第24話 「俺はちょっと男見せてくる!」
緩やかな傾斜が続く道を馬で駆けるパーンは上機嫌に鼻歌まで歌っていた。その横には同じく馬で並走するファシムの姿があった。
「楽しみだな、ファシム!」
「だからって子供のように飛び出さないでください」
機嫌の良いパーンはテーマパークが楽しみで仕方がない子供のようにはしゃいでおり、対照的にファシムは頭を痛そうにしていた。
「待ち合わせの街で待てないからと言って、わざわざ出迎えに向かいますか?」
「情熱が駆けろと私の体を支配するのだ。それに、一団の中には王女がいる。議員である私が迎えに行くのもおかしくはないだろう」
「前半はともかく、後半はまあ……」
渋々頷いてみせるが、この放蕩エルフの本心が単に見初めた相手と早く会いたいためであると知っているファシムは上辺だけでも取り繕ったパーンに呆れていた。
「変なことはしないでくださいね。アリス・ナルシタに燃やされますよ」
「何を言っている。私はどこまでも紳士的だ。まずは交換日記と言われても喜んで書こうじゃないか!」
「まさか一睡もしてないとか」
なんだかズレた事を宣いテンションの高いその様子は徹夜明けのそれと似ていた。
「童心にかえった気分だったよ」
どうやら推測は当たっていたらしく、やや血走った目を向けらながらパーンが親指を立てた。意味が分からないし顔が整っている分、余計に目が怖い。
「いやあ、楽しみだなぁ。ハッハッハッハッ!」
――なんて笑っていたのが少し前のことだった。
現在、パーンは丘の上にてドヤ顔決めて注目を集めていた。だが、非常に混乱して内心焦りまくっていた。
どうしてルファム帝国の鉄鬼将軍がいるんだあんた引退したんじゃなかったのか帝国の兵士がいるとか警備は何していたアリスどこだよこんな時の為の歩く戦略兵器だろいやあの魔具に封印されたのかって何あの鳥気持ち悪いモンスターだなおい風に乗せて呪詛撒き散らすとか怖い――
頭の中では鼠が滑車を回しているようなカラカラとした回転が行われながらも何気に現在の状況を察していた。
芝居で乙女の危機に現れる主役のように派手な演出をしてみせたが、これは全員の注意を逸らす為である。緊急事態を知らせる赤三つの光玉を空に向けて放った。少しすれば国境警備隊なり巡回警備隊なりが救援に来るはずだ。
派手な登場をしたが、少なくともガルバトスは赤玉を見たはずだし、それの意味を知っている筈だ。引いてくれれば御の字だが……。
ガルバトスはパーンに一瞥をくれてやるだけで顔の向きをすぐに戻し、帝国の兵士達もすぐに背を向けた。
「普通は退くところだろ脳筋ども! ええい、しょうがない! ファシムは向こう! 俺はちょっと男見せてくる!」
一時は気を逸らせたが数瞬後には自分達の役割に戻る帝国人に悪態を吐くと、パーンは馬を降りて大地を駆け出す。後ろからファシムの静止する声が聞こえてきたが、パーンはそれを無視した。
パーンではガルバトスに勝てないのは自身も分かった上での行動だ。それでも、この場でまともに老将軍と戦えるのは自分しかおらず、挑まなければならない。
他国の学生達を見捨てて逃げる? その中には王女もいるのに? それはない。事はファーン共和国内で起こっているのだ。戦闘能力がないのならともかく準英雄クラスの力を持つパーンは議員として逃げる訳にもいかなかった。せめて立派に戦ったという誠意を見せなければならない。何よりも学生の中には、生えてきたように脈略もない位置に壁の内側にはあの艶やかな赤髪を持った麗しい少女がいるのだ。
「議員として、男として戦わなきゃいけないのが大変だ」
細い剣を抜き、馬以上の速度でパーンは丘の傾斜を駆け下りる。視界の隅ではファシムが同じように走りながら砦に向かっていた。
――間に合うか?
どちらにも、だ。残念ながら二人がそれぞれの場所に辿り着くには僅かな時間を必要とする。その間にガルバトスに捕まっている少年二人と砦に逃げた王女含む学生達を助けられるかどうか。明らかに帝国側が行動を起こして決着を付ける方が早い。
ガルバトス将軍及び帝国兵が動く。球児が絶望的になったその瞬間、大地が揺れた。
◆
「なんだあれ……」
ポールハンマーの下敷きになっていたレオは見た。砦の中から巨大な樹木が成長していくのを。
最初は天に向かって枝のような細い植物が伸びていくだけだった。それでもロケットが重力に逆らい飛び立つように、信じられない速度ではあった。その幹が今度は風船が膨らむような勢いで厚みを増し、枝を増やし伸ばしていく。空を飛んでいた怪物は枝の先端に刺し貫かれ、砦の壁を登ろうとしていた帝国兵は払い落とされる。地面に潜って侵入しようとしていた物も、成長する大樹の根に巻き込まれ、そのまま潰される寸前に土の中から慌てて飛び出した。地面を抉り大地を揺らす根は下からサリアの砦も軽々と持ち上げる。
最終的には、砦の壁を底が抜けた植木鉢として成長し過ぎの樹が出来上がっていた。
上からの超重量も忘れてしまうほどの光景だった。首を掴まれ地面から足を浮かしているヨシュアも目を見開き声も出ないほどに驚いていた。
「王女もか」
ただ一人、二人の自由を奪っているガルバトスだけは平然としていた。何に対してかはわからないが寧ろ呆れの近い表情を浮かべていた。
老将軍の様子にレオとヨシュアが疑問を覚える前に、彼は両手にそれぞれ力を込め始めた。
「時間も惜しくなってきた。ここで終いとしよう」
レオは背中の鉄塊からの重量に、ヨシュアは首を絞められ殺されようとしていた。抗おうとして鋼の老将軍は微動だにせず、助けに走り出したパーンも間に合わない。
二人の命はここで終わる。そう思われた時、何か硬い物質に亀裂が走るような音が聞こえた。
その瞬間、ガルバトスがヨシュアから手を離しポールハンマーを手に取りながら後ろへと振り返る。その勢いで振り回される鉄鎚が後ろから出現した炎を吹き飛ばす。
炎が吹き飛んだ直後、ガルバトスはその場から飛び退く。すると先ほどまで彼がいた場所に炎の柱が昇り立ち、中からは緑の瞳を鋭くさせたアリスが現れる。
「封印はもう少し保ってくれる筈だったんだがな」
「外からの鋭い剣筋が見えたんで、そこに合わせてこちらも魔力を打つけた。内外から同時に圧を与えれば一人で脱出するよりも早く出れたんだよ」
説明しながら剣を一払いすると火の粉が舞う。後ろでは解放されたレオとヨシュアが息を整えながら立ち上がるところだった。死に掛けたにも関わらず少年達の戦意は失われていない。
「あの時既に、か。まったく、予定外の事ばかり起こる。パーン・シルフィード、お前もどうしてここにいる。共和国の議員がこんな所で油を売っていていいのか?」
ようやく到着したパーンに向け、ガルバトスは感情の読めない嗄れた声で言う。
「愛ゆえにだ。それにその歳でこんな所まで来る御老体には言われたくない」
細剣を向けながらパーンは不適な笑みで冗談めいた事を言う。それは事実ではあるが、笑みの裏には緊張があった。
エルフは長命で数百歳のパーンは未だに全盛期の肉体を誇っているが、年老いた若造である筈のガルバトスに勝てる自信がなく、戦えば無事ではすまない。
「間に合わなかったが、ここからは助太刀させてもらう。まあ、君に協力して貰わなければ私が死ぬんだが」
「協力、感謝します。封印から出るのに些か体力を消耗してしまったので」
「敵を前にしてそんな話をしていいのか?」
「お互いにね。時間が押しているのはそちらだろうに」
三者が睨み合って向かい合う。冗談めかした言葉を吐きながらも既に三人とも臨戦態勢だ。
いざ――と空気が震えそうになった時、何度目か分からない不測の事態が発生した。
◆
魔術によって異常な程の速度と大きさに成長した樹を見上げて、エリザベートは疲れを捨て集中を取り戻すために息を大きく吐いてから吸い込んだ。
額には汗が浮かんでいる。これだけの巨大な樹木を生み出したのは初めての経験だったが、うまくいった。いや、まだ終わった訳でもないのに一息つくのは早い。
エリザベートは樹木の根や枝を操り、人の身長を超える巨大な枝と根がそれぞれ生きているように無数の鞭となって未だに諦めずにいる帝国兵達を襲う。
避けられ、切断され、魔術の炎によって焼かれる。業腹なことだが彼らにデカくて動くだけの植物など脅威ではないらしい。それでもあまりの大きさに砦のある場所にまでは辿り着けないようだ。走ったところで足場が動き、燃やしたところで全体に影響はない。
大きさ、と云うだけで厄介な例を見事に表していた。
「エリザベート様、あまり無理をなさらず」
傍に控えるメイドのメリーベルが心配そうに声をかけてくるが、王女は首を横の振った。彼女の疲れは不慣れゆえのものだった。植物への高い親和性を持つ膨大な魔力を持ちながらエリザベートはあまりその力を使ってこなかった。その気になればこの辺りの土地を森に出来るだけの力があるのに、たかが一本で疲れが出たのはそのツケだ。
もっと修練を積むべきだったと後悔する。
メイド以外にも人の気配がしたので振り返ると、サリアとラジェル、ジョージの姿があった。その中で目を引くのがラジェルだ。自覚無自覚関係無しに彼女は先程から敵の嫌がる事ばかりしていた。勝つ為には敵の嫌がる事をすれば良いとエリザベートは習ったが、自分のような力がないにも関わらず赤毛の少女はそれをやってのけたのだ。
自分の体たらくを改めて見て、エリザベートは人に聞かれない程度に長い息を吐く。
「よし、このまま前進よ。踏み潰すの」
ギフトを使い続けて同じように疲労している筈のサリアが元気に追撃をするよう言ってくる。顔には薄っすらと笑みを浮かべていた。
「これは移動出来ないわよ」
「そう。移動要塞みたいにしたかったんだけど、今回は諦めるわ」
次回はそうするつもりらしいサリアが〈創成〉を使用する。砦の中、と言うよりは樹の幹に壁を貼り付けたような状況ではサリア達のいる場所は壁よりも高い位置にある。
「砲兵、狙いをつけなさい!」
「目が良いイコール射撃が上手いと云う図式に異議を唱えたいんだが。やるけどさ」
サリアは幾つかの大砲を造り出すとジョージに射角を調整させる。
「準備ヨー――」
「発射ぁっ!」
ジョージがオーケーを出す前にサリア大砲に火を入れた。すぐ傍にいた同級生は轟音に体を跳ねさせ遅いながらも耳を塞ぐ。
砲弾は帝国兵の頭上へと振り落ちる。
「高所から一方的に撃つのって楽しいわね! あっ、ラジェル。あなたにセクハラした奴がいるわよ。滅しましょう」
「せくはら……? あっ、待ってサリア。人が来てる」
ラジェルが丘から来る人影に気付く。馬よりも速く駆けて来る男が一人、爆心地に近づこうとしていた。
距離があるのではっきりと分からなかったがラジェルには見覚えのあるエルフだった。先程、丘のうえで叫んでいた男もそうだが、以前会った記憶がある。
「気分が良いからまた後でね」
サリアは仲間らしきエルフが近づいているにも関わらず砲撃を止めずに撃ち続ける。
「ちょっと」
再度ラジェルが止めようとするが、それよりも早くエルフが砲撃の雨の中へ飛び込んでいった。そしてそのまま、帝国兵と斬り結びはじめた。
「意に介さず、ね。どいつもこいつも化け物ね。なんにして平気そうだから大丈夫でしょう。なら、私達は順番に片付けていきましょう」
サリアが顔を上に向けると樹木の枝に突き刺さった怪物がなんとか抜け出そうと暴れていた。破壊力そのものは低いのか怪物が鳴く度に発生する黒い風はせいぜい枝を削るのみで、精神を揺さぶる効果もサリア達のところまで届かない。
「……俺がやるよ」
「そう」
耳鳴りから回復したジョージにサリアは簡単に頷くとギフトで作った銃を投げ渡す。
少年はライフル型の銃を構えると銃口を怪物に向けた。
「あんまりレオにばっか任せるのも悪いからな」
軽い調子ながらも確固たる意志の見える瞳を向けるジョージ。彼は彼で思うところがあり、それを成そうというのだろう。
意識を枝に貫かれた怪物に向ける。人間が魔物化する現象は知識で知っていたものの実物を見るのは初めてであった。しかもあれはレオ達の前世の級友と聞く。
レオは魔物化し怪物となった級友を斬ったが、ジョージもまたその責を負おうとしていた。
ジョージは真っ直ぐに怪物から顔を背けず引き金を引いた。
怪物はジョージが放った弾丸に額を貫かれる前に絶命した。
「は?」
撃ったジョージが覚悟していた光景の斜め上を行かれて唖然とする。ラジェルも、サリアも、エリザベートも、メリーベルも誰も彼も目を見開いて上を見上げる。
怪物を噛み殺したそれは鮫の歯よりも太く鋭い牙を持っていた。怪物を射抜くはずだった銃弾を弾いたそれは苔のような緑色の硬い鱗を持っていた。サリアが生やした大樹まで視覚外から一瞬で移動してきたそれは巨大な蝙蝠の羽を持っていた。
それは――
「ド、ド、ドドドドラゴン!?」
自分の射撃がドラゴンによって目標を奪われた上に弾かれた事を漸く認識したジョージが悲鳴にも似た絶叫を上げた。
ドラゴン。竜。強大な力の象徴たる生物。そんな存在が羽を休めるためか餌を落ち着いて食べるためか、大樹に爪を立てて逆さまに体を固定させると何度か口を動かして怪物をその牙ですり潰す。すると牙の隙間から黒い霧のような物が霧散していく。
ドラゴンは口の中の物を宙に吐き捨てた。既に粉々になってしまった白い物体は人の骨ではないだろうか。
それを魔眼で視認出来たジョージは息を大きく吸い、叫ぶ。
「次から次へと一体なん――」
その叫びもまた、天地逆さまの状態で大樹にしがみ付くドラゴンの咆哮によって掻き消された。
◆
「あれ、ドラゴンか? 本物? マジで?」
「本物だと思うが、例え偽物だろうと関係ないな」
アリスの復活によって何とか助けられたレオとヨシュアは体が痛むのを忘れて向こうに見えるドラゴンの姿を見上げた。一人は肋骨をやられ、もう一人は首を絞められたにも関わらず元気だった。
「ガルバトスは私達で食い止めるから、ドラゴンは君達で何とかしてくれ」
振り向きもしないアリスは体の向きを前に、ガルバトスの方へと油断なく構えを取り続けている。
「君達の実力は知らないが、アリスがそう言うのならそうなのだろう。私の部下だけではドラゴンまで対処しきれない。援護に向かってくれないか?」
エルフの男もまた緊張した面持ちで細剣を構えている。
レオとヨシュアは--誰だこいつと視線を合わせ、互いに知らないと分かると次にアリスを見、最後にガルバトスを睨む。
レオもヨシュアも、再度ガルバトスに挑む気はない。ただし、今は、だが。二人の目には明らかに敵愾心が宿っていたのだから。
合図も無く、二人はドラゴンに向かって駆け出した。
◆
去っていく二人の背中を見ながら、ガルバトスは唸っていた。敵意を向けられたからではない。寧ろ好ましく、血気盛んだった若い頃を思い出す。
それはともかく、違和感拭えないでいた。目の前にアリスとパーンを前にしてもこの老将軍にはそれだけの思考をする余裕がある。当然、油断もしていないし甘く見積もっている訳ではない。
勘が、無意識下の判断が訴えかけているのだ。ガルバトスはそれを信じている人間で、実際にそれのおかげで生き延びてきた。
そんな自分が信じる第六感の囁きに耳を傾けるガルバトスは閃光のように瞬いた結論をほぼ無意識で呟く。口に出す事で脳に認識させるように。
「四人目が存在していた?」
まるで幽霊を見てしまったと言わんばかりに、目を僅かに見開いたガルバトスはレオの背中を見る。まるで引き寄せられるように。
「引き寄せている? まさか能力は」
ガルバトスは大地を蹴ってレオの背中を追う。地面が陥没するほどの踏み込みから生じる老将軍の速度はまるでロケットだ。
「運命干渉系か!」
それをアリスの炎が壁となって遮った。人も獣も鉄も水も燃やす炎には流石に触れられない。ガルバトスは壁の前で急停止し、ポールハンマーを振るう。発生する衝撃が炎を一撃で消し去った。消えた炎の代わりにアリスが現れ、斬撃を放つ。
鉄槌と渦巻く炎を纏った剣がぶつかり合い、凄まじい熱の衝撃波が二人を中心にして周囲を破壊尽くした。
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