#4 「鷹木彰人」

 我が校を震撼させた<幽霊新聞>の騒動はそれから翌々日の朝に起きた。



 朝練を終えた生徒のひとりがが第一発見者だとぼくは聞いた。けれども、ぼくがその掲示板を見たとき、ざわめく群集の中心にいたのは彰人だった。

 幽霊新聞を前にあの男は大仰な言葉を吐き散らしながら余計なチャレンジ精神の見え隠れする言葉でわざとらしい演説で生徒たちを煽り立てていたのである。

「やあやあ皆の衆。朝練ご苦労皆の衆。皆の衆に見てもらおう。見てもらうのは、この妙ちきりんな藁半紙。先ほどオレが聞いた限りじゃこの新聞、<ユーレー新聞>と云ふらしい。まッたく入学早々ヘンな事件が起きちまッたなァ」

「なんて書いてあるんだ?」

 生徒のひとりが訊いた。

「よくぞ訊いた! えらい! オメーさんは見どころがある! 来年の夏には彼女ができる!」

「それは本当か!」

「まあ彼女できても受験のときに別れンだけどね。高校の恋愛なんてそんなもんそんなもん。で、えっとなんだっけ……。あ、そうだ! ここに書いてあンのは……面倒なので諸君らの目で確かめたまえ!」

 生徒たちはまじまじと新聞を読み始める。

 しかし群集の返す言葉は「なんだ、普通の校内新聞じゃねえか」「大げさに騒ぎやがって」「世界の終わりかと思ったぜ」「別れたくない!」様々なかたちの失望の声である。

「おい貴様ら! 野次馬の分際で扇動者にケチつけるたァ何事だよ! オレはねえ、オメーらの淡白な学校生活に塩を擦り付けてやろうと思ッただけよ」

 ぼくはなんでもすぐに騒ぎたがるこの悪友を一瞥し、あまり関わらないでおこうと決めた。黙って知らぬふりで通す。ぼくは背筋を伸ばしフランク・マーティンもかくやと思われる冷静さを取り繕い、三つのルールを口走るジェイソン・ステイサムの真似をしながらその場をあとにしたかった。

「――おおッ! そこにいるのは我が旧友、帯刀田一麻ではござらンか」

 うっかり名前を呼ばれてしまった。ぼくは、彰人が運び込むこういう不意の凶事を「陰毛がファスナーから顔を出す」と呼ぶ。挟まる前の段階というわけだ。そして締めようとするとすぐに痛みが来る。

「見たまえ写真部現部長よ。貴殿はこのような人為的怪異を見過ごせるのか? ネットアバター世代の蔓延る現在、写真部のフィルムは真実を映す真眼ではなかッたのか! ああ嘆かわしい! おお、そうだ。イイことを思いついた。この事件は写真部の帯刀田一麻くんに引き受けさせよう」

「ちょっと待て。いったい何の話だよ。朝っぱらからなにをわけのわからんことを云っているのだ」

「わけのわからんことを云ッているのだ、じゃないんだよう。お前の部活がまともな活動をしないからこんなことになっちまッてるンだよう。あばよう」

 それだけ云ってそそくさと逃げ出そうとする彰人の襟の後ろを掴んで持ち上げると、彼は「痛デデッ! 許せッ!」と、まるで首根っこを掴まれた猫のように暴れたが、ほんの十数秒で諦めるに至った。

「降参しますン」

「逃げるな。この根性なしめ」

「まぁ待て。説明してやろうぞ……」

「うむ」

「ノッポちゃん。あそこに何やら異様な雰囲気を放つ校内新聞が貼ッてあンのが見えるかね」

「そりゃあぼくはノッポだから見えるに決まっている」

 ぼくはつま先を伸ばして、野次馬と化した生徒たちの頭越しに幽霊新聞なる藁半紙を見つめた。

「あれがどうかしたのかい」

「書いた人物がいないのだ」

「ほう」

「生徒も教員も、だれも心当たりがないんだ。じゃあだれが貼ったのか、って話になるよな。……面白くないか? この学校にわざわざそんな面倒くせえことをする人間がいるんだぜ。オメーの家の本棚にはこういうささやかな悩みを解決していく青春小説もあッた気がする」

「たしかに妙と言えば妙だけれども」

「ちなみに、新聞部が貼ッたわけじゃあないとは思ッてたぜ。オレはよう」

「なんで?」

「こないだ載せてた新聞を読ンだからな。学校の周辺に生えてる草木の雑学を載せてたようなヤツが、あんな内容のモンを貼るわけがねえ」

 そういえば、ぼくは肝心の内容についてはまだ触れていなかった。

「なんて書いてあった?」

「イヤ、別に。幽霊なんて云ッてるが、書いてあることはフツーのことだぜ。〝この学校は他と比べて遅刻者が多い〟だとか、〝昨年の携帯電話を没収された生徒はこんだけいましたキヲツケマショーネー〟とかな……」

「なんか、やたらお固い感じだな。生徒会が貼ったのでは?」

「アイツらが取り締まるンなら、朝から校門の前に立ッてでけえ声で呼びかけるさ。こんな回りくどいことはしねえよ。集団でやったらボロ出さない? フツーよ」

「ふむ。つまり、犯人は単独犯ってわけだ」

「そーなるな。いちいち声かけてらンねーから貼ッたんだろうしな。おまけに貼った覚えのない新聞が貼られてるって話題になって、注目度もアップってわけだ。……でもよう、写真部に取ッてはイイ迷惑なンじゃねえの」

 彰人は辺りを見回した。

 こいつと話していて気が付かなかったが、いつの間にか周囲の生徒は幽霊新聞ではなく、ぼくと彰人のほうを訝しげに見つめている。

「オイオイ、なンだよ。それ貼ッたのはこいつじゃねえぜ。かといってオレでもねえけどよう」

「とりあえず、先生に云ったほうがいいのかな」

「それは写真部さんが好きにしな。まあこンだけ騒いだんだからもう伝わってると思うけど。そういや写真部の顧問って誰センセー?」

「ああ、箕面先生だよ。でも……、昨日また出張に出かけると言っていたから、今日はいないと思う」

 彰人はニタァと笑って、「面白そーだからこのままにしておこうぜ」と言った。こいつというやつは。しかしこのとき、ぼくの顔もそれなりにニタァしていたのは、この悪友の心と〝それなり〟に同調していたからだろう。これは楽しいことになった。

「ぼく以外の人間で、わざわざ新聞を書いてくれる人がいるとはね」

「まァなァ」

「ぜひ写真部に迎え入れたいものだ!」

 放課後はこいつと一緒に幽霊新聞の謎を追ってみようではないか。

 首尾よく高校生活を満喫したいのならば青春の限りを尽くすべし。部活に打ち込み、生徒会に入り校内奉公に精を出す。それが青春を捧げる王道的手段であろうことはだれもが知っている。ぼくだって知っている。

 けれどそんな活動的な生徒たちを横目に黙々と陰の青春を謳歌する者もいる。マイコン部なんかはその最もたる例だと思われるかもしれない。いやこれは偏見である。しかしぼくはマイコン部の部員たちがネールデバイスを持ち寄って<理想の女子象作戦>なる卑猥なアバターを作るという野望を企てていると小耳にはさんだことがある。風の噂なので真偽は不明だけれども、事実ならばぜひあやかりたいものである。ぜひぜひ。

 陰の青春は我が身に降りかかる悪しき青春とは少し種類が異なる。彼らは彼らなりに青春を謳歌し、自他ともにその熱意を認めてはいるものの、スポーツなどの観衆のなかで輝く類のそれとは違い、属性としては非常に地味な部類に入る。早い話が校内であまり注目されない部活のことである。

 我が校でその玉座に座っているのは――〈文芸部〉であった。

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