#2 「透明な色をしている」

 ついでに美術部に打ち込む和長に張り合ったのか、一度に十の部活を掛け持ちするという荒業をやってのけたもう一人の幼馴染み、我が悪友の話もおまけしよう。

 その阿呆の名は鷹木彰人という。こいつのことは覚えなくてもよい。しかしぼくの「悪しき青春」にはついて回る存在であるため、厭でも頭には残る。というかこびりついてくる。ぼくの人生に。ぼくは彰人のことを、股間の陰毛のように不必要な存在であると思っているし、不意にズボンのチャックに挟んだときのようにある日なんの前触れもなく唐突にぼくの人生に害を与えてくる男である。いちいちチャックを外して閉め直すのはぼくであり、彰人が起こした面倒をどうにかするのもぼくである。ぼくは常に彰人のしでかす悪事の割を食っているのだった。

 そのド畜生は、この年、校内で「青春」という仕事に対して人一倍乱暴な成果を挙げ続ける男として校内で名を馳せることになる。


 ぼくが和長のことを親友と定義、彰人のことを悪友と定義するのはこういった経緯があるからである。

 しかしこの善と悪が混在した中間にいるぼくも、あろうことか倶楽部活動に精を出してみようかと考えてしまった。これは概ね和長の影響だろうが、あの彰人の莫迦に瘴気を当てられたのもまた事実。和長だけならいい影響で済むが、彰人の場合はそうはいかん。ぼくは小学校にいたころから、

「アキくんのゆうことはしんじないよ」

 と呂律の回らない舌で精一杯に意思表明してきたのだ。あいつは根が悪だからちょっとくらい悪いことをしても悪くならないが、ぼくは根っからの善人だから少しでも悪いことをするとすべてが悪くなる。

 つまりなにが言いたいかと言うと、和長の真似をして部活動を始めて、なにか得があれば和長のおかげになる。だが彰人の真似をして部活動を始めたことで少しでも損が起きれば、それはすべて彰人のせいなのである。

 しかし中学時代は専ら帰宅部であったぼくであるから、当時は受験が終わって魔が差していたのだろう。

 そう、今から語るのは、転落の物語である。高校生活に華やかさを求めた若き日の帯刀田少年が、泥沼かあるいは「悪しき青春」とでも例えられる日々にどっぷり浸かり込んでいく悲劇である。いや喜劇とも云えるかもしれない。笑えるものなら笑っていただきたい。


 ともあれ一年生のころを振り返ると、皆なにかしら環境に応じて新しい変化を求めていたように思う。ぼくも、和長も、彰人も、きっとそれなりに青春というものを謳歌したかったのだろう。その結果、和長はコンクールで賞をもらい、彰人は悪のカリスマとして多くの人脈を築いていた。今思えば、ふたりとも明確な目的のために動いていたのかもしれない。

 けれど、ぼくはひとり血迷っていた。



 ぼくは<写真部>に入り、恐怖新聞を作った。

 伊ヶ出高校に新聞部は存在しない。



 ぼくは写真部に入部した。

 これまで写真なんか撮ったこともなかったけれど(というより記録媒体をネール・デバイス以外の記憶媒体を持ち歩くのは今どき珍しいだろうが)物置からニコンの古い一眼レフを発見したときに妙な好奇心が芽生えてしまった。時代遅れのマニュアルカメラで写真を撮るなんてモテそうじゃないか――などと、そのときはまだ欠片ほどぼくの中に青春を謳歌したいという気持ちがあった。

 全校生徒三百五十人に対し、我が伊ヶ出高校の部員はほんの数名。ぼくこと帯刀田一麻、部員名簿に名前だけ書いてくれた和長、名前だけ書いて逃げた彰人、幽霊部員の先輩一号、幽霊部員の先輩二号、あとは受験を控えたため来なくなった先輩が何名か。昨年までは騒がしい生徒がいたという話も聞くが、今となっては見る影もない。


 写真部は潰れかけていた。

 ぼくが入部したころからずっと、写真を撮っていたのはぼくだけだった。


 高校生活にささやかな実りをつけることを決心し、ぼくは本格的に写真をはじめることにした。若き写真家としてモテモテになるためには撮影の勉強は避けては通れない。

 顧問の箕面先生に入部届けを渡したとき、先生はこう言った。

「今の伊ヶ出高校の写真部は透明な色をしている」

 主導的に動こうとする意思がそもそも見当たらず、所属する生徒が活動を放棄していった結果、写真部は文字通り「透明な存在」になった。

 写真部としての活動初日、埃だらけの機材が置かれた部室を目の当りにして、ぼくはため息をついた。どうやら過去の写真部はネール・デバイスでの活動が主だったらしく、カメラを構えて撮るということはしなかったらしい。

 新入生はぼくを除いてひとりもいない。それに加えて、本来なら下級生を引率する立場である二年生と三年生が不在なのだから、実際に活動している生徒は〝いない〟のと同じだった。

 存在はしているけれど、実態はない。

 箕面先生の勧めで、ぼくはこの透明な写真部の部長になった。



 放課後になると、ぼくは部室を掃除した。撮影機材は一式揃っているものの、どれも埃を被っており、本来のまともな役割を与えてすらもらえない。まるで「灰かぶり」のお伽噺だ。中にはレンズカバーも付けないまま放置されたものもあったが、それだって、きれいにすれば美しい姿を取り戻せる。そしてカメラが一番輝くのは、写真を撮っているときだ。そう信じていたぼくは灰色の布団で眠っている灰かぶりたちをひとつひとつ丁寧に掃除した。

 街がオレンジ色に染まり、やがて静かに薄暗く満たされていくのを窓から眺めながら、そして何日もその光景を見送りながら、ぼくはひとり、写真部の掃除を続けた。


 活動記録として一日一枚、写真を撮ると決めた。

 ぼくが最初に撮った写真は、掃除の風景だった。



「タテワキくん、ちょっといいですか」

 ある日の放課後、いつも通り写真部の部室に向かう途中、担任の今江先生がぼくの肩を指で小突きながら「写真部はどう?」と聞いてきた。

 その少し不安そうな様子に、ぼくは頭を振ることができず、口端を釣り上げて「これからです」とだけ答えた。

「そう。それならいいのだけど、先生に何かできることがあったら言って下さいね」

「はい、ありがとうございます。頼りに……、あっ……、頼りにはしますが、ご迷惑にならないよう努めます」

「迷惑になってもいいですよ。学生なんだから、有意義なことをするために大人をうまく使って下さい」

「今江先生だって、まだ新任じゃないですか。あまり面倒なことを押し付けるわけには……」

「ふふふ、大丈夫。新任だからって手一杯になっているようじゃ、教師なんて務まりません。……ところでタテワキくんは学生新聞のこと、なにか聞いてますか?」

 学生新聞――聞き覚えのない言葉だった。

 返事に窮していると、今江先生は救いの手を差し伸べるように微笑み、

「伊ヶ出高校の写真部なんだけどね」

「はい」

「タテワキくんたちと入れ替わりで卒業した、伊吹さんという人が新聞部を改めて立ち上げたらしいのね。それまでは月の末に学生新聞を発行して玄関の前の掲示板に貼っていたらしいんです。写真部になってからは発行する機会も減って、たまにですが生徒に代わって吉川先生という方が書かれてたんですけど、異動されました。代わりに今は箕面先生が顧問を引き受けて下さっていますよね。でもあの人も出張が多いですし……、良ければタテワキくん、書いてみませんか? 写真部の活動をアピールするチャンスだと思いますよ」

 ぼくは二つ返事でこれを引き受けた。

「それは好機ですね」

「でしょう?」

「はい。それに今年には廃部になる予定だったのが、暗室を空けるのに手間がかかるからってかろうじて継続を許されているとも聞いています。だから、なんというか、校内だけでもなるだけ幅広く活動したいです」

「そうですね。……そのことを、学生新聞の隅にでも載せてみたらいいかも。たぶん、どこかの倶楽部が食いついてきますよ」

「ありがとうございます」

「それにしてもタテワキくんは本当にマニュアルが好きですね」

「そう見えますか」

「ええ。私もそうなんですよ。未だにスズキのカタナに乗ってるくらいですから」

 今江先生はきっと、全部わかっていたのだろう。

 先生は少し天然で、初っ端からぼくの名前を間違えたのも含めてかわいらしい人だと思う。ただ、コミュニケーション能力があるというか、生徒の気持ちを察するのが得意な人で、このときぼくが「ごまをすっておきます」と言いたかったことと、言えなかったことに気づいていたのかもしれない。

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