第38話 「じゃ、じゃあ、バイバイ。死なないでね」
メフィーリアの神殿は小さく、肝心の祈りの部屋は椅子もなく二十人ほどで一杯になるようなスペースしかなかった。レオが住んでいた村の教会でも椅子が並べられ数十人は入れる広さだったと言うのに、これでは神殿ではなく簡易な礼拝所だ。
「私は外におりますので、終わったら声をお掛け下さい」
代々ここの管理を行っている一族である老人はそう言ってドアを閉めた。長い間ここを管理している彼でも武器の祝福を受けに来た者は初めてらしく、エリザベートの死者がアポを取りに来た時も半信半疑だったらしい。
レオは神殿に来た時の老人の驚いた顔を思い出しながら部屋の中心近くに移動する。
部屋は円形で、その中央には成人男性の身長ほどの大きさの円柱があった。円柱の上には篝火が置かれ、器の中の薪が燃えて音を立てている。その上の天井には円形の穴があり、白み始めた星空が見えた。
祝福を得るにはここで祈りを捧げるだけで良いそうだ。武器に祝福を与えると言っても、何もギフトのような力が与えられる訳ではない。日本でお守りを買う願掛けと変わらない。ただし、神に気に入られていれば相応の力が武器に宿る。
祝福は極端を言ってしまえば神の意志と力が届きやすい場所ならばどこにでも行えるのだ。課題を与えられる祝福もあるが、それは相応しいかどうかの試験であって、戦いに関する神でないメフィーリアにはそんなものがない。
レオは剣を鞘と一緒に円柱の足元に置くとその場で片膝を床に付き跪いた。祈りを捧げる際の作法など知らなかった。故郷の村でも特に何もなく、ただ両手を合わせて目を瞑るだけ。
それが祈り方なのは間違ってはいないだろうが、同時にちゃんとした方法を聞くべきだったかなとレオは軽く後悔した。
メフィーリアとは何度か会っている身の上で礼儀など今更でもあったが、そんな気まぐれを起こしたのは狭いながら神聖な場の雰囲気に呑まれたせいか。
レオが後悔で僅かに顔を微妙に歪ませていると、前触れもなく近くで気配がした。
唐突さに加えて気配に覚えがあったレオは目を開いて顔を上げる。
「こ、こここれに、力を与えれば、いいの?」
目の前には黒いローブを頭から羽織ったメフィーリアが床に置いた剣を見下ろしていた。
「まあ、願掛けみたいなもんだから程々に」
相変わらずフットワークが軽いなと思いつつ、レオは跪いた格好のまま答える。
「が、願掛け? 何を願っての?」
「…………考えてないな。何か良い事ないかな、程度の認識だった」
特に細かい内容は知らずともおみくじで吉が出れば良いなという曖昧でフワッとした感覚で考えていたレオであった。
「そっちの好きにしてくれれば良いよ」
「ど、どどどうしよっか? わ、私、今まで祝福なんて、あ、ああ与えたこと無かったから……」
メフィーリアの様子は食事の時にメニューは何でも良いと言われ真剣に悩んでいるのと似ていた。
ギフトを貰う時もこんな感じだったと既視感を感じたながらレオは思いつくまま言ってみる。ギフトの時ほど強力ではないので慎重さが欠けているのかもしれない。
「気軽にすれば? 曖昧に運勢が上がるでも、適当に力を込めるでも」
「う、うん。や、やってみるね」
そう言ってメフィーリアはオズオズと剣の柄と鞘に手を添える。年相応どころかそれよりも幼く見えるメフィーリアは女神としての威厳というものがなかった。
それでも彼女は本物だ。軽く握る。それだけでレオからでも彼女の力が剣に流れていくのを感じた。
「こ、これでいいかな」
「ああ……ありがとう」
剣を渡されたレオは礼を言い、鞘から少しだけ剣を抜いて刃を見る。何か目に見える変化がない。だが、勘は先程まで違うと言っていた。具体的な事は分からず、さっきの光景を見たからそう思い込んだ可能性もあった。
「今更だけど、良かったのか。俺なんかに祝福なんて与えて」
「い、いいの。それに、武器に祝福を与えるなんて、は、初めてだったし。れ、練習には、その、いいかなって……」
パタパタと左右に手を振るメフィーリアはどこにでもいる少女にしか見えなかった。
レオは立ち上がって剣を腰のベルトの位置に直す。天井の天窓を見れば、暗がりだった空がいつの間にか白くなっていた。もう朝の時間だ。
「じゃ、じゃあ、バイバイ。死なないでね」
要件が終わり時間となれば、メフィーリアは手を振って文字通り消える。ドライな反応だが、レオにとってはこの程度がちょうど良かった。それに、神は神で悪神シトに忙しいのかもしれない。
レオは立ち上がると、メフィーリアの神殿を去った。
太陽が空高く登る頃、レオ達はヨシュアの後ろをついて歩いていた。
「……何故ついてくる?」
無視して歩いていたヨシュアだが、屋台の軽食を注文し食べながらも追いつき、時には話しかけては歩く邪魔をする学友達にイラつきを覚えていた。
「ヨシュア光の神の神殿に行くから付き添いに」
「お前の時は誰もついて行かなかっただろうが!」
「だって夜中と早朝の間だぞ。ゾロゾロと連れ歩ける訳ないだろ」
「それに、宿にいても暇だし。せっかく来たんだから観光を」
串焼き片手にした本気で観光気分な男二人にヨシュアは額に青筋を浮かべた。
ヨシュアは遊びに外へ出た訳ではなく、光の神の神殿にて武具をレオ同様に祝福を受けるためだ。自分にギフトを授けた神の神殿だけあって相応の緊張を纏い、厳粛とした心構えで向かおうとしていたのだが、呑気に観光している奴らがいれば怒りもする。
「はぁ……。そちらも同じですか?」
溜息を吐いて精神を無理やり落ち着かせたヨシュアの視線がレオの後ろにいる女性陣に向く。ラジェル、サリア、エリザベート、メリーベルの四名がいた。彼女らの手には野郎二人と違い女の子らしく飴などの菓子があった。
「女子には丁寧な言葉遣いだな。仕方ないと言えば仕方がないが」
「貴族社会は民草以上に上下関係に煩いから、王女と公爵家となれば辺境伯も形無しだな」
男どもが茶々を入れる。
「単純に観光。コンダルタは大陸中から沢山の人が集まるから色々あるわよね。ああ、神殿行くなら行きなさい。私達は遊んでいるから」
男子はわざと煽っている節がある分怒りやすいが、女子は身分など関係なしに言葉通り無関心さがあって逆に何も言えなかった。
「そういえば、ジョージとサリアは自分ところの神様の神殿に行かないのか?」
ギフト保持者である二人は愛用している武器もなければレオのように直接戦うようなタイプではないが、ギフトを与えた神の神殿ぐらいには顔を出しても罰は当たらないだろう。寧ろここまで来て行かないというのも、神が存在するこの世界では不敬に当たりそうだった。
「後で行くつもりだ。商売繁盛を願って頭下げてくる」
「頭は下げないけど顔を出しに行っておくわ。神殿関係者って真面目だから、そうでもしないと慌てるのよね」
「私はギフト保持者ではありませんが、アーバレス様の神殿で祈りを捧げようかと」
エリザベートが会話に加わる。
太陽神アーバレス。光の陣営にトップだ。人間の貴族や王族がよく信仰しており、クルナ王国の王族であるエリザベートもアーバレスを信仰していた。
「じゃあ、ヨシュアの用事が終わるまで、神殿巡りしながら観光するか」
「止めろ。そんな一日で幾つも回って祈ろうなんて節操が無くてはずかしいだろ。エリザベート様までいるんだぞ!」
レオの提案にヨシュアが拒否した。
「俺は平気。このあたり、日本人感?」
「かもしれないわねー。でも禁止されている訳じゃないから別にいいでしょ」
「お前ら二人はもっと貴族らしい振る舞いをだなァ!」
懇願にも似たヨシュア怒鳴り声も、周囲の視線を集めるだけでクルナ王国の名物貴族には無視された。
「各神殿が集まる場所だから堅苦しい所かと思ったが、案外賑やかだよな」
一通りの神殿巡りを終えたレオ達は広場に設置されたベンチに座っていた。それぞれが屋台の食品を好き勝手に買って来ては食べている。
「大陸中の国から人が来るからな。色々な文化も集まっているから故郷じゃ目にした事のない食べ物もある訳だ」
ジョージは焼いた肉を刻んでパンで挟んだ物を食べながら説明する。
神々の神殿が集まった特殊な環境もあって立ち並ぶ屋台の食品はクルナ王国で馴染みの物から見た事のない物まで多種多様だ。
レオが食べている辛いタレのかかった肉の串焼きのような脂っこい物から焼き魚、ポテトなどの揚げ物以外にも菓子などもある。男二人が腹に溜まる物を食べているのに対して、女子達は別腹となる甘い物ばかり食べていた。
「これ、凄く美味しい。外はサクサクで、中のアツアツの林檎は蜂蜜みたいに甘い」
「こっちの一口サイズのシフォンケーキも美味しいわよ」
「ファーン共和国のお菓子ですね。あそこは果実を使ったジャムやゼリーが有名ですから。そう言えば、もっと東に行った国では揚げ物なのに甘い物があったはず」
「それはこちらでございますね。人数分買って来ましたので、どうぞ召し上がって下さい」
花が待ってそうな女性陣の騒ぎように男二人は自然と距離を取った。
「ヨシュア、そろそろかな?」
「実はもう終わって先に帰ってたりして」
ヨシュアがアール神の神殿に入って一時間は経過している。その間に不徳者のギフト持ちが神社に軽い気持ちで参拝する日本人が如くそれぞれの神殿に顔を出し、ラジェルやエリザベートが太陽神の神殿でまともに祈りを捧げた。その後、こうして広場で屋台巡りをしていたのだった。
「あれ、明らかに体感時間以上に時間かかるよな。数分話しただけかと思ったら三十分近く経ってたし」
レオは自分の時を思い出して言う。
「膝ついたら女神が現れて剣握って初めてだから分からないとか言って、じゃあ適当に祝福して貰って、頑張ってとエール送られただけなのに」
「すっげえ話だけど他の人には言わないようにな。にして、メフィーリア様ってフットワーク軽くね?」
「そうだな……あっ、戻って来たぞ」
レオは視界の中、広場に続く長い階段を降りて来るヨシュアの姿を見つけた。
光の神アールは太陽神の息子であり、非常に強力な神で信仰する者は多い。戦神としての側面も持っているので信仰者には騎士や兵士が沢山いる。
信仰者が多ければ自然と神殿の力も強くなり、神殿の大きさはコンダルタの地の中でも大きい。立地も丘にあり、レオ達がいる広場からは長い階段を使って行き来できる。
ちなみにレオが行ったメフィーリアの神殿は南西の隅に埋もれるようにして存在し人通りも少なかった。
「どうだ--お前、焦げ臭いぞ」
階段を降り切ったヨシュアの体からは焦げた臭いがしていた。
「余波の影響だ」
「何のだよ」
「無事に祝福を戴いてきた」
「無視か」
深くは話したがらないヨシュアに全員胡乱げな目で視線を送る。本人はわざとらしく咳払いした。
「俺の用は終わった。これからどうするつもりだ?」
「ここまで来たのだから観光を続けるに決まっているでしょう。せっかくの夏休みなんだから」
サリアが食べていた菓子を飲み込んでから言う。遊ぶ気満々であった。
「収穫の秋が終われば本格的に戦争状態よ。その前に遊び倒すのよ。数日かけて全ての店と屋台を見て回るわよ!」
これにはヨシュアも呆れた表情を浮かべながら反対はしなかった。実際、戦争状態となればこうして呑気に過ごす余裕はなくなるであろう。
「全部って言ったが、北東もか?」
「当たり前よ」
「ちょっと待て」
「お待ちを」
レオの疑問にサリアが答えた瞬間、ヨシュアとメリーベルから待ったが掛かった。
「何よ。まさか闇陣営の神殿が多く集まっているから行くなと言うの?」
神には三つの陣営が存在する。光と闇、それ以外かだ。コンダルタの地にはどの陣営の神殿も平等に存在しているが、関係性を考えれば光と闇の陣営を隣に並べる事はしない。
故に南西側に光の勢力が集まり、北東側に闇の勢力が集まっている。
「文化に罪はないわ! 特に食文化! 異なる国や地域で培われたそれに光も闇もない。寧ろそんな白か黒かの極端な思考でよく調べもせず毛嫌いするには浅慮に過ぎるのよ」
真面目に語るサリア。だが、全員が疑いの視線を向けていた。
「サリア……冷やかしてからかいたいだけでしょう?」
ラジェルの指摘に公爵令嬢は顔を背けた。
「こいつ……」
「チッ……はいはい、分かりましたよー。自重しますー。どうせルファム帝国の連中もいるんだろうから煽って襲わせて、不祥事起こさせようと思っていたのに」
「本気で止めろ! 警備がいるとは言え、万が一もあるだろう!」
「その通りです。守護者がいるにしても何処まで当てにできるのか分からないのですよ」
ヨシュアとメリーベルがサリアに詰め寄る。大袈裟に見えるかもしれないが、貴族の子が四人いてその内一人が公爵家、更には王女が一人。中立であるコンダルタの地と言えど何が起こるか分からない以上、二人の意見は正しい。そもそもこうしてこの時期にいるのがまずおかしいのだが。
「目立ってるぞお前ら。どうせ長い期間いる訳じゃないんだ。南西を見てまわるだけだろ――」
レオは言葉を途中で止めると横に振り返り、自然とラジェル達を隠すように前へ出た。ヨシュアとメリーベルも同様にレオと同じ方向へと体を向ける。
彼らの視線の先には背の高い褐色の肌を持った一人の若者がゆっくりとした足取りで近づいて来ていた。その背中には布に巻かれてはいるが大剣らしき形の物が背負われている。
「こっちに来ないのか。残念だな。向こうにも中々良い店があんのによ」
男の顔には笑みが浮かんでいる。ただし、目は爛々と凶暴に輝き、猛獣が牙を剥き出しにしたかのような獰猛な笑みであった。
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