第15話 「目と耳の毒なんスけど」


「日本の自害方法である切腹を俺が第一人者としてこの世界に広めるのも悪くないな」

 レオの女子貴族寮での一件から翌朝、食堂で朝食を食べていたレオが突然そんな事を言い出した。

 上着は王女の所で置いてきたので上はシャツだけの格好だ。シャツで一部しか見えないが身体中に包帯を巻き、特に右腕は包帯越しからでも僅かに匂う程の薬の臭いがする。昨日、医務室で魔術での治療を受けた上で薬をたっぷりと塗られた上で運動するなと固く医術師に言われていた。

「止めろ馬鹿。冗談のつもりなんだろうけど、お前が言うと本気に聞こえる」

「やるなら三文字切りに挑戦したい」

「自殺は罪じゃないが迷惑だ。王がそれを強要したと思われても困る」

 ジョージが突っ込みを入れる中でヨシュアは現実的な事を言う。ヨシュアが席を共にしているのは珍しい事だが、やはりどんな結果になるのか興味があるようだった。

「セップク?」

 レオの隣に座るラジェルが首を傾げる。テーブルにはレオ、ラジェル、ジョージ、ヨシュアの四人がおり、唯一ラジェルだけが異世界の知識が無かった。

「腹を自分で切って、その後で介錯で首を切ってもらう事。三文字切りだと三回真横に切る」

「そんな拷問みたいなの駄目よ! 死ぬのも駄目だけど……そもそもそんなに切る前に死んでるわ」

「そうだな。出血で力が入らなくなる前に手早くやらないとな」

「そうじゃなくてっ! それに、そんな事しなくていいようにサリアが…………」

 噂をすればなのか食堂の入り口からサリアが姿を現す。普段はもっと早い時間に来ている彼女だが、エリザベートとの話をしていたのか遅れて来た。

「皆、おはよう」

 笑顔だった。サリアは笑顔だった。

「………………」

 レオ達はその顔を胡散臭げに見た。

 普段は無表情で毒を吐く公爵令嬢が花も恥じらうな笑みを浮かべていたのだ。よく似た他人か洗脳を疑った彼らは悪くない。

「……どうだった?」

 視線だけで威嚇し合った後、心底嫌そうに当事者であるレオが代表して王女との話はどうなったのか聞いた。

「その件は大丈夫よ。レオが罰せられるなんて事は無いわ。何もかも目出度く問題なしで円満解決よ」

 キラキラと擬音が付きそうな笑顔だった。スマイルからの光はその光量と裏腹に物凄く嫌な予感しかしない。

 隣のテーブルにいた男子やトレイを持って近くを通りがかった女子が笑顔のサリアを見ると立ち去って行くほどだ。

「その顔止めろ」

「美少女が笑顔で話しているのに酷い男ね。不能なの?」

「精神的にな」

「………………」

 笑顔から能面になったサリアがさっそく毒を吐くとレオは平然と言い放ち、隣のラジェルから表情が消えた。

 それを目撃してしまったジョージとヨシュアの方が居た堪れない気持ちになるほどだ。

「まあ、何にしても問題にしないらしいから安心しなさい。でも、向こうは放課後に会いたいそうよ」

「それって呼び出して殺すって意味じゃないか?」

 そこで思い出されるのが王女付きのメイドだ。脱出間際に受けた毒でレオはアリスが解毒剤を持ってくるまで体が動かなかった程だ。それを思えば毒を邪推しても仕方が無い。

「茶出されて、コロッとされるなんて嫌だぞ」

「……そんな訳ないじゃない。向こうが問題にしないのは本当。ただ――プフッ」

「お前がそんな態度だから違う意味で不安になるんだろうが!」

 突然噴き出すサリアに、レオ達は言いようのない不安に襲われるのだった。


 レオの不安を他所に時は進むもので、歴史の勉強と前世でも苦戦していた数学が出てくる魔術の授業、馬術の授業が終わり放課後となった。

「頭の中で数式浮かべて計算して魔力流してそれを感覚で制御して魔術を行使するって無理ゲーだよな」

「慣れだよ慣れ。実際それしないと効率悪いし暴発の可能性が高い。それよりも今は現実を見ようぜ」

 優しい顔を浮かべたジョージがレオの肩を叩く。隣ではラジェルが心配そうに見つめていた。

 放課後、レオは中庭の噴水前にいた。ジョージとラジェルも一緒におり、三人で王女を待っている。

 会いたいと云う王女の言を受け入れ――それしか選択肢が無い――その場所として中庭を選んだのだ。本来なら平民と王族の地位から考えればレオが向こうへ赴くべきなのだが、警戒して比較的広い場所で会う事にした。そんな思考をして対策している時点で十分不敬ではあるのだが。

「何が怖いって、サリアのあの笑みが怖い。あいつ、何を企んでるんだ?」

「俺が知るかよ。あのお嬢様、入学式で王子に恥かかせようと画策してたぐらいだぞ」

「いくら婚約者でもそれはどうなの? ああ、でも結局何も無かったからふざけて言っただけなのね」

「いや、別のものに関心が行って忘れていただけだろ」

 ラジェルの事である。

 肝心の王女ではなくサリアに戦々恐々としていると、中庭に向かって歩いてくる集団があった。

 サリアと様子を見に来たアリス、エリザベート王女にそのメイドだ。

 サリアは無表情だ何かを我慢しているらしく、閉じた口の端が微かに痙攣してそれが不安を煽る。アリスは何か困ったような微妙な表情を浮かべ、メイドはサリア以上の鉄面皮で感情は窺えないがレオを見る視線は刃のように鋭い。

 そして肝心の王女様だが、紙袋を大事そうに胸の前で抱えて微笑を浮かべていた。

 会話出来る距離に一行が近づくと、レオは一歩前に出て頭を下げた。

「昨日の事は大変申し訳ありませんでした」

「顔を上げて下さい。あれは事故だったのです。そう気に病まずともよろしいのですよ」

 エリザベートは優しく言って、レオに頭を上げさせる。

「こちらをお返しします。洗っておきました。解れや傷があったのでそちらの方の修繕も」

「ありがとうございます」

 エリザベートが持っていた紙袋にはレオの上着が入れられていたようだ。受け取って広げると、汚れ一つ無い新品同然の制服がそこにはあった。

「わ、私が直させて頂きました」

 頬の片方に手を当ててエリザベートが少し恥ずかしそうに言った。

「お、王女殿下自らが?」

「王女などと……堅苦しいですわ。同じ魔術学院の生徒なのですから、エリザとお呼び下さい」

「いえ、流石に殿下に向けてそれは…………」

「エ・リ・ザ、です。そんな他人行儀な呼び方、困ります」

 エリザベートが一歩レオに近づき、レオはやや仰け反り気味になる。

 俺の方が困るとは口に出さないレオは王女の後ろにいる三人に助けを求めるように視線を向ける。

 メイドは人形のように動かない。サリアは最初から当てにならない。アリスは困り顔のままだ。

 何だか分からないが、嫌な予感を感じつつも王女の希望を無視する訳にもいかないレオは覚悟を決める。

「エリザさん」

「ああっ、呼び捨てで構いませんわ」

「いえ、流石にそれは。学年も上なんですから。それならエリザ先輩で許してもらえませんか?」

 歳を理由に呼び捨ては避ける。

「他人行儀さが残りますけど、仕方ありません」

 納得して貰えたらしくレオはそっと息を吐く。意図は不明だがとても疲れる。そう思いながらレオはいつまでも自分の上着を持っている訳にもいかず、上着をその場で着た。アイロンでもかけたのか、初めて制服を着た時のような着心地だった。

「ところでレオ様」

「レオ様っ!?」

 いきなりの様付けでレオは叫ぶが、エリザは気にしない。

「頼みたい事があるのですが」

「は、はぁ……何すか?」

「あの時のようにレオ様の剣を私に突き立てて欲しいのです」

 直後、エリザとサリア以外の全員が絶句した。サリアは水も含んでいないのに吹き出して必死に笑いを堪えている。

 姿を現した時からエリザベスの様子はおかしかった。顔が赤く興奮気味で息がちょっと荒い。レオを見る瞳は潤んでおり、やけに唇が瑞々しく艶かしいのだ。

「誤解を招く言い方は勘弁して下さい。あれは衝突を避ける為に剣を床に突き刺したのであって、決してエリザ先輩は傷つけていません」

「そうですね。私とした事が緊張のあまり言葉足らずで申し訳ありません。昨日のアレをもう一度お願いしたいのです」

「いや、しかしですね…………」

 アレとはレオがエリザベートとの衝突を避ける為に剣を彼女のすぐ横に突き刺した時の事だろう。もう一度やれとか、未だに包帯を巻いている身には辛く、周りからの視線もキツい。

「何も全てを再現しろとは言いません。地面の上では汚れますしあの木の幹を使いましょう。レオ様はただ、剣を突き刺してくれれば良いのです!」

 レオは再び周囲に目で助けを求めた。笑いを堪えているサリアは元から当てにならないので除外。アリスは困ったような顔をしたままで、毒メイドは液体窒素の代わりになりそうな視線をレオに向け続けるだけ。ラジェルとジョージ展開について行けず唖然としたままだ。

「レオ様、こちらに。よろしくお願いしますね」

 そして王女はレオの戸惑いに気付いていないのか、気付いた上で畳み掛けているのか中庭の外周にある木々へと移動して手招きしている。

 変でも王族の言葉を無視する訳にもいかず、レオは渋々応じる。

「さあ!」

 何が、さあ! なのか。やって欲しい事は分かるが意図は不明だった。

「じゃあ…………」

 半ば諦め、とっとと解放されたいと思い始めたレオは腰に下げた剣を引き抜く。視線だけ動かしてメイドを見るが、止める様子は無い。

 溜息を吐き、レオは王女の横を通過してその後ろ木へと剣を刺した。

「――もっと強くお願いします! あの時と比べて迫力が薄いです!」

 ――イカれてるなこのアマ。

 既に王族に対しての貴び敬う気持ち(元からあまり無かった言うか気にしていなかったが)を無くしたレオは自分の頭が急激に冷めていくのを感じた。

「プッ、か、壁ドンならぬ壁ドスとか――プハッ!」

 とうとう堪えきれなくなったサリアが声を出して笑い始めた。ウザい。

「もっと強く!」

 王女は王女で要求して来る。期待と興奮で濡れた瞳は熱っぽく、染めた頬に熱い吐息は男の劣情を刺激する。

「………………」

 だが、レオは機械的に剣を木から抜いて機械的な動作で再び突いた。

「もっと!」

 言われ、また突く。

「もう一度!」

 一突き追加。

「まだまだ!」

 リテイク。

 サリアの笑い声をBGMに、剣が木の幹に突き刺さる音がテンポ良く響く。もし周囲に他の生徒がいれば、王女に向けて刃を何度も向ける光景に大騒ぎになっていただろう。満足いく一撃を貰えず更に目が濡れそぼっていくエリザベートを見れば脅迫されていると勘違いしたかもしれない。事実は全く違うと云うのに。

「ああっ、そんな意地悪をしないで下さい。あの時のような鮮烈で強烈で目に焼き付くような一刺しを、どうか!」

 最早何が何だか分からない意味不明な光景であった。

 既に無表情となり機械の人となったレオは強弱をつけながらも突きを何度も放つ。しかしそれでは満足しない王女は身悶え、艶かしい声を上げる。

「…………あの、目と耳の毒なんスけど」

「目と耳を塞ぐか役立たずになる薬を使うか選んで下さい」

 思わず口に出してしまったジョージは今まで黙っていた毒メイドに脅されて、瞬時に目の前の光景から目を逸らして耳を塞いだ。

「これは何時まで続くんだ?」

 アリスも辟易とした様子だ。

「と言うか、もしかしてレオの奴…………」

「段々と逆にちょっと楽しくなってるんだと思う。多分」

「あははははははははっ! あんな、くくっ、無表情で、淡々と、ははははっ! 顔で楽しくとか。 ひぃ、お腹、あははっ、い、痛くて――ぷははははっ! と、とんだサド野郎だわ! あはっ、あははははははは--げほ、ごほっ!」

 アリスとラジェルの会話を聞いたサリアは膝を付いて地面を叩いている。頭がおかしくなるほど笑い過ぎて噎せてもいた。

「ぅぅ…………」

 焦らされ続けたエリザベートが身を捩る。その瞬間、まるでエリザベートがそうなった時を待っていたかのようにレオが動いた。

 今まで腕だけで突きを放っていたのだが、大地を踏みしめ全身を捻り、半身になって振り子のように左腕を後ろに振り、その勢いを乗せたまま右で突きを行う。

 今までとは明らかに違う一撃は枝々から落ちる葉を断ち切り、木の幹を完全に貫通する。さほど頑丈で無かった木は散々切れ目を入れられており、今の一撃がトドメとなって縦に割れた。

「………………」

 自重で音を立てながら左右にゆっくりと割れていく木を背後にしたエリザベートは不意を突かれた事で、何が起こったのか分からないような、寝ぼけているような呆然とした顔をしている。

 だが、一拍の間を置いた後、顔を輝かせて手を胸の前に組んだ。

「これですっ!」

「何がこれなのかが分からない。けど、用が済んだのなら帰ってもいいか?」

 剣を鞘に収めたレオの顔にはもう帰りたいと書いてあった。隠す気もないその顔はもう王族であろうといい加減で良いと思ったからだ。

「お時間を取らせてしまい申し訳ありません。ですけど最後に一つだけ」

 熱い顔を冷やすためか、顔が赤いのを隠しているつもりなのかエリザベートは両手で頬を押さえつつレオを見やる。

「よろしければ今度の休みの日に一緒にお茶でもいかがでしょうか?」

「おっと、ストレートに逆ナンかましたわよ。王女が、王女が! 男を口説いてるわ!」

 漸く笑いが収まったサリアが楽しそうに言う。その視線はラジェルに向いており、明らかに煽っていた。

 ラジェルはそれを無視して、不安そうな瞳をレオに向けている。

「悪い。その日は先約があるんだ」

 エリザベートの誘いをレオはあっさりと断った。同時、ラジェルが花開くと云う表現が似合う笑みを浮かべた。

「え? なに? もしかして先約ってラジェルと? ちょっと待ちなさい。聞いてないわよ」

 サリアが反応するが、レオもラジェルも反応しない。教えて、デバガメされると面倒だからだ。

「そうですか。それでは仕方ありませんね。お茶会はまたの機会にお誘いさせていただきます」

 エリザベートは先程のテンションが嘘のように落ち着いた態度で礼をすると、メイドを連れて去って行った。

「………………」

 王女とメイドを見送りその背中が見えなくなった処で誰が最初か一斉に息を吐いた。

「王女の誘いを断るとかパネェ」

「王女? あれが王女?」

「言うなよ…………」

 仮にも貴族であるジョージも自国の姫があんなのだった事にショックを受けているらしく両手で顔を覆った。

「フィリップもマゾだし、王家は特殊性癖に目覚める血なのかも知れないわね」

「しーっ、ちょっと黙ってようか!?」

「お前も王家の遠縁だろうが」

 不遜な事を言うサリアにレオとジョージが突っ込む。すぐ隣には騎士であるアリスがいるのだ。

「いや、聞かなかった事にするから。殿下との事も。というか、何も見なかったし聞かなかった」

 騎士までも先の一件の奇行を無かった事にした。

「なんであれ解決したようで良かった。私は失礼させて貰うよ。うん、解決して良かった良かった」

 棒読み気味に、同じ事を二度言ったアリスは逃げるようにして帰って行く。中庭に残された四人は微妙な空気のままそれぞれ顔を見合わせる。

「……レオの先約について質問が――」

「さぁて、心配事も消えたし帰るか」

「今日の授業の復習をしないと」

「待ちなさい二人とも。デートなんてそんな面白い話、私は聞いてないわ。デバガメしたいのよ私は!」

「止めてやれよ」

 逃げるレオとラジェルを追いかけるサリアと、それを止めようとするジョージもまた中庭から離れて行くのだった。

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