第42話 「戦争って、こんな感じなんだな」


 学院で新学期が始まった時、学院内は前期と違い静寂に包まれていた。多くの生徒が休学状態で、その殆どが男子だ。普段から騒がしくしているつもりはないのに騒がしい男子が少ないと、自然に学院内は静まり返る。

 女子達はその空気を敏感に察し、どこから聞きつけたのか戦況の噂話を不安そうに囁き合い、それがどこかより一層の不安を増長させている。

「戦争って、こんな感じなんだな」

 学院の空気がそこまでいって漸く気付いたレオは昼食を食べている時、不意にそんな独り言を漏らした。

 それを同じテーブルを囲んでいる最早お馴染みである同級生とメイドがそれぞれ反応してみせた。

「お前、前もそんなこと言ってなかったか?」

「言った。改めて思っただけだ。戦争なんて、どっちでも無縁だったからな」

 前世では六十年以上戦争のない国に生まれ育ったレオ。今世では盗賊や獣と命懸けの戦いを行っては自らの生存と引き換えに相手の命を奪ってきたので、殺し合いについて前世のような倫理観からの忌避感はない。けれども、それはレオ単独での戦いかせいぜいが村の男衆との場合のみで、戦争という規模は初めてであった。それも国規模の戦争の空気を感じ取るのは滅多にない。

「都全体が暗い」

「不安があるのよ。家族の誰かや知り合いが戦争に行くんだから。兵士の家族とか、待っている奥さんや子供を思うとそんな気持ちになるわ」

 ラジェルが憐憫を帯びた顔で呟く。ハルトゥーン村近くの村に住んでいた彼女もまた戦争を知らない。

「それとは逆に大喜びなのが商人よね」

「止めて。ホント止めて。勘弁してくれよ! 確かに物が必要で大量に買ってくれるなら商人は大儲けだけど、準備するにしたって大変なんだぞ! 考えなしに売りまくれば下手に物価が上がって迷惑するし、逆恨みだってあるんだからな!」

 サリアの皮肉にジョージが必死になって弁明する。儲けるチャンスだが、それ故に苦労があるのだろう。

「そういえば多くの貴族の長男が領地に戻るなりしていますけど、ヨシュアさんはここに残っているのですね」

 既に食事を終えて紅茶を飲み始めていたエリザベートが思い出したように疑問をぶつけた。貴族の長男達の多くがルファム帝国との戦の為に呼び出されているのに対し、最前線であるウォルキン家の長男であるヨシュアが未だに学院に残っているのが不思議であった。

「万が一の備えは必要だと、父が」

「…………」

 それはつまり、ヨシュアの父であるウォルキン辺境伯は自分の敗北の可能性が高いと判断しているということであった。

 物事に絶対はなく、戦争もまた予想がつかない。最悪の事態を想定するのは当然ではあるが、対外的に絶対に勝てるという態度を将はとるものだ。それを曲げ、長男を王都に置いたままにしたのは、そんな外面を気にしていられないという事ではないのか。

 それを察したエリザベートは考えこむ。もう少し自分に力があればもっと具体的な情報を得られただろうに。しかし、機密に関わる軍事を王である父や兄が教えてくれる訳がない。他の将軍も同じだ。

 なら次兄のフィリップと婚約関係にあるサリアならと視線を向けるが、小さく肩を竦められた。

「戦況とかどうなってるんだ? それとも、あれだけ戦争戦争言ってたのに始まってもいないのか?」

「さあな」

 レオの疑問に、ヨシュアは興味なさげに答えるのだった。現在、どうなっているのかさえも分からない。

 歯に何かが挟まったようなもどかしい気持ちを皆が抱き、鬱蒼とした空気を学院に作り出しているのだった。


 ◆


 クルナ王国ウォルキン領内。国境がありルファム王国と隣接するその土地が最前線になると子供でも分かる場所だ。国境には山の一部を削り建造された要塞は鋼鉄の城と言っても差し支えなく、あらゆる攻撃も跳ね返しその巨大さから敵が戦う前に戦意を喪失するほどだと言われている。

 そんな頑強な要塞のあるウォルキン領の草原を駆ける軍勢があった。軍馬が大地を揺らし、地面に無数の蹄を残している。ウォルキン辺境伯の軍勢で、本人もまた武装した状態で馬に乗って駆けている。砦とは反対方向、自分の領地の内側に向かって。

 彼らは敗走していた。砦での戦いに負けて、生き残った兵を引き連れて逃げているのだ。

 敗走兵の背後、痩せ細った灰色の狼の群れが追いかけてきている。それだけでなく六本足の馬や二つの首を持つ牛など魔物や魔獣と言われる存在までも逃げる兵士達に襲いかかろうとしていた。

 狼の牙が一番後ろにいた兵士の背中に飛びかかる。次の瞬間、狼の魔獣の頭に矢が突き刺さる。最後尾の手前を走っていた兵士が馬上で後ろを振り返りながら弓で矢を放っていたのだ続いて他の兵士達も馬を走らせながら矢や魔法を放ち魔獣達を一掃する。

 彼らは最前線の砦にいた兵士達だ。国内において最も精強な彼らにとってたかが魔獣の群れに遅れを取るはずがなかった。

「帝国め……一体どこまでの……」

 騎士達に守られ走っている辺境伯、ノート・ウォルキンは忌々しげに顔を歪めて後ろを振り返る。草原の向こう、自慢の要塞は見るも無惨に破壊され、黒煙が濛々と昇っていた。

 火災の煙を押し退け、要塞の壁だった瓦礫の粉砕する巨大な影が要塞の中に見えた。

 それは巨大な船だった。大地から浮遊する鋼鉄の船だ。甲板を始め至る箇所に大砲を備えている戦略兵器だ。

 一つだけでも砦のような大きさを持つ戦艦が三隻、ノートを追うようにして嘗ては敵の侵攻を食い止める頑強な壁をぶち抜きながら草原へ進む。


「撤退! 撤退だ! 今は生き残ることだけを考えろ!」

 砦内部、崩壊した壁を易々と押し退けながら進む戦艦を前にローレンスは殿として残り逃げ遅れた兵士達を逃していた。時折、帝国の歩兵部隊や魔獣が襲ってくるが、彼の前では救助の片手間で切り捨てられる。

 今回の防衛戦はクルナ王国の敗北であった。油断などしていなかったが不意打ちに近いルファム帝国の隠し玉に負けた結果となった。負け戦にこれ以上の犠牲は無意味だ。部下と共に出来るだけの兵を逃して次に繋げる。ローレンスはそれだけの為に戦場に残っていた。

「アレはどこへ行った?」

 共に殿を務める部下に負けの要因となった物の所在を確認する。

「分かりません。気付けば消えておりました」

「不味いな……」

 ルファムの新兵器は予想以上の物だった。放置すればクルナの敗戦は目に見えている。

 まさか、先に撤退したノートの所に向かっているのではないかと懸念していると、備蓄庫になっていた建物の向こう側から大爆発が起きた。破壊の影響はローレンスの所までは届かないが、大気を大きく振動する音と爆発によって飛び散る建物の残骸にその威力の大きさが窺える。

 そして、爆発の中からは二つの影が飛び出し--かと思えば再びぶつかって炎と雷を周囲に迸らせて周囲を破壊した。

 炎を纏うのはクルナのギフト保持者であるアリス・ナルシタ。対する雷を纏うのはルファムのギフト保持者だ。

「まだやっていたか」

 戦いの序盤で戦闘を開始したギフト保持者達。互いの味方を巻き込まないように離れた場所で一騎打ち染みた戦いを行っていた筈だが、戦いながらここまで移動してきたようだ。

 ギフト保持者達の戦いに刺激でもされたか、崩れた壁の除去に手間取って進行を鈍らせている戦艦の砲が火を吹く。砦の内側にあった厩や兵の宿泊施設、倉庫へと降り注がれる砲弾の雨。それが突然消える。

 落下途中で砲弾が消えた空間では水面で広がるような波紋が生じていた。戦艦の上にも同じような波紋が広がったと思いきや、そこから砲弾が落ちた。

「テレッサ・ベルデルトの転移魔法か!」

 味方の魔術によって被害を抑えるどころか反撃したことにローレンスは安堵の息を吐く。だあ、次の瞬間には顔色が変わる。

 戦艦へと返された砲弾が、甲板から生じた衝撃波によって砕かれたからだ。

 魔力を感じなかったので魔法の類ではない。そうなると単純な力でそれを行ったということになるのだが、あれほどの威力とピンポイントで衝撃波を放てる生き物をローレンスは一人しか知らない。

「鉄鬼将軍ガルバトス・ガンベルング……見えないと思ったら船にいたか」

 城壁壊しや破壊魔などなど破壊に関する異名を多く持つ男にしては今回の戦に姿を見せないと不審に思っていたが、どうやら新兵器に花を持たせて控えていたようだ。

 彼が前に出てきていなかったのを舐められていると憤慨すれば良いのか被害が少なかった安堵すれば良いのか複雑な心境になりつつもローレンスは兵達を下がらせる。これ以上の救援活動は無理だと判断し自分達も脱出の為の行動に移る。しかし、けっか的にその判断は遅かった。

「ローレンス・ホギンズとお見受けする」

 進行方向を塞ぐように漆黒の全身鎧を身につけた者が立っていた。兜で顔は見えないが人とは思えぬ大きな体躯を持ち、兜の中から聞こえる声が擦れているのは発声帯が違うからだろう。もしかすると兜の飾りと思われるそれは本人から伸びる本物の角かもしれない。

 単騎で静かに立っているが、その鎧の内に隠し切れぬ戦意が見て取れた。

「我が名はゴーズ・アボンリー。お相手願おうか」

 そう言って槍を構える全身鎧を見据えながら、ローレンスも静かに剣を構える。

「ローレンス様」

「お前達は先に行け」

 ゴーズと名乗った男から目を逸らさずにローレンスは部下達に命令を下す。その余裕のない横顔に兵達は自分達が敵の足元に及ばず足手纏いになると察し、怪我人を連れて別の道から立ち去っていく。

「……部下達を見逃してくれて感謝しよう」

「不要。我が何もしなかっただけで、その生命の保証をした訳ではない。それでも礼をと言うのなら、これで返して貰おうか!」

 次の瞬間、二者が同時にそれぞれの得物をぶつけ合った。


 戦艦の砲から火が吹き、砲弾が落下する。砲弾はノートの騎馬の後方に着弾し地面に穴を開けるだけで終わった。

 着弾の音を後ろに聞きながらウォルキン領の領主であるノートは忌々しげに顔を歪める。陸を進む巨大な戦艦についての情報は事前に入手していた。軍に組み込まれた統率された魔獣の群れも、初戦の大事な一手として最高戦力で挑んで来るとも予想できた。

 現に侵攻してきた戦艦の五隻の内一隻を破壊することに成功し、魔獣の大半を滅し、帝国の英雄クラスと伍するアリスやローレンスをはじめとした王国の英雄達も配備していた。彼らの戦闘で戦艦の一隻が巻き添えで吹き飛んだ。

 互角の戦いでどちらが負けてもおかしくはない激戦であった。あった筈だったのだ。

「ルファムめ。あのような物まで用意しているとは」

 戦況を一気に傾けたのは兵でも魔獣でも軍艦でもない。ましてや英雄でもなかった。

 ふと、馬を走らせるノート達の頭上に濃い影が差した。ノートは咄嗟に頭上を振り返る。

 縦に細長い曲線を描く巨大な物体がいつの間にか出現していた。下から見れば巨大な鯨の魔獣が空を飛び頭上を通過したと、それだけでも驚愕ものだが、ともかくそれだけだと思っただろう。

 問題なのはそれほどまでに巨大な物が突然頭上に現れたことだ。何よりもそれは鯨や魔獣と違い明らかな人工物である鯨モドキの腹にはコバンザメのようにゴンドラが存在し、武装しているということだ。

 もしここにレオ達転生者がいたのならこう言っただろう。気球だ。飛行船だ。ツェッペリン飛行船だ、と。

 ゴンドラから伸びる砲身が一斉にノートへと向く。遥か上空を陣取られた彼らに為す術はなく、鉄の雨が降り注いだ。

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