第26話 「じょうだんじゃねえぞあのじじい」
剣を引き抜いた途端、ガラスのように刃が砕けた。二本目の終わりにレオは複雑そうな顔をし、溜息をついて首だけを動かして後ろを振り返る。
受け身を取れずに地面に落ちたヨシュアが転がっていた。
「だいじょうぶか?」
「っ、腕が折れて肩が外れただけだ。お前こそ空気が抜けたような声だぞ」
ドラゴンの尾によるなぎ払いを盾で受け止めたヨシュアの左腕は折れてその衝撃によって肩の関節が外れていた。顔に脂汗をかきながらもそれを『だけ』と言うのは意地だろうか。
一方、レオもガルバトスにやられた肋骨にドラゴンの一撃まで受けてしまい、骨に明らかな損傷を受けて胸が苦しくなっていた。呼吸がし難く、自然と声が小さくなる。
「ないぞうにはささってないとおもうがすげーいたい」
控えめに言っても二人とも重傷だった。意地という点では手の施しようがない
「けどやったな」
「そうだな」
ヨシュアが激痛に顔を顰めながら立ち上がる。二人の目の前には首が千切れ落ち心臓を刺し貫かれたドラゴンの死体が横たわっていた。
竜殺し。それを二人は果たしたのだ。
感慨深げにドラゴンスレイヤーの証を見ている場合でないと、二人はもう一つの戦場に顔を向けようとして、突然揺れだした地面に足を掬われる。
「いぃッつ……」
「ぐ、おぉ……」
怪我をした場所を地面に打ってしまった二人は苦悶して痙攣する。耐えながらも地面につけた側頭部から地面の振動を感知し、それが伝わってくる方向に顔を向ける。
アリスとパーンがガルバトスと戦っていた場所から地面が大きく盛り上がりながら移動していた。さながら土の津波だ。そしてその津波から逃げる影が二つ。アリスとパーンだ。
「じょうだんじゃねえぞあのじじい」
ガルバトスがあれを起こしたと容易に想像ができた。地面が裏返りながら迫る土の津波にレオとヨシュアは体を起こすが、既に疲労困憊だ。大樹まで逃げられるかどうか。
「全員、そこから動くな!」
アリスは怒鳴ると、足を止めて地面を滑り、滑りながら後ろに体ごと振り返って立ち止まる。そして剣を構え業火を纏わせると剣を地面に斜めに突き刺す。
剣先から爆発が生じた。地面を吹き飛ばし空気を大きく揺らして音を轟かせるそれは迫る土の津波に穴を空ける。
穴の開いた土の津波は学生達を守る壁と大樹を避けて地面を滑っていく。だがそれでも細かな石――人の頭ほどの――が降り注ぐ。当然、レオ達にもだ。
「風の精霊よ、我らを守りたまえ!」
石の雨に打たれればひとたまりも無いが、レオの前にパーンが立ち、振り返って魔術による風で落石を払い除けていく。
大樹の方でも枝を伸ばしてカーテンを作り、その前でファシムがパーンと同じく風を展開していた。
土の津波が過ぎ去り、石飛礫も止んだ。パーンが大きく息を吐くと共に肩を大きく落としたその向こう側で、レオは一番正面にいたアリスの姿を見つけた。
土埃の中を歩いてくる女は小雨が降ってきたような顔をして埃を剣の一振りでかき消すと、やれやれと首を振った。
「敵は去った」
そしてそれだけを言って剣を鞘に収めたのだった。
去ったとはガルバトスのことだろう。逃げられた、とは言わないのは追うつもりがなかったからか。土埃だらけになったパーンがファシムに振り返ると、彼は小さく首を縦に振った。どうやら帝国兵達も今のを陽動に退却していったようだ。
粉塵が収まる頃、大樹の方から数人の人影が走ってくるのをレオは見た。
レオとヨシュアを守っていたエルフもそれに気づくと、何気なく服に付いた土埃を払い落として乱れた髪を櫛で直す。
「レディ、久し――」
身だしなみを整え振り向き、己のハンサム顔を最大限に輝かせる笑みを浮かべる。街中ならば黄色い声が聞こえそうなそれを、先頭を走っていた赤毛の少女は無視した。
「レオ、ヨシュア! 大丈夫!?」
意図的に無視した訳ではなく単純に気付かなかったのであろうラジェルがレオの前で立ち止まる。
自分に治癒の魔術を施そうとする少女を見下ろし、次に寂しそうにこちらを見るエルフを見た。
なんとなく、なんとなくだが察したレオは周囲に助けを求めて視線を巡らせるが全員に無視(一人だけ愉快そうに微笑を浮かべているのがいた)されてしまった。
ある意味、ドラゴンよりも強敵であった。
◆
「全員、ここで待機しろってさ」
ルシオ・シバリーンはロビー横の休憩所にいた仲間達の元に戻ると監督役の魔術師から言われた言葉をそのまま伝えた。
青い目でその場にいるそれぞれ師を持つ仲間達を見渡すとそれぞれがそれぞれの表情で退屈していた。ファーン共和国にはエルフ、ドワーフ、獣人など多数の種族が暮らしている。顔の造形がまったく違うので種族ごとに表情で感情を読むのは難しいが、ファーンに暮らしていればどうせ慣れる。
伝達事項を伝え終えたルシオは師は違えどある共通点からよく一緒に四人のいる場所まで戻る。四人の内二人がルシオに顔を向けた。
「パーン議員が先行したんだよな? 遅くないか?」
赤毛のドワーフであるギルルッカが低い声で言う。同じ年齢なのに豊かな髭を持ち、身長も小さいが体は筋肉を凝縮したような逞しさを持っている。要は一番オッサンくさい。
「何だか慌ただしいがな。警備隊が出発したとも聞こえた」
灰色の体毛を持った狼頭人体の獣人、チャカがソファーに体重を預けながら窓から外を見た。そこから街の外見えやしないのだが、方角は合っている。ついでに耳を動かし、普通なら聞こえない声も聞こえているようだ。
「何か向こうで事故でもあったのかもな」
ルシオ達は隣国のクルナ王国にある魔術学院と交流会を行うメンバーであった。ファーンには魔術学院のような施設はなく、一人前の魔術師や戦士に弟子入りするという形を取っている。一般教養も幼少の頃に各地域の識者に教わるので規模は小さい。
「或いは帝国の襲撃か?」
チャカの言葉にルシオは首を振った。ここはファーンの領域だ。ルファム帝国は確かにクルナとファーンのギフト保持者を削りたいだろうが、まさか攻めて来る筈がない。軍隊ならすぐに気付かれるし、少数精鋭でもそんな馬鹿な企みは兵の無駄だ。
「それはないよ。王女も来てるって話だが、それでもリスクが高すぎる。何かアクシデントが起きて、王族に気を遣った誰かが大袈裟にしてるだけさ」
肩を竦める。その拍子に目から逸らしていた問題が視界に入ってしまう。不幸にも自分はこの五人のまとめ役を押し付けられたのだから形だけでも拘らなければならなかった。一抹の期待を込めて同い年のドワーフと獣人に視線を向けたが、二人とも無視した。
「フェイ、ミルファン。まだ学院の人達は到着してないがもうじき到着してくるのは確かだ。もっとしゃんとしようぜ」
「煩え。くたばれ。玉切り落とすぞ」
癖のない緑色の髪を持ったエルフ、フェイ・マスターツから悪態を吐かれた。女の子が玉を切り落とすなんて言うんじゃないと思ったが、それを口にした途端に本当に切りかかって来そうなので止めた。
「だいたい、他のギフト保持者に会ってどうすんだよ。向こうもオレらと同じで転生者なんだろぉ? はぁ~~……」
この世が終わったような溜息だった。
「こんな姿見られたらどう言えばいいんだよぉ」
長ズボンを履いた足を交差させて体育座りするフェイは膝に頭を乗せて鬱の気を撒き散らす。ルシオはそんな友人の姿を見て首を横に振った。
前世の記憶が蘇る前の彼女は活発で元気の塊のような少女だった。ボーイッシュで何時までも少年らしさが抜けず、徐々に現れる男女の違いにオレは男が良かったなどと愚痴る程度でこんな負のオーラを一日中放射するようなエルフではなかった。こうなった原因は前世が原因だ。
前世云々で言えばもう一人。ミルファン・ミストニファも重症だ。銀色の髪に紫と緑のオッドアイという特徴的な外見をしている彼女はその小柄な体を微動だにせず人形のように椅子に座ったまま動かない。呼吸や瞬きをしてはいるから何とか生き物だと区別できるほどだ。
エルフという生き物は特に長生きする種族で何時までも若々しい姿をしていると同時に精神も若さを保っている。緩やかな時を生きているからかも知れないが、その理由はともかくとして十代ではまだ精神的に幼く不安定である。そんな時期に前世の記憶が蘇り、その内容でショックを受けた二人はあの調子だ。ルシオもエルフの血を引いているが半分は人間のせいかさほど影響されなかった。他の種族のチャカとギルルッカも同じだ。
クルナの学生達が来るまでに何とか外面だけは整えさせようとレオが口を開きかけた時、外が急に慌しくなった。
「どうした? 魔術学院の生徒が到着したのか?」
「みたいだが、何かドラゴンとか聞こえた」
耳の良いチャカに聞くと、彼は最強生物の名を口にした。ドラゴンと言えば強靭な肉体に鉄を通さない鱗を持ち、その爪と牙は鉄製の武具を簡単に切り裂く。体内の魔力変換機関である内臓から喉へと放射されるブレスは森を容易く焼き払うような生物だ。
そんな生き物の名がなぜ出てくるのか。街の近くに現れたのだろうか。この地域はなだらかな丘ばかりで竜が好んで住む山や谷はない筈なのだが。
「おい、行ってみようぜ」
別グループのエルフがそう言うと、立ち上がり部屋を出て行く。好奇心が刺激された者もそれに続いていく。
待機していろと伝えた筈なのにそれを早速破って外に出る彼らにルシオは肩を竦め、自分のグループに振り返る。
「俺たちも見に行ってみよう。少なくともここでウダウダしているよりかはマシだ」
そう行って建物を出ると行くべき場所は通行人達の流れとざわめきが教えてくれた。大通りを抜けた先にある広場にどうやら人が集まっており、人垣を作っている。ルシオ達は壁が広がる前に人垣を迂回して街一番の注目を集める物を見た。
ドラゴンの死体がそこにあった。いや、その巨体から横になってても人垣越しからでも見えていたが、まさかという思いがあった。
一体どんな死闘が繰り広げられたのかドラゴンの首は切断されており、胸部の鱗が全て剥がれて刺し傷があった。
外で倒したのを引っ張ってきたのだろう。大きな台車にドラゴンを乗せて馬で引っ張って来たらしく馬車などもある。
そして何より訳が分からないのはドラゴンの傍に見慣れぬ制服を来た集団がおり、あのクルナ王国自慢の戦乙女アリスがいた。そして何故かパーン議員とその側近のファシムもだ。
特に目を引くのはその有名人三人--ではなく、パーン議員が見つめる先にいる少女だ。制服--おそらくクルナ王立魔術学院の物だ--の上にエプロンを付け、長い赤髪を後ろで一括りにした信じられないほどの美貌を持つ少女だった。真は人の想像力を超える具体例を示したかのような美しい乙女が、ドラゴンを捌いていた。
「………………」
意味が分からなかった。眩暈もした。まぶたの上から目を擦っても幻覚は消えない。
「筋に沿えば切れるけど、やっぱり硬いわ」
「やっぱ無理?」
赤毛の少女の隣にはもう一人、金髪の少女がどこから持ってきたのかやけに豪華な椅子に座って寛いでいた。
「煮込めば……あっ、そういえばお隣のおばあちゃんが昔、蜂蜜漬ければお肉は柔らかくなるって言っていたような」
「蜂蜜をすぐさま用意しろ! 店にあるだけ全部持ってこぉい!」
少女の呟きを聞いて議員が何故か叫ぶ。隣にいる部下は転職を考えているような冷たい目で上司に視線を向けていた。
ドラゴンの生首の横では右腕を布で吊って固定している少年はドラゴンを見上げながら感慨深げに見上げており、その隣で揉み手をする強欲な商人の子供っぽいのがいる。
「首は剥製にして飾るか……いや、さすがに調子乗り過ぎだな。ここはやはり素材にして新しい武具を」
「ちょいとそこのドラゴンスレイヤーさん。お話があるんですが」
「売らんぞ。武具も実家にはお抱えの鍛冶職人がいるからな。欲しければレオの方に言え」
「分かってるって。でもさぁ、どうやって運ぶ気? まさかファーンの商人を使う気じゃあないよな? いやいや、辺境伯の嫡男がまさかまさか。ところで関係ないけど、ロンド商会はファーンにも手を伸ばしてるんだよなー。俺が手紙出せば明日には運んで行ってくれるんだぜー」
「……分かった。分かったから。運送はお前に頼むから止めろ。鬱陶しい」
何とも目立つ二人二組プラス議員だった。だがそれ以上に異彩を放つのがドラゴンの死体の影から現れる。真っ赤な塊を持って。
「レバーうめぇ。やっぱドラゴンでも肝は柔らかいな。それでも他の動物より硬めだったが」
大きな内臓をシートで包んで赤毛の少女の前にあるテーブルに置く少年。途中で食ったのか口元が赤い。
そして少女はそれを見ても驚かず、夜にお菓子を食べる子供を見つけた親のような顔をした。
「つまみ食いしないの」
「頭やる代わりに心臓やレバーは俺の物だって決まってるからちゃんと取り分だよ。心臓、ここ置いとくから」
そう言うと少年はレバーの切れ端を食べながらまたドラゴンの影に隠れる。一体そこで何をやっているのか。位置的にその様子が見える魔術学院の顔色を見ればお察しではあるが。
よく見れば周囲では鍋やらかまどやら野外で調理する準備が着々と進んでおり、魔術学院の学生達は周囲の視線など気にせず一糸乱れぬ動きでテーブルを並べていく。その音頭を取っているのはストロベリーブロンドのクルナ王国第一王女であった。
「……え、なに? 何が起きてんの!?」
周囲を代表するかのようなルシオの疑問に答えてくれる者は誰もいなかった。
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