#6 「菅原達郎」

 次に我々が向かったのは、伏魔殿と化す前から文芸部と協定を結んでいる<図書室王国>である。

 当然のことながら本は人が書き記した物であり、その人が生きた時間や経験に基づいて書かれるものだ。その人が重んじる主張や、創作、体験談などが載せられているのである。

 ゆえに本はその人の人生を表すと云っても過言ではない。

 それら人の生きた証を管理するこの図書室はまるで管理社会の縮図のようであるとぼくは思う。統制されたひとつの王国。それが伊ヶ出高校の図書室なのである。

 先のとおり読書が好きな(さっきは嫌いになりそうだったが)ぼくであるから、本を愛す者の端くれとして志を高く持ち、高校生活がスタートして間もなくこの書棚を治める<図書室王国騎士団>……別名、図書委員会なる名誉ある団体に身を置く決意をした。そもそも委員会は部活ではないし、「クラス役員は必ずなんらかの委員会に所属しなければならない」という規則もあるので自主的に所属を決意したわけではない。まぁぼくはこれでも一年A組の委員長ゆえ、避けては通れぬ責任があったのだ。

 毎週決められた日に書棚を管理し、王国民たちの貸し出しも受付けている。ぼくは貸し出される間際、王国民たちに「いってらっしゃい」と声をかけるのである。

 返却予定日までに王国民が帰還しなかった場合、貸し出した人物に対して王国民誘拐の容疑をかけ、先生から直々にその通告を行ってもらい、王国民を救助してもらうというわけだ。

 残念ながらたまに行方不明になったまま帰ってこなくなったりする王国民もいたりするが、我々は決して賠償させたりはしない。どこかの大学には図書館警察なる組織があり返却期限が過ぎると社会的にキビシイことになると本で読んだことがある。我々は違う。王国民の代わりなどどこにもいないゆえ、お悔やみ申すことを貫く所存である。ただし行方不明になった王国民が人気ある書籍だった場合はその限りではない。人気あるものには替えが必要なのだ。それが世の理。

「オメーの脳内設定にはついていけンわ」

「これがぼく流の、面白きこともなき世を面白くするための工夫なり」

 図書室王国に入国し、同じ図書委員の菅原先輩に挨拶をする。

「お、タテワキか。今日は当番の日じゃなかったはずだが。……さては幽霊新聞の噂を聞きつけてやってきたかな」

「菅原先輩は相変わらず勘のよいお方で助かります」

 容姿端麗文武両道おまけに家もけっこうイイらしい菅原先輩は当番の日以外にも大抵この場所か生徒会室に鎮座しているため、会おうと思えばいつでも会えるのである。

「よッす、どうも」

 さすがに神聖な図書室王国ゆえか、彰人も少し声を小さ目にして挨拶をする。

「鷹木も一緒か。……あと一人は?」

「多分、また美術部にいると思います。あとで顔を出しにいきますよ」

「相変わらず真面目なやつだなあ猛尾は」

「あれしか頭にないやつですから」

「うむ。正しい青春を謳歌しているな。お前らも見習えよ。はっはっは」

「今日はその青春に一躍買っていただきたくて参りました」

 この菅原先輩、我が校内では多彩な力量を持つ人物として名を馳せている。

 まず彼は我が校の名物であり在校生たちのトラウマにもなっているという、学校生活開幕と同時に放たれる「地獄の抜き打ちテスト六連発」を華麗に生き残り、優秀な成績を収め教師陣にいち早くその名を奔らせたと聞く。ちなみにぼくはこのうち三発に見事心臓を射貫かれている。

 次に菅原先輩は<生徒会>に所属したかと思いきや、当時の書記係と早書き一本勝負を行い圧倒的な差を見せつけてこれに勝利。見事、次期書記係の役員を襲名したのである。

 なんだかすごいやつが入ってきたぞと有名になったところで、さらに菅原先輩の猛進は止まらない。生徒会と運動部の絆を深めるために、各スポーツクラブに練習試合を挑み、共に大粒の汗を流しながら激励のエールを捧げた。感極まって泣いたとも聞く。これにより生徒会の支持率はぐんぐんと伸び進み、伊ヶ出高校は一丸となるに至ったのである。

 そしてその年の野球部が十六年だかぶりに甲子園に出場したとき、彼は即席応援団を結成してその活躍を支えた。それだけではない。教室の隅に悩める学生あれば積極的に相談に乗り、恋する女子生徒がいれば代筆した恋文を下駄箱に入れてあげたりもしたそうだ。それが例え自分の下駄箱であっても彼の信念は揺るがない。終いには便所に篭って飯を食う学生の隣の個室に入り、持参したカレーを食べて孤独を分かち合ってあげたりもした。

 そうした等身大の孝行が実ってか、いや時に空回りもしたらしいけれど、今では「伊ヶ出高校に菅原達郎あり」と云われるほどの有名人である。

 そして現在、己のできることに挑戦し続ける菅原先輩はこの王国で図書委員長を務め、キング・オブ・ザ・ブックの名を欲しいままにしているのだ。

「幽霊新聞の手掛かりは知らないが、タテワキよ。お前と同じクラスの安藤なら何か知っているやもしれん」

「はあ。安藤さんですか」

「流星の異名を持つ彼女だが、お父さんは民俗学界では名を馳せる人物らしい」

「民俗学?」

「うむ。彼女本人もここ最近じゃ妖怪の本をよく借りているよ」

 そういえばぼくが当番のとき、安藤さんが何回かここに出入りしているのを見た覚えがある。ぼくは受付に座っているときは基本的に図書室にある本を読んで過ごしているから、読書をしている生徒たちのことはあまり気にかけないのだけれど、云われてみれば思い当たる節はあった。

「この時代に紙の本の価値がわかるイイ女だ」

「たしかラヴクラフト全集を読んでいましたね」

「ラヴクラフトか」

「はい」

「濃いな」

「はい」

「なんだかちょっと、いいな!」

「はい。ドキッとします」

「そんなわけでタテワキ、だれが貼ったか定かではない幽霊新聞、彼女もきっと興味があることだろう。できればおれが協力してやりたいが、やらなければならない仕事が多くて力になってやれそうもない。すまん」

「いえ! 菅原先輩の後輩としてこのタテワキ、必ずや〈幽霊新聞〉の正体を暴いてみせましょう!」

「うむ! ……それに、なんというか」

 菅原先輩は言葉を濁す。「なんですか?」

「お前と安藤はきっと気が合うと思うぞ。できれば、彼女の友人になってやってほしい」

「はあ。先輩、なにかあったんですか」

「おれの幼馴染みがラクロス部にいてな。そいつから話を聞いたんだが、どうにも彼女は周りとあまり打ち解けないらしい。なにか、気がかりになっていることがあるのかもしれん。できれば力になってやってほしい」

 打ち解けないとな。佐藤さんや加藤さんがいるではないか。。

「しかし珍しいですね、菅原先輩が直接行かないというのは」

「うむ。実はその親友というのがラクロス部の部長なのだが、まぁ色々とあっておれが顔を出すわけにはいかんのさ」

「揉め事ですか?」

 ぼくが少しにやけながら無粋な詮索をすると、菅原先輩は不意に真顔になった。

「お前たちは<ブレードソー・ハンズ>を知っているか?」

 その目はひどく不安げに見えた。不安というよりは、なにか含みを持っているようでもあり、思わずぼくは返事を窮した。

「そりゃあ、知ってますけど」

 この街の住人ならば敏感になる名前である。

「若い人間を狙う、四肢切断魔の話でしょう。面白がってネットで名前を付けられたら、メディアがそれをそのまま使っちゃった、あの――」

「あまり口には出さないほうがいい」

 突然のことだったのでどういう反応をすればいいのか困った。菅原先輩の顔はひどく強張っていて、どこか怒りの矛先を追っているようであった。当然、ぼくの言葉に対しての怒りだろうけれど、ぼくに対して怒っているわけではないのはわかった。

「……なにかあったんですか?」

「ラクロス部の部長――御影燈というんだが、そいつの身内が切られた」

「えっ」

 ぼくは思わず息を呑んだ。

「今は伊ヶ出大付属の中央病院にいるそうだ」

「うちの学校の生徒ですか?」

「いや、そこまでは」

「なるほど。けれど、それと菅原先輩がラクロス部に行かないのと、いったいどういう関係があるんですか」

 気遣いの上手い菅原先輩なら、真っ先に慰めに行くと思っていたけれど。

「本人に言われたんだ。〝放っておいてくれ〟それと〝ラクロス部をうろつくな〝ってな。お前たちにこれを話したのは、そういうところで今あのラクロス部がどういう状況かというのを知ってほしかったからだ」

 菅原先輩は「そういうわけだ」と云って苦笑した。世話好きな彼が自分から関わろうとしないのは珍しいけれど、それとは別に、ぼくに何かを期待しているのはわかった。

「わかりました。安藤さんのことはちょっと気にかけてみます」

「うむ。よろしく勇気!」

 ぼくらを見守っていた彰人が呆れたように云う。「お人好しパルスの共鳴ッスね」

「鷹木は傍観者か?」

「オレはそのほうが性に合ッてるモンで」

「人脈を築くのはおれよりも上手いらしいな。……猛尾と違って、お前はもう剣道はやらんのか?」

「ま、女の子百人に頼まれたらやりましょうかね」

「それは署名でもいいのか?」

「それ云ったらマジで集めてくるンでしょ。現物じゃないと無効ッスよ」

「残念だ」

 菅原先輩は言葉どおり、至極残念そうにしていた。表裏のない彼のことだから、やはりそれは本心なのだろう。

 だが、彰人には他人の思いはあまり関係ない。こいつは、先輩のひとりが応援してくれたという理由だけで自分のスタンスを変えたりはしない。

「では菅原先輩、お先に失礼します」

「おう。是非とも幽霊を捕まえてくれたまえ。もし捕獲できたら写真送ってくれな」

 図書室を抜けるとき、彰人が小さく舌打ちをしたのが聞こえた。

 本日最後の砦は修練の場たる<精神と時の美術室>であった。

 美術部員といえば、放課後になるとキャンバスに向かい、己の心と腕を以て己に立ち向かおうとする苦行者たちのことである。

 ことさらデッサンとなれば、彼らは寸法にして五百×六百五十の木炭紙に、手に血豆を作りながら炭をすり潰す。そしてまるでそれが世界の一大危機であるかのようにああでもない、こうでもないと頭を抱えているのである。いざというときには心のうちでなにかを殺す悦びを求めている。

 そうした自虐と嗜虐の興奮を繰り返す変態集団の中、マゾヒストにもサディストにもなり切らず、しかしどちらの特性も極端に身につけている男がいた。

 それがこそが我が友、猛尾和長である。

 人間社会というものを忌み嫌い、孤独と自立を愛するがゆえにだれにも心を開かなくなった男。ぼくの最も付き合いの長い友人。ぼくが唯一親友だと胸を張って云える存在。

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