0019 おにいちゃん?


 まぶたを持ち上げると、まだ見慣れない天井が視界に映った。しばらくして、ああ、と思い至ったのは昨日と同じ。そして、隣からくすりと笑い声が聞こえたのも、昨日と同じ。


「おはようございます、アインさん」

「……だからなんでいんの?」


 身体を起こして声の方へと視線を動かせば、そこには銀髪赤目の美少女がいる。美食の国ベルゼブブの王——ユールヒェン・シュヴァルツリヒト・ベルゼブブだ。


「むぅ……本来なら、寝床を共にして当たり前なところを、アインさんがどうしてもと言うから別室にしてるんですよ?」


 分かりやすく頬を膨らませた彼女は、不満気に言い募る。勘弁して欲しい。


「同じ部屋の同じベッドで寝るとか、襲わない自信がねぇっつの……」

「だから、襲われても構わないと言っているではないですか。準備万端ですっ」


 ぐっと両手でガッツポーズをする。その仕草はとてもかわいらしいのだが、いかんせん発言が生々しい。準備万端です、じゃねーよ。


「発情期かよ……」

「し、失礼なっ! アインさんだから、わたしはいいと言っているんです!」


 俺の名を強調して叫ぶ。とても光栄だし、ぶっちゃけ拒否したくない襲っちゃおうかなぁ、とか思うんだが、ぶんぶんと頭を振ってその思考を弾き出す。


 別に俺はそういうことをしたいがためにこいつにプロポーズしたわけじゃない。


「何度も、何度でも言うが、俺がお前にプロポーズしたのは、エミルみたいのが現れてもそれを理由に断れるようにと、それを事前に防ぐためだ。ひいてはお前の自由を守るため」

「分かってますよ! だから、わたしはアインさんが好きだって言っているのに……」

「勘弁して」


 もうほんと好き好き言わないで! 恥ずかしいから! どうしてこうなった!


「お前のそれは、助けってもらった感謝を恋心と勘違いしてるだけだ……」


 そんなのを受け入れるわけにはいかない。だいたい、俺みたいのと付き合ったって後悔するだけだろう。俺が女だったらこんなやつ絶対嫌だもん。


「……アインさんがわたしのことなんて好きじゃないのは、分かってます。けど……わたしは、そんなに魅力がないですか?」


 泣きそうな顔をするユリアに、少し言い過ぎたかなと後悔する。けれど、やっぱり彼女には幸せになって欲しい。そして、俺は俺が誰かを幸せに出来るとは思えない。


「そんなこと言ってねぇだろ」

「……信じられません。わたしなんて……戦うことぐらいしか能がありませんし。わたしに魅力があるというのなら、挙げてみてくださいよ……」


 言われてふと考えてみる。しばらくそうしていると、そんな俺をどう思ったのか、ユリアは悲し気につぶやいた。


「やっぱり、ないですよね……。そもそも、わたしがいなければ……わたしと会わなければ、フィーアさんは——」

「それに関してはお前の気にすることじゃねぇと言ったはずだが?」

「気になりますよ……っ」


 確かにユリアと出会わなければ、結果的にフィーアの記憶を失うことはなかったのかもしれない。でも、それはどこまでいってもかもしれないという予想でしかない。


 俺の起爆装置が正常に動作しなかったのは単なる偶然だという可能性は普通にあるし、むしろその可能性の方が高いだろう。だから、俺がこいつに助けられたと感じるのは、間違っていない。


「——まず、顔がかわいい」


 唐突に、話をぶった切ってそう言った俺に、ユリアは「なに言ってんだこいつ」みたいな顔をする。お前が言えって言ったんだろうが。


「どんなに控え目に見たって美人だと思う。スタイルもいい。一人占め出来るならしたいし、そうやって好きだと言ってもらえるのはすげぇ嬉しい」


 言葉を続けると、ようやく誰のことを言っているのか、なんの話をしているのかを理解したようでユリアは顔を真っ赤に染め上げる。


「それに、性格も好感が持てる。まっすぐな性格。嫌だと思いながらも、国民のために、誰かのために行動出来る善良さ。約束を守る誠実さ。たとえ偽善でも、それは紛れもなく善だ。お前は俺にはもったいないくらいいいやつだよ」

「あ……えっと、その」

「そうやって照れてるところもかわいい。ちょっと子供っぽいところも、非情になりきれないところも、お前は知れば知るほど、魅力的な部分ばかりだ」

「……そ、そんな」

「愛していると言いたい。自分の本当の気持ちに嘘を吐いて、手に入れられる今、手に入れてしまいたい。こんなにかわいい子が俺と結婚してくれるなんて、そんな機会は逃したくない」


 本当に、心の底からそう思う。けれど、ダメなのだ。俺はこいつを愛していない。好きになっていない。それはまだ感謝しているだけの段階だ。


「でも、いや、だからこそだな。だからこそ、頷けねぇよ。俺はお前に嘘を吐きたくない。俺なんかのことを好きだと言ってくれる魅力的な女の子に、嘘を吐きたくない。適当な愛を囁きたくない。正直でいたい。かっこいいやつでいたい。お前が惚れるに相応しい男になりたい」

「なってる、と思いますけど……」


 遠慮がちにそう言ってくれる。それは嬉しいけれど、俺は首を横に振る。


「なってねぇよ、気のせいだ」


 なってない。彼女を好きになりたいのに、俺は彼女だけを好きになっていない。それは一朝一夕で得られる気持ちじゃないのだと思う。そして、今、気持ちが高ぶっている彼女に雰囲気に流されて答えるわけにはいかない。


「いつか——心の底からお前に好きだと言いたい」


 ユリアは唇を噛み締めて聴いてくれている。


「だから、そのとき。お前が俺以外にも視線を向けて、それでも尚俺のことが好きだと言うなら、そのときは——違うな。俺のことが好きじゃなくなっても、きっといつか答えを出すから、そのときまた、ユリアの答えを教えて欲しい」


 長々と、恥ずかしいことを言ったな、と思う。なにかが心に響いたのか、涙を流す彼女の頭を優しく撫でながら問う。


「それじゃ、ダメか?」


 ふるふると首を振った彼女に、俺はほっと息を吐いたのだった。


        × × × ×


 背の高い木々の立ち並ぶ森の中を歩く。ここは王城の敷地内にある森で、薬草なんかを自然栽培しているらしい。森の中での戦闘を想定した訓練も行われるのだとか。


「アインさんっ、早く!」


 フィーアの強制スリープ期間の終わる時間が近づいているからか、ユリアが駆け足で数メートル先に行っては俺を呼ぶ。その顔は喜色に彩られており、どうやら作り物でもなさそうだ。


 昨日は散々気にしていたから心配だったのだが、どうやら杞憂だったらしい。朝話したことがそれの一因になっているのだとすれば、恥ずかしい思いをしてでも話した甲斐があったと思える。


 そうして、木漏れ日に照らされながら楽しそうに笑うユリアの後を追って行くと森を抜け、広い庭へと出る。横目で噴水を見ながら眠り姫の待つ部屋へと向かった。


 すぅ、すぅと寝息を立てる彼女は本当にただ眠っているだけのようで、俺がなにもせずともそのうち起きて「おはよー、お兄ちゃん」とか言い出してもおかしくない。それが望み薄な希望だと分かっていて尚、そう思わずにはいられなかった。


 フィーアが俺をお兄ちゃんと呼ぶことはもうないのだ。もしかしたら、いつか、そう呼ばれるかもしれないけれど、それは俺の知るものとは違う——いや、そうじゃないだろ。


 約束、したのだ。


 必ず助けると。必ず記憶を取り戻すと。だから——俺が悲しむべきところは一つもない。ただ、記憶をなくした妹に、少し優しくしてあげるのは悪くない。


 服を脱がし、外気に晒された柔肌に手を当てた。


「【Authentication】」

『――声帯認証、完了。個体名【Ein】の声帯と一致。続けて、掌紋認証を行います。そのまま手を離さずにお待ちください――掌紋認証、完了。個体名【Ein】の掌紋と一致』


 つい最近聞いたばかりのものと寸分違わぬ台詞が耳に届いた。続けて、今度は微妙に違った台詞。


『接触者を個体名【Ein】と確定。個体名――【Takamoto Masiro】より、管理者権限が一部譲渡されております。個体名【vier】のスリープモードを解除しますか?』

「【YES】」


 答えると、ぱちりと今まで寝ていたのが嘘かのようにフィーアのまぶたが持ち上がる。


「フィーアさんっ……」


 ユリアの声に答えることなく、身体を起こしたフィーアは俺を見据えて口を開いた。


「個体名【Ein】を認し、き……?」


 機械染みた口調に違和感を覚えながらも、様子を見守っていると、フィーアは途中で口を閉ざし頭に手を当てて下を向く。その表情には困惑の色が浮かんでいた。


「どうした……?」


 思わず寄ろうとすると、フィーアはそれを手で制し、眉間に皺を寄せて俺を見た。しばらくして、首を傾げた彼女は俺に目を向けてぽつりとつぶやく。


「……おにい、ちゃん?」


 俺の間抜けな声が室内に木霊した。

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機械仕掛けの魔導王 鴻咲夢兎 @yumeusagi

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