第41話 「そこは徹底的に叩いて屈辱を植え付けるところでしょう」


 試合中、ヨシュアの体が不自然な硬直を見せたのに気づいたレオは隣に立つジョージの肩を軽く叩いた。

「北北東からだ。視てくれ」

「コンパスないから分からん」

「何で分からないんだよ。ほら、あっちだ」

「何で分かるんだよ」

 文句を言いながらジョージはレオが指差した方角を魔眼で確認し始めている。

「何があったの?」

「殺気だ」

 ラジェルの疑問にレオは説明し始める。

「誰かが、殺気だけをヨシュアに向けて放った。おかげでヨシュアはそっちに体が反応してしまって上手く動けない」

「そんな殺気とかバトル漫画の理論出されても私達みたいなか弱い淑女には分からないわよ。という訳で誰か説明!」

 横で聞いていたサリアに、エリザベートが答える。

「悪質な野次が飛んで来て、思わずそれに反応しているという事です」

「なるほど。それで、どうするの?」

「審判であるイステリオスに訴えかけますか? まあ、メリーベルの例えのように野次扱いされてしまったら止めようもないのですけど」

 エリザベートは頬に手を当て悩ましそうにする。殺気云々と言ってもそんなもの普通の人間には感じ取れない。物理的な現象を起こす訳でもなく、ルール違反ではないのだ。訴えても、周囲の視線や野次に反応し集中力を乱す方が悪いと言われるだろう。エリザベートでもそうする。

「いた。白いローブの奴と弓持った奴」

 話している内にジョージが原因と思われる二人を発見する。正確な位置を把握するとレオがヨシュアの試合に背を向けた。

「レオ、コンダルタで戦ったら駄目よ」

「戦わない。ちょっとガン付けて来るだけ」

 ラジェルにそう返すとレオは野次馬の人垣を縫うようにして横切って外に出た。

 人の輪から脱したレオはジョージが示した方向を改めて見る。正確な位置さえ分かれば肉眼で捉えるのは簡単だ。

 一人は確かに白いローブを羽織り、望遠鏡でヨシュアの試合を見ているようだ。もう一人は、今朝に同じようにしてちょっかいをかけて来た少女だ。距離が遠くて流石に顔も分からないが、大まかな手足の動きは分かる。

 白ローブが望遠鏡から顔を離したところで、レオは近くにあった訓練所の宿舎か倉庫かともかく建物の壁を登る。

 窓や表面に出来た僅かな傷を足場代わりとして足を乗せ、二本の足で軽やかに駆け上がった。

 屋上に着地するとヨシュアからさえぎるような位置に移動して正面から見上げる。位置の高低差からヨシュアどころか訓練所の様子を隠せる訳がない。それでも、ヨシュアを視界におさめれば否応にもレオの姿が映る。

 そんな位置取りをしたレオが遠くのなだらかな丘の上に視線を向ける。

 弓を持った少女と目が合った気がした。


 ◆


「どうしてだ?」

 予知能力のギフトを持つコディアズはイザベラが突然、殺気の矢を放てなくなった理由を聞き返す。

「視界に割って入られてる。何か集中している時、視界の端に動く物があったら集中できないでしょ? それと同じ」

 弓を下ろしたイザベラは目を細め、改めてレオの姿を見る。弓を扱う者として、生存競争の激しい帝国の狩猟民族の者として生まれたイザベラの視力は遠く離れた場所からでもレオの姿をはっきりと目視出来ていた。

 今朝と変わらぬ姿だった。ただの気まぐれで、今回の件の前にちょっかいをかけた。

 一点に集中した意と言えば大層に聞こえるかもしれないが、それに反応出来るのは相応に戦いを知る者で一般人には何の影響も及ぼさない。逆に言えばそこまで凝縮しなければ意味のない、何の攻撃手段にもなりはしない、それどころか居場所がバレかねないものだ。

 だからイザベラにとって気付いた事など、もっと言えばバルロッサの喧嘩もコディアズの企みもどうでもいい。

 だが――

「私の矢を阻む、か」

 イザベラの細く綺麗に整った眉の間に皺が寄り、奥歯から音がする。

 一度はそのまま見えぬ"意"によって殺意の矢は斬られた。そして今回は、ただ立っているだけで阻む。仮に撃ったとしても中らない。そういった確信がある。

 それがイザベラにとって屈辱であった。

 弓には自信がある。生まれ育った狩猟民族の中では戦利品扱いされる女の身でありながら彼らのトップに立った自負がある、ギフトがある。

 温い前世の平和な国を持ち、豊かなクルナ王国出身の少年に自分の矢が阻まれている事に憤りを感じているのだ。

 イザベラは頭に上る沸騰した血の熱を逃がすように長く息を吐く。それが終わると彼女は元の無愛想な顔に戻っていた。

「で、そっちはどうなの?」

 イザベラの不機嫌さを感じ取って黙っていたコディアズは慌てて望遠鏡をレオに向ける。

「…………駄目だ。あいつのは見えない。だけど、他の連中の未来には映ってる。これで間接的に動きも読めるはずだ」

「あっそ」

 聞いておきながらイザベラは素っ気ない返事をすると弓を袈裟にかけて踵を返した。

「え? どこ行くの?」

 望遠鏡から目を離してコディアズが振り返る。

「帰るのよ。もうここには用がないしね」

「バルロッサの試合は?」

「未来が見えるんでしょう?」

「渋々戦って勝つ姿が……」

「外れるわね。それ」

 それだけを言い残して立ち去って行くイザベラ。一瞬、何を言われたのか分からなかったコディアズは再び望遠鏡で模擬戦の様子を確認する。

 バルロッサが木製の大剣を地面に放り投げていた。


 ◆


「何のつもりだ?」

「諦めがついたと言うか、吹っ切れたっつうか」

 バルロッサは木の大剣をヨシュアの足元に放り投げていた。

「これは俺個人の喧嘩だ。だが、あいつらが介入したらそれに乗らなきゃならねえ義務がある。これでもルファムの戦士だからな。上の命令には逆らえねえんだ。だけど、結局失敗だ」

 バルロッサがある一点に顔を向ける。ヨシュアもその方向を一瞥した。

 レオが建物の屋上に立っていた。ただそれだけで殺気がヨシュアに届かなくなる。

「失敗なら失敗で続けてもいいんだが、負い目が出来ちまった。このまま勝とうと俺が納得できねえ」

「だから降参すると? 舐めているのか」

「言ったろ。個人的なものだってよ。喧嘩だ喧嘩。戦争じゃねえ。俺が心から納得できねえ以上、俺にとって今回の勝敗は意味がねえ。なぁに、モート神も分かってくれるだろうよ」

「…………」

 バルロッサの言い分にヨシュア顔を顰め舌打ちする。そして、自分もまた木剣をバルロッサの足元に放り投げた。

「勝負は次に持ち越しだ。コンダルタで行われる決闘は神への捧げ物でもある。半端な結果では申し訳ない。構わないか、審判」

「両者が納得しているのであれば問題はない。この勝負、勝者はなしだ」

 仮面を付けた守護者は淡々とした口調で受け入れ、勝負は無効を言い渡す。観戦していた野次馬達からは不満そうな気配を漂わせるが、何も言ってこないのはイステリオスが仕切っているからだ。

 裁きの神からギフトを与えられたコンダルタの守護者の裁定は公平公正。例え王であろうとこの地で行われた事は絶対であるのだ。

 内容はどうあれ結果は出た。野次馬達は切り替えて仕事や訓練へと戻り始める。

「それぞれ、仲間には釘を刺しておけ。今回は武器を使わなかったからこそ見逃したが、次は恐喝の疑いで拘置所送りだとな」

見物人達が去っていく中、イステリオスがヨシュアとバルロッサに釘を刺して、もう二人に興味を失ったのか立ち去ってった。

「だとよ。そんじゃ、まぁ、帰るわ。次は決着をつけようぜ」

 バルロッサも背中を向け、預けていた武器を受け取ると去っていく。

「まったく……」

 いかにも疲れたと浅い溜息を吐いたヨシュアも背を向け、自分の剣と盾を返却してもらうと仲間達の元へ戻っていく。

「そこは徹底的に叩いて屈辱を植え付けるところでしょう」

 本気か冗談か普段との声色が一緒のサリアが開口一番物騒な事を言った。

「本当の屈辱は対等な条件下で力の差を植え付けることだ」

 鬱陶しいのでその場の思いつきをヨシュアが口にしてみればサリアは満足そうな顔で頷いた。

 それに周囲が呆れていると、去っていく野次馬達とは逆に進み出てくるレオの姿を彼らは見つける。

「無効にしたのか?」

「あのまま戦えばお互いに消化不良でしこりが残るだろうからな」

「ふうん……」

 ヨシュアの言葉にレオは曖昧に返事をしながら後ろを、丘の上に並ぶ家々を見上げた。

「あっちはどういうつもりだったんだろうな」

「殺気を向けてたって人達?」

 ラジェルが首を傾げる。

「二人いて、一人はそうだがもう一人はローブ羽織っててよく分からなかった。ただ、戦うタイプじゃなさそうだったな」

「その人物がもしかすると予知能力者だったのかもしれませんね。予知と言っても色々とあるらしく、観測する事でその精度を高められるのかもしれません」

 エリザベートが顎に手を添えて、知識の中から予知能力について引っ張り出す。

「スッゲー睨まれたが、あいつらの狙いはヨシュアじゃなかったのか?」

「お前はまだ自分のギフトの特異性を理解していないようだな」

「物事が思い通りにならないのは当たり前だろ。それなのに俺に当たるのは筋違いだろ」

「そうね。お前の場合は身体能力がおかしいわよね」

「お前の頭よりマシだ」

 王女の眼の前で公爵令嬢に悪態を吐く農民の息子というのもおかしな状況なのだが、もっと言えばこの場でこの学生グループの組み合わせがありえない訳だが、誰ももうそこに突っ込まなかった。


 ◆


 多数の神殿勢力が集まるコンダルタの地で起きたちょっとしたトラブル。正面衝突はしていないもののルファム帝国のギフト保持者との遭遇はちょっとどころではないのだが、"怪物"や鉄鬼将軍ガルバトスとの戦いを経たレオ達にとってはその程度の出来事であった。

 コンダルタで暫しの観光を楽しんだ彼らは学院の新学期に向け、クルナ王国の王都へと戻った。新学期までまだ数日の余裕はあるが、それでも早めに寮へ戻って準備をする生徒がいる。

 レオは荷物の少なさから、早期に帰って來たレオは以前と変わらず素振りなどを黙々と続けていた。だが、新学期が近づくにつれて違和感を覚えた。

「人が少なくね?」

 朝練を終えて寮の二人部屋に戻り、漸く起き出したジョージに違和感をそのまま言葉にする。

「そりゃあ、収穫期も終えていよいよ戦争だからな」

「……ああ」

 何を当たり前なと言いたそうなジョージの言葉にレオは漸く合点がいった。

「貴族の子息は戦準備。平民は平民で戦場近くの村出身者は親と疎開したり、遠くても領民として参加しに行く奴とか色々だな」

 各生徒それぞれの都合で休学届が休み中に提出されているらしい。

 戦争によって起きる周囲の動きはレオからすれば物珍しい。前世では無縁だった。それなのにジョージが慣れた様子なのは商売人の子として何かと物入りとなる戦が行われる前の物資の動きを見てきたからだろうか。

 レオも盗賊や魔物退治は幾度もやったが、大規模な戦など無縁だった。領主同士の争いで戦が起きることもあるらしいが、幸いにもレオの故郷近辺ではそんな話はなかった。

 だから戦いの空気は知っていても戦争の空気は知らなかった。寸前と言えるこの時期において、学院の寮に戻って漸く目に見える変化で気づいた。

「帝国からちょっかいかけられたのに、俺はまだ呑気だったのかもな」

「麻痺してるだけだって。初手がアレだったんだし」

 鉄鬼将軍と戦い生き残れたの時点でおかしいと言いたげにジョージの目から光が消える。

「でも、戦争が始まればそのアレが出張って来るんだよな」

「止めろ! 想像させんな!」

「これからどうなるんだろうな」

「不穏な事言ってフラグ立てるなよ!」

 決して広くはない部屋の中から叫ぶジョージの声は人の少ない寮内でよく響き渡った。

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