第35話 「誰か。空の食器を用意しろ」
あの後、訓練所で幾つかの人形をゴミにしたレオは新しい剣の出来に満足した。
試し斬りも終わって屋敷へと戻った四人がロビーに通じる通路を歩いていると外から蹄と車輪の音が聞こえてきた。
「父の馬車だな」
ヨシュアはそう呟くと早足にロビーへと向かい、レオ達もそれに続いてロビーに到着すると、扉が開かれ中年の男が現れた。
「お帰りなさい、父上。予定では明日帰って来ると聞いていましたが、何かありましたか?」
「何もないから早目に切り上げてきた。いつもの藪のつつき合いだけで、これなら家で書類仕事をしていた方がマシだな」
「砦は変わらずですか。やはり本格的な戦になるのは収穫期を終えてですか」
「その前に機先を制する為に来る可能性は高いがな。そうなったとしても我らが揺るがぬ事を身をもって教えてやるだけだ」
ヨシュアの父、ノート・ウォルキン辺境伯は子を一瞥すると後ろにいるレオ達に視線を向ける。
「ところで、彼らが言っていた学院の友人か」
「はい。レオ・ハルトゥーンにジョージ・ロンド、ラジェル・バーンです」
ヨシュアからの紹介を受け、三人は静かに礼をする。相手は家を継ぐ予定の子息ではなく、本物の貴族で辺境伯という重要な地位にいる貴人だ。平民であるレオやラジェル、下級貴族出身のジョージ達は軽々と会話出来ない相手である。
「私はノート・ウォルキンだ。息子が世話になっているようで、親として感謝する。申し訳ないが溜まった書類仕事があるので私は失礼する。だが夕食はご一緒させてもらおう」
ヨシュアの父はそう言ってロビーの階段から二階へと歩いて行った。その後ろ姿が見えなくなったところで、レオは口を開く。
「忙しそうだな。やっぱり帝国が?」
「まあな。偵察隊がウロチョロと嗅ぎ回っているし、隙を見せれば見逃さず突いてくるからな。油断できない」
「収穫期とか言ってたが、それが終われば本格的な戦争か?」
「ウチのロンド商会もその時期に合わせて色々と物資を動かしてるからな。普通、戦争ってのは準備してから始めるもんだから」
「いいや、違うな。それを含めて戦争だ。物が不足しているのに戦に出るなんて無謀も良いところだ。ルファムも占領して奪った物資だけでやっていけるなんて楽観的な考えは持ってないだろ。そもそもそう簡単に突破させないがな」
「俺達が学院に戻るまでまだ安全って事か」
「大神殿への道中なら安心しろ。ウォルキン領とは隣だ。万が一ファーンのような事が起きても護衛は相応の人数は付ける」
「それなら安心だな。色々とやってもらって悪いな」
「別に構わん」
「真面目な奴が素っ気ない態度を取ると何故かツンデレだと思ってしまう」
「貴様、いい加減にしろよ?」
余計な事を言ったジョージをヨシュアが鋭く睨みつけた。それで話の区切りがついたと察したラジェルは男三人がまったく考慮していなかった点を指摘する。
「ウォルキン辺境伯様は一緒に夕食をと言ってたけど、レオはテーブルマナーとか大丈夫?」
全員の動きが止まり、レオに視線を向ける。
「……授業で習った程度なら」
「ちゃんと覚えてる?」
「…………」
「何か言えよ!」
「自信ないんだよ! 前世でもテーブルマナーとか知らなかったんだし仕方ないだろ!」
「ラジェルは出来るみたいだぞ! 恥ずかしくないのか!」
「誰か。空の食器を用意しろ」
ヨシュアが人を呼ぶ。それから夕食の時間間近まで、レオはテーブルマナーについて学ばされるのだった。
夜になるとレオ達はヨシュアの案内で食堂に集まった。テーブルマナーについてはまあまあであると言えた。ただ明らかに不慣れさが目立ち田舎臭さを感じられたが、それを平然と完璧にこなせるラジェルがおかしいのであって平民なら上出来の部類だ。少なくともレオはそう思っているし、ヨシュアからも最低限と言われる程度なのは間違いなかった。
広い食堂に到着すると既にウォルキン家当主のノートが待っており、その隣ではドレス姿の女性と十二歳ほどの少年がいた。ヨシュアの母親と弟だ。彼女らも交え、夕食が行われるようだ。
長いテーブルの奥にノートが座り、左右に妻であるサラッサと長男のヨシュア。サラッサの隣には次男のスレイ。ヨシュアの隣にジョージ、レオ、ラジェルが並んだ。
「気を楽にしてくれて構わん。公的な場ではないのだから息子の友人に堅苦しい事は強要しない」
当主はこう言っているが建前の可能性もあるし何よりヨシュアが鋭い視線を放って来るのでレオは曖昧な返事だけしておいた。
食事が運ばれ、静かに夕食が始まる。少しして、緊張が解れ始めた頃にノートがレオに話しかけてきた。
「君は私の息子と共にドラゴンを倒したが、その前に鉄鬼将軍と呼ばれるガルバトスとも戦ったと聞いた。君から見てガルバトスはどうだったかね?」
「正直言うと、何がなんだかと言った感じでした。剣が通らないし不意打ちしても防がれる。人と戦っている感じがしませんでした」
「年老いてもルファム帝国最強の戦士と名高い将軍だ。そう思うのも仕方がないだろう。かく言うウォルキン家もあの老人には困らせられていた。私の父の代では砦を作っても作っても奴の手によって破壊されたからな」
ファーン共和国で見たガルバトスの一撃。鉄槌の一振りで大地を抉り、アリスの炎を掻き消し、土砂を発生させる。レオとヨシュアが倒したドラゴンなども霞む破壊力を帝国の将軍は持っている。
「だが、無敵の存在などいない。過去に何度か追い詰めた事もあった。まあ、結局逃げられたのでは意味はないがな」
「それは、英雄をぶつけるという手段で?」
本当に人間かと疑ってしまう帝国の老将軍。それを目の当たりにしたレオとしてはどうやって勝つのかも分からない。だが、アリスならば戦えた。戦闘向きのギフトを持つ彼女と真っ向から戦える時点で色々とおかしいが、少なくとも英雄クラスならばあの老将軍と戦えるのだ。
「そうだ。他にも質に対する数として飽和攻撃を継続的に行い削り倒すという方法はあるが、一番単純かつ確実なのは英雄クラスを複数当てる事だ」
食事の手を完全に止めて、ウォルキン辺境伯の視線はレオに固定される。それは何かを期待するような、見定めるかのような目であった。
「ここで問題なのは、どこからが英雄クラスとするかだ。英雄と一言で言ってもその強さや性質は千差万別。ギフトを持っている事でも、敵を倒した数でもない。単純に強さと言ってもそれを明確に測る事は出来ない」
「……ドラゴンのような種を倒せば英雄、とかですか?」
「胡乱な話は苦手か? だが、そうだな……確かにドラゴン程度は一人で倒せる力量なければ英雄と言えないな。だが、それが出来る人間には限りがある」
「父上」
今まで黙っていたヨシュアが口を開く。
「レオはどのみち放置していても敵に向かって行き、勝てないようであるなら撤退する程度には弁えています。心配は不要かと。どのみちこの男は困難から逃げられないギフトを持っています」
息子の発言に当主は面白そうに笑みを一瞬浮かべる。
「そうか、お前がそう言うならそうなんだろう。いや、すまない。変な話をした。ただ、将来有望な若者を見ると矢鱈期待を掛けてしまいたくなるのだ」
「いえ、目を掛けていただいて光栄です」
レオはそう言って曖昧に笑みで返すと、水を飲んで大きく喉を鳴らした。
夕食が終わるとレオは退席し、屋敷内に設けられたサロンへと移動していた。
「あかん。くっそ疲れた。もう嫌だ。硬い空気で息苦しかった。もうあんな食事嫌や」
「レオ、大丈夫? 水飲む? それは一体どこの訛りなの?」
サロンのソファの上にうつ伏せになったレオはもうそのままクッションの一部になりそうなほど体を弛緩させていた。ラジェルが甲斐甲斐しくも世話をしながら謎の訛りに首を傾げる。
「ドラゴンは斬れても……あれ?」
そんな二人を少し離れて見ていたジョージがサロン入り口で中の様子を伺う人影に気付いた。
「スレイ君じゃないか。どうしたんだ?」
スレイ・ウォルキン。ヨシュアの弟で現在十二歳の少年だ。ジョージが先にウォルキン邸に来ていた事もあってジョージは少年と面識があった。
「良ければ兄上と同じドラゴンスレイヤーの方にお話を伺いと思ったのですが……お疲れのようなので、また明日にします」
期待に満ちた顔をしていた少年だが、ソファの上で横になっているレオを見て眉の端を落とした。
夕食では父の話を優先させた為に遠慮して聞けなかったので、その後なら機会はあると思っていた少年だが、当のレオがあの様子では話を聞くのは難しいと残念がる。
「いや、大丈夫ですよ話ぐらい。話し上手ではないですけど、見てきた物を説明するぐらいはできます」
聞こえていたようでレオはソファから体を起こして座り直す。
「いいんですか?」
「はい。何か変な説明があってもジョージが補足してくれます」
「そういう意味じゃないと思うんだが。まあ、いいか。俺の方も問題ないから安心してくれ」
「ありがとうございます! それではお茶を用意させますから少しお待っててください!」
嬉しそうに満面の笑みを浮かべる少年は侍女に紅茶を用意させる為にサロンから駆け足で行ってしまった。
「明るい子ね」
「本当にヨシュアの弟か?」
「失礼だぞー。気持ちは分かるけどな」
常に固い表情をして見たまんま堅物であるヨシュアと表情筋が年相応に働いているスレイでは似てない兄弟だと言わざるをえないだろう。
「そういや、その兄の方は?」
「何か話があるとかでまだ食堂にいる筈だけど?」
レオ達が去り、食堂に残っているのは当主のノートと嫡男のヨシュアの二人だ。
「先程のはあからさま過ぎでしたね。ルファムに何か動きが?」
夕食時の父とレオの会話にヨシュアは違和感を持っていた。レオが英雄候補に見られており、戦力として期待されているのは分かってはいた。だが、流石にあの切り込みは強引に思えた。
前に王都でレオについて話はしたが、その時はそこまでレオを引き入れようとしていなかった筈だ。それなのに何故。
まるで鉄砲玉に成れとも聞こえた父の言葉の意図を計り、ヨシュアはルファム帝国に何か我が父を急かすような事が起きたのではないかと予想した。英雄基準では未熟であろうと使わなければならない何かしらの理由が出来たのではないか、と。
「……ルファムに送ったスパイから情報が送られてきた。最後のな」
葉巻を取り出して魔術で火を付けながらノートは呟く。
他国へ諜報員を送り、情報を収集するのはどこでもやっている事だ。何よりウォルキン家はルファムと隣接している。敵を知る為にも情報収集は欠かしていない。
ノートは小さな水晶玉を懐から取り出すと軽く投げてテーブルの上に転がる。そのまま端まで転がって行くかと思いきや、水晶玉は不自然にも途中で転がるのを止めると、内部に光を携えて光を放出。淡い光が空中に像を作った。
光景を写し取り、映像として再生する魔具だ。地球でいうビデオカメラと一緒なのだが、こちらの場合は音を録音できない。音を撮るにはまた別の魔具が必要となり、映像と音を同時に撮る魔具は存在しているが持ち運びに不便な為にどちらか一方を使う場合が多い。
光の魔具からテーブルの上に映し出されたのはどこかの渓谷。話の流れからしておそらくはルファム帝国のどこかだろう。
緑が少ない荒れ果てた土地の映像の中、風景の一部が徐々に黒くなっていた。魔具の不備かと思ったが違う。黒いカーテンが地面を覆うように無数の何かが移動しているのだ。
ヨシュアがそれに気付いた直後、映像はその黒い何かに向かって拡大していく。
それは群れであった。多種多様な種の魔物が群れとなって地面を駆け抜けていた。その数があまりにも多い為に遠くからでは黒い絨毯のように見えたので。
「魔物の大移動、ですか?」
魔物も生態系を持つ生物だ。中には突然変異種や"発生"する個体など枠組みから外れたのもいるが大まかに言えば生物として習性がある。
映像のような魔物の群れが走り回る光景は決しておかしくない。新たな餌場を求めて移動する場合はよく見られるし、複数の種がまとめて移動している場合は何か強力な個体の発生や天災を感知して逃げているからだ。
だがその予想は群れ中央の存在によって否定された。
露出の多いドレスを着た若い女が群れの真ん中を走る巨大な六本足の蜥蜴の背中にいたのだ。屋根付きの台座を背中に取り付け、その中に固定された椅子に優雅に座っている。
驚きに目を瞠ったヨシュアは女から視線を外して駆け回る魔物達に目を向ける。移動速度と体格がそれぞれ違うと云うのに一匹として踏み潰されていない。それどころかよくよく見てみれば突進力があり角の生えた魔物が前を進み、それから足の速い種が続き、身軽な魔物が穴を埋めるように配置されている。
「この数……魔獣を使役するギフトですか」
ヨシュアの予測にノートは沈黙で肯定した。
魔物を調教し使役するのは珍しくない。獣に似た魔獣を騎馬として運用する国も多くある。だが、種類もバラバラで統一性が無いにも関わらずこれだけの魔獣に行軍をさせるなど現実的ではない。
しかしそれを叶えるのがギフトだ。
神に与えられた力は魔物の軍勢を従えるのを可能にするのだ。
「今までこのギフト保持者は未確認だった。こんな能力、一年以上も隠しておけるとは思えない。恐らくは最近、ギフトを与えられた者だろう」
という事は映像に映る女はこの春にギフト保持者になった転生者の一人の可能性が高い。十五、六にしては大人び妖艶な雰囲気を持ってはいるが、前世ではクラスメイトだったのだろう。
だが、今は敵だ。
映像では女の乗る蜥蜴の後ろから大型の魔獣が更に群れを成し、大地を揺らし盛大に土埃を巻き上げている。最低でも二階建ての一軒家サイズ、最大で平均的な城壁ほどの高さを持った魔獣が存在していた。
大きい、と言うだけでそれは暴威になる。この大型魔獣達を突っ込ませるだけで砦は破壊され蹂躙される。それが人間の指揮の下で運用されるとなると脅威でしかない。
「予知能力者の存在も示唆されている。ルファムが強攻に出たのも頷ける。このような能力を持ったギフト保持者を手に入れて、舞い上がる馬鹿が出たんだろう。何よりもこれだ」
ノートが別の魔具を取り出してテーブルに転がして映像を映す。
それを見てヨシュアは驚愕した。
「これは、まさか。別大陸の……」
「どうやって手に入れたのかは知らん。だがこれを持ち出した以上、帝国は後に引く気はない。こちらも出し惜しみなどしていられない。お前にも前線に出てもらうぞ、ヨシュア」
映る映像の中、大型の魔獣を超える巨大な影がそこにあった。
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