第9話 「死人が調子乗るなよ」


 腰から抜いた愛刀を両手で持ち、地面を強く踏み付ける。足裏から伝わる大地の感触を全身に伝えるようにして足を、腰を、腕を捻るように動かし、剣で下から斬り上げる。

 結果、闇の防護から抜け出た怪物の腕の肘から先黒い血を撒き散らしながら宙を回転した。

「フゥーー……」

『ギ、ギャアアアアアアァァッ!?』

 静かに息を吐くレオとは対照的に、怪物は悲鳴を上げて後ろへと跳び退きながら痛みで暴れ回る。

 その光景を無視して、レオは後ろでまだサリアが盾にしているメフィーリアに目を向けた。

「久しぶり。で、何か用か?」

「よ、様子を、み、み見に来たの。せ、せせ説明もいるかなって」

「説明って、何の話だ?」

「アレが、あいつが……丹下洋一だって事だよ」

 文字通り肩の荷が下りたせいか、地面に座り込んだジョージが複雑そうに言った。ヨシュアもまた苦虫を噛み潰したように歯を食いしばっている。

「丹下、洋一……」

 レオは改めて怪物の方を見る。痛みが引いてきたのか、怪物は暴れるのを止めていた。それでも痛みを我慢するように唸り声を上げている。腕の傷口からはいつの間にか血が止まっており、綺麗な断面から徐々に骨と肉が生え始めていた。

 最早、人ではない。怪物と成り果てた彼の姿をじっくりと見てからレオは口を開く。

「いや、誰だよ?」

「はぁっ!?」

「いや俺、分類するとボッチだっただろ? だから顔は見覚えあっても名前とか覚えてないし。そもそもあれ完全に別人どころか別モンだろ」

「そうだけど。そうだけどさぁ!」

「だから俺が殺る。お前らがあのモンスターにクラスメイトの面影を感じてるのなら、名前も知らなきゃ顔もろくに覚えていない俺が殺る」

「なっ、おい! レオ!」

 ジョージが止める間もなく、レオは怪物に向かって駆け出した。

 腕を再生させた怪物は向かってくるレオに尻尾を振り下ろす。レオは走りながら位置を横にずらしてそれを躱すと尻尾を横から斬りつける。切断までとはいかないが、その傷口から夥しい量の黒い血が噴出する。

 血を浴びる前にレオは怪物に接近し、逆袈裟斬りを行う。しかし、レオの剣は怪物が纏う闇によって決して届く事は無かった。

「なんだこの霧は?」

「ああ、そういえば気絶してたから知らないのね」

「レオーっ、その黒いのがある場所を攻撃しても駄目よ!」

「もっと早く言って欲しかった!」

 女子二人の言葉を聞きながら、レオは反撃として振るわれる怪物の腕を高く跳ぶ事で避け、左方向にあった木の幹に足をつける。そしてそのまま木を垂直に走った。

「ちょっと待ちなさい。何あれ?」

「何あれと聞かれても、レオだからとしか…………」

 ラジェルの感覚は既に狂っているようで参考にもならない。

「ジョージ。ねえ、ちょっと聞いているのかしら?」

 レオが木々を利用して怪物の背後に回ったり盾にしたり、カウンターで闇の外に出た腕や尾を斬りつける。一見するとレオが優勢なのだが、ジョージは苦い顔をしていた。

「駄目だ。再生する。心臓を潰さないと倒せない」

 怪物を凝視するジョージの目は充血して僅かにだが血が滲み出ていた。ギフトである魔眼の力を酷使した結果だ。どうやら、闇のせいで上手く見えないのを無理やり突破しているようだ。

「このままじゃジリ貧だ」

「……俺なら何とか出来る」

 ヨシュアは盾を捨て、剣を両手で構えた。

「俺のギフト〈耀光〉は光属性だ。さっきは溜める事が出来なかったから届かなかったが、時間さえあれば闇を斬り裂けるほどの出力が出せるはずだ」

「はずって、頼りない言葉ね。男なら断言しなさい。お前が失敗したって笑うだけなんだから。私が盛大にディスりながらね」

「最後の言葉が無ければ良い台詞だったのに!」

 馬鹿なやりとりを完全に頭から追い出して、ヨシュアは集中し始める。

 精神を高揚させながらも方向性の手綱を握る。エンジンにニトロを流し込みながらハンドル捌きで無理やり操縦しているようなもので、とんでもない集中力が必要になる。

 しかし、その集中の度合いに比例してヨシュアが持つ剣に光が帯び始め、徐々に凄まじい程の光を発し始めた。


 レオは大きな力の気配を感じて、空中で視線だけを動かして力の元を見た。怪物の腕の振り回しを木の側面を蹴る事で避けながら相手の頭上を飛び越えていた時なので体は空中にある。

 背面跳びのような体勢のまま見てみれば、ヨシュアの剣が光り輝いていた。

 その光景に思わず、男の子として感嘆を上げそうになったが堪え、レオは地面に着地する。

 レオは魔法に関する才能はあるにはあるが、学院に入学してから学び始めたのでまだ基礎も出来ていない状況だ。それなのにヨシュアの高まる魔力に気付けたのは動物の嗅覚染みた直感である。

 ヨシュアが何かしようとしているのに気付いたのはレオだけではない。闇を纏うだけあってその逆の性質のものには敏感なのか、怪物もまたヨシュアに振り向く。

「させるかよ!」

 今にもヨシュア達のいる方へ向かおうとした怪物に対し、レオは近くの木に剣を思いっきり叩きつける。

 木は音を立てて折れ、怪物の目の前へと倒れ落ちた。

 いくら何でも剣で木を切断するには無理があったが、切り倒したのは怪物の攻撃によって既に幹が半ば抉れていた木だった。レオがしたのは倒木の後押しと倒れる方向の調整だ。

 怪物が目の前に倒れた木に意識が向いている隙に、レオは怪物に接近して骨だけの頭部を斬りつける。闇によって歪んだ空間が刃と怪物との間の距離を離したせいで届かない。だが、怪物の注意を一瞬でもヨシュアからレオに向けさせる事に成功した。

 その一瞬で、レオは怪物にとって聞き逃せない言葉を挟み込む。

「死人が調子乗るなよ」

 怪物の体が硬直し、首だけを動かしてレオに振り向く。

「大人しく墓の中に眠っていろよ。俺らはこれから勉強やら何やらが始まったばっかりなんだ。学生生活のやり直しで忙しいんだよ」

『――ゥオオオォォォオオオオォッ!』

 ヨシュアの力に警戒する獣の理性が人の感情によって弾け飛んだ。

 怪物は尾をバネにして一気にレオに向かって突進する。発せられる雄叫びは憤怒と悲壮に満ちていた。

 挑発したレオは怪物の攻撃を避けながら闇の中から飛び出してきた拳や尾を斬りつける。

 再生をすると言っても痛みはあるのだろう。斬られる度に怪物の慟哭と動きが大きくなっていく。

『お前らが生きて何で俺が死んでいるんだ! 許せない、許せない許せない! どうして俺がこんな目にィ!』

「怨む相手なら一目瞭然なのにそれか。分からなくもないし、頭がそれで一杯なんだろうな」

 一撃でも当たれば致命傷は必至な暴力の嵐の中でレオは言葉を続ける。先程の挑発とは違う、独り言だった。

「俺達もこうなる可能性があった訳か」

『ゥオオオオオオォォッ!』

 腹に響く程の絶叫が丹下洋一だった怪物の口から森中に轟く。とうとうその口からは恨み言どころか人の言葉も忘れ、魂からの悲鳴を上げていた。

「レオッ!」

 背後から聞こえるジョージの声に、レオは屈んで避けた頭上を通過する怪物の腕を斬る。攻撃後に離れるかと思いきや、レオは逆に怪物の懐にまで飛び込む。

 そして目の前で高く跳躍した。

 レオに気を取られ、そのまま視線をそちらに向けた怪物。だが、その視界の隅から眩い光が輝くのが見えた。

 怪物が顔をそちらに向けた時には既に遅く、ヨシュアが光り輝く剣を振り下ろした。


 〈耀光〉によって剣が光り輝くその様は光神アールからのギフトの証明に他ならないだろう。

 ヨシュアは光の剣を直上に剣を振りかざす。その姿はレオ達特例以外の、数々の試練を乗り越え神に認められたギフト保持者達同様の威厳が見られた。

「オオォーーーーッ!!」

 腹の底から声を出し、ヨシュアは気迫と共に怪物へ向けて剣を振り下ろした。

 剣の軌跡をなぞって、刃の形をした光が放たれる。

 本能故なのか先程までレオを追っていた怪物が振り返るが、遅い。光の刃は怪物の体を覆う闇とぶつかる。

 正す力と歪める力。両極の力が鬩ぎ合う。闇は光を浴びて空中に溶け込むようにして消えていき、逆に光は触れた闇に飲み込まれて縮小していく。

 光と闇。相反する力は互いを削っていく。共に消滅するかと思われた二つは、予想を上回って光が闇を蹴散らした。

 光の刃は濃い闇の霧を切り裂いて、怪物の胴体に切り込む。

『ギャアアアアァァーーーーッ』

 怪物が声にならぬ悲鳴を上げた。袈裟に光の刃を受け、触れた部分が焼け、膨大な熱量によるものか変異した怪物の一部が溶け出した。

 光が消えたところで怪物の赤熱した体がゆっくりと後ろへ倒れていく。

 だが、途中で倒れる動きは止められて背中を押されたかのような勢いで怪物が起き上がった。

『グルゥアアアアアアァァッ』

 自分は健在だと誇るように、重傷でありながら雄叫びを上げる怪物。

「くそっ…………」

 ヨシュアの〈耀光〉は確かに効果はあった。だけど殺しきれなかった。全力の一撃は届かなかったのだ。

 怪物の体が徐々に再生していく。ダメージの大きさからか、再生スピードは遅い。代わりに〈耀光〉によって消えた筈の闇が現れ始めた。

 あれに覆われてしまえば怪物を倒す手段は無くなってしまう。ヨシュアは先の一撃で魔力を使い果たし、サリアの〈創成〉でもタイミングは間に合わない。

万事休すかと思われたその時、レオが空から落ちてきた。


 眩い輝きから目を腕で庇いながらもう片方の腕で木の枝を掴んで足は幹の方に付けている。

 ヨシュアの〈耀光〉が消えても怪物が健在なのを見て、レオは剣の柄を強く握りしめる。木の幹を蹴って怪物の頭上へと降下した。

 肩で担ぐように両手で構えたまま落ちる。闇が完全に怪物を覆うより早く、レオは自分の間合いを怪物に入れた。

 その瞬間にレオは剣を振り下ろす。落下しながら怪物の頭へ剣を叩き込んだのだ。

 そこから先はレオも五感で知覚は出来ていなかった。そうすると云う決意があり、経験を積んだ肉体はレオのイメージ通りに動くだけだった。

 手から伝わってくる怪物の屈強な肉体が刃の振り下ろしを止める。その前にレオの足が地面に付く。

 足裏が付くや否や、怪物に刃を刺しいれた際の抵抗で緩やかになっていた落下エネルギーを地面に叩きつけるようにして踏ん張る。

 地面で跳ね返ってくる力をそのまま剣に伝えるようにして腰を落とし、レオを全力で剣を振り下ろした。

 その結果――金槌で鉄を軽く叩いたような音がした。

「………………」

 剣を振り下ろし終えたレオは軽くなった剣を持ち上げて刃を見る。

 冒険者の剣士から譲り受けた剣が半ばから折れていた。そして折れた刃は怪物の足元に落ちていた。

「……役目は果たしたか」

 怪物の体が左右に割れる。

 レオの一撃はしっかりと相手を両断していた。

 剣は最後まで武器としての務めた上で折れたのだった。

 縦に真っ二つになった怪物は骸骨の頭部にあった赤い光を失っており、倒れながら体中から黒い煙を噴出させて渦巻く。

 大量の黒い羽虫が飛び回るような光景の中、怪物の体が段々と縮んでいく。そして、最後には黒い煙も晴れてその場に残ったのは人間の白骨だけだった。

 子供の骨だ。十にも届いたか分からない子供の名残だけがその場に残った。

 レオは自然と胸の前に手を上げて目を閉じかける。途中で手を止め、僅かに逡巡すると結局はそのまま黙祷するのだった。

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