第54話 「やかましい……」
ラジェル・バーンは日が昇るよりも早く目を覚ます。上半身を起こして部屋の中を見回すと豪華な調度品が視界に入った。
村の長の娘程度ではお目にかかれないそれらは客室に置かれた物だ。客を泊まる部屋なので見栄を張るのもあるだろうが、そんな豪華な部屋で目を覚ましたラジェルは眠気からすぐに脱却すると身支度を整え始める。
レオとヨシュアが戦争に参加しに学院から出た翌日、稼業の手伝いに駆り出されたジョージを手伝うという名目でラジェルもまた学院から出ていた。
ジョージの実家であるロンド家は大陸屈指の商人である。三男という気楽な位置にいるジョージだが、それでも家の仕事の手伝いをするのは当たり前という意識があり、今回父親から頼まれたのは物資の搬送だ。
兵達のストレスを解消させる嗜好品や後方での物のやり取り。軍の物資そのものは軍の輜重部隊が行なっているので、それ以外の細々とした商品を売り買いするのがジョージの仕事だ。
細かい仕事は経験豊富な商店のベテランが行うので、ジョージはほぼお飾りに近い。だが経験を積ませるという点では大きな機会であった。
そんな学友の仕事に迷惑だと分かっていながらついて来たラジェルはせめて店の手伝いをする事で恩返しすると決めている。
朝早く起きてジョージをはじめとした商店の従業員達の食事を作り、荷運びの手伝いから売り子、雑事。食事は昼食だけでなく夕食まで作る。
それが今までのスケジュールだったのだが、最近ちょっと違ってきている。
身支度を整えたラジェルは部屋の外に出る。彼女が今滞在しているのはロンド商会が手配した宿や店の仮眠室ではなく、貴族の屋敷だった。しかも、重要な国境を監視するウォルキン辺境伯家の屋敷であった。
ロンド商会の商売の手はこの辺境伯が治める街にも及ぶ。最初は宿の予定だったのだが、ヨシュアの学友という事で屋敷に誘われたラジェル。最初は遠慮したのだが、途中で何の前触れもなく現れた人物共々屋敷で寝泊まりする事に決まってしまった。
とにかく、いくつかの仕事を取り上げられる形になってしまったがラジェルの労働への意気込みは変わらない。
ジョージ達ロンド商会の者たちが泊まっている宿へと向かおうと廊下を進んで行く。貴族の屋敷でありながら飾り気は最小限で武骨な雰囲気を漂わせる一階のロビーにまで行くと、朝早くに関わらず正面玄関の扉は開け放たれ、涼しい風が屋敷の中に入り込んで来るのと一緒に兵士達が出入りを行なっていた。
「これはラジェル嬢。おはようございます。こんな朝早くからどうしました?」
階段を下りて来るラジェルに兵の一人が気付いた。自然、他の兵士達の視線が一人に少女に集まる。
彼らはウォルキン領の騎士や兵士だ。屋敷を守る味方ではあるのだが武装した屈強な男となれば自然と威圧感もあり、それが複数もいるとなれば重圧も凄くなるというもの。
だが、ラジェルは気圧される事なく自然な態度のまま視線を受け止める。
「おはようございます。散歩がてらロンド商会に顔を出しておこうかと思いまして」
「お一人でですか? 治安が良いと言っても何があるか分かりません。護衛をつけましょう」
「そんな、そこまでして頂くわけには--」
「それなら私が共をしましょう」
「いやいや、私が。偶然にも今手が空いておりますので」
「仕事を放棄するのと仕事がないは同じ意味ではないぞ。なので私が」
ラジェルが断ろうとすると、男達がワラワラと集まって護衛に立候補し始める。
ウォルキン領の兵達の間でラジェルは人気者だった。
まずは見た目が良い。俗っぽいがなんだかんだと理由をつけてもまずは第一印象の殆どを占めるのが外見だ。加え、上品さを持ちながらも貴族の子女とは違い平民の出である彼女は接しやすい。
手伝いをしているロンド商会でも仕事を熱心にそれでいて優秀だ。
そして何よりも――
「ラジェル嬢は何があっても私が守って見せましょう」
「お前なんか矢避け程度にしかならねえよ。彼女はガルバトスの兵を倒すほどなんだぞ」
兵士達の軽口に笑いが起こる。
戦士としての気質が色濃い土地故か強い女性は好意的に見られる風潮が今尚強いウォルキン領の兵達。ファーンでの道程でガルバトスからの奇襲を受けた時、敵兵の一人を投げたラジェルは正しく強い女だった。
それがあの鉄鬼将軍が率いる兵ともなれば賞賛の嵐だ。これにはラジェルも苦笑いするしかなく、その話を広めた人物を恨めしく思う。
ちなみに言いふらした元凶は館の一室で未だに寝ていた。
兎に角、穏便にこの場を切り抜けてロンド商会の所へ行かなければならない。ラジェルが口を開こうとした時、警報の鐘が鳴り響くのが外から聞こえた。
借りた宿の一室でジョージは目を覚ますと夢遊病の患者のようにフラフラとした動きで行動を始める。学院にいた頃では信じられない早起きだが、彼には仕事があるのだ。
そう、仕事だ。
朝の打ち合わせに始まり納品する必要のある品のチェック、支店の前で行う店頭販売の品出し、他の商人との会談。実務の殆どは父の部下がやってくれるがロンド商会の息子としてここにいるジョージは商会の顔だ。店の奥に引きこもってばかりではいられない。
仕事、仕事、仕事だ。前世では社会の荒波など知らぬ学生時に死亡し、今は前世よりもほんのちょっぴり長生きしているだけと言うのに金や名誉、目標の為ではなく仕事の為に仕事する日本のサラリーマンのような哀愁を背に乗せたジョージ。ちなみに家族含めた商会の誰もそこまでしろとは言っていない。
ここに同じ転生者がいれば、例えルファム帝国に属していようと哀れみを禁じ得なかっただろう。
しかも、ここ最近ジョージは商会とは関係ない(と思いたい)仕事が増えた。
まるで猛獣の飼育員になった気分を味わえるそれは確実にジョージの気苦労を増やしていた。
「さーて、今日も一日が始まる」
井戸から汲んだ水で顔を洗い、パッチリと目を開けたジョージは当たり前の事を口走る。
直後、鐘の音が聞こえた。
時刻を報せる鐘ではない。逸るように忙しなく、人の手で叩かれるテンポはそのまま緊急性を妙実に語っている。
最初は一箇所から聞こえてきた鐘の音は、徐々に増えて波として音源と音量を街全体へ広げていく。
鐘の意味に気付いたジョージは宿の中へと走って階段を駆け上る。途中、従業員や他の客とすれ違いながら最上階まで到着し、最初に鐘音が聞こえてきた方角の窓を乱暴に開け放つ。
街を囲む防壁の上で兵士が狂ったように警報用の鐘を鳴らしていた。伝令が駆け回り、詰所から多くの兵士達が飛び出して壁の向こう側を見ている。
宿の高さからでは壁の向こう側は見えない。だがジョージの魔眼は壁を透過しその向こうの様子を明確に視る。
「魔獣が……何だこの数!?」
異常な数の魔獣が街に向かって土煙を上げながら向かってきているのが見えた。
魔獣が食糧不足や何かしらの理由で人の住む街や集落を襲うのは珍しくはない。時には群れで来る事もある。だがジョージが魔眼で見た光景は異常であった。
まず、本来なら縄張り争いなどで他の種と行動を共にする筈がないのに向かってきている群れは一つや二つどころではない数多くの種類の魔獣達が集まって出来ていた。
そもそもそれだけ集まれば速力や体格の差で行進途中に弾き飛ばされ踏み潰されて進むどころの話ではない筈なのに、それが一切ない。
軍隊までとはいかぬまでも、隊列と言えるだけの統率が取れていた。
「まさか、帝国の!?」
魔獣達の暴走とも言えぬ暴走。何故かと理論的に考えるより早く予感が口に出た。
だがあながち間違ってもいないとも考えたジョージは瞬時にこれから何をすべきか決める。
「坊ちゃん!」
後ろで商会の幹部が慌ててやって来る。
「今日の業務は中止! 従業員をここに集めるんだ!」
ジョージ指示を飛ばすとすぐに幹部は階段を駆け下りて行った。それを見送らずすぐに防壁の向こうに意識を戻すと、守備隊の兵達が既に集まり迎撃の準備を完了させつつあった。
流石はウォルキン領の兵達だと彼らの迅速な動きにジョージは安心し幾分か冷静になる。
しかしジョージが冷静になったところで危機的状況に変わりなかった。
「ルファムと戦争中に後方の補給と言える場所で魔獣の大暴走? そんな偶然あるかよ」
あり得ない数に統率された動き。タイミングを考えれば人為的なものであると容易に想像できた。
「あーーっ、何だってこんな後方に!」
何かを決意したジョージは窓の縁を叩くと、急いで走り始めたのだった。
◆
防壁にて守備隊が並び、構わず街に向かい全力疾走を行う魔獣達。その二つの様子が見れる離れた場所で奇妙な一団がいた。
ルファム帝国の特殊部隊の一隊だ。ただし、部隊と言うには趣が違っている。
先ずはそこにいる半数以上が魔獣の類だったのだ。馬車を引っ張る馬代わりもまた四本足のサイのような魔獣で、馬車の前で街の様子を伺っている人間を守るようにして多種多様な魔獣が囲んでいる。
「物資の集積所となっている辺境伯の都。そこの奇襲--上手くいくのかねぇ」
偶々あった岩の上に腰掛けている赤色の髪をした少年が呟く。
「あら、コディアズの作戦に反対だったの?」
それに答えたのは虎ほどのサイズがある巨大な狼にもたれかかる様に腰を下ろしている少女だ。武装している赤髪の少年や他の兵士達と違い、髪と同じ色のドレス姿という場違いな格好をしていた。
「反対って訳じゃないが、成功するのかっていう不安があるんだよなあ。ここ、敵陣のど真ん中じゃん」
「だからこの子達を操れる私がいるのでしょう。最悪の結果になっても逃げれるわ。でも、万が一は助けてね、騎士様」
魅力的な笑みを浮かべる少女。女慣れしている軟派な男だろうと鼻の下を伸ばしかねないほどの魅力がその笑みにあったが、少年の方は一瞥しただけで視線を街の方に向ける。
無視された形になったが少女の方は気にせずに獰猛で非常に危険と知られている魔獣の毛皮に身を沈めた。
依然微笑がその顔に張り付いているが、それは冷たく残虐性を秘めたものであった。
◆
ウォルキン辺境伯が治める都市に迫る魔獣の軍勢。迫る危機に都市は喧騒に満ちる。壁から防壁から離れた避難所へと集まる民達は戦の緊張を肌で感じ不安を押し殺しながら都市を守る騎士達を信じてじっと耐える。
襲撃に備え持ち場へとつく兵達は迫り来る敵意を感じていた。防壁から向こうに広がる平野を埋め尽くさんばかりの数に、それらが動く事で起きる揺れ、それ自体が一種の暴力である吠え声。
身が竦むというものだが、兵達は下がらず立ち向かう覚悟を持って身構える。
早朝と言える時刻だが、内外の騒ぎに呑気に寝ている者などいない。ついさっきまでは。
当主の屋敷の一室、客用にあつらえた部屋の中で一人の少女が窓から外をぼんやりと眺めていた。薄い金色の髪は跳ね、普段は切れ長の目は垂れ下がっている。
見るからに寝起きで焦点の合っていない青い瞳だが、徐々につり上がっていく。
「やかましい……」
少女は底冷えするような声を発するとベッドから下りる。すると金属同士がぶつかる音が室内に鳴り響いた。
少女の足元、部屋の床は大量の鎧の残骸によって埋め尽くされていた。
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