第21話 「……おかしい。平和過ぎるわ」



波の音だけが聞こえる常闇の中。天高く昇る月からの光でも見渡す事が出来ない夜の帳の中で小さな灯が海の上に浮かんでいた。

 中型の船で、帆もなく海上を進んでいる。藍色に染められた背の低い船体は闇の中に溶け込み、容易に見つける事は出来ない。風を利用した帆でも魔術を応用した推進力でもなく、オールで漕ぐ為に察知されにくい。

 船首に立つ者が光を絞ったランタンを持っていなければ誰も気付かなかっただろう。

 船が進む先には切り立った崖があり、叩きつける波に長年晒せ続けられた結果、反り返った形をしている。その崖の上に立つランタンの光が浮かぶ。

 崖と船。二つのランタンが点滅を繰り返す。点滅の間隔を利用した合図で、それを受け取り返事した船は速度を緩めて崖下にまで移動する。

 崖の上からは船に向かって数本の長いロープが垂らされる。船にいた人員はロープを掴むと素早く登って行き、崖の上へと到着した。最後には大きな木箱がロープに縛られ船から十人がかりで引き上げられる。

 集団は引き上げた木箱を開けると手早く中の物を取り出して各自に配って行く。それらは剣や槍などの武器であった。

「将軍、各員の準備が終わりました」

「よし――」

 集団の中、将軍と呼ばれた老人がいた。頭髪は全て白く、顔には重ねた歳を語る深い皺が刻まれており、髭が蓄えられている。

 見るからに高齢の老人ではあるが、鋭い目に服の上からでも分かる筋骨隆々とした肉体からは一切の老いを感じさせない。それを証明するように、老人は先程も一人でロープを軽々と誰よりも早く登り、木箱が重い原因の大半を占めていたポールハンマーを片手で軽々と持ち上げる。

「予知では目標は早くて三日後に国境を越える。だが、我々は二日で待ち伏せ地点まで移動する。ついて来い」

 嗄れた声で老人が言うと、既に整列していた人間達は短くはっきりと返事を返す。崖を登っての上陸に統率された動きからして明らかに訓練された人間達だ。

「ここの後処理を頼む。その後は手筈通りに」

「了解」

 崖の上でランタンを持ち、ロープを下ろした人物が老人に向けて頭を下げると、すぐに空になった木箱やロープを回収し始める。

「――行くぞ」

 老人を先頭に彼らは駆け出す。音もなく、風のように走り目の前の森へと闇に同化するよう消えていった。

 この日、ルファム帝国が誇る英傑の一人がファーン共和国の地に足を踏み入れた。


 ◆


 国境を越えてファーン共和国の土をならして舗装された道を、複数の馬車が一列に並んで進んでいた。クルナ王立魔術学院から生徒を乗せた一行である。

 それぞれに生徒ときょうしが乗っており、ファーン共和国に向けて順調な旅路を進んでいた。時にはモンスターが現れる事もあったが、止まる事無く安全に進めれたのは先頭で馬に乗るアリスの存在のおかげだ。

 彼女に掛かればモンスターなど一蹴だ。寧ろ遠くからでも睨むだけでモンスターが逃げていく。英雄と呼ばれギフト保持者なだけあって旅での彼女の存在は大きい。

 クルナ王国とファーン共和国それぞれの関所では前者に緊張気味に敬礼され、後者では猛獣を目の前にしたような緊張感に包まれた。

 要するにビビられていた。

 周囲のそんな反応に慣れているのかアリス本人は気にした風もなく、国境を越える手続きも予め国から通行許可と通行料の免除が関所に通達されていた事もあって滞りなく終わった。

「……おかしい。平和過ぎるわ」

 ファーン共和国の領土に入ってから暫く、目的地の街へ進む途中でサリアが馬車の中で呟く。一年生が乗る場所の中は十人以上が十分に乗れるスペースがあるので決して狭くは無いが、公爵令嬢の呟きは全員の耳に届いた。

 馬車の中で座っていた生徒達が全員が少なからず嫌な顔をする。意味を理解している者としていない者の差はあれど、サリアが言動を起こせば厄介と云う認識は既に学院中共通の認識だ。

「そういうフラグになりそうな発言は思ってても口にしないでくれますかねぇ?」

 ジョージが顔を引きつらせる。

「お前こそ思っていたでしょう。それに口に出そうと出さまいと、この男そのものが襲撃フラグ自動立て機じゃない」

「指差すな」

 サリアに指を向けられるも、その言には納得できるレオは特に反論しない。

 レオの儀風呂は強い者を引き寄せる引力だ。人だろうと魔物だろうと、強い存在と遭遇し易くなる。

 そんな周囲からすれば傍迷惑な力を持っていながら、ここまでの道中に大した事が起きなかった。せいぜいが魔物の群れが来て、アリスにビビって逃げた程度。強者と言えるだけの存在とはまだ会合していない。サリアはそれを言っているのだ。

「既にアリスが傍にいるからじゃないの? 別に強い人が敵であるって決められてる訳じゃ無いんでしょう?」

「そうだ、ラジェルの言う通りだ。アリスがここにいる時点でギフトの効果が現れ続けてる。だから危惧してる事態にはならない」

 ラジェルのフォローを受けてレオが自信満々に言うのだが、周りからの視線は冷たい。

「……前から気になっていたんだが、お前はどうしてそんな能力にしたんだ。日常に支障をきたすだろ」

 今まで黙っていたヨシュアが口を開いた。レオ達から少し離れた場所で外の様子を眺めていただけだったが、流石に暇だったらしい。

「………………」

「どうせ、俺より強い奴に会いに行くぜヒャッホゥとか言って後先考えずに選んだんでしょう。馬鹿ね。笑えるわ」

「言ってねえよ!」

「でも、思っただろ」

「………………」

 レオの沈黙が答えであった。

「ちょっとだけそう思ったのは否定しない。でも、まさかここまで言われる程とは思って無かったんだよ。学院に行くとも思っても無かったからな」

「案外、それもギフトの影響かも知れないわね」

「どういう意味だ」

 サリアの言葉にレオを始め訝しげな表情をした。

「推測だけど、ギフトはレオにも影響を与えているかもしれないわ。アリスは運命干渉系の能力だけど、意識を乗っ取るような強制力は無い。ならどうやって引き寄せるのか。簡単な話、本人を人が行き交う環境に放り込めば良いのよ。人が大勢いるって事は、出会いも多いって事なのだから」

「そういう考え方も、確かに出来るな」

 交通の要所でもない辺境の村では外からの人の行き交いは少なく、ギフトの力があっても強者を引き寄せるのは難しいだろう。

 だから、レオを人の多い環境へと移動させるようギフトが働きかけたと云う考えは強ち間違ってもいないのかもしれない。

「いや、それは流石に範囲がデカ過ぎないか?」

 ジョージはその考えに否定的であった。ギフトは神から与えられた強大な力を秘めたものだ。しかし、国全土に影響を与える規模となればギフト保持者はもっと恐れられ数が少ない筈だ。

「威力とか規模がギフトの度合いを決めるものじゃないでしょう。まあ、根拠の無い戯言だから軽く流してちょうだい」

 言った本人も本気で考えている訳ではないようで、肩を竦める。

「どうして今そんな話を?」

「アリスやアレを見たらついそう思っただけ」

 ラジェルの問いにサリアが視線を外に向ける。そこには後ろに続く二年生用の馬車があり、その更に後ろでは単純な構造で屋根を取れば荷馬車と変わらない馬車とは違う物があった。

 悪目立ちするのを避ける為か豪華さは無い旅行用馬車だが、周囲の馬車とは明らかに違っている。何より頑丈そうだ。

「王女様か……」

 馬車にはエリザベートが乗っていたメイドも一緒だが殆ど一人で馬車を独占しているのだ。一国の王女が乗る馬車にしては地味ではあるが、目立つのを避ける為だ。

 立場が立場である彼女が他の生徒達と同じ馬車に乗る事など出来ない。寧ろ逆に一緒になった生徒の方が可哀想だ。例えば、公爵家の生まれなのにこうして平然と馬車に乗っているサリアなどだ。

「魔力の量から言ってエリザも強者に入るのよね」

「おい、それだとまさか、このギフトのせいで?」

「だと面白いわね」

「面白くねえーーっ!」

 にっこりと可憐な笑みを浮かべたサリア。悪魔の笑顔であった。

 レオが叫ぶと、不意に馬車が止まった。

「何で止まったんだ?」

 目的地もまだなのに止まった馬車を不審に思いレオが立ち上がる。

「レオが叫んだからじゃないのか?」

「何でだよ」

 ジョージのからかいを受け流し、レオは馬車の後ろから身を乗り出して外を見る。

 ここは既にファーン共和国の領土だ。自然豊かな国と知られ、その豊かさの一部が広がっている。

 広大な草原は緑のカーペットが敷かれ、舗道がどこまでも伸びているかのように錯覚させる。それでいて幾つもなだらかな斜面を持つ丘があり、牧歌的な光景が広がっている。

 少なくとも日本では見れない光景から視線を前方に移すと、先頭を馬で進んでいたアリスが止まっていた。顔は遠くに見える丘を見ていた。最初は風景に見とれているのかと思ったが、その目付きは真剣そのもの。何よりも無意識なのか手綱から片手を外して腰の剣に伸びていた。

「まさか……」

 レオもアリスと同じ方向を見る。

 ――丘の向こうに、何かいる!?

 獲物を待ち伏せる獣の気配。それと近しいものを感じたレオがそれを悟った直後、アリスが声を張り上げる。


 天性の直感と戦いによって蓄積された経験則からの勘により、アリスは敵の存在を感知した。

「敵だ! 全員、馬車の中に!」

 大声を張り上げたアリスは剣を抜くと切っ先を丘に向ける。すると、見えない丘の向こう側から火の柱が発生した。

 天に向かって伸びる赤い柱は離れた場所にいる馬車からでも熱気を感じるほどの火力を持ち、赤い炎の光が周囲を照らす。

 アリスのギフト〈赫炎〉による炎は視覚外の座標にも炎を発生させられる。魔物相手にも使用しなかった〈赫炎〉をここで使用、しかも過剰と言える火力であった。

 これを受けては何が相手だろうと消し炭になる。そう思わせる焔が突如破裂した。

 中から爆発が起きたように弾け、衝撃波が突風となってアリス達の所まで届く。

「これは、まずい! 全員、備えろ!」

 指示を出しながらアリスが手綱を繰り、馬を丘の方に向ける。

 すると、轟音と共に丘の上部が粉砕された。火山の噴火を思わせる弾け方をし、大量の土がアリスを始め馬車に向かって覆うようにして飛来して来た。

 アリスが剣を横に薙ぐと、大量の土が一瞬で炎に包まれてその勢いを質量と共に失う。

 宙に発生した炎のカーテン。その下を潜って地上からアリスに向かって疾走する者がいた。

 黒いポールハンマーを手に持った老人だ。馬よりも速く、風に乗る速度で丘の向こうから爆走して来ていた。

 老人があっという間にアリスへと接近すると、勢いを乗せてポールハンマーを振り下ろして来た。

 頭上に落ちるハンマーをアリスは馬を捨てて飛び降りる事で回避する。

 ハンマーは馬の背中へと落ち、体を真っ二つに砕け折った。更にはそのまま地面にまで到達。地面を波立たせて馬の血を混ぜた土が人の身長を超える高さまで跳ねた。

「やはりお前か、ガルバトスッ!」

「応よ! 赫炎の!」

 地面に着地したアリスがすぐに老人へと突進して剣を振り下ろす。それを老人はポールハンマーの柄で受け止める。

 人を簡単に飛ばすアリスの全力を受けて、老人はその場に留まり続ける。

「ルファム帝国随一の武威を持つ将軍がどうしてここに――と聞くまでもないか」

「その通り。エリザベート・ローン・クルナの身柄を貰い受ける」

「そうか、じゃあ死んでくれ」

 アリスの緑の瞳が赤く光る。

 老人はアリスの剣を押し返すと直ぐに体を横に移動させる。直前まで彼がいた場所に炎が巻き起こった。

 紙一重で炎を避けた老人は滑るような足運びでアリスに体を向けたまま彼女の斜め後ろに回り込むとポールハンマーを横に振った。

 迫る鉄槌を見もせずに跳んで躱し、アリスは宙で体を捻って老人へと振り向くと同時に炎を放った。

「破ァッ!」

 老人がポールハンマーを炎に向けて振るい、途中で静止させる。すると衝撃波が発生した。

 大気を叩く事で生じた衝撃波は如何なる技か魔術なのか指向性を持って炎へと向かい、かき消した。

 風に煽られた程度で消える程アリスの炎は緩くない。それを衝撃波だけで霧散させたのだ。衝撃波は炎を貫いた上でアリスに直進する。

 アリスは手から炎を出し、宙で移動して衝撃波を回避しながら老人へと急降下し、剣を振り下ろす。剣には炎が纏わり付いていた。

 剣をポールハンマーの鎚部分で叩から受け流されるが、着地したアリスは一撃だけ諦めずに連続で攻撃を仕掛ける。

 目に止まらぬ速さで剣を繰り出しながら、アリスは新たな気配に気付く。

 丘の向こうに隠れていたのだろう。馬車の列を前後から挟み込み形でそれぞれ五人、計十人の武装した集団が現れた。

 アリスの目が赤く光る。だが、その意識がそちらに向いた瞬間に老人の拳が飛んでくる。

 首を傾けて回避したアリス。その時、視界に映った老人の握り拳が開き、隠し持っていた物が露わになった。

 黒と白、そして青色の丸い石のような物だ。それの正体を直感的に悟ったアリスは目を見開く。

「させん。その中でじっとしていろ」

「しまっ――」

 次の瞬間、目が眩む程の光が石から発せられ、アリスは光に包まれ吸い込まれてしまった。

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