第22話 「ホームランだな」
「アリスが消えた!?」
馬車の外に出たレオはアリスが光に包まれ消えたのを見た。
「違う。あのスーパーボールみたいなのに閉じ込められたんだ! 多分、封印術の魔具だ!」
馬車の中、魔眼で見ていたジョージが説明した。
「生きてるのか?」
「多分な! よく見えないが、炎が荒れ狂ってるのは見えた。それよりも自分の身を心配しようぜ! どうすんだこれ!?」
前後から来る武装集団にジョージが慌てる。彼だけでなく、馬車に乗っている生徒達も襲撃に慌てふためく。
付き添いの教師達が武器を構えて生徒達を守るように動き出すが、残念ながらどこまで出来るか疑問であった。
「くっ……サリア、殿下の馬車に移動するんだ!」
そんな中で、ヨシュアが馬車から飛び降りた。
「二人だけでも逃さなければ……」
この場には貴族の子息が混じっている。ヨシュアを含め中には嫡男がおり、それぞれの家では大事な跡取りだ。だが、ここで優先されるのはクルナ王国の第一王女のエリザベートと王家の親戚にあたる公爵家のサリアの二人だ。
「無理よ。お前も見たでしょう。この距離で、アリスと互角にやり合ったあの爺から逃げれないわ。それに、もう取り囲まれてる」
いつの間にか馬車の進行を塞ぐ形で取り囲まれていた。武装集団が来るまでまで時間があったかのように思えたが、どうやら馬ほどとはいかないまでも相当に足が速いようだ。
「さて、出てきてもらえませんかな、エリザベート王女」
アリスを封じ込めた玉を持ったまま、老人がエリザベートの乗る場所に向かって呼びかける。
「我らが欲しいのは貴殿の身柄のみ。投降されよ。さすれば他に危害を加えない。このガルバトス・ガンベルングの名に賭けて誓おう」
嗄れた声。だが、この場にいる全員にしっかり届くほど声量だ。
「返答は如何に?」
ガルバトスの声に、揉めているのか王女が乗る馬車の中から微かに話し声がした後に馬車のドアが中から開いた。そして、制服姿のエリザベートが出て来て馬車を降りた。その後ろからは黒髪のメイドも一緒だ。
「毒蜂メリーベルか……。お前はそこから動くな。毒針を打たれてはかなわん」
小さな舌打ちがメイドの口から漏れた。そして毒針の代わりと言わんばかりに人を射殺せそうな視線をガルバトスに送る。
「エリザベート王女で相違ないか?」
メイドからの視線を無視してガルバトスが問いかける。
「ええ、私がエリザベート・ローン・クルナです。ガルバトス将軍の名声はこちらにも届いておりますよ。そんな将軍がわざわざファーンでクルナの王女を出迎えですか?」
取り囲まれている状況の中、エリザベートはガルバトスに視線を向けた堂々とした振る舞いをしていた。
どうやって侵入したのかはともかく、ファーンの地でクルナの王女が誘拐されれば共和国にとって赤っ恥なのは間違いなく国の威信に傷がつく。同時にクルナに対する人質が手に入り、王国と共和国の不和に発展する可能性があった。
「決まっています。帝国のためです」
エリザベートが王女然とした態度で気丈にも立っているのならこちらの老将軍は正しく武人然とした態度であり、返答しながらも明確な答えは敢えて言わず、引かない姿勢はいざとなれば手段を選ばず任務を果たすと示していた。
王女と将軍が睨み合う中、レオは視線を動かして自分達を取り囲む集団を見る。
--これは敵わないな。
一人一人の実力が高い。少なくとも自分よりは強いのは察せられた。流石は他国へと不法入国した挙句に王女を誘拐しようとする将軍と共に来るだけのことはある。
このままエリザベートを誘拐されてはクルナ王国の危機である。しかし相手は高名な帝国の将軍--レオは知らなかったが--ガルバトスだ。アリスと互角に戦った老将軍を前にレオ達に打つ手はない。
辺境伯の嫡男であり、人一倍国を守る貴族としての教育をされたヨシュアが憎々しげにガルバトスを睨んでいるだけで何も出来ない。無駄な抵抗こそ更なる犠牲者を生むのを理解しているのだ。
毒を扱う物騒なメイドも苦い顔をしたまま動けず、教師達は馬車の中の生徒を守るのに必死だ。
エリザベートも抵抗しても無駄だと冷静に判断しているのだろう。ファーン共和国の兵士が異常を感知して助けに来る可能性はあるがそんな都合の良い展開はあり得ず、ガルバトスを相手に出来る戦士が居合わせるとも思えない。
だからこそ無為の犠牲を出さないために、王女は一度目を伏せてから顔を上げる。
「彼らに危害を加えない。その約束は守ってもらいます」
「約束は守ろう。信じる神は違えど誓約に違えぬことはせぬ。我らは悪神ではないのだから」
エリザベートは小さく頷くとガルバトスに向かって歩いていく。
真っ直ぐに、振り向きもしない。助けを求めず、震えず、堂々とした態度で進んでいく。
周囲が複雑な心境の中で、レオは自分が心が冷めていくのを感じた。エリザベートや他の教師や生徒達、帝国の兵に対してではなく、自分に対してだ。
--疎外感。周囲から置いていかれている感覚を覚えた。昔からよくある感覚だ。友人達と会話している時でも、一人で森の中を歩いている時でも、ふっと感じる感覚だ。
一歩引いたのではなく、一歩遅れているようなこの言いようのない疎外感。一体いつの頃からそんなものを覚えるようになったのか。前世の記憶が戻った今、それは前世からの呪いのようなものだと思い始めていた。
小さくなっていくエリザベートの背中を見ていると物理的な距離以上のものを他人事のように感じながら、レオはふと別の感覚も覚えた。
覚えのある気配。音や臭い、視界にさえ入っていないのにその存在に気付いた。前世を同じくする者達を見れば鋭い者から気付き始めている。
緩和し始めた疎外感を無視して、アレを利用すればこの状況を打開できるかもしれない。ならばやるとしたらこちらに気を引かせて奇襲させる形が望ましい。
しかし、周囲には帝国の兵士が見張っている。勇気と無謀を履き違えた正義漢が現れればすぐに取り押さえる。腰に下げた剣に手を伸ばす兆候を少しでも見せれば気付かれる。
――もう一つ何か別の切っ掛けがあれば、とレオが思った時だ。
「エリザ!」
良く通る凛とした声が王女の名を呼んだ。
自ら帝国の将軍の元に歩いて行く王女の姿を見たラジェルは怒りを覚えた。
周囲を取り囲み、生徒達を人質に取った上でクルナ王国の王女を手に入れようとする帝国の刺客達にではない。エリザベートに対してだ。
何故か? それはエリザベートが振り返る気配が微塵もなかったからだ。
普通ならば不安ゆえに意図しなくとも誰かの顔を見るものだ。それをしないのは気丈だからか、王女という王家に連なる者の誇りなのか。何にしても誰にも助けを求めるような視線を向けないのは立派である。
しかし、ここにはレオがいる。高嶺の華として学院に君臨していたエリザベートが人には見せられないような醜態を見せながらも付き纏った男がいるのだ。
--どうしてレオを見ないの?
ラジェルの心は怒りを感じていた。王女として気高い態度に不満を覚えたのだ。
--助けを求めたっていいじゃない。言葉に出さずとも振り返るぐらいしなさいよ。
要は、だ。
--応えるか叶うかは別としても、貴女が好きになったと言う男はそんなに頼りないの?
惚れた男が見縊られたような気がしてムカついているのだ。
「エリザ!」
だからラジェルは王女の名を叫んだ。続く具体的な言葉など考えていない。衝動的に叱責するように名を呼んだだけだ。
類い稀な美貌を持つラジェルで、貴族の家で家庭教師を勤めた事のある母によって立ち振る舞いも完璧だ。だが、元より感情的な性だ。レオを追いかけて魔術学院にまで来てしまうほどに。
ラジェルの行いは軽率な行動と言えるだろう。現に将軍をはじめとした帝国の兵達の視線を集めた。
聞いた者が思わず振り返ってしまう綺麗な声、そして人を惹きつけ視線を固定させる美貌。馬車の幌の中から現れた美しい少女は例え厳格な軍人であろうと少なくとも一瞬は意識を自分だけに集中させる。
その一瞬こそ待ち望んでいた隙であった。
レオが鞘から剣を抜き放つ。
思わずラジェルに意識を固定してしまった帝国の兵達は凄まじい剣気を感じ、ガルバトス以外は反射的に武器を構えた。
一人の少女から一人の少年へ、そんな輩が現れると想定はしていながらどちらも別の意味で存在感があったゆえに、兵達の反応が結果的に数瞬遅れた。
通常なら不十分な時間。しかし彼女らにしてみれば充分な時間だ。
レオに続いて動いたのはエリザベートのメイドであるメリーベルだ。彼女は袖から小さなナイフを幾つも取り出すと両腕の一振りで十本のナイフを投げた。続いて、サリアが〈創成〉で長方形の金属板を無数に作り出すと周囲へ無作為にばら撒いた。
毒の付いたナイフと落下してくる板に帝国兵達は危なげなく弾くか避けるかを行う。だが、それが終わった後彼らは眉を顰めた。
人の身長を越える無数の金属板が街道とその周囲の草原に突き刺さったままなのだ。森の木々のように乱立する光景は方向感覚を狂わし、生徒達の姿も隠す。
「馬車から降りて走れ!」
誰かが叫ぶ声が聞こえ、騒めきと共に大勢が動く気配がした。
当然、逃がさまいと帝国兵は動く。気配のする方向に向かって板を避けながら進む者と板を足場に上から行く者に分かれる。
若者達――いや教師だろうか。逃げる生徒達の殿を務めていた者達が魔術を放つ。しかし、敵地である場所に少数で侵入してきた彼らは精鋭だ。魔術でもって魔術を相殺しながらスピードを落とさない。
「砦を作らせるな。このまま一気に王女を連れ去る」
「了解」
短くやり取りを行った帝国兵は板の障害物など意に介さない風のように速さで進み、とにかく足を動かして逃げ回る学生達の背中を視界に捉える。瞬時に王女と邪魔になりそうな人員を見つけ、判断する。
彼らが暴力によって事を成し遂げようとした時、頭上に影が差した。
反射的に顔を上げると、鳥のような生き物がそれを飛んでいた。
「ルゥアアアアアァ」
奇妙な鳴き声を上げるそれはライオンの胴体に鷹の翼を背中から生やし、本来なら頭がある場所から人間の女の上半身があり、その両腕もまた翼となっていた。
「あれはっ!? 予知よりも早いぞ!?」
「ルィルアアアアアアッ!」
怪鳥が鳴き声を放った途端、黒い風が周囲に撒き散らかされた。不快な虫の羽音がする風は地上の学生教師軍人問わず襲いかかった。
ただの風ではない。皮膚を切るほどのかまいたちであると同時に耳を塞いでも聞こえてくる羽音が精神を蝕み恐慌状態へと押しやってくる。
学生達の中には悲鳴を上げる者がいた。教師達は耐えている。そして帝国の兵達は動きを一瞬止めたもののすぐに復帰した。
そんな彼らが次の瞬間に見たのは、正面に一瞬で出来上がった壁であった。
「くそっ、間に合わなかった。ラザニクトのギフト保持者め」
帝国兵が悪態をつく間にも壁は学生達を囲むようにして発生し、わざわざ突撃を防ぐ杭が槍衾のように外側に向かって伸びる。
そこにはサリアの〈創成〉によって砦が出来上がったのだった。
「こうなる前に王女を確保しておきたかったんだが」
まるでこうなる結果を分かっていたかのように、サリアのギフトを知っていたかのように、やれやれと言った様子でガルバトスは小さく首を振った。
ポールハンマーを持っていない方の手が細い針を掴んでおり、首を振りながらそれを地面に捨てる。メリーベルがナイフを投げたと同時に自分目掛けて口から飛んできた毒針であった。
ガルバトスは針を掴んだ指の手に持ったままの球体を見下ろす。
国家予算の何割かで作成できる封印用魔具。アリスを閉じ込めておけるほどに強力だが暫くもすれば内側から破壊されて中から英雄が飛び出してくる。
王女さえ捕らえられればそこらに捨てるつもりだった。だが、戦況が長引きそうになった今、いつまでも手に持っているべきではなった。
ガルバトスは魔具を軽く上に放り投げるとポールハンマーを水平に構えた。
そして魔具が腰辺りにまで落下するとポールハンマーで叩き飛ばした。空気の壁を貫いて斜め上へと飛んでいく魔具。
そのまま地上の果てどころか雲の上まで行きそうな勢いで飛ぶ魔具であったが急に進行方向を変えた。
「なに?」
糸で引っ張ったような急カーブする魔具の行く方向を予測し振り返ると、砦の外の板の森に学生が一人まだ残っていた。
王女を呼び止めた紅い髪の少女だ。少女は空に向かって手を伸ばしていた。
魔術を使用していた。難しい魔術ではなく、軽い物体を手元に引き寄せるただそれだけの有りふれた生活魔法であった。
ガルバトスにも見覚えのある魔術だ。彼の妻が料理をしている時に調味料の入ったビンや調理器具を取るために使っていたのを何度か見た事があった。
だからガルバトスは縁の薄い筈の生活魔法の性質をよく知っていた。
「避けろ!」
手元に引き寄せるだけの魔術。つまり、勢いなどは操作できない。むしろ引き寄せる性質上、加速してしまう。少女の細い腕では魔具を受け止められず、貫通してしまう。
少女も引き寄せたのは良いものの、あまりの速さに反応出来ていない。
降下してくる魔具が少女に当たると思われた時、金属板を蹴って跳躍する人影が現れた。
紅髪の少女に続いて剣を抜いた少年だ。凄まじい剣気を放った彼は空中で器用にも身を翻すと剣を水平に構えて振り、魔具に剣を叩きつけた。
まるで野球のバットを振るような動作。魔具を打ったのは剣の腹ではなく刃の部分で打つ。
馬鹿とも言える行為だが、細い刃は魔具の芯を捉えた。
魔具の勢いが強いのか、それとも魔術による剣の補強か、超高速で刃の上を回転する魔具と接する刃が赤熱する。ガリガリと音を立て、力が拮抗しており魔具は刃を滑るようにして移動していく。
これで球状の魔具が弾かれるなり逸れるなりして剣から離れないのは少年の絶妙な力加減と体幹操作のおかげであった。そして――
「ッセイ!」
気合の声と共に少年は剣を振り抜いて魔具を叩き返した。遠い空に向かって、アリスを封印したままの魔具が逆行する流れ星のように消えていく。
「…………」
「…………」
「ホームランだな」
ラジェルとガルバトスが唖然とする中、空中から地面に着地したレオは魔具が消えた方向に視線を向けると満足そうに笑みを浮かべた。もしかすると何時ぞやの仕返しなのかも知れないが、それは本人しか分からないところだ。
「何がホームランだ馬鹿者がァーーッ!!」
直後、金属板の森の中から光の柱が横向きに現れ、レオ共々射線上にいたガルバトスを飲み込んだ。
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