第19話 「おら、喜べよ」


 魔術場の一角にて、レオが剣を正眼に構えたままじっと動かずに立っていた。目の前には長い木の棒で作った松明があり、その先端の火に剣を置いている。

 剣を炙っているような不思議な光景だが、傍目のおかしさとは逆にレオの目は真剣だ。

「よし…………」

 レオが不意に呟いた瞬間、彼が持つ剣に炎が纏わりつき始めた。

 松明から剣を離しても炎は纏わり付いたままで、何度か振り回してみても消える様子はなく、火の粉が舞う。

 これは剣に松明の火が燃え移ったのではない。物に対して特定の属性の魔力を与える属性付与魔術だ。

 レオは剣に見た目通りの炎属性を付与する魔術に成功したのだ。

「ようやく出来た」

「いや、ようやく出来たじゃねえから。おかしいから」

 満足気に一人頷くレオの横でジョージが突っ込みを入れた。

「火に剣を翳すのは良いよ? イメージトレーニング的に理に適ってると思うし。でもな? さっき初めてやり始めたばっかじゃん! 属性付与の術式をまともに覚えたのも今日じゃん! 何で短時間で出来るようになってんだよ!」

「何でとか言われてもな。現に出来たんだから仕方ないだろ」

「魔術の授業で唸ってた奴が言っても説得力ねえよ。お前、剣なら何でもありか! 魔力の流れ見ててもおかしい速度で効率化されてったし!」

 どうやらレオの属性付与魔術収得速度に文句があるらしいジョージだが、これは寧ろ当たり前の反応であった。

 学院では既に魔術がある程度使える貴族がいて、さも魔術が当たり前に使われているが、簡単な魔術一つでも習得にはそれなりの時間を要する。

 放課後になってから一時間もしない内に覚えられては堪ったものではないだろう。

 今は騎士団から派遣されたアリスによるギフトの指導の時間なのだが、個性様々な能力を伸ばすにはやはり個人の努力だ。だから各々思うようにやり、アリスのアドバイスを受けると云う形で訓練している。

 ヨシュアはアリスとギフトを使った模擬戦を行っており眩しい光が時折そちらからする。サリアは魔術場をウロウロと徘徊し、時折壁を作っては自分で破壊している。ジョージはそんな彼らの様子を魔眼でより詳細な情報を得ようと試みている。そしてレオはギフトに手の施しようが無いので正に自主練中だ。

「――っと……もう限界か。あんまり連続して使えないな」

 僅かに眩暈を覚えたレオが炎を消した。

 属性付与魔術を使えるようになる為の練習中、不発だったとは云え何度も魔力を消費したせいだ。

 地球にはない魔力と云うエネルギーは生物が持つ生命エネルギーだ。休めば回復するが、これが枯渇すると体調が悪くなり脱力感に襲われ、最終的には気絶する。

 魂が炎だとするとそこから生じる熱が魔力であり、生物はその魔力によって現象を引き起こす――とレオは授業で習った。

 そもそもごく当たり前に魔力が存在している世界で、その存在を疑問に思い探究するのは研究者ぐらいで、一般人からすれば魔力は林檎が木から落ちるように当たり前なのだ。

「いざという時の切り札か。もうちょっと練度上がれば必殺技になるな」

「斬るだけじゃ効果が無い相手ならそうだな。その為にも、もっと練習しておきたいんだが……ラジェルから貰うか」

「ラジェルは魔力譲渡の魔法も使えるのか?」

「そう言ってた」

「彼女、本当に魔法の才能あるよな。保有魔力も高いし」

「らしいな。で、そのラジェルはどこに…………」

 ラジェルはこの時間、訓練を見学している。時々本を読んでいたり編み物をしてもいるが、凡そ邪魔にならないような位置で見ている。

 そんな少女の姿を探して周囲を見回したレオが見つけたのは魔術場の隅で向き合ったラジェルとエリザベートの姿だった。

「……魔力の使い過ぎかまだ眩暈がするな。今日はもう帰って寝るか」

「いや、それ魔力の消耗のせいじゃないから。あれは現実だから!」


 二人の少年が騒いでいる中、その原因となった少女達は魔術場の隅で向かい合う。

 王女の後方にはメイドが気配を消して空気のような存在感の無さで立ってはいるが、何にせよ肝心なのは少女達だ。

 真紅の髪を持ったラジェルとストロベリーブロンドの髪のエリザベート。

 二人が会合してからまだ数秒しか経っておらず、二人の意中の少年は偶々それを目撃してしまった訳だ。

 そして最初に口を開いたのはエリザベートだ。

「そういえば、貴女とこうして話すのは初めてですね」

「そうですね、エリザベート王女様。改めて、ラジェル・バーンと申します」

 ラジェルは腰を綺麗に曲げて頭を軽く下げる。

「そう畏まらなくてもいいわ。それよりお聞きしたいのだけど、貴女はレオ様が好きなのよね」

「――その通りです」

 いきなりの言葉に驚きはしたものの、ラジェルは正面からそれを返した。エリザベートがレオに執着しているのは誰の目から明らかで、現に放課後になってもいつの間にかここに姿を現した。

「やっぱりそうなのね……」

「………………」

 自分もまたレオに好意を抱く者として何かしらの接触があると予想していたラジェルは身構える。

「お互い、頑張りましょうね」

「…………え?」

 負の感情を含まない、例えるならスポーツ選手が試合前に握手を行うような、選手宣誓による正々堂々の戦いを誓うような、そんな清々しい声で言われてしまった。

「何だか不思議そうな顔をしていますね。ふふっ、もしかして恋敵から宣戦布告でもされるかと思ったんですか?」

「まあ、それに近い事なら言われるんじゃないかと…………」

「そういう場合もあるようですね。……良ければ聞かせて貰えますか? どうしてラジェルはレオ様を好きになったんですか」

「一目惚れです」

 エリザベートの問いにラジェルは即座に、反射の域で答えた。

「あら、打てば響くような返事。まるでそれ以外の答えが要らないと言わんばかりの簡潔な一言。やはりそうでなくてはいけませんよね」

「………………」

 先程からラジェルはエリザベートの意図を測りかねていた。レオとの事をサリアからからかわれたりするが、エリザベートの場合は確認作業を行っているように感じる。

「……私は色褪せた人生を送っていました」

 ラジェルの怪訝な表情を浮かべるのを見て、エリザベートが語り出す。

「人生に不満がある訳ではないの。家族も愛しているし、王族としての責務を果たす事にも理解しています。ただ、熱が無かった。体は動くけど指先は冷えている。頭は働くけど一定の速度のまま。私にはより自分を輝かせ、世界を視る目が曇っていた。でも、あの日に私は運命の出会いをしました」

 風呂場に落ちて来て顔の横に剣を突き立てられたのを運命と言うのならそれは確かに珍しいと云う意味で運命的ではある。

「人伝の話や本でその手の感情の理不尽さは知っていましたけど、こうして経験してみれば何とも言葉にし尽くせない熱が私を支配しました。これに突き動かされるまま行動する私、そしてその病に罹った目で視る世界は非常に興味深いのです」

 自分を含め観察対象として見ている発言であるが、ラジェルは当人の言う『熱』が篭った瞳を見て、エリザベートが本気で恋をしているのが理解出来てしまった。

 魔力を感知する第六感が知らせて来るまま足元を見ると、エリザベートの足下から地面の植物が急激に成長しては枯れ、落ちた種子から再び植物が成長してはその短い生を更に縮め増えていく。

 エリザベートの感情がそのまま抑えられない魔力の放出と繋がりこのような現象を引き起こしているのだ。

 頭は冷静に、心は熱に。相反する頭脳と精神の間に苦悩する事なく寧ろ受け入れているエリザベートは魔力だけでなくその顔にも二つのモノが入り混じっていた。

 潤んだ熱っぽい瞳に独白による頬の紅潮、けれどもラジェルの反応を観察する鋭い眼光を持ち同時に薄っすらと冷徹に微笑んでいる。

「勝手ながら、期待させて頂きます」

「……期待に応えるかは別として、私は私の心がまま行動します」

 妖艶さまで漂わすエリザベートに、ラジェルは背筋を伸ばしはっきりと答えた。


「しゅ~らば~、しゅ~らば~、楽しい修羅場が始まったー」

「その下手くそな歌は止めい」

 そんな二人の少女の対峙を目撃してしまったレオとジョージは合流してきたサリアから妙な歌を聞かされる羽目になっていた。

「いやー、いいわね、アレ。あんな美少女二人に好かれて男冥利に尽きるわね。おら、喜べよ」

「ノーコメント」

「お前ね…………。まあ、レオが現実から目を逸らした処で状況は動くもの。最後にはどんな結末を迎えるのか楽しみで仕方がないわ」

「悪役令嬢と言うか愉快犯的な黒幕だよなお前は」

「それより、俺としては王女の魔力が気になるんだけど」

 ジョージが視線を向ける先には先程から成長と枯れるのを繰り返してはその範囲を広げていく植物があった。

「エリザは植物との相性が良いのよ。良すぎると言っても言い程に。魔力も膨大で、感情が高ぶると周囲の植物がああ云う風になるの。小さい頃はよくなってたけど、最近無かった分珍しいわね」

「王女もギフト保持者なのか?」

「違うわ。偶にギフトを持っていなくても規格外な存在は出てくるものよ。お前みたいにね」

「いや、俺は別に規格外じゃないだろ……何だその目は?」

 否定したレオだが、ジョージとサリアからは--何言ってんだこいつ、と言いたそうな視線を送られた。

「三人共、少しいいか?」

 固まってラジェルとエリザベートの様子を見ていた三人に、模擬戦を行っていたアリスが声を掛けてきた。模擬戦は終わったようで女騎士の後ろでは肩で息をするヨシュアが汗だくで立っていた。対してアリスは汗一つ掻いていない。

「学院から話は行くと思うが、伝えておく事があってな。近々、ファーン共和国との交流を深める名目で学院の生徒達と魔術師達との交流会が向こうで開かれる事になった。生徒の中から君達が選ばれるからそのつもりでいて欲しい」

「何か引っかかる言い方っすね」

「言ってたでしょう。名目上は、って。これってつまり、シト関連で増えた両国のギフト保持者の顔合わせよね」

「あー、なるほど」

「サリアが言った通りで、丁度十五歳で誰かの下で学んでいる層がギフト保持者になっているからな。あまり目立たずに揃えるには生徒と云う立場を利用するのが良いと判断されたようだ。その辺りの判断は私が知る所じゃないし、苦手だ」

「それでいいのか騎士団長」

 騎士団の一つを預かる立場である筈のギフト保持者は笑顔で肩を竦めた。一介の騎士なら許せるが、アリス曲がりなりにも貴族でありスピード出世ながら段階を踏んで団長の地位に着いた筈なのに。

「書類とかで済まないのか? わざわざ顔を合わせる必要もないと思うけど」

「普段なら友好国相手にはそれでいいんだがな。何と言うか、今後共に戦う可能性が大きいから顔合わせ程度はしておこうと云う話だ」

「戦う? ……戦争か」

 レオが漏らした単語に緊張感が場を満たす。

「それは相手次第だな」

「その相手って言うのがルファム帝国でしょ。寧ろこの機に戦争吹っかけて来なかったら逆に驚いて夢かと疑うわ」

「全くだな」

 公爵令嬢の言葉に女騎士が同意する。しかし残念な事に王国と帝国の関係は誰もが知る所であり、一切否定出来る要素がない。

「あれ? そう言えば、ルファム帝国との国境は…………」

 頭の中で大陸の地図を思い浮かべたレオがヨシュアの視線を送る。

「家の領地だな」

 ヨシュアの実家、ウォルキン辺境伯はルファム帝国との国境を守る貴族だ。常に隣国への警戒を怠らず、戦が始まれば真っ先に戦うのが国境の領地を持つ貴族、それが辺境伯と云う立場だ。

「――帝国の連中などブチ殺してやる」

 逆の意味で心配なりそうな言葉がヨシュアの口から吐き出された。

「あいつら、収穫期になると野盗に扮して畑や村を焼き回りやがって。諜報員もコソコソと領内に侵入して来て内側からかき乱そうとするし。戦争が始まったら日頃の鬱憤を存分に晴らしてやる」

「お、おう…………」

 隣接する者にしか分からない恨み辛みが積もっているようで、静かに怒るヨシュアには今までにない迫力があった。

「どうしたの?」

 ギフト保持者達が固まって話しているのが気になったのか、離れた場所で雑談(?)していたラジェルとエリザベートが声を掛けて来た。

「何か、ファーンとの学校と交流会があるんだと」

「そうなの? ファーン共和国って色んな種族が暮らしているのよね。どんな所かしら?」

 政治的な理由は知らないラジェルは純粋な興味を示した。反対に既に知っていた隣のエリザベートは別段驚く様子もない。

「行ってみれば分かりますよ。学年ごとに数人選ばれる予定で人選はまだ決定していませんが、ラジェルは選ばれますね」

「ええっ、私が? もっと学院の代表に相応しい人なら他にも…………」

「もう少し自分の外見に自覚を持ちなさい。私ならラジェルを選ぶわよ」

「礼儀作法も出来ていると貴族寮でも評価が高いのですから、もう少し自信を持ちましょう」

 王女と公爵令嬢に言われ戸惑いを見せるラジェル。そこから少し離れた場所では物理的な距離以上の距離感を感じている男子が三人固まっている。

「彼女は自分の容姿の自覚はないのか?」

「多少あるだろうが、そこまで自信持ってないだけだろ。田舎内での評価だったからな」

「こんな事を言うのもなんだが、よく悪い虫がつかなかったよな。学院内でも狙ってる奴多いんだぞ。貴族の男子とか」

「詳しく知らないが、向こうではラジェルの父親や兄が目を光らせたらしい」

 ジョージとヨシュアにそう説明するレオだが、そのラジェルの父親がレオの名前を使って脅していたのを本人は知らない。

 皆、狼の群れを追い回し、熊を剣一本で狩り、盗賊団を全滅させるレオを恐れて裏で婚約者として扱われていたラジェルに手を出さなかっただけであった。

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