#1 「タテダイチマです」

 一年前――ぼくが伊ヶ出高校に入学してまだ間もないころ、クラスで最初に出席を取った日のことだ。

「では次は、えっと……タテワキダカズマさん。アバターを提出してください」

 新任の今江先生がぼくのことを「タテワキダカズマ」と呼んだけれど、ぼくにとっては名前を間違えられるなんて珍しいことでもなかったし、日ごろから別の家庭の子に生まれたかったと思っているぼくだけあって、自分の苗字や名前に誇りなんて持っちゃいないのである。

 しかしながら習慣というのは実に恐ろしいもので、反射的にぼくは自分の名前を口にしてしまっていた。

「タテダイチマです」

 どうしてかはわからないけれど、この日から高校二年生になった今まで、ぼくの名前はずっと<タテワキ>で通っている。

 彼らにとってぼくのなにが印象的だったのか、そんなことはわからない。


 安藤さんと出会ったのも一年生の春だった。

 ぼくと安藤さんは同級生だった。今も同級生だけれど、一年前と今では少し事情が違う。

 当時――具体的にいうと、一年生はじめのころに起きた<幽霊新聞>の騒動が解決されるまで――の彼女は、どこか他人行儀な女の子だった。だれに対しても丁寧な口調で、当たり障りのない言葉遣いをしている地味な子である。

 今となっては覚えている人も少ないであろう、入学式の日に併せて伊ヶ出大学の付属中学から編入してきたということでなんだか頭の良さげな空気を漂わせていたものの、その秀才ぶりを発揮する機会に恵まれなかった彼女はすぐさま教室のカビ臭いほうにしれっと陣取り「だれともトモダチになりませんよ」という濁った色のオーラをふつふつと漂わせていた。きっとクラスに馴染めず、けれど自分のことはあまり悪く思われたくない女の子なんだろう――と、ぼくは隣の席で勝手に解釈していた。

 このように上品ななめくじをクソ適当に擬人化したような性質の少女であったから、当然のごとく安藤さんには〝仲良しの生徒〟がいなかった。さもありなん。


 安藤さんはオカルトが好きだった。

 彼女はぼくのことが書かれているオカルト雑誌を持っていて、ぼくは彼女の父親の大ファンだった。



〝一日だけ消えた少年〟……


 夏の暑い日、受験を控えたある男子中学生(仮にAとする)が塾の夏季講習に向かおうと家を出るが、そこで彼は忽然と姿を消してしまう。

 Aを最後に見たのは母親で、講習が始まる時間になっても教室に現れないことを不思議に思った講師が自宅へ連絡したことから失踪が判明する。

 Aは比較的真面目な生徒であり、これまで無断で講習を休んだりすることはなかった。


 Aが発見されたのは翌日の早朝である。

 家を出たときと同じまま、自宅の前で深く眠っていたそうだ。


 その後、彼は母親に連れられて市の中央病院の検査を受けたが、体のどこにも異常はなかった。

 ただ、Aはその日の記憶を失っており、関係者はおろか、A自身にすらその日、彼がどこに居たのかわからなかったという。



              (二年前の<テラー>九月号より抜粋)





 ぼくがその体験をした翌々日、つまり退院した次の日のことである。どこからか噂を聞きつけた緑上さんという人がぼくの自宅に訊ねてきて、この件について記事を書きたいと云ってきた。

 緑上さんはテラーというオカルト雑誌の記者であった。その手のファンの間では有名な雑誌である。ぼくも塾帰りによくコンビニで立ち読みをしては横にいる幼馴染みのふたりと、あーでもないこーでもないとオカルト論争を繰り広げたものだ。

 母さんは不気味がったけど、ぼくはふたつ返事で承諾した。こんな些細なことで有名雑誌のネタにされるものなのか――と、当時は驚いたものだ。

 

 テラーに書かれた通り、ぼくにはその日の記憶が一切なかった。ぼくの身に何が起きたのかは誰にもわからない。なにかの病気かと思ったけれど、我が身の健やかさを伺うに、病院の診断どおり、体に悪いことがあったわけでもないのだろう。

 ただひとつ疑問だったのは、ぼくの親アバターが伊ヶ出市の電子情報を管理する情報集合体<プラウダー>から消えたことだ。以前から消したいと思っていたものが消えてくれたので少し嬉しかった反面、得体の知れない不気味さ……とまではいかないけれど、記憶の中に拭えない染みができているようで、厭だった。

 それからぼくは、仮想空間のなかで自分の記憶の手がかりを探している。



 伊ヶ出高校の一年生になって少し経ったくらいの日。気休めに仮想空間でニュースサイトを見ていたとき、オカルトマニアたちのアバターが寄り集まってオープンソースの情報集合体を構築しているという記事をみかけた。それは匿名掲示板のかたちをしていて、スレッド一覧の中には伊ヶ出の都市伝説について記されたものもあるらしい。匿名掲示板のログを食べたのだろう。

 その集合体はこれまで起きた都市伝説の真相を推察したり、都市伝説そのものを目撃したように語ってくれるという。ぼくは好機だと思った。

 ぼくが<一日だけ消えた少年>となった日から、ぼく自身が抱えていた胸の閊え。それを解くヒントが見つかるのではないのか、と。

 莫迦なことに、当時のぼくはその情報集合体に自分自身の身に起きた出来事の詳細を期待してしまった。

 先に言っておくと、そんなものは見つからなかった。


 その情報集合体は匿名掲示板ではなく<クルブシくん>の姿をしていた。クルブシくんとは人気オカルト番組の主人公を模したキャラクターで、何年か前から伊ヶ出市のご当地マスコットに認定されている。赤いジャケットに愛嬌のあるオッサン面がトレードマークでなぜか女子高生にも人気。だれかがこれに姿を与えたのだろう。

《きみ、アバターないのか?》

 ぼくが近づくと、情報集合体のクルブシくんはナカヤマヒデユキの声で云った。

「うん」

《なんで。任意でも持ってなきゃ不便でしょ。アバターないと声だけだから幽霊と話してるみたいだよ。え、何、学校とかどうしてんの?》

 仮想空間ではネットアバターの体を利用して情報のやりとりを行う。アバターを持っていないぼくと話すということは、透明人間と言葉を交わすようなものだ。それが人工知性にとっても不気味なことらしい。というより、この情報集合体は不気味に感じるようプログラムされている。

「授業のこと? それならノート取ってるよ。ウチの学校、まだ黒板使ってるから」

《それは地球環境に優しくないねえ……ハンドルネームは?》

「情報集合体がエコの話とかするんだね。クロークです。放課後のジョーカーとかでもいいですよ」

 それからぼくは<一日だけ消えた少年>の話をした。ぼくの期待とは裏腹にクルブシくんの反応はとても軽薄なものだった。それもそうだ。オカルトマニアのアバターが作ったのだとしたら、その性質はアマチュア=愛好家であり、<口裂け女>だとか<赤い部屋>だとか、エンターテイメント性の高い怪談の話題を好むはずだ。自分で空想を付け足し、討論できるだけの余地があるほどに非現実的な、創作じみたオカルトの愛好者なのだ。

 中学生が丸一日だけどこかへ消えていた――なんて、とてもじゃないが議論して面白いものではない。仕方なしに情報集合体の過去ログを開き、地道に<一日だけ消えた少年>が起きた時期の情報を漁ってみる。何度か話題には上がったようだけど、どうやら肴にするにはパンチが弱いと言わんばかりに「微妙なネタ扱い」されていた。

 それでも、彼らの中には些細な怪談を拾うタイプの愛好家もいるようで、全国の怪談をまとめたwikiには、一応<一日だけ消えた少年>についての項目があるらしい。

 それからしばらく、何とか手がかりを拾えないかと試してはみたものの、結局のところ、役に立つ情報はひとつも得られなかった。

「あ、悪い。時間だ。ちょっと待ってもらえる?」

 ぼくが検索作業に熱心になっていると、<クルブシくん>は前触れもなく自分の情報をすべて非公開にした。直後、クルブシくんの顔にグリッド線が浮き出るとパズルピースをぶちまけたみたいに情報集合体が散らばった。やがて徐々に再構成され、白みがかった少女の姿になる。

《こんにちは、宇多宮学見です》

 その少女はぼくが返事をする間もなく、間もなく一般販売される<彩ネール>と呼ばれる最新のネール・デバイスの宣伝をすると、微笑して先ほどと同じようにグリッド線、パズルピース、クルブシくんの順番で再構成された。

「一瞬だけ美少女になっていたね、クルブシくん」

《この時間帯になると、ここらの情報集合体はみんなマナミ・ウタミヤになっちまう。アフィリエイトを登録している俺の管理者のせいだ。――クルブシくんって俺のことか》

「たかだか十五秒程度のCMくらい、ガマンするよ――そうだよ。自分ではわからないの?」

《だれかが勝手に俺の外見と言語設定を変えたのは知ってる。でも俺は、情報集合体は自分がどういう口調で喋ってるかは認識できない。今「クルブシくん」の情報を検索したけどよ、こりゃひでえな。もうちょっとハンサムなのがよかったぜ。ホソカワヒデキとかな》

「ぼくはクルブシくんも好きだよ」

《あの女のシュミにはまいるぜ》

「女? 女の人に設定されたの? ふーん」

 前述したようにクルブシくんは女子高生にも人気のあるマスコットなので特に不思議ではない。しかし、

《名前は<&>……中学生か高校生くらいの女の子だよ》

「なんと」

 自分と同じくらいの歳の女子が情報集合体の姿をクルブシくんに書き換えたとなれば話は別だ。このネットアバター世代と呼ばれるぼくらでも、情報集合体の編集は高校生になってからでないと受講できない。女子中学生の、オカルトマニアが、独学でこれの姿を変更するだけの技術を持っているという。

「ちょっと興味が湧いてきたな。その子、どんな子?」

《仮想空間における個人情報のやりとりは本人を介さない限り無理だぜ。条例に触れる》

「そう、残念だね」

《でも〝ログを見せてはいけない〟なんてプログラムはされてない》

 ぼくは件のオカルトマニアの書き込みを見せてもらうことができた。


147:&◆Dodsc3dck[sage]

>>129

貴殿のような厨二適妄想だけで語ってるような狂患者にはわかたんだろうが

Akashic Recordsとは超級ビッグバン的な情報の塊なのである

近頃の厨二はSF小説の設定と区別がついてないので困る

だが実際に見ないと理解できんな、あれは


148:木曜のナナシさん[sage]

 わかたん


149:&◆Dodsc3dck[sage]

そもそもAkashic Recordsとは膨大な光の輪だ

並の精神では瘴気に当てられるゆえ常人は見ることすら不可能だ

狂気のものなのだ

実在のクトゥルフ神に近い


150:&◆Dodsc3dck[sage]

>>149

ただのタイプミス

私とオカ板民の間でこんなに意識の差があるとは思わなかった



 驚くほどスレが荒れていたのを今でもよく覚えている。現代の殺伐としたインターネット・アンダーグラウンドにおいて住人同士の煽り合いというものは日常茶飯事だけれど、これはひどい。罵詈雑言で一スレ消費してしまっていた。

 何事かと思いその日のログを読み漁っていくと、その<&>と名乗る人物は数年前に<アカシック・レコード>を目撃したことがあるという書き込みをしたようで、そこから嘘か真かの論争を経て罵り合いに発展したらしい。

「ふーん――ぶほっ」

 思わず口に含んでいたコーラを吹き出した。



151:木曜のナナシさん[sage]

実在のクトゥルフ神で草


152:木曜のナナシさん[sage]

厨二病患者はお前だろ


153:&◆Dodsc3dck[sage]

もういい

だがAkashic Recordは存在する

これは事実だからな


お前らオカルトの五つのユーって知ってるか?

ユーレー・ユーフォー・ユーマー・ユクエフメイ

そして『YOU』だ!

お前らが信じてくれなくてどうする



「この『五つのユー』……、あれ……? え、あれ……?」

 心あたりのあるフレーズだった。

「いやぁ~、しかしなぁ。あの話を知っているとなると、こいつ西田か? いや、でも西田ではないか。あいつがネカマやってるとは思えないしな。それに、ネットでこんな話をする理由がない」

 ぼくはもう一度、<&>の書き込みを読んでみる。

「ふむ……」

 この際、<&>の正体が身内であるかもしれない――という疑惑は忘れることにした。

 こんな物の言い方をしているけれど、<&>の文章からはどこか強い熱意を感じることができた。この掲示板の住民たちには単なる荒らしでしかないようだったけれど、<&>にはなにか確信めいたものがあるようにも見えた。

「なにかに熱心になれるってのはいいもんだな」

《なんだその上から目線》

  ただ、やはり最後まで掲示板の住民たちには相手にされなかったようで、これ以降はこの掲示板に<&>からの書き込みはしなかった。

「クルブシくん、この子に伝言頼める? 『きみ、ネットアバターの詳細プロフィールに蓋するの忘れてるぜ。情報集合体の姿をクルブシくんにしたんだろ。これにはきみの年齢と性別が記録されてるぞ』……そんなカンジで伝えといて。名前はクロークね」


 勘の良い方にはおわかりいただけるだろう。

 この<&>の正体こそが安藤さんである。

 誤解のないように断っておくと、現在、高校二年生の彼女に当時の話をすると半べそかき始めるので、なんというか、そこはご安心いただきたい。

 それから数日後、幼馴染みのひとりが美術部に入部した。この幼馴染みは料理も上手く、たいへん友人思いであり、裁縫も得意である。自主性も高く、繊細なハートを持っている。肌もきれいだし髪の毛もさらさらだ。常に瞳は好奇心に潤んでおり猫科の動物のような魅力があった。おまけに細くスマートな体はどこかセクシーさを感じさせるかもしれない。

 さてこれだけなら女子力に足が生えて歩いているような人物かと思えるが、その人物を差す場合の三人称は「彼女」ではなく「彼」である。

 さらに前述した外見的特徴やら家事全般が得意なことやらをひっくり返して地面にぶちまける程度に性格は頑固であり、独善的である。常に我が道を行く彼は美術部でもどこか浮いた存在である。

 その猛尾和長という男は、この年、学生コンクールで最優秀賞を受賞する。

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