第46話 「知ったこっちゃねェんだよダボォ! いてまうぞオラァン!?」
ウォルキン家の屋敷に到着したレオとヨシュアをまず出迎えたのはヨシュアの母であるウォルキン夫人であった。自分の家なのだから居ても何らおかしくないのだが、問題は彼女が男装し腰に剣を帯びているという点だ。
「母上……」
自分を出迎えた母の姿にヨシュアは頭痛を堪えるように片手の掌で顔半分を覆う。
「なんですかその呆けた態度は。それでもウォルキン家の男児ですか。ほら、荷物を下ろして埃を払ったら食堂に行きなさい。皆さん待っていますよ」
理然とした態度と口調で息子を急かす母親にヨシュアは溜息を吐くと、外套を脱ぎ服についた旅埃を叩いて落とす。ヨシュアもそれに倣うと玄関前があっという間に埃だらけになる。だが、ウォルキン夫人から風が流れ埃は開いたままのドアから外へ流れていく。
「それでは頼みました」
折り畳んだ外套をヨシュアは母親に手渡すとさっさと館の奥へ歩き始めた。自分はどうしようかレオが迷っていると、ウォルキン夫人がレオの手から外套を素早く回収した。
「す、すいません」
学友の母親、何より辺境伯の夫人に小間使いのような真似をさせてしまってレオが恐縮するとウォルキン夫人は首を横に振った。
「こんな時です。使えるのなら親でも使うものです」
逞しいお言葉であった。前に一度会ったことはあるが、その時はドレスを着ていたのもあって貴人らしいイメージを持っていたが、レオはその印象を改めた。
「……息子のことをお願いしますね」
「やれるだけの事はやります」
最後に母としての表情を一瞬見せた女傑にレオは軽く頭を下げると、ヨシュアへと追いつく為に早足で移動する。
ヨシュアはある両開きのドアの前でレオを待っていた。
「逞しい人だな、お前の母親」
「軍人一家から嫁いで来た人だからな。心構えぐらいは出来ているさ。あの格好はやり過ぎだと思うが」
「強そうだったんだが?」
「強いさ。だからやり過ぎないかと怖いんだ」
息子には息子なりの心配があるらしい。ヨシュアは溜息を吐くと表情を引き締め直し、ドアを開ける。
その部屋は前にレオ達が泊まった時にも食事を行った食堂であった。だが今ではその時の面影さえも残っていない有様であった。中央の大きなテーブルはテーブルクロスが取り払われて上には周辺の地図と軍や砦を模した駒がいくつも置かれている。そしてテーブルを囲むのは食事を楽しむ者ではなく険しい顔をした騎士達だ。騒がしく口を動かし手を動かす彼らは各地の状況や物資の管理、ともかく情報をまとめ上げている真っ最中のようだ。
剣の代わりにペンを持ち、書類を親の仇のように睨みつけ殴り書いていくその有様はある意味で戦場であった。レオ達が入ってきたことにも気付づいていない。
構わずヨシュアは騎士達の隙間を縫うようにして部屋の奥へと進む。途中、ヨシュアに気付いて動かしている手を止めて姿勢を正すが、ヨシュアは手振りでそれを止めさせる。
「遅くなった。早速だが現在の状況を教えてくれ」
一番奥にいた騎士からヨシュアは戦況の確認を行う。その間、レオはただヨシュアの後ろで突っ立ているだけであった。
周囲の者達はヨシュアが帰ってきたことに気付いて視線を向けるがすぐに自分の仕事に戻ろうとして、もう一度振り向いてレオを見るのだ。
二度見されることにレオは少しばかり辟易する。ヨシュアなどに散々言われてきたことだが、ドラゴンスレイヤーの知名度は大きい。特に戦時下となれば尚更だ。
学院では変人な上流階級と連んで行動していたせいかドラゴンを倒す以前と変わらず遠巻きにされていたので分かり難かった周囲の様々な感情が混じった視線を気にしないようにしつつ、レオはヨシュアの話が終わるのを待った。
そこでふと部屋の中にあった地図に注意を向ける。地図の上には移動中に話していた三つの砦を模したと思われる模型と兵士を表す駒が無数にあった。
自軍と敵軍、砦と船などの駒が向き合っている中で幾つか特徴的な駒が幾つかあった。駒は分かりやすい形をしているのが基本だが、その駒らは一点物らしく素人目からでも材質が他と明らかに違いデザインも凝っていた。
その内の一つ、炎を人型に模った駒が一つあった。それを一目見てレオはそれが何を--誰を指しているのか察した。
その駒はクルナ王国のギフト保持者、アリス・ナルシタを表す駒だ。そうなると他の駒もまたギフト保持者や英雄クラス、部隊の駒とは別枠扱いされるほどの一騎当千の猛者達なにだろう。それが複数、敵味方共にある。
前にヨシュアから石などを駒の代わりにして受けた説明の内容よりも複雑で、後方のこの街周辺についても駒が配置されている。
従士だろうかか。騎士から指示を受けた軽装の男がT字型の棒で駒の一つを押し出し移動させる。
「レオ、行くぞ」
ぼんやりと地図をレオが眺めていると話を終えたのかヨシュアが振り返っていた。レオを呼ぶと何枚かの書類を手に部屋を出て行く。
「今日はここで一泊して朝になれば出発する。次は前線の砦に移動となるから今の内にゆっくりと休んでおけ」
移動しながらヨシュアは書類を見つつ今後の予定を説明した。明らかに前を見てないのだが、屋敷を行き交う人々の方が避けて行くので衝突しない。
「ヨシュアはどうするんだ?」
「報告書を読み終えたら寝る」
真面目で堅苦しさのあった少年の口から粗雑な言葉が返って来た。周囲に影響されたか連日の移動と戦闘で疲れが出て素が出ているのか。
「じゃあ、道場……訓練所使わせてもらっていいか? 素振りするから」
元気が有り余っているレオにヨシュアは呆れた。
「……あそこは今兵士達の屯場になっているから行かない方がいい。他の者の邪魔にならないなら敷地内のどこでも好きな所で振っていろ」
「分かった」
「ちなみにお前の部屋は前来た時と同じ部屋だ。疲れたらそこを使え」
そう言うとヨシュアは書類を手にさっさと自室のある二階へとエントランスホールの階段から上っていった。
「大変だな」
消える友人の背中を見送ったレオはポツリと呟く。父親が戦場で行方不明。生きていて欲しいと願う死んでいる可能性が高い。敵の捕虜にでもなっていれば、長年国境を守ってきた憎っくき辺境伯だ。ルファム帝国は嬉々としてそれを宣伝し自軍の士気を高めクルナ王国の士気を挫いて来る筈だ。
もしかするとルファムの方でも死を確認していないのかもしれないが、それで生きていると楽観視もできない。
そんな状況下でヨシュアは父の代わりに領主としてまだ齢十五でありながら勤めを果たそうとしている。
同い年だというのに大したものだと思いながら、レオは素振りのできる場所を探して庭先に出る。前に新しい剣の試し切りをした訓練所は多くの兵がいるようで、前以上に大きな声が響き騒がしい。確かに向こうに行けばより騒ぎになってしまうだろう。
レオはそこを避けるようにして館の周りを歩く。前に一度訪れた場所だが雰囲気が物々しいせいで初めて来た場所のように思える。
門の所では商人から物資の買取を行なっているのか人の行き来が多く、屋敷と外の兵舎とを何度も往復する兵の姿も見えた。
空を見れば無数の鳥が飛んでおり、街を見下ろすように広げた羽で風を受け止め滑空している。伝書鳩かと思いきや肉食の大型も飛んでおり、鳥達は互いに邪魔しないよう飛ぶ高さを一定に何をする訳でもなくずっと飛んでいた。
空の奇妙な様子を眺めていた視線を下ろすと、先に厩があるのを見つける。レオ達が乗り続けて来た馬達が疲れたように荒い息を吐きながらも水を大量に飲んでいた。
もう少しで潰すところだったのを考えれば申し訳ない気持ちになったレオはなんとなしに厩の方へ足を向ける。
厩では何人かの世話係が馬の面倒を見ていた。その内の一人にレオは見覚えがあった。
スレイ・ウォルキン。ヨシュアの弟だ。まだ幼い少年は動きやすい格好で馬を洗うためのブラシなどを桶に入れて運んでいた。
「あっ、レオさん!」
向こうからレオの存在に気付くと駆けてくる。
「馬が増えたのでもしかしたらと思ってましたが、やっぱりレオさん達だったのですね。ということは兄上も?」
「彼なら部屋で少し休むと言っていました。連日の移動に加えて常に送られてくる報告に目を通していましたから疲れが溜まっていたのでしょう」
ヨシュアとは学院の同輩として言葉遣いは素だが、学友の弟とはいえ貴族の子であるスレイにレオは丁寧な言葉を使う。
「そうですか……」
「夕食の時間には顔を出すと言っていました」
少し残念そうにする少年を慰めつつ、レオは話題を変える。
「ところで、もしかして馬の面倒をスレイ様が見てくれるのですか?」
「はい、僕は戦場に出ては駄目だと言われましたので、少しでも皆さんのお役に立てるようにと思いまして、母上にお願いして手伝わせていただいています」
レオはそっと顔を上げる空を見た。鷹っぽい生き物がゲゲッと鳴いていた。
前世の自分は果たしてスレイの年齢の時にここまで立派な考えを持ち実行できただろうか。馬に限らず動物の世話は重労働なのに、貴族の子という立場でありながらこの少年は働いている。
いや、前世だけでなく今世でも自分がスレイの歳の頃は何をしていたか。家の手伝いはしていた。しかしそれは親に言われてだ。仕事が終われば手作りの木剣と旅の剣士から貰った剣を持って素振りをして森で獲物を斬り殺すなど好き勝手やっていた。
立派なスレイ少年を見てレオは視界が滲んだような気がした。
「あの……どうかされましたか?」
「なんでもない……なんでもないんです」
「はぁ……?」
レオの奇行にスレイは首を傾げた。
「ところでレオさんはどうしてこちらに?」
「ちょっと素振りのできる場所を探していて……」
「いつ如何なる時でも鍛錬を欠かさないのですね。流石です!」
「…………」
子供の純真な瞳がとても眩しかった。
「そ、そういう訳なんで自分はこれで」
「はい、引き止めてしまって申し訳ありませんでした」
「いえ、こちらこそ仕事の邪魔をしてしまいました」
互いに恐縮しながらレオとスレイはその場から分かれる。
結局、レオはちょうど良い素振りの練習場所は見つからず、用意された部屋で筋力トレーニングを過ごしたのだった。
◆
ウォルキン領から離れたとある都市があった。高い城壁に囲まれたその街は丸ごとが酒保のような状態になっており、前線に運ぶ物資や食料などが集まっていた。
街を守る兵だけでなく各地を行き来する輸送部隊、後方から前線に送られる交代要員など武装集団の姿があちこちで見られ、傭兵団や兵を率いる貴族に物資を売りつける為に商人達の姿も多く見られる。
そんな良くも悪くも熱気に包まれた街の中、ある一角が特に大勢の人間が集まっていた。
そこは兵士を相手に娯楽用品や酒、小物などを売っている臨時商店であった。馬車とテントを組み合わせてそれらしい外観を作ったその店には大勢の客が列を成していた。
店の看板はクルナ王国でも指折りの商人であるロンド商会のもので、店子に真っ赤な髪を持つ少女が立っていた。
「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」
「は、はいっ、また買いに来ます!」
「オラボケェ! 詰まってんだぞ買うモン買ったら退けやゴラァ! --あっ、店員さん、あれとこれとそれ、全部ください」
「昨日も買って来てくれた方ですよね?」
「ははっ、まいったなー、顔覚えられちゃってたかー。目立ちたくないんだけどなー」
「いつもありがとうございます。こちら、おつりになります。また来てくださいね」
「絶対来ます」
おつりを渡される際に手が触れた男は真面目な顔で頷き、幸せそうな顔をして店から離れる。かと思うと周囲から浴びせらせる妬みの視線に反応して牙を剥き威嚇する。
列を成している兵士達の目的は買い物ではない。赤い髪に青い瞳の笑顔が素敵な少女に会う為。そしてあわよくば釣り銭が渡される時に手とか握ってもらえないかな、なんて下心があるからだ。
「んじゃこらーっ、ぅらぁましんじゃゴルゥア!」
「知ったこっちゃねェんだよダボォ! いてまうぞオラァン!?」
ムサい屈強な男連中が少女の美貌に鼻の下を伸ばしながらも礼儀正しく順番待ちするその外側では、今日の運勢を使い果たしただでさえ汚い手を洗わないと誓った野郎どもがまだ運を残してしまった連中からの嫉妬と戦っていた」
対照的な光景の境界線上に立つ少年、列の最後尾を示す看板を持ったジョージは両側の光景を見た後、列が邪魔で見えない店で接客をしているラジェルのいる方角に顔を向ける。
「…………怖っ」
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