ一週間、お前たち以外の学生とは話してない」
「そっか……」
「作業に戻ってもいいか?」
「あ、うん……」
美術部の中に消えていく途中、和長はぼくらに背を向けたまま「相手をしてやれなくて、すまない」と言った。
「最後の一言をほかのやつらにも言えるンだったら、幾分かマシなヤツに見られるンだろうがな……」
「ぼくらに言うだけで十分なんだろう」
「だから陰で<サイボーグ>なンてあだ名つけられンだ。ダチとしてどうかと思うぜ、アイツのシャコーセーのなさはよう」
「今に始まったことじゃないさ」
夕暮れに染まる坂道を歩きながら、ぼくはふとあの美術部員たちのいったい何人がこの光景をキャンバスに投影できるのかをほんの少し考えた。
「まァ、イイか。……少なくとも伊ヶ出高の間抜けどもを焚き付けてやることはできたみたいだしな。イケるじゃねえの、オレの演説もよう」
「なんの話だよ」
「いや、入学して間もないわけだしなァ。とりあえず今ンとこはこの影響力で問題ねえべさ。目標は達成だ」
「うむ。よくわからないが、わかった」
ぼくは彰人の独り言を適当に流し、あの幽霊新聞について考えた。
『イヤ、別に。幽霊新聞なんて云ッてるが、書いてあることはフツーのことだぜ。〝この学校は他と比べて遅刻者が多い〟だとか、〝昨年の携帯電話を没収された生徒はこんだけいましたキヲツケマショーネー〟とかな……』
あとで自分でも貼られていた新聞の記事を読み返したものの、彰人の言葉どおりの内容であることに変わりはなかった。
思うに、幽霊新聞の内容からして犯人は悪戯を好むような人物ではないはずだ。むしろその逆、規律や風紀に対する厳格な意思表示を感じさせる。
「目的は校内生徒の意識の改善、か」
「なンだノッポちゃん、まだ新聞のコト考えてたンかいな。オレぁもうてっきりネタわかッてンのかと思ってたぜ」
「え?」
彰人はわざとらしく肩をすくめて見せた。
「ならヒントをやろうか? 犯人はあの学校にはいないぜ」
あの学校にいない、ということは、学外の人間か。あるいは不法侵入者。いや、学外の人間が校内生徒の意思改革に興味を持つはずがないのだ。世間はそれほど暇ではないし、わざわざリスクを負ってやることではない。
校内の生徒に対する新聞なのに、校内にいないとはこれいかに。
「あっ!」
天啓を受けたぼくは思わず声に出す。
「そのとおりよ。書いたのはは箕面センセだ。ピンッときたぜ。写真部が機能しなくなッたとき、あの学校の校内新聞は吉川ッて人が書いてたンだろ? で、だ。じゃあ吉川は……、いや、〝教師という立場の人間が何を書かなければいけないか〟ってのに焦点を当てると……?」
「規律に関係することか」
彰人はわざとらしく両手を広げ、
「そらぁ、学校側からしちゃあ生徒に呼びかけたいコトなンて山ほどあるだろうよ。でも風紀のコトでいちいちプリント刷ってたら紙がいくらあっても足りねェ。ましてやウチは仮にも進学校だ。勉強に使う紙は刷れても、〝些細な注意〟に使う紙なンて、そこまではないのさ。朝のホームルームで注意はできるが、望み薄だろ。……で、オメーんトコの新聞が利用されたッちゅーわけ」
「じゃあ書いた人間が見つからないのは……」
「出張中だから。ましてや新聞を発刊する写真部は昨日まで廃部寸前だったンだぜ。校正チェックする人間は顧問以外に誰もいねえ。発行するのも顧問ひとりに任されてる。つまり、箕面センセの独断で書いてから発行まで持ッてけるわけだ」
たしかに、そう考えると犯人は――というより「記者」は箕面先生以外にはいない。
しかし。
「どうして誰も気づかないんだよ。おかしいだろう?」
「そらお前、興味がないからだろ」
平然とそう答える彰人にぼくは内心むっとした。
「だからって、そこまで関心がないものか? 新聞だぜ? 書いてる人間がいるんだよ」
「あのなイチマ、アイツらは騒ぎたがりなだけなンだ。オレと同じさ。幽霊新聞が出たっていう、面白そうな噂そのものが重要なンだよ。真偽なンざどうだっていいんだ」
ぼくが反論しようとすると、彰人は手のひらを向けて、
「オメーだってそうだぜ。校内新聞を発行する立場でありながら、吉川の書いた新聞には触れてなかったンだろう。今江先生に〝吉川センセはどんな記事を書いてたんですか〟って一言でも聞いときゃあ、すぐにわかったはずだぜ。情報収集が足りてねェのヨ」
「ぼくは関心がないわけじゃない」
「だが頭が回らなかった時点で他と変わらんぜ」
そう言われると、返す言葉がない。
それでも、ぼくはひとつだけ気がかりなことを、追及することにした。
「……なあ彰人」
「ン?」
「もしかしてさ、お前……わざわざ大袈裟に騒いでたのってさ。新聞を注目させようとしたのか?」
顔色一つ変えず、彰人は足元の石ころを蹴飛ばした。
「だってそうだろ。ぼくが最初に書いた新聞、だれにも読まれてなかったよ。書き始めたばかりだってこともあるけど、あの場所自体がすごく読まれにくい場所だった。けどさ」
「ユーレー新聞のせいで人目につくようになッたてか」
「うん。そもそそう名付けたのもお前だしな。彰人が何のために騒いでるのか、気になってたんだ。お前は莫迦だし騒ぎたがりだけど、わざわざ意味のないことにエネルギーを使うやつじゃないよ。何か目的があって騒ぎを起こすやつだ。なんていうか、「騒ぎ」っていうのは結果的に起きることが多いんだけど、お前の場合は意図的にそれを起こしてるっていうか……」
「買い被っちゃヤだぜ」
「じゃあなんでだよ。それにお前、さっきぼくの新聞を読んでたって云ったよな。あんな人目のつかない場所に貼ってる新聞、たまたま見つけて読んだのか?」
「……あのな。じゃあ何か? オレがてめーの新聞だからわざわざ読んだッてのかい。バカバカしいねえ。ンなことする柄か、このオレがよう」
「じゃあどうして皆を焚き付けたのさ」
彰人は気だるそうに長いため息をついた。
「……オレは問題を起こすのが好きなンだよ。些細なことを大袈裟に言い触らして、噂にさせンのが好きなんだ。それで……、本当のコトは気づくヤツだけが気づけばいい。気づかないヤツはバカにしとくだけ。人をバカにすンのが好きなのさ」
そうか。
そうだったかもな。
ぼくは中学時代の、まだこいつがぼくと和長にとって獅子の鬣のように鮮やかな存在だったときのことを思い返していた。
剣道でいつも「一番」を勝ち取り、揺るぎない勝利と誇りに満ち溢れていた、あの鷹木彰人という親友のことを。こいつが天才剣士と呼ばれてメディアに晒されていた日のことを。
「その獅子の鬣が、今じゃ陰毛か……」
鷹木彰人という男はそこいらの連中よりよっぽど頭がキレる。それは今も昔も変わっていない。そしてそのキレた頭で損得の勘定をする。でも単に利己的じゃなく、昔から損も得も、自分で作ろうとするやつだった。中学のころはそこに『誇らしさ』があったけれど、今の彰人にそんなものは微塵も感じない。たまにこうして天邪鬼な言葉を使い、自虐的に笑うだけだ。
「オメー、普段はオレのこと陰毛扱いしてるクセに、心の奥でそっと期待するのやめろよな。あー気色悪ィ……」
青春とは何か。
ぼくなりに答えよう。それは蓄積が実りとなり、華々しく咲くことである。
舞台があり、志を共にする仲間があり、恋があり、困難があり、勝利があり、敗北があり、それらが集合体となって――思い返すたびに輝かしく残る日々となる。
では、その逆はなんろう。
舞台もなく、分かり合える仲間もなく、女の子にも縁がなく、障害もなく平穏に埋もれ、しかしどこかもどかしい。勝利を勝ち取る前に敗北を知りたい。原動力となるならば何でいい。しかし、それらは決して報われず、悶々だけが続く灰色の学校生活。
名づけるならば「悪しき青春」としか言いようのない日々。日陰者たちが学校という場所になんの意義も見出せずにいるのは、彼らが〝評価されない人間〟だからなのかもしれない。
「いや、ぼくらが……か」
ぼくは新しく書き上げた校内新聞を貼りながら、そんなことを考えていた。
彰人の云うとおり、この新聞はたぶん、だれにも注目されない。ただ校内の現状を、ひとりの生徒の視点から記録したに過ぎないものだ。それをだれが必要とする。それをだれが喜ぶというのだろう。いったい、だれが……。
結局、部員は増えないまま、写真部の掃除は終わってしまった。あの薄汚かった物置が、きれいになってしまったことが逆にぼくの胸を痛めた。
だれも来ない。
ぼくひとりの部室なのだ。
そこでひとり注目もされない校内新聞をつくっては貼る日々が続く。自分が抱いていた期待と、そうはいかない現実の相違に気が滅入ってくる。
ぼくは、青春を謳歌したかったはずだ。
なのに今のぼくは「悪しき青春」に屈している。なぜだ。なぜこうもうまく行かぬ。ほかの学生たちは関心のあるスポーツに励み、汗水流し、仲間と手を叩く。そこには熱と歓声がある。
なぜやつらには青春があり、ぼくには「悪しき青春」しかないのか!
やつらとぼくとの違いはいったい、なんだというのだ!
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